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原罪
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中央教会に来て、三度目の秋が巡ってきたある日。
ハーゼはついに、神の声を聞いた。
音の聞こえにくい耳は、けれど確かに『特別な言葉』を聞き取ったのだ。
ハーゼは驚いて、聞いたばかりの言葉を繰り返した。これで間違いないですか、と中空へ向かって問うた。
神は二度は声を発してくれなかった。けれど幻聴ではなく確かに聞こえた。
初めて神の声を聞けた歓喜よりも、安堵の方が強かった。
これで信者の役に立つことができる。
ハーゼは卓上のベルを思いきり鳴らした。
すぐに飛んできた世話役に、神様からの言葉を早口に伝えた。
しかしそれは『特別な言葉』で、世話役には意味がわからない。
世話役は教皇を呼んでくると言って部屋を出ようとし、思いとどまってハーゼの前で跪いた。
「ハーゼ様ありがとうございます、ありがとうございます!」
顔もわからぬそのひとは何度もお礼を言ってから、退室した。
少しすると白衣の教皇が現れた。
彼は恭しくハーゼへと頭を下げ、
「神の言葉を賜りたく」
と言った。
ハーゼは教皇が来るまでの間も、神様が話した言葉を忘れないようにずっと頭の中で繰り返していたので、つまることなく伝えることができた。
ハーゼが話し終えると、教皇がまた深々と頭を下げ、いつのまにか背後に控えていた黒衣の信者たちへと沈痛な声で告げた。
「月神デァモント様は、こう仰せになられた。これまで以上に勤労に励み、機を織りなさい、と。女神がお召しになるにふさわしいものが完成したとき、魂の祝福を約束する、と」
ざわり、と信者たちが揺れた。
彼らが口々に叫び出した。あまりに一斉に声が上がったので、ハーゼはそれを聞きとることができずにただオドオドと大人たちを見上げた。
誰かがハーゼの肩を掴んだ。
そのまま体重を掛けられ、ハーゼは絨毯の上に尻もちをついた。
「ハーゼ様、ハーゼ様、お願いです。神の言葉をもう一度聞きなおしてください。デァモント様は真実そのように語ったのですか。なにかの間違いではないですかっ」
ハーゼに覆いかぶさるようにして肩を揺さぶってきた信者が、震える声で問いかけてきた。
べつの誰かが横からハーゼの手を握った。握られた、と触覚の弱いハーゼにすら気づけるほどの力だった。
「さらに働けとはあまりに酷なお言葉! これ以上は無理です! これ以上は!!」
叫ぶ信者の反対側から、もう片方の腕が引かれた。
「ハーゼ様っ、我らをお救いください! お救いください!」
ハーゼは黒衣の男たちによってもみくちゃにされた。
体がどっちを向いているのかもわからない。
あっちに揺さぶられ、こっちに引かれ、ぼやけた視界がぐらぐらと定まらず、気分が悪くなった。
信者たちの望む通り神の声を聞いたはずなのに、なぜ誰も喜んでくれないのだろうか。
それだけが不思議で、自分にたかる大人たちの狼狽ぶりがひどく恐ろしかった。
震えるハーゼをたすけてくれたのは、教皇だった。
「控えろっ! 不敬な真似をするなっ!」
彼の一喝で、ハーゼの体中に回っていた手が一斉に引っ込められた。
「これは神の与えられた試練だ」
くっきりとした声音で、教皇が言った。
「我らがこの苦難をどう乗り越えるか、苦難の中であっても女神のうさぎを敬い、デァモント様への揺るがぬ信仰心を示せるのか、試されているのだ。皆一丸となってハーゼ様に仕えよ。この苦境に立ち向かうことができれば、我らは神の国に近づくことができるのだ。我らの魂は祝福されるのだ」
教皇の語る言葉に、信者たちが啜り泣きを漏らした。
