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後日談 ①
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こうなってみて初めて、気づかされることが山ほどある。
なぜ自分は、この夫に愛されていないなどと思い込んでいたのだろう。
「本日はお招き頂きまして、誠にありがとうございます」
今日は、王宮で建国記念の式典が開かれていた。隣に立つゼノンが相変わらずの無表情でそう挨拶したのに合わせ、シャーロットも淑女の礼で腰を落とす。
開始時刻まではまだ少しだけ時間があり、あちらこちらで穏やかな歓談が広がる中。ゼノンと共に挨拶回りをしながら、シャーロットは落ち着かない様子で己の腰に添えられた大きな手に視線を投げていた。
「まぁ、シャーロット様。お久しぶりです」
「ご無沙汰しております」
顔見知りから向けられる笑顔ににこりと微笑みながら、シャーロットの心臓はこれ以上なくドキドキと高鳴っている。
腰へと回されたゼノンの腕。
それ自体は、よくよく思い返してみれば、今までとなにも変わらない。
――そう……。なにも変わらないのだ。
こういったパーティーに夫婦で参加する時、ゼノンがシャーロットから離れることはなかった。いつもそっと腰に手を回し、さりげない仕草でエスコートしてくれていた。
それが義務感から来ているものだなどと……、どうしてそんなことを思っていたのだろう。
シャーロットは、王家の血を引く公爵令嬢だった。婚姻前はもちろんのこと、例え人妻になったとしても、良からぬことを考えてシャーロットに近づいてくる者は少なくない。
結婚し、そんなことなどすっかり忘れてしまっていたシャーロットを守っていたのは他でもないゼノンだ。今も、相変わらずぴくりとも動かない無表情でシャーロットをそんな輩から遠ざけている。
――なぜ、そんなことにも気づかなかったのか。
けれど、一つだけ。以前と違うこともある。
それは。
「……っ」
する……、と、意味深に腰を滑るゼノンの妖しい手付きに、シャーロットは思わず肩を震わせる。
ゼノンの手によってすっかり作り替えられてしまった身体は、そんな些細な刺激にさえ過敏に快楽を拾うようになってしまっていた。
「……だ、旦那様……っ」
「なんだ?」
ほんのり潤んだ瞳で咎めるように声を上げれば、ゼノンはシャーロットにしかわからない角度で、くすりと可笑しそうな笑みを溢す。
「……その……、手、を……」
「手?」
なんのことだかわからない、と返される疑問符は、完全にわかっていて惚けているものだった。
けれど、そこへ。
「閣下! 奥方様も」
どうやらゼノンの知り合いらしい男性が、婦人と共に声をかけてきて、シャーロットの訴えはうやむやになってしまっていた。
「お久しぶりです」
淡々と挨拶するゼノンの顔は、シャーロットと二人きりでいる時とは打って変わって完全な無表情だ。
「お久しぶりです」
そう返す男性の顔はどこか見覚えがあるような気もするから、それなりの家柄の貴族子息なのだろう。そこまで足繁く社交パーティーに通っていなかったシャーロットは、それぞれの家の当主たちのことは記憶していても、その子息たちのことまでは詳しくなかった。
「ボルドー伯爵夫妻も、お世継の誕生を今か今かと楽しみにしてらっしゃるのではないですか?」
そうして話が弾んでいくと、必ずといっていいほど向けられるその言葉。
以前までであれば、それはとても居たたまれない思いをするものだった。
それが、今は。
「そうですね。そろそろ……、とは思っているのですが」
「っ」
相変わらず無表情のゼノンが、シャーロットの腰を抱いたまま、す……、と中指だけを滑らせてきて息を呑む。
今となってはわかっている。
ゼノンがこんな行動を取るのは初めてのことだけれど、なにかと向けられるそれらの質問に対しては、いつもそんなセリフを返していた。
基本的には、本当になにも変わっていない。
変わったのは、そのゼノンの言葉の背後にある気持ちを、シャーロットが正しく理解できるようになったというだけのこと。
ずっとずっと、ただの社交辞令だと思っていた。
なかなか子供ができないことに対して、ただ上手く躱しているだけなのだと。
でも、それは違ったのだ。
シャーロットが二十歳になるまでは。せめて、と己を律していたのだと後から聞いた。
そろそろ、という言葉も、本当にそろそろ、だったのだ。
けれど。
「もう少しだけ二人の時間を、などと考えていましたら、つい……」
「まぁ!」
表情も声色も、なに一つ変えることはなく。それでもまるで惚気るかのように告げられたゼノンのセリフに、男性の隣にいた婦人の口からは感嘆の吐息が洩らされた。
「本当に仲睦まじいご様子で、羨ましいくらいですわ」
「……ありがとうございます」
微笑ましげな瞳を向けられて、シャーロットは本気で恥ずかしくなりながら小さなお礼を口にする。
淡々とした口調すぎて、どこまで本気なのかわからないゼノンの言葉は、いつだって嘘偽り一つない本当の気持ちだった。
ずっと、シャーロットが気づいていなかっただけで。
「そのうち、そんなおめでたいご報告もできるのではないかと思います」
「……!」
ちら、と向けられたその瞳の奥に、意味ありげな色が覗いた気がして、シャーロットはますます恥ずかしげに俯いてしまう。
想いが通じ合った今。本当に、もう少しだけ二人の時間を過ごしたいと思ってしまうことも確かな事実。
けれど、この調子では、すぐに小さな命が芽吹いてしまうような気がする。
――もちろん、全く嫌ではないけれど。
