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序章

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 バタバタと廊下が騒がしい。
 夜が更けてもまだ執務をしていたグンドルフは、その騒がしさに集中力が切れて大きなため息を吐いた。
「…セバスチャン、外が騒がしいけど何が起こっている」
「見て参ります」
 椅子に背を預けて天を仰ぎながら愛用の煙草に火を着け、外の様子を見に行った執事のセバスチャンを見送る。しかしすぐに「あなた達! 一体何をしているのです! 止まりなさい!」というセバスチャンの声が廊下から響いてきた。
「殿下! お逃げ下さい!」
 扉のすぐ向こうからセバスチャンの切羽詰まった声が響き、その声にグンドルフもさすがにゆっくりと椅子に座っている場合ではないのだと認識する。ふかしていた煙草を灰皿に押し付けて火を消し、壁に立てかけてある杖を手に取る。そして部屋の中心でトンッと軽く床に杖を突くと、杖に付いている魔石が輝いて魔法を使う準備が出来た事を知らせた。
「セバスチャン、死ぬなよ!」
 扉の前で必死になって押し留めようとしている優秀な執事に一言声をかけて、転移魔法で部屋から出ようとした。
魔法を発動させるために集中し、脳内で転移魔法の魔法陣を思い浮かべると足元に同じ魔法陣が浮かび上がる。それと同時に移動先のイメージもしっかりと行い、あとは杖で魔法陣を叩けば移動できた。
しかしそれよりも早く魔法妨害の結界が執務室にかけられてしまったらしい。転移するために杖で叩こうとした瞬間に杖の輝きと魔法陣が消えて、部屋が息苦しくなった。
 カランと手から杖が滑り落ちる。魔法妨害の魔法だけではなく、結界の内側にいる対象人物の動きを封じる効果も付与されており、グンドルフは鉛のように重くなった自身の体に耐えきれずに床に倒れこんだ。
 魔力の気配からこの魔法を使ったのは腹違いの弟であることは明確であり、殺意すら感じる魔力にグンドルフは苦笑しながら「困った弟だ」と呟いた。しかしこのまま床に這いつくばっている場合ではないのは火を見るよりも明らかであるため、グッと体に力を入れて転がった杖を手に取り、ずりずりとほふく前進で窓の方へ向かおうとした。
「無様ですね、兄上」
 フッと背後から声が聞こえ、どす黒いオーラをまとった男が現れた。グンドルフは油の切れたブリキのような動きで何とか振り返り、その姿に眉をひそめた。どす黒いオーラは、濃厚な負の感情がオーラとなった物らしく目視できるほどに膨れ上がっていた。
「ルーヘンは落ちたな。そこまで俺を憎んでいるとは思ってなかったよ」
「いけませんなぁ、グンドルフ様。よもや血縁関係があるから恨まれる事などないとお思いだったのですか?」
 さらに扉が開かれ、その向こうからぞろぞろと弟、ルーヘンを次期王へ推薦する派閥の役職たちがグンドルフの部屋に入ってきた。廊下には、ぐったりと倒れこむセバスチャンの姿があった。
「セバスチャン!」
「おや、この状況で従者の心配とは随分と余裕がおありですね。ろくに動けないくせに」
「兄上、安心してください。セバスチャンは殺しませんよ。だって、僕に仕えてもらうんですから。彼以上に素晴らしい執事を僕は知りませんし、何より兄上のものを奪う快感って何物にも代えがたいじゃないですか」
 ルーヘンは立ち上がれないグンドルフの背中を思い切り踏みつけてグンドルフに顔を近づけた。
「兄上の執事も、地位も、国も、何もかも僕が奪います。この国は今から僕のものになる」
「っ…父上がまだ即位しているだろう。たとえ俺をここから追い出すなり殺すなりしたとしても、即位できるのはまだ何十年と先だ。父上に何か起こらないかぎ…り…まさか、父上を手にかけるつもりではないだろうな!」
 サッと父の死という最悪な情景が脳裏に浮かび、思わず叫ぶグンドルフにルーヘンが嘲笑うように鼻で笑った。
「ふんっ、そんな浅はかなことをする訳ないじゃないですか。父上には隠居していただくだけですよ」
「あの父上が素直に隠居するとは思わない。どうやって説得するつもりだ」
「それは、兄上が知る必要のない事です」
 ルーヘンは一度グンドルフから離れると自分の杖を従者から受け取り、トンと杖で軽く床を叩いた。するとルーヘンの杖はどす黒いオーラをまとって輝き、ルーヘンの横に攻撃魔法の魔法陣が次々と展開される。
「だって、兄上は今ここで死ぬんですから」
 歪んだ笑顔でそう言いながら高濃度の魔力を練り上げ始めるルーヘンに、さすがのグンドルフも命の危機を感じて背筋が寒くなった。

