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【番外編2】可愛いエイシ 3

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 ――――…




 エイシをたっぷりと可愛がった後、ベッドに臥せる彼を置いて俺は一人別室へと移り、棚の上の水差しをグラスに向けて傾ける。不純物のない透明な飲み水は人間であるエイシの為に用意したものだ。不老になったとはいえ、人としての構造や内臓が変わるわけでも、やたら強くなるわけでもない。彼が前世で過ごした世界のように蛇口を捻れば飲める水が、ここでは人間にとっては毒なのだ。

 鳴き声で枯らした喉など回復魔法でいくらでも潤すことができるとはいえ、わざわざ手間のかかる介抱をしたいと思うのは、やはり彼に惚れた弱みからだろうか。

 手にするこの水もただ飲ませるのでは面白みに欠けるからと、わざわざ俺が口に含んでからエイシへと直接移している。はじめは口移しに抵抗を見せたものの、俺が体内で水中の毒素を除去していると言ったら「あ、そうなんだ……」と何の疑いもなく雛鳥のように口を開くようになった。ついでに舌を絡めるまでがワンセットなのだが、ここまでが本当に毒素除去だと思っているらしくエイシは素直に受け入れている。

 だったら食事中の飲み水は普段、どうしているのだという話だが、そこは思考が別になっているらしい。素直を通り越していっそ馬鹿なわけだが、そんなあいつが本当に可愛くて仕方がない。

 さて、水を飲ませたらエイシを清拭するか。魔法で身体についた体液をあらかた取り除いたとはいえ、彼も前世では日本人だ。濡らしたタオルで身体を拭くくらいはしないと感覚的に気持ちが悪いかもしれない。散々苛めたエイシの孔には俺の体液が注がれたまま溜まっているし、ちゃんと掻き出してやらないと……いや、それならいっそ入浴させるか。俺と一緒に風呂に入るのを何故か毎度嫌がるから清拭程度に留めていたが、今は腰が抜けて立てないわけだし、そのまま抱えて一緒に入らせよう。掻き出しついでにエイシが喘いで欲情するのはエイシの身体が敏感で、些細な刺激に弱いせいだから仕方がないしな。突然、風呂場で俺を求め出すのも俺ではなくエイシ自身が望むことだし……仕方ない、仕方ない。そうと決まれば、ゴブリンに風呂の準備をさせるとしよう。

 そんなことを考えていると頭の中で突如、「あいつ」の声が聞こえた。

『オエッ……』

 吐き気でもあるのか、胃がひっくり返りそうなことをアピールしてくる「あいつ」は、苛立ちを含んだ口調で俺に向かって語りかけた。

『てめえの可愛がりがでろ甘過ぎて吐きそうだ。ちくしょう。なんてもんを見せやがる』

「お前が勝手に見ているんだろう。覗き魔が」

『覗きじゃねえよ。ただ見えちまうんだから仕方がないだろう。わかってんなら、自重をしろ。自重を』

「はあ……」

 傍から見れば俺がただ一人で喋り嘆息しているだけの図だが、相手が姿を現さないだけでこれでも他者と会話をしている。

 俺自身もその姿を目にしたことがない「こいつ」は、顔も、性別も、年齢も、種族も、名も、何もかもが一切不明の存在だ。俺も初めて「こいつ」と言葉を交わしたのは神木真弦として死んだ直後だ。「こいつ」は暇を持て余していたのかベラベラと一人勝手に喋った後、俺をこの世界へと転生させた。そして次に話したのは、今の身体になってからちょうど百年が経った頃だった。名前くらいは聞いた方が、「こいつ」を語る上で円滑になるのだろうが、如何せん俺自身が関心を持たないので今日に至るまで聞きそびれてしまっている。

 正体についてなんとなくの予想はつくものの、今の俺は「こいつ」を単なる覗き魔として捉えている。そう、目のない「こいつ」には世界のすべてが「見えて」いる。この世界のことだけではなく、世界と括られるもののすべてが「こいつ」の庭であり、眼中だ。そしてその庭の一端でしかない俺とエイシの先ほどの情事も「こいつ」はすべて見ていたのだろう。

