日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―

優木悠

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第十章 蝙蝠小町、ひた走る

十の十一

 窓ひとつなく真っ暗な部屋で、小源太はそわそわと落ちつかず、中で行ったり来たりしている。
 捕物騒動に巻き込まれて、兄が怪我をしてしまうのではないか、見せしめのために命を奪われてしまうのではないか、そんな悲観した考えばかりが頭に浮かぶのだった。

「すみません、どなたかいませんか。ここから出してくださいっ」
 戸を叩きながら必死な気持ちで叫ぶのだが、返ってくるのは、
「うるさい、静かにしろ」
 千太郎という見張り役の同心の、冷酷な答えばかりであった。声が若く聞こえるし、香流の態度から見て、千太郎というのは同心の見習いかもしれない。
「ここから出してください、お願いします。兄を助けなくてはいけないのです」
「話は聞いている」部屋の前で千太郎が言った。「お前の兄なら、奉行所の者が助け出すから安心しろ」

 小源太は闇の中でうなだれた。もうあきらめて、奉行所の人達にまかせるしかないのか。

 それからどれくらい刻が経ったであろう。
 もう夜中近いのではないだろうか。
 捕物の支度でばたばたと喧騒がしていた番所の中が、ふと気がつけば静まりかえっていて、北町奉行所の者達がほとんど丸橋道場の捕物に出払っている様子である。

 すると、くうくうと、いびきをかいているような声が聞こえる。見張り役がうたたねしているようだ。

 ――今しかない。

 小源太は即断した。こうと決めたら迷いはいっさいない。

 決意をかためるようにひとつうなずくと、戸を足でけとばした。が、襖は思っていたよりも頑丈に敷居にはまっていた。戸は想定でははずれて倒れると思っていたのに、小源太の足は唐紙を突き抜けた。
 見張りが驚いて飛び起きたが、小源太も驚いた。
 しかたがないから、手と体を使って唐紙をぶち破って、廊下にまろび出た。

「あ、待たんか」

 見張りが叫ぶのを聞き流し、小源太は廊下を走った。
 式台を飛びおりて、誰のものかわからない草履をひっかけて玄関を走り出て、一目散に門を飛び出した。
 常盤橋御門に向かうと、奉行所が総出で捕物に向かっているからだろう、門は開け放たれて、篝火がたかれ、数人の門番が警護していた。
 かまわず小源太は走り出た。

 門番達は驚いて一斉に振り向いたが、とめられはしなかった。外からの侵入を警戒はしていても、中から出て行く者は別段気にもしていない様子であった。
 小源太が常盤橋を渡った時、小源太の見張り役だった千太郎という同心が常盤橋御門に到着したようだ。あいつをとめてくれ、と叫んでいるが、もう時すでに遅しである。

 堀に沿って北へ向かってひた走る。お茶の水御中間おちゅうげん町にある丸橋道場を目指し、栗栖小源太は夜の江戸を駆け抜ける。



 そのほんの少し前――。
 ひそやかに北町奉行所と南町奉行所の与力同心、その配下の御用聞き達、合わせて数十人が丸橋道場を取り囲み、今まさに討ち入ろうと身構えていた。むろん、龕灯がんどう提灯ちょうちんなどは黒い布がかぶせられ、明かりといえば東の空に浮かぶ冴えた下弦の月ばかりである。嵐の前の静けさとでもいうのだろうか、道場の周辺は異常に静まり返って、隣で身構える者の蚊の羽音ほどの息すら、耳に聞こえるほどであった。

 今作戦の総指揮官と言うべき、北町奉行石谷左近将監が、馬上軍配を振った。

 そこここで、御用聞き達がいっせいに、
「火事だ、火事だぁっ!」
 静寂を打ち砕くように叫び始めた。
 本当の火事ではなく、家から慌てて飛び出した丸橋達を捕らえる算段である。

 龕灯や提灯にかぶせられていた布がはずされ、辺りは瞬時に昼間のような明りに包まれた。

 その数瞬後には、道場内にいた牢人達十数人が、おっとり刀で飛び出してくる。
 飛び出した瞬間、罠にはまったと皆気がついた。
 刀を持っている者は鞘から引き抜き、もっていない者は取りに戻る。

 その中で、丸橋忠弥はひとり冷静であった。
 寝巻き姿で十文字槍をかいこみ、母屋の寝室から雨戸をひっぱずして庭に飛び出し、驚いた様子も見せずに迫り来る一番手に向かって、大音声で呼びかける。
「宝蔵院流皆伝、丸橋忠弥に手向かうとはけなげ・・・なるかなっ!」
 組み付いてきた同心を投げ飛ばし、次に飛びかかってきた同心を突き飛ばす。

「どうした、町奉行所の与力同心ともあろう者達が、この程度の度胸しかないかッ!」

 丸橋は十文字槍を頭上で風車のように振り回す。

「御用だっ」
「神妙にしろっ」
「御用、御用っ」
 口口に威嚇し、刺股さすまた突棒つくぼうを構えて近づこうとする御用聞き達が、槍風車に弾かれるようにいっせいに飛びのいた。
 さらに丸橋は十文字槍を振り回す。
 空気を斬る凄まじい音、その風圧に、気圧されたように、奉行所の者達十数人が、丸橋を半円状に取り巻いたまま、石と化したように動けずにいた。
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