※ ※ ※ ※

 訓練で酷使した体に栄養を補給するべく夕食を取っていたカルラは、むさくるしい男しかいない環境に辟易しながら窓の外を眺める。雲一つない夜空に小さな星が控えめに輝いており、その一つ一つが可憐で綺麗だった。
 今夜の夜間警備は自分だったなと思いながら星空の下で警備できる事をひそかに喜ぶ。
「さて、今夜も平和なことを祈ろうかな」
 ざわざわとする食堂の中、一人呟くと食べ終えた食器を返却口に戻して準備をするために、戦闘準備室へ向かった。
 愛用の鎧を身に着け、相棒の額にある模様と同じ模様を描いた兜をかぶる。そして鏡で身だしなみを確認してから自分の斧槍を手に取り、準備室を出ようとした。
「カルラ隊長、カルラ隊長! あ、いた! 大変です!」
 廊下の向こうから顔を青ざめさせた部下がカルラの下へ走ってくると、カルラはその様子に緩んでいた気を引き締めて部下の方へ歩み寄った。
「血相変えてどうした。敵襲か?」
「いえ、敵襲ではありません。ルーヘン様より直々の命令書が兵士全員に発布されました。内容は、本日よりルーヘン・ヴィルジニアの命に背く者は国家の反逆者として粛清する。という内容で、真意を確かめようとした団長達がその場で殺されました」
 うつむいて悔しそうに言う部下に、カルラは驚いて思わず部下の肩をつかんだ。
「なっ、殺されただと⁉ どういうことだ! 団長達に非があったのか!」
「ある訳ないじゃないですか! 団長達はただ、陛下や殿下の許可があるのか、どういう経緯でそのような命令を下すに至ったのかを聞きに行っただけです。それだけなのに、不服と判断されて殺されたんです」
「そうか。それは陛下や殿下の身が危険かもしれないな。陛下の所には多くの兵が行っているはずだな? 私達は殿下の所に行くぞ」
 颯爽とグンドルフの部屋へ行こうと足を踏み出すと、グイッと部下がカルラの腕を引っ張った。
「ダメです! 陛下の所も、殿下の所も行かないよう早速命令が下されているんです。行ったら反逆者として殺される」
「お前、それでも竜騎士か! 我々は勇敢な空の覇者だぞ! 今行かずにいつ行くんだ!」
「仲間たちが次々と殺されているんです! カルラ隊長のように陛下や殿下の身を守るために部屋に行った者たちは、部屋の前で待機していた魔導士団の連中に全員例外なく殺されているんです。俺も行こうとしました。でも、目の前で殺される仲間に怖くなって逃げてきたんです。だから、無駄な抵抗はしないでください。隊長を失ったらこの竜騎士団は終わりです」
 お願いします。と縋り付く部下に、カルラはため息を吐いたあと「悪いな」と思い切り部下の股間を蹴り上げた。
「~っ‼」
 声にならない悲鳴と共にカルラから手を離す部下に、カルラは「死にに行くつもりなんか無いよ」と言い残してグンドルフの部屋ではなく当初の予定通り竜舎へ向かった。
 竜舎は城内の騒がしさとは裏腹に竜たちの息吹のみが聞こえ、それ以外の音が聞こえないため、静かな夜であると錯覚しそうだった。自分の相棒の鞍とハミを竜舎の横にある倉庫から出し、相棒のいる竜舎の中へ急ぐ。
飛竜用の鞍は馬用の物よりも大きく、カルラの上半身が隠れる程度には大きな物だった。
「ダーリア、今夜は激しいよ」
 竜舎に入ると真っ先に美しい赤い竜の所に行って声をかけ、ドサッと大きな鞍を下ろす。ダーリアは主人の来訪に嬉しそうにクルルルと高い声で喉を鳴らすと檻に顔を押し付けて撫でてくれとねだった。カルラはそんなダーリアを片手で撫でてあげながら檻のカギを開ける。
「よしよし、お前は本当に可愛いね。いい子」
 房の中に入ると、まずハミを噛ませて手綱を檻の鉄格子に結び付け、動き回らないように動きを制限する。
「ダーリア、座れ」
 カルラの命令にダーリアは素直に腰を下ろして、ソワソワとカルラの行動を見つめた。そんなダーリアにカルラは笑いかけながら「鞍を乗せるよ」と一言声をかけてから大きな鞍をその背に乗せる。そしてダーリアの背中に乗って鞍の位置を調節すると、再び降りてベルトでしっかりと、しかしダーリアが苦しくない程度に固定していく。最後に檻の反対側、鉄で補強された外へ飛び出せる大きな扉を開けると、カルラは縛っていた手綱を外して斧槍を手に取りダーリアに飛び乗った。
「さ、殿下の元へ行くよ!」
 ハッと飛び出す合図を送り、その合図を待っていたと言わんばかりに走り出したダーリアはすぐに翼を広げて飛び立った。力強く羽ばたく相棒を頼もしく思いながらダーリアが飛びやすいように呼吸を合わせて上下に体を動かす。そして真っすぐにグンドルフの執務室へとダーリアを飛ばせると、すぐにグンドルフの執務室が見えてきて、濃厚な魔力が渦巻いているのを肌で感じた。
「ダーリア、あの部屋に向かって突っ込むよ! あなたの自慢の爪で、突き破りなさい!」
 カルラの言葉にダーリアは力強い咆哮を上げてぐんっとスピードを上げると、迷いなくグンドルフの執務室のガラスを突き破った。
 突然の奇襲にルーヘンは集中力が切れて発動しようとしていた魔法と、発動していた魔法が全て切れた。
「何事だ⁉」
「殿下! こちらへ!」
 体が軽くなったグンドルフは、すぐに立ち上がると混乱するルーヘンと役職たちを押しのけて手を伸ばすカルラの方へ駆け寄り、カルラの手を借りてダーリアの背に乗った。
「クッソ、逃がすか!」
 混乱から立ち直ったルーヘンが憎しみに満ちた瞳ですぐに攻撃魔法を展開するとダーリアに向かって闇の矢を放った。
「悪いな。ここで死ぬわけにはいかないんだ」
 グンドルフはそう言うやすぐにダーリアの前に大きなシールドを張り、闇の矢は一本もダーリアの体に届かなかった。
「飛べ!」
 カルラの声にダーリアは即座に反応して力強く床を蹴って窓から離れると、魔法の届かない所まで離れて上空で安定飛行に入った。
 綺麗な星空が輝くこの日、国王が倒れて生死不明。第一王子は反逆者に誘拐され行方不明。城内は混乱を極め、死者が多く出る大惨事となったのだった。

    
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