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Countdown.7
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カンニング令嬢と呼ばれて――。
その日を境に、おまえの学院生活はとてもつらいものになった。
結局、事件そのものはその後なんの進展もなく、うやむやになってしまった。学院側は「事なかれ」を重視しているため、熱心に犯人捜しなどするつもりはなかった。おまえへの疑惑は「灰色」のまま、放置されたのである。
おまえが不正をしているというイメージだけが、ぼんやりと残ってしまったのだ。
のちにお前が知る通り、これらはすべてハレゼナが仕組んだことだ。自分が一番でなければ気が済まない義妹が、おまえに勉強ではかなわぬと見て、悪辣な策を弄して身勝手な復讐をしたのだった。そう。自分の手を汚すことなく、他の生徒を巧みに誘導して。
教室におまえの居場所はなくなった。
話しかける者は誰もいなくなり、徹底的に無視された。教科書を隠されたり筆記用具を捨てられたりすることもあった。廊下を歩いていれば背中を突き飛ばされ、トイレに入れば、ドアにつっかえ棒をされて閉じ込められる。そのため、別の棟にあるトイレを利用しなければならなくなった。
子供でもやらないような低レベルの嫌がらせ。
だが、それらは上流貴族の生徒たちにとって「楽しいお遊び」だった。
いじめは遊戯だ。
おまえも認めるだろう。それは。
彼らにとって、無抵抗のおまえを私刑(リンチ)するのは、このうえない快楽だったのだ。優秀な者を引きずり下ろし、虐げ、いじめ抜くことで幸せを感じる。人間という「種」の救いがたい一面をおまえはこのとき知ったのだ。
おまえなら――。
このとき、やり返すこともできたはずだ。
後の世に伝わる「終末の精霊士(ネレイヤ)」であるなら、たかが同級生のいじめなど、その知恵を使って如何様にも反撃出来たはずだ。
だが、おまえはそうしなかった。
すべては、父のため。
父が愛した、母のため。
おまえは、事を荒立てることを選ばなかった。
自分が耐えればいいのだと思ってしまった。
その優しさが、後日、もっと凄惨な結果を招いてしまうのに……。
◆
ある日の夜。
自分の部屋の机で読書をしていたおまえは、ふっと胸騒ぎを覚えてページをめくる手を止めた。
「……来るわ」
椅子から降りて、机の下に潜り込んだ。
それから10秒後、窓ガラスがガタガタと音を立て始めた。机が、椅子が、床が揺れている。ギシギシ、壁や柱が音を立てる。四方に設置してある燭台が激しく揺れて、蝋燭の何本かは消えてしまった。
地震だった。
一ヶ月ほど前から、王国南部を中心として地震が頻発していた。前例がないほど規模が大きなものだ。国王は原因を教会に調べさせたが「神の怒りを買うようなことは何もありません」「祈りを欠かさなければじきに収まるでしょう」という回答だった。
だが、地震は神が起こすものではない。
地震とは「大地の精霊の怒り」によって起きる。精霊同士は「竜脈」と呼ばれるものでつながっていて、感情を共有している。地震が起きるということは、大地の精霊たちが一斉に怒り出したということなのだ。
おまえには、地震がなんとなく予知できる。揺れが始まる10秒ほど前に、うなじの毛がチリチリと逆立って胸騒ぎが起きる。精霊士の素質を持つおまえは、術式も触媒もなしに、精霊の怒りを感じ取っているのだ。
――そんなに怒らないで、大地の精霊さん。
――何をそんなに怒っているのか、わたしに聞かせて。
揺れに身をまかせ、じっと目を閉じながら、おまえは呼びかける。
だが、返事はない。
「やっぱり駄目なのね。ちゃんと修業を積んだ精霊士でなければ……」
やがて揺れが収まり、おまえは屋敷の被害を確認するために一階へ降りていった。
そこにいたのは、ハレゼナとニルス王太子だ。
二人は抱き合っていた。
震えるハレゼナの体を、ニルスが強く抱きしめている。その手は優しく彼女の紅い髪を撫でていた。
