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第一章~王女の秘密~

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 爆薬を仕掛け、いざ逃げるという段階に入って、私は隠し通路の事をアートに話していないことに気が付いた。アートが牢を出で左に伸びる階段を昇ろうとする。


「まって。こっちじゃないの」


 隠し通路の入り口は逆にある。
 私が止めればアートは焦りを隠せないけれど、無理やり連れていこうなどという素振りは見せなかった。私を信頼して入れてくれているからこそだと思うと、少しくすぐったい。


「ここ、王家の別荘よ。昔ので今は使われていないのだけど。だから私、隠し通路の場所知ってるの」


 なるほど、アートが頷いた。どうやら納得してくれたみたい。ごねられたら殴って言う事を聞かせるしかないのかなって思っていたから、そうならなくて良かった。

 やっぱり殴りたくないもの、気持ち的な面でも、戦力的な面でも。


 牢から出て右奥の角の壁。中でも嫌に苔むした一角に私は手を当てた。


「ぶうきゅっんしゅんうさて」


 意味のない文字の羅列。覚えるのに苦労するけれど、これが鍵の言。言い終えると音もなく地面が消え、すると私は地下へと続く階段の一段目に立っていた。


「ここからは私が先にいくわ」


「え?ダメだ、俺が」


 私の腕を掴もうとしたアートの手を振り切り、私は階段を降り始めた。

 私が一段降りる度、階段がオレンジ色の明かりを放ち、暗い通路が徐々に明るくなっていく。


 ちょっとだけ緊張する。アートがもしも敵と通じているとするなら、今の私を殺すのは簡単だ。けれど本当のところ、本気でアートを疑っているのかと問われれば答えはノーだ。私はアートを信じてる。

 だからこそ、腑に落ちない。どうしてアートが私を黙って見ていたのか。


 階段を降り切り、私はアートに向き合った。


「ねえ。どうして声もかけずに見てたの?」


 もちろん、まだ私が牢で手錠に繋がれ、横たわっていた時だ。
 無言で、なんとも言えない奇妙な表情で私を見てた。あの事を尋ねている。

 私の問いにアートはどう答えるのか。ドキドキしながら返事を待った。


「別に……大した理由はない、ていうか……」


 アートは始め、言いにくそうにしていた。

 なら、なおさら言っても良いじゃない。私は腰に手を当て階段の一段目に立つアートを見上げた。アートはすぐに観念した様子で


「いやな、アイナが泣いてるの見てたら……何というか、こう……ぐっと来るものがあって……だな。それで、つい……魅入って……」


 俯いて頭を掻きながら言った。一段高い所にたっているアートの顔は、背の低い私から良く見える。しかも階段の明かりを正面から受け、鮮やかな色彩が薄暗い通路に浮かび上がる。

 アートはほんのりと耳を赤くして、私と目が合うと、慌てて上を向いた。


「な…………最低」


 私はそれしか言えなかった。だって泣いているのが良いなんて、悪趣味だって思うし、紳士的じゃないもの。もしかして、アートってそういうへきがあるのかしら?


 す、す、す、す……好きな子ほど泣かしたくなるっていうあの?

 恋愛小説における、王道の一つの?


 確かに私もお気に入りのシーンにはそういったのもあるし、物語の表現としては決して嫌いではない。寧ろ好きな方。

 けれど、現実でされると全く良い気はしないわね。また一つ賢くなってしまったわ。

 それに小説などでは、泣いている所を見ているだけに飽き足らず、わざわざ傷つける描写もあるでしょう?

 いくら好きな人でも、ずっとそれっていうのは、ちょっと……


「変な意味じゃないからな!?」


 あら、私の考えている事、顔に出てたかしら? 焦って否定したりして。では、どういうつもり?

 私は胸の位置で腕を組んで、アートを睨みつけた。はっきりさせないといけない事ってあると思うのよね?答えの如何によっては今後の彼との付き合いが変わるかもしれないし。


「本当にごめんって。アイナを放置しようとか、泣いているのが良いとかって、そんなつもりはなくて……」


「あなたさっき、泣いているのにぐっと来たって言ってたじゃない。やっぱり……」


「違う、違う! その、単純に嬉しかっただけなんだって。アイナにまたアートって、愛称で呼んでもらえて…………もう二度と呼んでもらえないと思ってなかったから。子供っぽいけど、本当にうれしかったんだ」


 アートは私としっかり目を合わせ、離さなかった。さっきは顔を逸らして見ようとしなかったのに。


「え?」


「へ?」


「あなた、そんな前から見ていたの?」


 アートがためらいがちに頷いた。体感で私が目を覚ましてからアートの存在に気づくまでおよそ5分程度。その間、彼はずっと私を眺めていたのだろう。魔法を側で使われても気付かない程、泣きじゃくっていた私を。


 表情がひきつり、体が震えた。悲しいからでない。羞恥のあまりだ。

 ついでに、たぶん私の顔は真っ赤だと思う。
 今、恥ずかしさだけで死ねるもの。穴があったら入りたいって、こういう時に使うのね。まさにそんな気持ち。


 もうアートと呼ばないと意地になっていた。それなのに聞かれてしまっていたなんて。


「……お城では人の目があるもの。言えないわ」


 婚約者の弟も仲睦まじいなんて噂が立ってはいけない、なんて当たり前の言い訳を口にする。嘘ではないけれど、それだけでもない。


 私が最も恐れていたのは、あの日の出来事が世間に露呈する、ただそれだけだった。

 もちろんマンナやカク、ジージールは知っているでしょうけれど、彼らがそれを口に出すことはない。たとえ私に対してであっても。
 彼は私の極々私的なものには口を出さない。そういう約束になっており、そこは信頼している。

 知られたらアートに迷惑が掛かるとか、お父様たちの計画に支障が出るではないかとか、色々心配しなければならない事はあるけれど、一番はあの日を汚されたくないという思いだった。


 私にとってあの日は宝物のような一日で、誰にも侵されたくない聖域といっても良い。


 私がアートと呼ばなかったのは、王女としての私であっても、あの日に触れさせない為だった。王女が彼の名を呼べばたったそれだけで、あの日が違う物になってしまう気がしていた。

 それだけ大事だった。

 私にとってはあの日を守る為の行為だったけれど、アートにとってはまるで違った意味を持っていた。


「アルテムって名前で呼ばれる度に、あの日がなかった事になるみたいで嫌だったんだ。俺にそんな事言う資格がないのは分かってる。アイナは、兄貴の婚約者だから……」


 それでもあの日は俺の宝物だったんだ。アートはそう言って、私を抱き締めた。アートにとってはあの日の私も、王女の私も同じだったというわけだ。


「アイナが無事で良かった」


 そんなの……私の台詞よ。


「あなたが……アートが無事でいてくれて私も嬉しい」


 あなたが喜んでくれるなら、いくらでもその名を呼ぼう。

 いつの日か、あの日はかけがいのないたった一つの特別な日から過去の思い出になり変哲もない日常へと繋がっていくのなら、私はその為にどれだけの努力も惜しまない。


 きっとこれが私の本当の気持ちで、望み。あなたが生きていてくれてこれ程嬉しい事はない。


 となると、やっぱり問題は私にあるのね。

 アートあなた王子あなたでなければ良いのにと、前よりもずっと強く思ってしまう。


 あなたを好きになればなるほど、あなたが王子である事を意識してしまうの。

 あなたが私を守ろうとする度、自分の役目を思い出して辛くなるの。

 あなたとの距離が近づけば近づくほど、悲しくなってしまうの。



 ああああ自由になりたいアイナを止めたい

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