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後日談 ⑦

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 触れ合う素肌の感触が心地いい。その逞しい腕の中に抱かれ、優しく髪を撫でられていると、そのまま目を閉じてしまいたくなってくる。だが、懸命にその欲求に逆らって、シャーロットはまだ少し蕩けたままの瞳をゼノンへ向けていた。
「……今度、差し入れをお持ちしたいと思うのですが」
「差し入れ?」
 少し掠れた声で突然告げられた妻の言葉に、ゼノンは僅かに眉を寄せる。
「はい。先日はなにもご用意できなかったので」
 急なことで手ぶらで行ってしまったことが心苦しいと話すシャーロットは、先日、軍の施設へゼノンの忘れ物を届けに来た時のことを言っているのだろう。
「……ご迷惑でなければ、ですが」
「いや。みな喜ぶだろうが」
 おずおずと窺ってくる可愛らしい妻の姿に、ゼノンは正直に迷惑などということはないとそれを否定する。
 だが、例え迷惑ではないとしても。
「そんなことは、貴女が気にする必要のないことだ」
 床に落とした書類に気づかなかったのはゼノンの不注意で、シャーロットのせいではない。それを、わざわざ後日、差し入れを持ってやってくるなど。
「ですが……」
 さすがに夫の勤務先に顔を覗かせて、なにも持たずに行ってしまったことは申し訳ないと、シャーロットは珍しくも自分の意見を譲らない。
 ゼノンは。シャーロットの夫は。他でもない、軍の頂点に立つ人間なのだから。こんな時くらいは手土産を持参するのが道理だろう。
 そんなシャーロットに僅かに目を見張り、ゼノンは困ったように苦笑する。
「オレの言い方が悪かった。貴女がそんなふうに気を遣う必要はないが、貴女が顔を出せばみな喜ぶだろう」
 シャーロットの心を砕かせることは、ゼノンの本意ではない。そんなふうに、気が回らなかったことを申し訳ないと恐縮する必要はどこにもないが、シャーロットがどうしてもとそれを望むなら。
「ただし」
 そこで、ゼノンはなんとも言い難い表情を顔に浮かばせる。
 本当はわかっているのだ。シャーロットが差し入れを持ってやってくることを、自分がなぜこれほどまでに渋ってしまうのか。
 自分の勇姿を見せたいと思う一方で、どうにもならない負の感情も湧いてしまう。
「くれぐれも気をつけて来てくれ」
 長い髪に触れながら願えば、驚いたような顔をしたシャーロットは、次に困ったように微笑んだ。
「……子供じゃないんですから」
「子供ではないから心配なこともある」
 王都はとても安全だ。この屋敷から軍の施設まで馬車に揺られて行くことに、どこにも問題はありはしない。一人で歩いてくるわけでもないのだ。
 だから、ゼノンが本当に心配していることは、そういうことではなくて。
「?」
「どこにも寄り道することなく、真っ直ぐ来てくれ」
「……はい……。?」
 きょとん、と不思議そうに見上げられる瞳に、ゼノンはその目元へとキスを落とす。
「貴女の目に映っているものは、オレだけでいい」
「……っ!」
 これは、どうしようもない独占欲。どこかに寄り道をして、愛しい妻が誰かの心を捉えてしまったらと思うだけで、堪らない気持ちになる。
「……貴方だけ、ですよ?」
 一瞬目を見張ったシャーロットは、次にくすりと微笑わらうと恥ずかしそうにはにかんだ。
 余所見なんて、している余裕はシャーロットにはない。いつだって、愛する旦那様に心も瞳も奪われてしまって。
 この腕の中以上に、心地よいと感じる場所はないから。
「では、誓いのキスを」
 そう言って降りてくる唇に、抗うことなく目を閉じた。
「ん……」
 そうしてそのまま。
 唇をノックしてきた舌先に逆らうことなく口を開き、素肌をまさぐりはじめた不埒な手の動きに、シャーロットは甘い吐息を溢していた。