「収まったようだよ、ハレゼナ」
おまえには聞かせたこともない甘い声でニルスが呼びかけると、ハレゼナは王太子の胸から顔を上げた。
「本当に? まだ揺れている感じがいたします」
「じゃあ、このまま私に抱きついているかい? 大歓迎だが」
「ええ。できることならそうしたいですけれど――お邪魔虫が来たようですわ」
そこでようやく、ニルスはおまえの存在に気づいて、不機嫌な顔になった。
「趣味が悪いなカヤ。のぞき見とは、淑女のやることとも思えぬ」
「申し訳ありません殿下」
父の結婚式以来、ニルスはたびたび公爵邸を訪れるようになっていた。以前は一度も来たことがないのに。時には予告もせず使者を伴わず、お忍びで来ることさえあった。目当てはもちろん、婚約者のおまえではない。
ハレゼナはしおらしく頭を下げた。
「申し訳ありません。婚約者であるお姉さまをさしおいて、ニルス様に守っていただいて」
「気にしてないわ。かなり大きな地震だったものね。ケガがなくて良かった」
おまえは応接間を見回した。戸棚の扉が開き、父のグラスがいくつか床に落ちて割れている。その他に目立った被害はないようだ。
「殿下。わたしからひとつご提案がございます」
「……何だ」
「陛下にお願いして、軍に南のデモルート山を調査させてはいかがでしょうか?」
「デモルート山? なんのために」
「地震がこうも頻発すると、王国最大の山の噴火につながる恐れがあります。あるいは噴火の前触れが昨今の地震かもしれません。動植物の生態に何か変化がないか、火口付近に目立った活動はないかどうか、ふもとを流れる大河(ベツノカ)への影響はどうか、調査したほうがよろしいかと」
ふん、とニルスは顎を持ち上げた。
「あの山は噴火などせぬ。そんな記録は王国500年の歴史で一度もない。だからこそ王国が安泰に栄えているのではないか」
「おそれながら、殿下」
怒りを買うことはわかっていても、おまえは食い下がった。もし大噴火が起きれば多くの民が死ぬ。火山灰が日光を遮り、家畜や農作物なども大打撃を受けるだろう。その後に待っているのは飢餓と恐慌である。
土石流が大河(ベツノカ)に流れ込む可能性もある。
もしあの大河が、氾濫など起こしたら――。
「500年間噴火していないからといって、501年目に噴火しないとは誰にも言えません」
「屁理屈を言うな」
「人間からみて長くても、大自然からみれば、王国の500年などほんの一瞬の泡沫(うたかた)にすぎず――」
ニルスは強く床を踏みつけた。
「泡沫とはなんだ!? 我が王家の歴史を愚弄するか! 世界最長の歴史と、最大の国力を誇る我が王国を!」
「いえ、決してそのような――」
「不敬ですわよ。いくらお姉さまでも、王家を軽んじるような発言は聞き捨てなりません」
二人ににらみつけられて、おまえはため息をついた。
「申し訳ありません。分を弁(わきま)えぬ、出過ぎた発言でした」
「ふん。わかればいいのだ」
その時、こちらに近づいてくる足音があった。
ハレゼナの実母であり、おまえの義母となったジルフリーデである。
娘と同じ紅い髪を揺らしてニルスの前に立ち、礼をする。
「これはニルス様。いらっしゃっておられたのですか。ずいぶん賑やかだと思ったら」
「お騒がせして申し訳ない、公爵夫人」
「いえ、構いませんのよ」
ほほほと笑い、義母はおまえとハレゼナを見た。
「カヤさん。ハレゼナ。殿下に対して失礼のないようにね」
「はい、お義母さま」
「もちろんですわ。お母さま」
ジルフリーデは微笑み、もう一度ニルスに礼をしてから退室した。
義母は、表面上、おまえに対してつらく当たるということはない。だが、時々底冷えのするような目つきでじっ、とおまえの顔を見つめる。そのまなざしに宿るのは、おまえが幾度となく経験してきた、美しい者がみにくい者を見つめる時の嘲り、侮りであった。
父は最近、仕事が忙しくてあまり帰ってこない。
古くからの使用人たちも、みんな、義母と義妹についてしまった。