立っていられずにその場に頽れていく黒衣の男たち。それをハーゼは呆然と見ていた。
涙に濡れた声はよく聞こえず、表情はよく見えなくとも、彼らが深く傷ついていることはわかった。
これは自分のせいなのだ。
自分が聞いた神の言葉のせいで、彼らは……ハーゼの世話をしてくれるこころやさしい信者たちは、泣き崩れているのだ。
「しかし、民にこの預言を伝えるのは、あまりにも……」
誰かが教皇へと進言した。
教皇は手を一振りしてそれを制止し、へたりこんだままのハーゼを抱き上げた。
「今年の月神祭がもうすぐだ。その場で、ハーゼ様より直接お伝えいただく。私が言うよりもその方がまだ、信者らの救いになるだろう。ハーゼ様、よろしいですね」
突然話を向けられて、ハーゼは首を横に動かした。
どこに行き、なにを言えばいいかわからない。
それになによりも、怖かった。
これ以上自分の言葉が、誰かを傷つけるのが怖かった。
なにも言いたくない。
ハーゼは教皇の腕から逃れようと、てのひらで男の白装束の胸を押した。しかし教皇はほんの僅かも動かずに、逆に顔を近づけてきた。
「大丈夫です。民に語る言葉は私がお教えします。あなたは、私が言うことをそのまま伝えればいい。ハーゼ様より直直に神の言葉を頂ける者はしあわせです。さぁ、神の犠牲よ。その役割を私とともに果たそうじゃありませんか」
ハーゼにそう言い聞かせた教皇は、うちひしがれる信者たちへを鼓舞した。
「当代ハーゼ様はこれが初の託宣である! 我々がそれを支えずしてどうする! ハーゼ様がなにものにも煩わされることなく我々のために祈れるよう、万難を排してハーゼ様にお仕えしようではないか!」
朗と告げた声は、石造りの部屋に神々しいほどに響き渡った。
それはまるで神の声であった。
信者らはひとり、またひとりと立ち上がり、ハーゼと教皇へ向かって体を深々と折り曲げ、最敬礼をとった。
ハーゼは教皇の腕の中、信者らのまとう黒衣が波打つのを見た。
ハーゼはついに、神の声を聞いた。
音の聞こえにくい耳は、けれど確かに『特別な言葉』を聞き取ったのだ。
ハーゼは驚いて、聞いたばかりの言葉を繰り返した。これで間違いないですか、と中空へ向かって問うた。
神は二度は声を発してくれなかった。けれど幻聴ではなく確かに聞こえた。
初めて神の声を聞けた歓喜よりも、安堵の方が強かった。
これで信者の役に立つことができる。
ハーゼは卓上のベルを思いきり鳴らした。
すぐに飛んできた世話役に、神様からの言葉を早口に伝えた。
しかしそれは『特別な言葉』で、世話役には意味がわからない。
世話役は教皇を呼んでくると言って部屋を出ようとし、思いとどまってハーゼの前で跪いた。
「ハーゼ様ありがとうございます、ありがとうございます!」
顔もわからぬそのひとは何度もお礼を言ってから、退室した。
少しすると白衣の教皇が現れた。
彼は恭しくハーゼへと頭を下げ、
「神の言葉を賜りたく」
と言った。
ハーゼは教皇が来るまでの間も、神様が話した言葉を忘れないようにずっと頭の中で繰り返していたので、つまることなく伝えることができた。
ハーゼが話し終えると、教皇がまた深々と頭を下げ、いつのまにか背後に控えていた黒衣の信者たちへと沈痛な声で告げた。
「月神デァモント様は、こう仰せになられた。これまで以上に勤労に励み、機を織りなさい、と。女神がお召しになるにふさわしいものが完成したとき、魂の祝福を約束する、と」
ざわり、と信者たちが揺れた。
彼らが口々に叫び出した。あまりに一斉に声が上がったので、ハーゼはそれを聞きとることができずにただオドオドと大人たちを見上げた。
誰かがハーゼの肩を掴んだ。
そのまま体重を掛けられ、ハーゼは絨毯の上に尻もちをついた。
