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溺愛アルファの完璧なる巣作り
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ミュラー家のための談話室では、マリウス、アマーリエ、クラウスがリヒトを待っていた。
エミールに連れられてリヒトが姿を見せると、アマーリエが真っ先に立ち上がり、
「いらっしゃい、ユーリの妖精さん」
とリヒトを手招いた。
リヒトはおどおどしながらも、挨拶の言葉を口にした。
「アマル様、こんにちは」
「はいこんにちは。今日も可愛らしいこと。リヒト、こちらはわたくしの夫、マリウスよ」
「会うのは二度目だな。マリウスだ」
アマーリエの隣に並んだマリウスは、金髪こそユリウスそっくりだったが、野性味溢れる風貌は絵本で見たライオンのようで、その迫力にリヒトはポカンとしてしまった。
ふと隣を見るとテオバルドが深々と頭を下げている。
そうだった。このひとは国王陛下なのだ。
リヒトも慌ててお辞儀をしようとしたら、肩をガシっと掴まれて阻まれた。
「ユーリのつがいなら俺の弟も同然。礼をとる必要はない。楽にしていろ」
わっはっは、とマリウスが豪快に笑う。
その隣にクラウスが並んだ。
「兄上。リヒトに触るとユーリが怒りますよ」
「なに、これぐらい触ったうちに入らん」
「因みに私なら怒ります」
クラウスの青い瞳が、マリウスを睨んだ。そのクラウスをエミールが肘で小突いて窘める。
「真面目な顔でなにバカなこと言ってるんですか。リヒト、オレのつがいのクラウス様です。ユーリ様の二番目のお兄様ですよ」
エミールに教えられて、リヒトはもごもごと口を動かした。
「あの、僕、リヒトです」
「もちろん知っている。私の弟が世話になっているな」
クラウスが軽く微笑んで頷いた。
リヒトはいいえと首を振った。
「ユーリ様のお世話はしてません。僕が、お世話をしてもらってます。今日もお風呂に入れてくれました。この服もユーリ様が……」
「リヒト様っ!」
一生懸命言い募ろうとしたリヒトを、横からテオバルドが止めてきた。
言ってはいけないことだったろうか、と慌てて口を押えたリヒトだったが、
「なんだなんだ。俺の弟の話なら兄であるこの俺にも聞く権利がある」
「うむ。私も聞きたい。リヒト、そこに座りなさい」
「まぁまぁ、わたくしも聞きたくてよ。ユーリとお風呂なんて素敵じゃない」
寄ってたかってそう言われ、気づけばソファにちょこんと座らされ、周りをぐるりと囲まれていた。
それを見ていたテオバルドは、声に出さずに「うわぁ」と頭を抱えた。
王族やべぇ。
不思議ちゃんが食われてしまう!
しかもリヒトは気づいていないが、彼が座っているのはここで一番の上座……つまり、国王陛下が座るべき場所である。
あのソファも恐らくこの部屋で一番良いものだ。
うわぁ。王族怖ぇぇぇ。
テオバルドは不敬にならぬよう視線を伏せたまま、部屋の隅で控えた。
出ていけと言われないから居ていいのだと思うが、正直もう退室したい。しかしリヒトを残してゆくのも可哀想だ。
王城内でリヒトに危険があるとは思えなかったが、いざというときにはテオバルドが体を張ってリヒトをまもらなけれればならない。主人の大切なつがいを。
ユーリ様早く来てください!