 吐くような素振りを彷彿とさせるこのアピールも、本当に吐き気を催しているわけではない。そもそも胃がない「こいつ」にはそれが必要ないからだ。

 では何故、いちいち俺に構ってくるのかといえば、暇だからだ。俺とエイシの前世を知る唯一の存在は、時折無性に暇になるらしく、こうして勝手に話しかけてくる。その頻度は定まっておらず、一日置きに話しかけてくることもあれば、百年ほど間を空けることもある。話すといっても、「こいつ」には口がない。だからこうして俺の実体がある内は、「こいつ」は相手の頭の中に直接声を届けるのだ。

 前回話しかけてきたのが十年前だ。ちょうどいい。俺も「こいつ」に聞きたかったことがある。

「何故、エイシをこの世界へ転生させた?」

 この世界にははじめから生を受けたものと、何らかの罪を犯して転生したものとが混在している。エイシは俺と前世で生きた世界が同じだ。つまり、エイシも何らかの罪を犯したということになるわけだが、エイシの話を聞く限りではさほど大きな罪を犯してはいない。俺がなれなかった社畜となり、過酷な労働環境の中で死んだだけだ。転生先もこの世界でなければならない理由がないのだが、「こいつ」は何の意図があって人間では生きにくいこの世界にエイシを落としたのかが気になっていた。

 それを尋ねたわけだが「こいつ」はしれっとした口調でこう言った。

『最近の流行りだ』

「……流行り?」

『お前が前世で生きた方の世界じゃ今、異世界転生ってのが流行っていてな。俺もそれに乗っ……って、別に何の意図もねえよ。ただ、好きにしろって自暴自棄になってたやつには、ちょうどいい刺激だろうと思っただけさ』

 いい刺激にしては目覚めさせるタイミングがオークション会場で競りにかけられた奴隷とは、「こいつ」も大概、いい趣味をしている。

 緩やかに口端を持ち上げると、「こいつ」はケタケタと笑ってみせた。

『お~、怖ぁ。そんな殺気立てるなって。お前が例のオークション会場でエイシとやらを競り落とすところまでは想定内だったんだから、結果オーライだろ?』

「お前、そういって自分の今のお気に入りにも同じことをさせるのか?」

『あ? んなわけねーだろ。そっちの人間とうちの天使を同列に扱うんじゃねえよ』

「お前のお気に入りも人間だろうが」

 やれやれと嘆息すると、「こいつ」は気分を害したらしい。一旦、「声」を頭から離し、わざわざ耳元で囁くように言った。

『勘違いするなよ。お前はただの暇潰し。対等でなければ同列でもない。口の利き方には気をつけろ』

 そしてその台詞を最後に「あいつ」は消えた。まったく、自分勝手が過ぎる。対等でないとはいえ、「あいつ」の気まぐれとこちらの扱いには目に余るものがある。

 脅しをかけたつもりなのだろうが、実体のない「あいつ」が俺にできることなど限られている。輪廻転生の役割を担う「あいつ」が、不死者の俺にできることはな。

 それはともあれ機嫌を損ねたようだし、次に現れるのは五十年後か百年後あたりか。これでしばらくは静かに過ごせそうだな。

 するとタイミングよく、扉の外でノック音が聞こえた。

「まおーさま。おとりこみちゅう、おわった?」

 ゴブリンが控えめに入室し、こちらの様子を窺うように見上げている。そしてぽこんと出っぱった腹の前では小さな瓶を抱えていた。黄金色に輝く甘い蜜が半分ほど入っているそれはゴブリンの好物だ。大切なそれをわざわざ抱えて持ってきたのだろう。

「エイシにか?」

 ゴブリンはコクリと頷いた。

「はちみつ。おーさじいっぱい、みずとまぜたもののむと、えーし、よろこぶ」

「ありがとう。遠慮なく頂くよ」

 俺はゴブリンから蜂蜜の入った瓶を一旦預かると、大匙一杯分を掬い取り、グラスに入った水と混ぜ合わせた。瓶を戻すついでに棚の中の引き出しから飴玉を一つ取り出すと、ゴブリンに手渡した。

