溺愛アルファの完璧なる巣作り

夕凪

文字の大きさ
115 / 184
変化

しおりを挟む
 しずかな声音で、ユリウスは問いかけた。
 リヒトの目が、これ以上はないというほど大きく見開かれた。

「なぜ、ユーリ様が怖いのですか?」

 心底不思議そうに問い返され、ユリウスは思わず笑ってしまった。

 そうか、この子はなにもわからないのだ。
 肉欲を覚えたことがないから、自分がそういう対象として見られることも理解ができない。
 いまのキスも、いつもと違うから困惑しただけで、そこからユリウスの抱く劣情を感じ取れるほどの知識も経験も、リヒトには存在しないのだった。

 ユリウスは笑いに紛れて身の内に巣食う欲望を散らし、リヒトの銀糸の髪を撫でて、
「なんでもないよ」
 と告げた。

「リヒト、今日は触覚が戻ったばかりで疲れたよね。もう寝ようか」
「僕、疲れてません」
「きみはそう言うけど、目と耳が治ったときもきみは、泥のように眠ってたよ。知らず知らずに気を張ってるんだ。今日は寝よう。ね、僕のオメガ」

 ちゅ、と目元にキスをしてから立ち上がり、ユリウスが左手を差し出すと、リヒトは迷うようにユリウスの手と顔を見比べていたが、結局は「はい」と頷いて、大人しく手を重ねてきた。
 軽く引くと抵抗もなくリヒトが腰を上げる。

 手を繋いだまま、廊下を歩いた。
 触覚が阻害されていたときは、バランスをとることができなくていつもふらふらしていたリヒトが、いまは危なげなく歩くことができている。

「リヒト、今度僕と一緒にお出かけしようか?」
「え?」
「いまのきみなら、色々なものに触れることができるよ。リヒト、まずはそうだなぁ……湖のある公園に行こうか。あそこならひとは少ないし、のんびり景色も楽しめる」

 おでかけ……とリヒトが口の中でつぶやいた。

 これまでの彼の世界は、王城の一室やこの屋敷だけで完結していた。
 けれどいまは、目が見えて、耳が聞こえて、全身で外の世界を感じることができる。匂いと味は、まだわからないけれど、視聴覚と触覚が回復したのだから、リヒトだって充分に季節の景色や草花の手触りを楽しむことができるだろう。
 そう考えてのユリウスの提案に、リヒトはパァっと瞳を輝かせた。

「ユーリ様と、お出かけ……行きたいです」

 繋いだ手が、控えめな強さで握られる。それをしっかりと握り返すと、リヒトがうふふと笑みをこぼした。

 可愛い。可愛すぎる。
 こんな子を外に出して大丈夫だろうか。ユリウスは俄かに不安を覚えた。

 リヒトには自分が常に付き添っているとはいえ、こんなに可愛いオメガを連れ歩いたりしては、不埒なアルファに誘拐されてしまうかもしれない。
 しまった。外出の誘いなんてしなければ良かった。

 しかし、喜びに顔をほころばせているリヒトに、やっぱりいまの話はなかったことに、なんて言えやしない。
 ユリウスの胸の内側では、誘ってしまったことを悔やむ気持ちと、リヒトにもっと色々なものを見せて喜ばせてやりたい気持ちが綱引きを始める。綱はあっちに引かれ、こっちに引かれと忙しなく動き、しかし決着はつかなかった。

 仕方ない。なるべく人目につかない場所で、それでいてかつリヒトが楽しめそうなスポットをテオバルドに調査させよう。
 思考は一旦そこへ落ち着き、ユリウスは深く息を吐いてから、隣を歩く愛しいオメガを見下ろした。

 ユリウスの視線に気づいたのだろう。リヒトがこちらを見上げて、恐ろしいほどに可愛い顔で微笑んだ。
 睡眠前に抑制剤を服用することが決定した瞬間であった。

 
 ユリウスはリヒトの寝支度を手伝い、隙を見てこっそりとアルファ用の抑制剤を口に放り込んだ。
 一時期の頻用で不眠や食欲不振の症状が出て以降、次兄から注意を受けたことも踏まえて、服薬の頻度と量は調整できていた……はずだったが、今日だけで幾度も理性の箍がゆるんでしまっている。

 念のため規定量の倍を服用し、いつものようにひとつのベッドで二人で眠った。

 リヒトは肌に当たる布団の感触や、背に回ったユリウスの手の感触など、ひとつひとつに驚きを見せながらも、やはり気づかない内に神経が昂ぶっていたのだろう、横になってすこしすると、可愛らしい寝息を立て始めた。

 頬にかかる髪をかき上げてやろうと伸ばした指先を、ユリウスはすんでで握り込む。
 触覚の弱かったリヒトは、いくら触れても一度寝たら起きなかったけれど、いまはどうだろう。ちょっとした刺激でも目が覚めてしまうだろうか。

 ユリウスは慎重な仕草で、ゆっくりとひとさし指を動かし、銀色のうつくしい髪をそうっと横へ流した。
 伏せられた長い睫毛は揺らぐことなく、瞼は閉ざされたままだった。
 起こさなかったことにホッとして、ユリウスはしばらくリヒトの寝顔を見つめていた。

 もう二十歳を過ぎているのに、いつまでもあどけない寝顔だ。成熟しきらない彼の、きれいなままの心身を、このままま愛でていたくもなるし、おのれの手で穢してやりたくもなる。