 ◈◈✼◈◈┈┈┈┈◈◈✼◈◈




「……ゼノン? お前、こんなところでどうしたんだ?」
 旧知の仲であるゼノンの副官は、執務室へとふいに現れたその姿に、驚いたように目を丸くしていた。
 確かにそろそろ昼休みになろうかという時間帯ではあるものの、案外と事務仕事をしていることが多い副官と違い、ゼノンは外にいることの方が多かった。
 だが。
「……いや」
 ちら、と窓の下へと向けられた視線に、副官はそこにある光景を目にしてくすりという苦笑を溢す。
「あぁ、シャーロット嬢か」
「っ」
 この執務室からは、敷地内の様子はもちろんのこと、来客者の姿もよく見える仕様になっている。だからわざわざここへやってきたのかと納得した副官は、次に困ったように眉を下げていた。
「お前も過保護だな。小さな子供じゃないんだから。……あんな、護衛みたいなものまで付けなくても」
「……」
 今日、ゼノンの妻であるシャーロットが差し入れを持ってやってくるという旨は、数日前から聞いていた。午前中の演習で、誰もが密かにそわそわした様子を見せていたのはそのためだろう。
 ゼノンより一回り年若い妻は、現在まだ二十歳。年頃の彼らにとって、若く美しい女性の来客は、気もそぞろになる原因として充分な理由となるに違いない。
 とはいえ、この施設内で、ゼノンの妻であることを知っていて、シャーロットにちょっかいをかけてくるような命知らずはいないだろう。と、なれば、馬車の手綱を握る従者に、わざわざ腕利きの部下をつけたその意味は……。
 いくら年下の妻が世間知らずの御嬢様だったとしても、この平和な王都でそこまでするかと呆れる副官に、ゼノンはただ沈黙を返すだけだった。
「……行かなくていいのか?」
 窓の下では、シャーロットの来客に気づいた若い連中が、浮足立った様子を見せている。
「少ししたら顔を出す」
 あくまで内心を見せることはなく、遠くから。だが、しっかりと見守る姿勢を崩すことのないゼノンの無表情に、副官は相変わらずだと苦笑する。この副官は、熱かったゼノンの若かりし頃を知る数少ない友人の中の一人でもあった。
「まぁ、幸せそうでなによりだよ。その仏頂面で、いつか離縁を突き付けられやしないかと本気で心配してたんだ」
「…………」
 杞憂で良かったと笑う副官兼友人に、なぜかゼノンは黙り込む。
「どうした?」
「いや……」
 不思議そうに向けられるその瞳に、実はすでに離縁を突き付けられた後だと言ったらどうなるだろうか。
 けれど、その一件があったからこそ、今、こうして可愛らしい妻を本当の意味で手に入れることができているのだけれども。
「そろそろ行ってくる」
「あ、あぁ」
 相変わらず淡々とした口調で扉へ向かうゼノンを、副官は少しばかり腑に落ちないものを感じながら送り出す。
 そうして。
「……まさかアイツがねぇ……」
 国軍の絶対的カリスマ、“将軍・ゼノン”の顔をして妻の元へ向かう友人の姿を眼下に認め、副官はやれやれと嘆息する。
 あのゼノンが、たった一人の女性にここまで惚れ込んでいようなど、自分以外、軍の誰も気づいていないに違いない。
アレ・・に気づいていない奥様だから、ちょうどいいのかもしれないけど……」
 王都の中をちょっと遊びに出るだけで、まるで真綿で包むように守られて。そんな窮屈さなど感じることもなく、幸せそうに微笑わらっているシャーロットだからこそ、ゼノンも可愛くて愛おしくて仕方がないのかもしれないけれど。
「溺愛、っていうのはあぁいうのを言うんだな」
 正直、その気持ちは少し重い気もするけれど。
 本人たちがそれで幸せならばわざわざそれを指摘することもないだろうと、副官は窓から離れ、事務仕事に戻っていた。




 ◈◈✼◈◈┈┈┈┈◈◈✼◈◈




「旦那様……! おかえりなさいませ」
 ゼノンが家に戻ると、弾んだ声で出迎える妻の可愛らしい笑顔があった。
「どうした? 随分と嬉しそうだが」
 そんな純真無垢な妻に愛おしそうな目を向ければ、シャーロットは少しばかり恥ずかしそうにはにかんでいた。
「……今日は、みな様から旦那様の武勇伝などをいろいろと教えていただいて……」
 それがとても楽しかったのだと嬉しそうに笑うシャーロットに、ゼノンは思わず言葉を失ってしまう。
「……旦那様のことが、ますます好きに……、尊敬しています」
「……っ」
 仄かに顔を赤くしながらも、さらりとそんなことを口にするシャーロットは、自分がどれほどゼノンに衝撃を与えているのか全くわかっていないに違いない。
「あ、そうです。帰りがけに寄ったお店で珍しい焼き菓子を購入したんです。夕食後に一緒に食べてくださいますか?」
 そのお店でさえ、ゼノンの許可を取って寄った場所で、ゼノンがくれぐれも目を離さないようにと部下に告げていたことをシャーロットが知るよしもない。
 そんなことをシャーロットが知ったなら、子供扱いをしないでほしいと、その頬を膨らませるのだろうか。それを想像すると、そんな妻さえ可愛らしいと思ってしまうのだからどうしようもない。
 大切で、大切で。なにものにも代えることのできない存在なのだから、この手の中で守っていくことを許してほしい。
「……旦那様?」
 黙り込んでしまったゼノンに、ことり、と首を傾げるシャーロットのその姿にさえ困ってしまう。
「……本当に、貴女という人は……」
「……?」
「どこまでオレの心を鷲掴みにすれば気が済むんだ」
 独り言にも似た呟きを洩らし、ゼノンは一度自室に寄るべく足を踏み出しかけ……。
「……戻った」

 ――今日も、他でもない貴女の元に。

 そう告げて、愛しい妻へと少しだけ長めのキスを落とすのだった。
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