そんな複雑な気持ちになりながら、シャーロットはそっと腰を撫でてくるゼノンの悪戯な掌に翻弄され続けることになるのだった。
なぜ自分は、この夫に愛されていないなどと思い込んでいたのだろう。
「本日はお招き頂きまして、誠にありがとうございます」
今日は、王宮で建国記念の式典が開かれていた。隣に立つゼノンが相変わらずの無表情でそう挨拶したのに合わせ、シャーロットも淑女の礼で腰を落とす。
開始時刻まではまだ少しだけ時間があり、あちらこちらで穏やかな歓談が広がる中。ゼノンと共に挨拶回りをしながら、シャーロットは落ち着かない様子で己の腰に添えられた大きな手に視線を投げていた。
「まぁ、シャーロット様。お久しぶりです」
「ご無沙汰しております」
顔見知りから向けられる笑顔ににこりと微笑みながら、シャーロットの心臓はこれ以上なくドキドキと高鳴っている。
腰へと回されたゼノンの腕。
それ自体は、よくよく思い返してみれば、今までとなにも変わらない。
――そう……。なにも変わらないのだ。
こういったパーティーに夫婦で参加する時、ゼノンがシャーロットから離れることはなかった。いつもそっと腰に手を回し、さりげない仕草でエスコートしてくれていた。
それが義務感から来ているものだなどと……、どうしてそんなことを思っていたのだろう。
シャーロットは、王家の血を引く公爵令嬢だった。婚姻前はもちろんのこと、例え人妻になったとしても、良からぬことを考えてシャーロットに近づいてくる者は少なくない。
結婚し、そんなことなどすっかり忘れてしまっていたシャーロットを守っていたのは他でもないゼノンだ。今も、相変わらずぴくりとも動かない無表情でシャーロットをそんな輩から遠ざけている。
――なぜ、そんなことにも気づかなかったのか。
けれど、一つだけ。以前と違うこともある。
それは。
「……っ」
する……、と、意味深に腰を滑るゼノンの妖しい手付きに、シャーロットは思わず肩を震わせる。
ゼノンの手によってすっかり作り替えられてしまった身体は、そんな些細な刺激にさえ過敏に快楽を拾うようになってしまっていた。
「……だ、旦那様……っ」
「なんだ?」
ほんのり潤んだ瞳で咎めるように声を上げれば、ゼノンはシャーロットにしかわからない角度で、くすりと可笑しそうな笑みを溢す。
「……その……、手、を……」
「手?」
なんのことだかわからない、と返される疑問符は、完全にわかっていて惚けているものだった。
けれど、そこへ。
「閣下! 奥方様も」
どうやらゼノンの知り合いらしい男性が、婦人と共に声をかけてきて、シャーロットの訴えはうやむやになってしまっていた。
「お久しぶりです」
淡々と挨拶するゼノンの顔は、シャーロットと二人きりでいる時とは打って変わって完全な無表情だ。
「お久しぶりです」
そう返す男性の顔はどこか見覚えがあるような気もするから、それなりの家柄の貴族子息なのだろう。そこまで足繁く社交パーティーに通っていなかったシャーロットは、それぞれの家の当主たちのことは記憶していても、その子息たちのことまでは詳しくなかった。
「ボルドー伯爵夫妻も、お世継の誕生を今か今かと楽しみにしてらっしゃるのではないですか?」
そうして話が弾んでいくと、必ずといっていいほど向けられるその言葉。
以前までであれば、それはとても居たたまれない思いをするものだった。
それが、今は。
「そうですね。そろそろ……、とは思っているのですが」
「っ」
相変わらず無表情のゼノンが、シャーロットの腰を抱いたまま、す……、と中指だけを滑らせてきて息を呑む。
今となってはわかっている。
ゼノンがこんな行動を取るのは初めてのことだけれど、なにかと向けられるそれらの質問に対しては、いつもそんなセリフを返していた。
基本的には、本当になにも変わっていない。
変わったのは、そのゼノンの言葉の背後にある気持ちを、シャーロットが正しく理解できるようになったというだけのこと。
ずっとずっと、ただの社交辞令だと思っていた。
なかなか子供ができないことに対して、ただ上手く躱しているだけなのだと。
でも、それは違ったのだ。
シャーロットが二十歳になるまでは。せめて、と己を律していたのだと後から聞いた。
そろそろ、という言葉も、本当にそろそろ、だったのだ。
けれど。
「もう少しだけ二人の時間を、などと考えていましたら、つい……」
「まぁ!」
表情も声色も、なに一つ変えることはなく。それでもまるで惚気るかのように告げられたゼノンのセリフに、男性の隣にいた婦人の口からは感嘆の吐息が洩らされた。
「本当に仲睦まじいご様子で、羨ましいくらいですわ」
「……ありがとうございます」
微笑ましげな瞳を向けられて、シャーロットは本気で恥ずかしくなりながら小さなお礼を口にする。
淡々とした口調すぎて、どこまで本気なのかわからないゼノンの言葉は、いつだって嘘偽り一つない本当の気持ちだった。
ずっと、シャーロットが気づいていなかっただけで。
「そのうち、そんなおめでたいご報告もできるのではないかと思います」
「……!」
ちら、と向けられたその瞳の奥に、意味ありげな色が覗いた気がして、シャーロットはますます恥ずかしげに俯いてしまう。
想いが通じ合った今。本当に、もう少しだけ二人の時間を過ごしたいと思ってしまうことも確かな事実。
けれど、この調子では、すぐに小さな命が芽吹いてしまうような気がする。
――もちろん、全く嫌ではないけれど。
そんな複雑な気持ちになりながら、シャーロットはそっと腰を撫でてくるゼノンの悪戯な掌に翻弄され続けることになるのだった。
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