「愛してるよ、僕のオメガ」

 小声で、甘く囁いた。
 するとリヒトの手がもぞりと動いて、一度目をこすったかと思うと、
「……ゆぅりさまぁ」
 回らない口が、ユーリを呼んで。
 子猫のようにリヒトの体が、ユリウスへと擦り寄ってきた。

 胸元に頬をこすりつけて、リヒトがうふふと笑う。

「あったかいです、ゆぅりさま」

 布団の中にこもる二人分の体温。それを触覚の戻った全身で実感するように、呟いて。
 リヒトはまたことんと眠りに落ちた。

 魂がふるえる、というのはこういう感情を言うんだろう、とユリウスは思った。

 腕の中に在る存在がいとおしすぎて、胸苦しいほどだった。

 リヒト。僕のオメガ。僕の喜び。僕の光。
 ユリウスはこの子を、まもり通さなければならない。

 デァモント教の、つらく過酷な記憶から。
 ハーゼとして不当に得てきた傷から。
 今後、この子を傷つけようとするあらゆるものから。

 そして……ユリウス自身の、どうにもならないような欲望から。

 ユリウスはリヒトを、まもらなければならないのだ。

 ユリウスはその覚悟とともに、おのれのオメガへの渇望を飲み込んだ。

 抑制剤が効いていない。
 なんて頼りにならない薬だろうか。まだシモンの偽薬プラセボの方が優秀だ。リヒトの五感をちゃんと治療しているのだから。

 ユリウスはなんとか気を散らそうとしたが、リヒトの匂いに我慢ができなくなり、ついにはベッドをそっと抜け出した。
 リヒトを起こしてしまわないよう、以前とは違って、物音ひとつ、衣擦れひとつにも神経を使う。

 常夜灯の仄かな灯りの中で、リヒトはよく眠っていた。
 なぜ、こんなにも可愛い寝顔を見て、おのれの内側でこれほどの劣情が湧き起こるのだろうか。自分ではどうにもならないアルファ性ゆえの本能に、ユリウスは苦い笑みをこぼした。

「いい子で寝ていてね、僕のオメガ」

 囁きほどの音量で、そう話しかけて、触れるか触れないかの位置で頬にキスを落す。
 そうしてからユリウスは、欲望を発散させるための場所へ向けて、足を踏み出した。
 

 自分のことで切羽詰まっていたユリウスは、まったく気づいていなかった。

 このときのリヒトが、寝たふりをしていたことに……。
 そして、部屋を出て行くユリウスを、横たわったままひとりぽつねんと見送っていたことに……。


 
 
 
しおりを挟む
感想 260

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻本作品(オリジナル)の結末をif(運命の番)ルートに入れ替えて、他サイトでの投稿を始めました。タイトルは「一度目の結婚で愛も希望も失くした僕が、移住先で運命と出逢い、二度目の結婚で愛されるまで」に変えてます。 オリジナルの本編結末は完全なハッピーエンドとはいえないかもしれませんが、「一度目の〜…」は琳が幸せな結婚をするハッピーエンド一択です。

悪役令息(Ω)に転生した俺、破滅回避のためΩ隠してαを装ってたら、冷徹α第一王子に婚約者にされて溺愛されてます!?

水凪しおん
BL
前世の記憶を持つ俺、リオネルは、BL小説の悪役令息に転生していた。 断罪される運命を回避するため、本来希少なΩである性を隠し、出来損ないのαとして目立たず生きてきた。 しかし、突然、原作のヒーローである冷徹な第一王子アシュレイの婚約者にされてしまう。 これは破滅フラグに違いないと絶望する俺だが、アシュレイの態度は原作とどこか違っていて……?

過労死転生した公務員、魔力がないだけで辺境に追放されたので、忠犬騎士と知識チートでざまぁしながら領地経営はじめます

水凪しおん
BL
過労死した元公務員の俺が転生したのは、魔法と剣が存在する異世界の、どうしようもない貧乏貴族の三男だった。 家族からは能無しと蔑まれ、与えられたのは「ゴミ捨て場」と揶揄される荒れ果てた辺境の領地。これは、事実上の追放だ。 絶望的な状況の中、俺に付き従ったのは、無口で無骨だが、その瞳に確かな忠誠を宿す一人の護衛騎士だけだった。 「大丈夫だ。俺がいる」 彼の言葉を胸に、俺は決意する。公務員として培った知識と経験、そして持ち前のしぶとさで、この最悪な領地を最高の楽園に変えてみせると。 これは、不遇な貴族と忠実な騎士が織りなす、絶望の淵から始まる領地改革ファンタジー。そして、固い絆で結ばれた二人が、やがて王国を揺るがす運命に立ち向かう物語。 無能と罵った家族に、見て見ぬふりをした者たちに、最高の「ざまぁ」をお見舞いしてやろうじゃないか!

売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才) ※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!  ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。  無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

婚約破棄で追放された悪役令息の俺、実はオメガだと隠していたら辺境で出会った無骨な傭兵が隣国の皇太子で運命の番でした

水凪しおん
BL
「今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」 公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。 婚約、地位、家族からの愛――そして、痩せ衰えた最果ての辺境地へと追放される。 しかし、それは新たな人生の始まりだった。 前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。 そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。 共に困難を乗り越えるうち、二人の間には強い絆が芽生え始める。 だがレオンには、誰にも言えない秘密があった。 彼は、この世界で蔑まれる存在――「オメガ」なのだ。 一方、レオンを追放した王国は、彼の不在によって崩壊の一途を辿っていた。 これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。 痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

処理中です...