青と虚と憂い事

鳴沢 梓

文字の大きさ
上 下
22 / 48
四章 悠久の雨音

しおりを挟む
重たいドアを開けると、僕の名前を叫びながら少女が飛び出してきた。

「悠さん!」

碧は心配そうに僕の顔を覗き込む。
それに罪悪感を覚え、ぎこちない愛想笑いを返した。

「大丈夫ですか?顔色悪いですけど」
「休ませてもらったから大丈夫だ。迷惑かけて申し訳ない」
「迷惑だなんてそんな」

しゅん、と下を向く碧。
何と返したらいいのかわからず黙っていると、スタジオの奥から陽気な声が聞こえてきた。

「悠~!元気ならさっそく練習しようぜ~!」

神楽は相変わらずのようだ。
あれから1週間ほど経ち、僕から連絡を入れて軽く怒られた後集まった、久しぶりのバンドメンバー。
少し心が軽くなった気がした。

「ほらはやく、アンプ繋いで」

神楽はそそくさと僕に近寄ってくる。
ちらっとドラムセットの傍にいる隼人を見やると、すごく不機嫌そうだった。
無理もない。数日練習を放棄し、音信不通だったのだから。

「…やる気あんならやりますよ」
「ごめん、よろしく」

むすっとした隼人にそれだけ告げると、彼は無言で背を向けてドラムの前に座った。

「さ!今日もやりますよ!」

明るい碧の一声で、練習が始まった。



軽く2曲ほど通した後、あまりの頭痛に頭を抱えていた。
今日くらいはやり通さないと。
その一心で皆には何も言わずに、次の曲に入った。

碧のソロから始まるこの曲は、叶多がいた前バンドの曲だった。

「~♪ 深夜2時  過去に思いを馳せて
     きっとなんて  期待しちゃってさ
              何も見えない癖に 」

目の前で歌う碧の姿が霞んで見える。
それはまるで、初ライブの時の叶多の姿とそっくりだった。

いや、碧の声、歌い方がそっくりだった。
声色、少し外すアレンジの音程、息継ぎさえ何もかも。

気づけば、思いっきり声が出ていた。

「やめてくれ!」

自分の怒鳴り声に驚いて、ハッと我に返る。
演奏も碧の歌も止まっていて、スタジオは静寂に包まれていた。
碧も、隼人も神楽も驚いた表情で僕を見ていた。

「え、悠さん?」
「ごめん、僕…」

「やっぱりまだ体調悪いんですか…?
ゆっくり休んだ方が…」

碧の心配そうな声音に胸が締め付けられる様な苦しさを感じ、思わず言い返す。


「ごめん……弾けない。

もうこのバンドでは弾けない。」


僕の言葉に、すぐさま反応したのは隼人だった。

「は?それ本気で言ってんの?」
「音無さん…!」

語気の荒い隼人のセリフに、戸惑ったように碧が口を挟む。

「あんたがやりたいって言い出したんだろ?
訳もわかんねえまま、また辞めるのかよ」

「もう、叶多の隣で…弾きたくない」

僕の呟きに、皆一様に黙った。
隼人は何かを察したように口を開く。

「…………ああ、そういう事ね。
今更自覚したんだ。」

「え、どういう事?全然ついていけないんだけど。なんで急に叶多さんが出てくるの?」

神楽は慌てふためいたように口早に話す。

僕はそれに耐えられずに、ギターを置いてスタジオを出た。

「悠さん!」

後ろで皆が僕の名前を呼んでいる。
それを振り切るように大雨の中、ひとり駆け出した。

喉の奥に、心の内に何かが詰まったような息苦しさを抱えながら。
遠い過去、まだ僕に元気な笑顔を見せていた頃のあの人を思い出しながら。
雨粒の冷たいそれとは別の、生暖かいモノが頬を伝う感触を味わいながら。



このまんま死ねたら、どんなに楽だろう。
しおりを挟む

処理中です...