青と虚と憂い事

鳴沢 梓

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三章 碧落と悠遠

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ポツポツと、肩に小雨が降りかかった。
黒いジャケットに水滴が垂れる。
傘もささずに墓石の前で手を合わす僕に、叶多の御両親が慌てた様子でタオルを持ってくる。

「すみません、ありがとうございます」
「風邪引いちゃうから中に入ってね」

差し出されたタオルで水滴を拭いながら、近くの建物に入る。

今日は叶多の命日で、一周忌だった。
次第に強くなる雨は、叶多がいなくなったあの日を彷彿とさせる。
少し憂鬱な気持ちになりながら外をぼーっと眺めていると、叶多のお母さんに声をかけられた。

「悠くん、渡そうと思ってた物があってね
これなんだけど良かったら持って帰って」

お母さんはそう言って、大きな箱を僕の目の前に置いた。
箱の中には乱雑に重なる複数の封筒があった。
手紙、だろうか。

「これは…?」
「叶多が悠くんに渡せんかった手紙。入院中に書いてたみたい。あの子、最期まで素直になれなかったから。
1年経って少し心の整理が出来てきた頃に悠くんに渡そうと思ってたんよ」
「叶多が僕に?」

いまいち現実を受け止められずにいると、諭すような表情でお母さんは続ける。

「悠くん、忘れなさいとは言わないけど
無理しなくていいんだからね。
悠くんがここに来なくなっても、幸せになっても
私たちはずっと応援しとるから。
この手紙も読まないで捨ててもいいし、好きにしなさいね。」

「い、いえ。…僕はずっと忘れないって決めてます。彼女が、叶多の事がまだ好きですから」

予想外の言葉に、取り繕うように言う僕は、少し焦りを感じていた。

「……忘れない事なんて、できないからね。
でもありがとう。悠くんは、本当にあの子にはもったいないよ」

お母さんは寂しそうな、それでいて朗らかな表情でそう言った。
僕はそれに対して、胸が締め付けられるような苦しさで、何も言えなかった。



やる事を全て終え、車に乗り込む。
手紙の入った箱は持ち帰り、家で読んでみる事にした。

家に着くと、すぐさま箱を逆さまにして山のように重なった手紙を一つ一つ開封する。
ご丁寧に糊付けされている。本当に渡す気だったのだろうか。

いつ書いたのか見た目では分からない。時系列はバラバラだろうが、とりあえず手元にあるものから読んでみる。


『悠へ

"悠久列車"面白かったよ。主人公が変人すぎて共感できなかったけど、展開が何度もひっくり返るから続きが気になって仕方なかった。スラスラ読めた。また本を貸してほしい。

地元で買ってきてくれた梨が美味しかった。
今まで好きな果物は断然りんごだったけど、梨の方が好きになっちゃいそう。
また食べたいな

叶多より』


中身は手紙1枚、そう綴ってあった。
これは3年前か2年前の夏、帰省の帰りに買った梨をすごく喜んでくれた時の話だろうか。

別の封筒を開けて中身を取り出す。
やはり手紙が1枚入っていて、文字数も少なかった。


『悠へ

新曲のデモ、かっこよかった。
早くステージで歌いたいな

叶わないか。
なにか楽器でも始めようかな

叶多より』


内容はそれだけ。また別の封筒を開けて、中身を取り出す作業を続ける。


『悠へ

今日はすごく具合が悪くて不安で怖くて
来てもらったのに当たってしまった。
ごめんね。
悠を失うのも、自分が死ぬのも嫌
どうすれば前みたいに笑えるかな

叶多より』


手紙の時系列はやはりバラバラだが、段々と命日に近づいているような気がした。


『悠へ

今日もありがとうが言えなかった

明日来なかったらどうしようって
明日私が死んだらどうしようって
思うからありがとうって言いたかったのに

ごめんね
いつもありがとう

叶多より』


自分の心臓が、脈打つ鼓動がはっきりと聞こえる。
震える手を、熱くなる目頭を抑えながら次の手紙を手に取った。


『悠へ

私が死んだ後、悠が生きていけるように
居場所をつくりました

もしかしたらずっと苦しいかもしれないけど
諦めて許して忘れて 前に進んでください

たくさん、ありがとう。

叶多より』


これが最後の手紙だった。
その手紙を見た時、これまでになかった感情が爆発しそうな、そんな気がした。

彼女は愛の言葉をはっきり口にしない。
ごめんねもありがとうもあまり言わない。
そこが気に食わなくて、時には辛くて
それでいて愛おしかった。

気づけば嗚咽とともに涙が止まらなくなっていた。
息をするのも苦しくて、それでも溢れてくるそれは彼女が書いてくれた手紙を濡らした。

不器用で、死ぬまで素直になれないような彼女が入院中事ある事にずっと手紙を書いて
僕に渡すか渡さないか悩んでいたのだろうか。

何故そんな彼女が今僕の隣にいないのだろうか。
僕は今まで、知らないフリをしていたのだろう。
自分の感情にも、彼女の事を考える時間すら、全てに。



その日は、声が枯れるまで泣き続けた。
次の日、その次の日になっても体が動かなかった。
バンドメンバーからの着信が鳴り響く部屋で、僕はひとり、また知らないフリをした。
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