溺愛アルファの完璧なる巣作り

夕凪

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 初めてのリヒトの『自分で食べる』食事は、中々ににぎやかなものとなった。

 フォークを刺せば、野菜はころんと逃げ、ナイフを動かせば、皿もがちゃがちゃと動く。
 スプーンを握る手つきは危なっかしいし、温かいスープを口に入れるときも、冷たいジュースを飲むときも、リヒトはなんどもビクっと肩を跳ねさせていた。唇の周りはソースでべたべたで、彼の前のクロスにはパンくずや肉の欠片が転がっている。

 ユリウスに食べさせてもらっていたときよりも食卓を汚していることがわかるのだろう、最後は半泣きになりながら、それでもリヒトは自分に取り分けられた分は頑張って完食した。
 こくり、と口の中のものを嚥下したリヒトを隣で見守りながら、ユリウスはナフキンを持った右手を伸ばした。

「頑張ったね、僕のオメガ」

 小さな口を拭いてやりながら、頭頂部にキスを落すと、潤んだ金色の瞳がこちらを見上げてくる。

「僕……きたなくて、ごめんなさい」
「なんで謝るの。きみがたくさん食べてくれて嬉しいよ。大丈夫。きみは今日初めてナイフとフォークを持ったんだ。最初からうまくできる子なんていないよ」
「でも、ユーリ様は、きれいです」
「それは僕が幼い頃からマナーを叩きこまれたからだよ。きみはこれから覚えればいいんだ」

 物を握る感触がわかるようになったからと言って、ナイフの動かし方がすぐに習得できるわけもない。だから大丈夫だとユリウスはリヒトを慰めたが、リヒトはしゅんと肩を落としてうつむいてしまった。

「リヒト、リヒト、大丈夫。これから僕と一緒に覚えていこうね」

 よしよしと銀糸の髪を撫で、ひたいと頬にもキスをすると、リヒトがおずおずと口を開く。

「ユーリ様が、教えてくれますか」

 こちらを窺ってくる潤んだ金色の瞳の、なんと可愛いこと!
 ユリウスは悶えそうになりながら、「もちろんだよ」と微笑んだ。
 その返事を聞いて、リヒトもほっと頬を緩める。

 まさか断られるとでも思っていたのだろうか? ユリウスがおのれのオメガの願いを退けるわけがないのに。

 触覚が戻っても、リヒトの味覚はまだ抑制されたままだ。
 味のほとんどしない食事、というものを想像するのは難しい。ただ、甘いも辛いも感じにくいリヒトが、食事の時間をあまり楽しんでいないのはわかっていた。
 それでも熱いとか冷たいとか、そういう、これまでになかった感覚が口の中にも戻っていて、そのことがリヒトの食事にすこしの喜びをもたらしていればいいなとユリウスは願った。
 

 五感が弱かったときは、脳にかかる負荷のせいでよく眠っていたリヒトだったが、徐々にその症状はやわらいでいる。
 夜もそこそこ起きられるようになっていたので、夕食後はリヒトを膝に抱いてその日の出来事をゆっくり話してもらうことがユリウスの日課となっていたが、最近はそれに、リヒトの文字の練習が追加されていた。

 だから触覚が戻ったばかりのこの日も、ユリウスはリヒトを連れて、彼の勉強部屋へと移動した。
 リヒトは食事であれだけの奮闘を見せたばかりだ。疲れてはいないかとユリウスは心配だったが、当のリヒトが大丈夫だと言い張ったため、ユリウスはリヒトの勉強を見ながら片手間に残務を片付けることとする。

 せっせと紙と向かい合っているリヒトは可愛らしく、微笑ましかったが、そんなに頑張らなくてもいいのになぁとユリウスは思った。そんなに頑張って夜にまで勉強の時間を作らなくとも、昼間のエミールとの学習だけで充分じゃないか、とユリウスはそう思うけれど、リヒトは早く文字が読めるようになりたいのだという。