「これ、あめちゃん?」

「ああ。ちなみにリンゴ味」

「いいの? たべていいの?」

「ちゃんとご飯を食べた後でな。……それと一つ頼みたい。エイシを風呂に入れるから、バスタブにお湯を張ってくれ」

「あい」

 コクンと頷いたゴブリンは瓶の蓋の上に飴玉を乗せると、しばしそれを眺めてからニコリと笑った。

「ありがとー、まおーさま」

 飴玉を身に纏う服のポケットの中に入れると、ゴブリンはぺこりと頭を下げてから退室していった。

 さて、そろそろ戻らないと「喉が痛いんだけど!」と、エイシが機嫌を損ねるな。俺はグラスを手に寝室へ戻った。

 そこには案の定、ベッドの上でシーツに包まり俯せ姿で唇を尖らせる彼の姿があった。胸の下で枕を抱えて不満そうに頬を膨らませているその姿が、まるでリスのように愛らしく映る。俺と死に別れた時がまだ子供だったせいか、エイシはいつまでも成長しない。もちろん、それが俺の中でだけということはわかっている。彼だって中身は酸いも甘いも嚙分けたいい大人だ。

 なのに何故だろう。このままエイシが共に歳を重ねていくとしても、この気持ちは変わらないように思う。不変などあるわけがないというのに、それほど再会したエイシは前世でのエイシのままだったのだ。

 それはともあれ、エイシは「くっそぉ……」と何やら悔しそうに恨み言を呟いている。原因は間違いなく俺だろう。しかし水を持ってくるのが遅いから出てくる台詞でないことだけは確かだ。やれやれ、何がそんなに悔しいのやら。

 ベッドサイドに腰を下ろすと、エイシの柔らかな髪を撫でながら俺は尋ねた。

「どうした? エイシ」

「だって、ずるいだろ。いつもいつもさぁ……」

 ふむ。何がずるいのかさっぱりだが、行為が終わった後から予想するに考えられることは一つだな。グラスをチェストの上に置き、俺はエイシの旋毛に唇を落とした。

「ずるいって、俺より早くイくことがか?」

「イ……!? い、いや、まあ……それもそうだけど……なんつうか、力の差っていうか……」

 ボッと火がついたように顔を赤くさせるエイシは、言いにくそうにごにょごにょと口籠る。この不満がセックス関連であることは理解した。とすると、何だ? エイシの今の身体の性感帯については本人以上に熟知しているし、つい先ほども「もう無理。イきすぎて死んじゃう」と口走るまで善がらせたばかりだ。もちろん、俺自身がその道のプロというわけではないが、そこそこ長く生きている身だ。それなりの経験を踏み、それなりの技術を得ている。セックス方法に満足していないというわけではないだろう。

 では、エイシの言う力の差とは何なのか。俺は半分だけ思考を巡らせながら、エイシの白磁のような滑らかさのある背中に、羽が乗るようなキスを散らした。

「何が不満なんだ? 言ってごらん?」

「んっ……だ、だから……いつも俺が、んっ……下で……その、されて、あっ……ばっかり、じゃんか」

 小さく喘ぎながらも俺に対して不満の理由を口にするエイシの可愛いこと、可愛いこと。俺に不満があり、この行為が煩わしいなら嫌だと拒絶すれば済むことなのに、されるがままとはな。

 俺はエイシの耳元へ唇を近づけ、囁いた。

「つまり、俺を抱きたいということ?」

「えっ? い、いや、それは……」

 再び、エイシが口籠った。しかし実際、俺を抱きたいという願望がある場合、それは体格的にかなり難しくなるだろう。実際に行う場合、これまで通りエイシが下になり、俺が上に乗るという形が最善だろうが、筋肉達磨の俺が腰を落としただけでエイシが絶命しかねない。魔法でこの身体を少年ほどの体格に調整することもできないわけではないが、それではこれまで刻み重ねてきた俺の魔法回路に破綻の恐れが出てくる。

 とまあ、あれこれ考えたところでそれらはすべてエイシの前での建前。そもそも俺は、抱かれるよりも抱きたい方だ。

 エイシがちらりと俺を見遣ると、目が合うなり慌てて枕へと顔を突っ伏し耳を赤くさせた。何なんだ。いちいち可愛い、この生き物は。無性に苛めて犯したくなる衝動に駆られる。