おまえは家にも居場所がない。
ずっと部屋ですごす以外、身の置き所がないのだった。
その日を境に、おまえの学院生活はとてもつらいものになった。
結局、事件そのものはその後なんの進展もなく、うやむやになってしまった。学院側は「事なかれ」を重視しているため、熱心に犯人捜しなどするつもりはなかった。おまえへの疑惑は「灰色」のまま、放置されたのである。
おまえが不正をしているというイメージだけが、ぼんやりと残ってしまったのだ。
のちにお前が知る通り、これらはすべてハレゼナが仕組んだことだ。自分が一番でなければ気が済まない義妹が、おまえに勉強ではかなわぬと見て、悪辣な策を弄して身勝手な復讐をしたのだった。そう。自分の手を汚すことなく、他の生徒を巧みに誘導して。
教室におまえの居場所はなくなった。
話しかける者は誰もいなくなり、徹底的に無視された。教科書を隠されたり筆記用具を捨てられたりすることもあった。廊下を歩いていれば背中を突き飛ばされ、トイレに入れば、ドアにつっかえ棒をされて閉じ込められる。そのため、別の棟にあるトイレを利用しなければならなくなった。
子供でもやらないような低レベルの嫌がらせ。
だが、それらは上流貴族の生徒たちにとって「楽しいお遊び」だった。
いじめは遊戯だ。
おまえも認めるだろう。それは。
彼らにとって、無抵抗のおまえを私刑(リンチ)するのは、このうえない快楽だったのだ。優秀な者を引きずり下ろし、虐げ、いじめ抜くことで幸せを感じる。人間という「種」の救いがたい一面をおまえはこのとき知ったのだ。
おまえなら――。
このとき、やり返すこともできたはずだ。
後の世に伝わる「終末の精霊士(ネレイヤ)」であるなら、たかが同級生のいじめなど、その知恵を使って如何様にも反撃出来たはずだ。
だが、おまえはそうしなかった。
すべては、父のため。
父が愛した、母のため。
おまえは、事を荒立てることを選ばなかった。
自分が耐えればいいのだと思ってしまった。
その優しさが、後日、もっと凄惨な結果を招いてしまうのに……。
◆
ある日の夜。
自分の部屋の机で読書をしていたおまえは、ふっと胸騒ぎを覚えてページをめくる手を止めた。
「……来るわ」
椅子から降りて、机の下に潜り込んだ。
それから10秒後、窓ガラスがガタガタと音を立て始めた。机が、椅子が、床が揺れている。ギシギシ、壁や柱が音を立てる。四方に設置してある燭台が激しく揺れて、蝋燭の何本かは消えてしまった。
地震だった。
一ヶ月ほど前から、王国南部を中心として地震が頻発していた。前例がないほど規模が大きなものだ。国王は原因を教会に調べさせたが「神の怒りを買うようなことは何もありません」「祈りを欠かさなければじきに収まるでしょう」という回答だった。
だが、地震は神が起こすものではない。
地震とは「大地の精霊の怒り」によって起きる。精霊同士は「竜脈」と呼ばれるものでつながっていて、感情を共有している。地震が起きるということは、大地の精霊たちが一斉に怒り出したということなのだ。
おまえには、地震がなんとなく予知できる。揺れが始まる10秒ほど前に、うなじの毛がチリチリと逆立って胸騒ぎが起きる。精霊士の素質を持つおまえは、術式も触媒もなしに、精霊の怒りを感じ取っているのだ。
――そんなに怒らないで、大地の精霊さん。
――何をそんなに怒っているのか、わたしに聞かせて。
揺れに身をまかせ、じっと目を閉じながら、おまえは呼びかける。
だが、返事はない。
「やっぱり駄目なのね。ちゃんと修業を積んだ精霊士でなければ……」
やがて揺れが収まり、おまえは屋敷の被害を確認するために一階へ降りていった。
そこにいたのは、ハレゼナとニルス王太子だ。
二人は抱き合っていた。
震えるハレゼナの体を、ニルスが強く抱きしめている。その手は優しく彼女の紅い髪を撫でていた。
「収まったようだよ、ハレゼナ」
おまえには聞かせたこともない甘い声でニルスが呼びかけると、ハレゼナは王太子の胸から顔を上げた。