「ユーリ様のお手紙が読みたいのです」

 そう語るリヒトの目標は、いじらしくて、可愛らしい。

 触覚が戻ったので今日からはテオバルドが作ったという自助具は不要となり、リヒトは彼自身の指でしっかりとペンを持ち、まずは力加減を覚えようとしていた。
 必死な面持ちでペンを持つリヒトを横目に、ユリウスはおのれの仕事を片付けてゆく。
 書簡の終わりにサラサラと署名をすると、気づけば隣の席ではリヒトがユリウスの手元を熱心に見つめていた。

「どうしたの、リヒト」
「いえ……ユーリ様の書かれる文字は、とてもきれいだなぁと思って」
「そう?」
「はい! ユーリ様の文字を真似しても、僕の線はなんだかぐにゃぐにゃになります」
「見せてごらん」

 ユリウスが促すと、恥ずかしそうに唇を尖らせたリヒトが、手元の紙をユリウスの方へそうっと滑らせてきた。
 いったいどの文字で練習しているのかと見てみれば、『僕のリヒトへ』と『きみのユーリより』がいくつもいくつも綴られている。

 本人の申告通り、そこに書かれた文字は確かに不格好に波打っていたが、丁寧に一生懸命ユリウスの文字を真似ようとしている努力が見てとれた。

「……なんで、この文章を?」

 問いかけてみると、リヒトが上目遣いにユリウスを見て、長い睫毛をしずかに揺らした。

「僕の、一番好きな言葉だからです」

 月光に、花びらを溶かしたかのような笑顔が、リヒトのきれいな顔に広がった。

 白桃を思わせる頬を、てのひらで軽くこすって、羞恥をこらえる仕草で目を伏せたリヒトが、誤魔化すように言い足してくる。

「あと、あの、エミール様が、名前から覚える方が、文字が覚えやすいからって仰ったので……ユーリ様と、僕の名前が入ってるから……だから……」

 口ごもるその声に、ユリウスの胸が甘く疼いた。

 抱きしめたい、と思ったときにはもう腕が勝手に伸びていて、ユリウスはリヒトの華奢な体をぎゅうっと抱擁した。
 やわらかな髪に鼻先を埋めると、オメガの匂いが香ってくる。ユリウスのオメガ。僕のリヒト。

 両頬を包んで、顔を引き寄せ、キスをした。
 ちゅ、ちゅ、と啄むだけでは足りなくて、小さな唇を覆うように唇を重ね、隙間に舌を差し込む。

 リヒトの金色の瞳が丸くなった。

「ゆ、ゆぅり……ぁむっ」

 ユリウスの名を呼ぶために開かれた口。その奥で動く舌をすくいとり、絡めた。
 くちゅ……と濡れた音が互いの唇の間でしとやかに響く。
 くちゅ、くちゅ。リヒトの唾液を求めて、ユリウスは舌を動かし、唇を吸った。

「ふぁ……」

 鼻にかかる声が、吐息のように漏れた。その可愛い音の連なりをもっとききたくて、ユリウスは更に深く唇を合わせようとしたところで……ハッと我に返り、リヒトの両肩を掴んでおのれから引きはがした。

 はふ、はふ、と肩で息をしながら、リヒトがこちらを見上げている。

 驚いたような表情は、あどけないほど無垢なのに、上気した目元と濡れた唇には色香が宿っていて、そのギャップがまたユリウスの胸を騒がせた。

「ゆぅりさま」

 リヒトの、宝石よりもなおうつくしい金色の瞳が、ユリウスを映して頼りなく瞬く。

「ごめん。間違えた」

 ユリウスはてのひらを翳し、リヒトの真っ直ぐな視線を遮りながら謝った。

 性的なことなどなにも知らないリヒトに。
 オメガとして未成熟で、アルファを求めていないリヒトに。
 こんな、一方的に欲望をぶつけるようなキスをしてしまうなんて。

 タイミングを完全に間違えた。

 ユリウスは待つべきなのだ。肉体的にも精神的にも、リヒトがそういう意味でユリウスを求めてくれるまで。
 それなのに我慢できずに先走ってしまった。

 本当に、僕の理性はどうしてしまったんだろう……。

 胸の中で嘆きながら、ユリウスはもう一度「ごめんね」と謝り、リヒトのひたいにいつもの触れるだけのキスをした。

 ひくり、とリヒトの体が跳ねる。
 触覚が戻ったことにまだ慣れていないからか。
 それとも……。

「僕が怖い?」


 
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