 って、ああ……これか。さっき「あいつ」が言った「でろ甘い」は。いかんな。確かに思考が馬鹿になっている。散々抱いたばかりだというのにこの様では、呆れられるのも当然だ。

 何度抱いたところで飽きはしないが、それではエイシの体力が持たない。今はキスだけに留めておこうと、彼の耳にそれを落とした。

「ふあっ……!」

「エイシ……」

「あんっ、も……それ、やめ……」

「本当に可愛いな、エイシは」

「もうっ……んっ、このっ……」

 チュッ、チュッ、と音を立てて耳にキスをしていると、エイシの中で何かが堪えられなくなったのか、枕から顔を上げて咆哮した。

「もうっ、さっき散々チューをしまくっただろ! つうか、何でエッチの時だけ『魔王様』に戻るんだよ! その喋り方やめろって言ってんだろうが!」

 何を言うかと思えば、そんなことか。俺はふっと笑って即答する。

「やだ」

「や……って、はあ!?」

 エイシが素っ頓狂な声を上げた。この顔で「やだ」と言われたことに対して面食らったのだろう。せっかく真弦マオに戻ってやったというのに、こいつは我が儘だな。

「やだって、何で……」

「だってお前、『魔王』の時の方が反応面白いし何より……さっきも言っただろ?」

「さっきって……何を?」

「いちいち可愛いんだから、仕方ねーだろ」

「かわっ……お、男に向かって可愛いって言うなよ!」

「お前だってゴブリンのことを可愛いって思うだろ? あれと一緒、一緒」

「ゴブリンは別だろ! だいたい、俺は前世で三十路間近のおっさんだったんだぞ!」

「だったら俺は数百歳も歳を食ったジジイだな。やべーな、おっさんとジジイって」

「こんなジジイ感のねえ美形マッチョジジイがいてたまるかー!」

 あー、楽しい。こういうやり取りをしていると、前世の時の真弦に自然と戻っちまうから不思議だ。正直なところ、エイシがこの世界に転生しなければ、真弦だった頃の俺は戻らなかった。俺自身が思い出せなかったのだから当然だ。それほど、長い時をここで過ごし、身体を替えるたびに俺は変わっていった。変わらざるを得なかった。

 エイシのことを、忘れる為にも。

 それがどうして、こんなにも幸せなんだろう。エイシの死など、一切望んでいなかった。再び出会えると願ったことすらない。だからこそ、あのオークション会場でエイシの姿を目にした時は驚喜し、同時に絶望した。

(何故、ここへ堕ちてきたんだ、あの馬鹿……!)

 当時罪状は知らずとも、罪を犯してきたことに変わりないエイシに対して憤りを感じたし、同時に俺の下に来てくれたことに対して喜びを感じていた。この時に思い知ったんだ。俺がエイシに抱いていた感情の本質に。

 真弦の身体を捨てたことに一瞬だけ悔いを感じたものの、すぐに思い直った。エイシがかつての友を忘れていたところで構いやしない。たとえ真弦の存在を忘れ去られていたとしても、今から競り落とす男の存在だけをあいつの頭に染み込ませればいいのだからと。

 真っ新なキャンバスに墨を垂らして黒く染めあげる。それしか考えなかった。

 ……ああでも、逃げ道だけは残しておこう。選ぶのはエイシだ。ほんの僅かな友情が、それを作った。

 今となってはそれも、無用の長物だったわけだが。

「元気だな、お前。もう無理っていうから止めておいたけれど……何なら今から再戦しようか?」

「いやっ、むり! それはむり! つか、どんだけ尽きねえの、お前! 底なしかよ!」

「大丈夫だって。……底なしなのは可愛いエイシに対してだけだからな」

「って、いきなり『魔王様』に戻るなよっ! ちょおっ……ん、あっ……!」

 何にせよ。エイシが可愛くて堪らないのだから仕方がない。

 こればかりは理由が何であれ、「あいつ」の気まぐれに感謝しておくとしようか。





 END.


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