「本当に? まだ揺れている感じがいたします」
「じゃあ、このまま私に抱きついているかい? 大歓迎だが」
「ええ。できることならそうしたいですけれど――お邪魔虫が来たようですわ」
そこでようやく、ニルスはおまえの存在に気づいて、不機嫌な顔になった。
「趣味が悪いなカヤ。のぞき見とは、淑女のやることとも思えぬ」
「申し訳ありません殿下」
父の結婚式以来、ニルスはたびたび公爵邸を訪れるようになっていた。以前は一度も来たことがないのに。時には予告もせず使者を伴わず、お忍びで来ることさえあった。目当てはもちろん、婚約者のおまえではない。
ハレゼナはしおらしく頭を下げた。
「申し訳ありません。婚約者であるお姉さまをさしおいて、ニルス様に守っていただいて」
「気にしてないわ。かなり大きな地震だったものね。ケガがなくて良かった」
おまえは応接間を見回した。戸棚の扉が開き、父のグラスがいくつか床に落ちて割れている。その他に目立った被害はないようだ。
「殿下。わたしからひとつご提案がございます」
「……何だ」
「陛下にお願いして、軍に南のデモルート山を調査させてはいかがでしょうか?」
「デモルート山? なんのために」
「地震がこうも頻発すると、王国最大の山の噴火につながる恐れがあります。あるいは噴火の前触れが昨今の地震かもしれません。動植物の生態に何か変化がないか、火口付近に目立った活動はないかどうか、ふもとを流れる大河(ベツノカ)への影響はどうか、調査したほうがよろしいかと」
ふん、とニルスは顎を持ち上げた。
「あの山は噴火などせぬ。そんな記録は王国500年の歴史で一度もない。だからこそ王国が安泰に栄えているのではないか」
「おそれながら、殿下」
怒りを買うことはわかっていても、おまえは食い下がった。もし大噴火が起きれば多くの民が死ぬ。火山灰が日光を遮り、家畜や農作物なども大打撃を受けるだろう。その後に待っているのは飢餓と恐慌である。
土石流が大河(ベツノカ)に流れ込む可能性もある。
もしあの大河が、氾濫など起こしたら――。
「500年間噴火していないからといって、501年目に噴火しないとは誰にも言えません」
「屁理屈を言うな」
「人間からみて長くても、大自然からみれば、王国の500年などほんの一瞬の泡沫(うたかた)にすぎず――」
ニルスは強く床を踏みつけた。
「泡沫とはなんだ!? 我が王家の歴史を愚弄するか! 世界最長の歴史と、最大の国力を誇る我が王国を!」
「いえ、決してそのような――」
「不敬ですわよ。いくらお姉さまでも、王家を軽んじるような発言は聞き捨てなりません」
二人ににらみつけられて、おまえはため息をついた。
「申し訳ありません。分を弁(わきま)えぬ、出過ぎた発言でした」
「ふん。わかればいいのだ」
その時、こちらに近づいてくる足音があった。
ハレゼナの実母であり、おまえの義母となったジルフリーデである。
娘と同じ紅い髪を揺らしてニルスの前に立ち、礼をする。
「これはニルス様。いらっしゃっておられたのですか。ずいぶん賑やかだと思ったら」
「お騒がせして申し訳ない、公爵夫人」
「いえ、構いませんのよ」
ほほほと笑い、義母はおまえとハレゼナを見た。
「カヤさん。ハレゼナ。殿下に対して失礼のないようにね」
「はい、お義母さま」
「もちろんですわ。お母さま」
ジルフリーデは微笑み、もう一度ニルスに礼をしてから退室した。
義母は、表面上、おまえに対してつらく当たるということはない。だが、時々底冷えのするような目つきでじっ、とおまえの顔を見つめる。そのまなざしに宿るのは、おまえが幾度となく経験してきた、美しい者がみにくい者を見つめる時の嘲り、侮りであった。
父は最近、仕事が忙しくてあまり帰ってこない。
古くからの使用人たちも、みんな、義母と義妹についてしまった。
おまえは家にも居場所がない。
ずっと部屋ですごす以外、身の置き所がないのだった。
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