「ハーゼ様、ハーゼ様、お願いです。神の言葉をもう一度聞きなおしてください。デァモント様は真実そのように語ったのですか。なにかの間違いではないですかっ」
ハーゼに覆いかぶさるようにして肩を揺さぶってきた信者が、震える声で問いかけてきた。
べつの誰かが横からハーゼの手を握った。握られた、と触覚の弱いハーゼにすら気づけるほどの力だった。
「さらに働けとはあまりに酷なお言葉! これ以上は無理です! これ以上は!!」
叫ぶ信者の反対側から、もう片方の腕が引かれた。
「ハーゼ様っ、我らをお救いください! お救いください!」
ハーゼは黒衣の男たちによってもみくちゃにされた。
体がどっちを向いているのかもわからない。
あっちに揺さぶられ、こっちに引かれ、ぼやけた視界がぐらぐらと定まらず、気分が悪くなった。
信者たちの望む通り神の声を聞いたはずなのに、なぜ誰も喜んでくれないのだろうか。
それだけが不思議で、自分にたかる大人たちの狼狽ぶりがひどく恐ろしかった。
震えるハーゼをたすけてくれたのは、教皇だった。
「控えろっ! 不敬な真似をするなっ!」
彼の一喝で、ハーゼの体中に回っていた手が一斉に引っ込められた。
「これは神の与えられた試練だ」
くっきりとした声音で、教皇が言った。
「我らがこの苦難をどう乗り越えるか、苦難の中であっても女神のうさぎを敬い、デァモント様への揺るがぬ信仰心を示せるのか、試されているのだ。皆一丸となってハーゼ様に仕えよ。この苦境に立ち向かうことができれば、我らは神の国に近づくことができるのだ。我らの魂は祝福されるのだ」
教皇の語る言葉に、信者たちが啜り泣きを漏らした。
立っていられずにその場に頽れていく黒衣の男たち。それをハーゼは呆然と見ていた。
涙に濡れた声はよく聞こえず、表情はよく見えなくとも、彼らが深く傷ついていることはわかった。
これは自分のせいなのだ。
自分が聞いた神の言葉のせいで、彼らは……ハーゼの世話をしてくれるこころやさしい信者たちは、泣き崩れているのだ。
「しかし、民にこの預言を伝えるのは、あまりにも……」
誰かが教皇へと進言した。
教皇は手を一振りしてそれを制止し、へたりこんだままのハーゼを抱き上げた。
「今年の月神祭がもうすぐだ。その場で、ハーゼ様より直接お伝えいただく。私が言うよりもその方がまだ、信者らの救いになるだろう。ハーゼ様、よろしいですね」
突然話を向けられて、ハーゼは首を横に動かした。
どこに行き、なにを言えばいいかわからない。
それになによりも、怖かった。
これ以上自分の言葉が、誰かを傷つけるのが怖かった。
なにも言いたくない。
ハーゼは教皇の腕から逃れようと、てのひらで男の白装束の胸を押した。しかし教皇はほんの僅かも動かずに、逆に顔を近づけてきた。
「大丈夫です。民に語る言葉は私がお教えします。あなたは、私が言うことをそのまま伝えればいい。ハーゼ様より直直に神の言葉を頂ける者はしあわせです。さぁ、神の犠牲よ。その役割を私とともに果たそうじゃありませんか」
ハーゼにそう言い聞かせた教皇は、うちひしがれる信者たちへを鼓舞した。
「当代ハーゼ様はこれが初の託宣である! 我々がそれを支えずしてどうする! ハーゼ様がなにものにも煩わされることなく我々のために祈れるよう、万難を排してハーゼ様にお仕えしようではないか!」
朗と告げた声は、石造りの部屋に神々しいほどに響き渡った。
それはまるで神の声であった。
信者らはひとり、またひとりと立ち上がり、ハーゼと教皇へ向かって体を深々と折り曲げ、最敬礼をとった。
ハーゼは教皇の腕の中、信者らのまとう黒衣が波打つのを見た。
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