テオバルドのこころの声が聞こえたのだろうか。
そのとき、ノックの音が高らかに響いた。
それは比喩ではなく本当にドンドンと力強くドアが叩かれている。場所が場所なら敵襲かと疑われるほどの勢いだ。
この力強さは……と思っていたら案の定、開いたドアの向こう立っていたのは、テオバルドの父、ロンバードであった。
「ユリウス殿下がお見えです」
テオバルドと違って豪胆な父は、いつもと同じ調子で飄々とそう告げて、すっと脇に控えた。
ロンバードの巨躯の後ろから、ユリウスが姿を現した。
ユリウスは正装だった。
「あっ!」
小さく叫んだリヒトが思わずというように立ち上がる。
ユリウスの纏っている衣装は、テオバルドにも見覚えがあった。
あれはエミールが発注して仕立ててもらった、あの服だ。
リヒトの編んだ飾緒を引き立てるための、濃く上品な色合いのコート。
その胸元から肩にかけてを、新緑色の宝石を編み込んだ金の飾緒が、彩っている。
見開かれたリヒトの目に、涙が盛り上がっていった。
まばたきもせずに、リヒトがユリウスを見つめている。
「リヒト」
ユリウスがいとしいオメガへ向けて、うつくしい微笑を浮かべた。
「ああっ、ステキ! 王子様!」
アマーリエが胸の前で両手を組んで、うっとりと呟く。
テオバルドもうっかり同じ仕草をしそうになって、ハッと我に返って姿勢を正した。危ない危ない。
しかしなんて華やかな男だろうか。アルファという性がなせる業なのか、はたまたユリウス・ドリッテ・ミュラーという人物の容色が単純に秀でているからだろうか。
この場の全員が、ユリウスに視線を奪われていた。
「どうしてもきみの編んでくれたこれを着けたくて……事後承諾でごめんね、リヒト。とってもきれいな飾緒をありがとう」
ユリウスがリヒトの前に歩み寄った。
リヒトは信じられないような思いで、着飾ったユリウスを見上げた。
編み目がガタガタで、みすぼらしくて、みっともない、飾緒。
それがユリウスの胸にあるだけで、ものすごく特別できれいなものに見えるから不思議だった。
これもユーリ様の魔法だ。
リヒトはそう思った。
ユリウスの魔法が、いつもリヒトをしあわせで包み込んでくれる。
ユリウスが軽い咳ばらいをして、立っているリヒトと、その左右のソファに座る面々を見渡した。
そして。
「リヒト」
甘く蕩けそうな声で、つがいの名を呼んで、彼はおもむろにリヒトの正面で片膝をついた。
右手を胸に当て、左手を後ろに回す。
そのまま優雅に頭を下げた。
軽く撫でつけていたユリウスの金髪がはらりとひたいに落ちて、陽光を受けて神々しいほどに輝いている。そして、肩から胸にかけて垂れ下がる飾緒も、キラキラと光っていた。
「愛してるよ、僕のオメガ。リヒト。僕と結婚しよう」
朗、とユリウスの声が響いた。
リヒトは零れ落ちそうなほどに目を見開いていた。
動けないリヒトの横に、エミールがそっと歩み寄り、
「リヒト、騎士の最敬礼ですよ」
と告げてきた。
リヒトは息を飲んで、跪くユリウスとエミールを交互に見た。
「さいけいれい……」
「騎士は例外を除いて、王にしか跪きません。その例外が、いまなんです」
エミールが悪戯っぽく片目を瞑った。
前に、エミールに最敬礼の話を聞いたとき、エミールは言葉を濁していた。
その後、シモンからベルンハルトが騎士の最敬礼で送られたと聞いたから、だからリヒトは、お別れのときにするものなのだと思っていた。
「騎士は、国王に忠誠を捧げる」
クラウスが低く滑らかな声で、告げてくる。
「おのれの忠誠は、王に。だが、愛だけは自由だ。もっともいとしい者に愛を捧げるときにも、騎士は跪く」
リヒトは忙しないまばたきをした。
そのたびに、ぼろり、ぼろりと大粒の涙が落ちた。
「……そ、そしたら……」
ずずっと鼻を啜って、リヒトが口を開いた。
「そしたら、ベンさんにも、愛を捧げたんですか?」
その場に居た全員が、一瞬ポカンとした表情になった。
真っ先に笑ったのは、跪いているユリウスだった。
その笑いはやがてクラウスとエミール、マリウスとアマーリエに伝染した。
テオバルドは頭を抱え、この不思議ちゃんめと胸の内で呟いた。否、実は彼のこころの声は現実に小声となって漏れていたが、それは笑い声で掻き消され、誰の耳にも届くことはなかった。
「くっ……あははっ! リヒト、ベンへの敬愛ときみへの愛はもちろん別だよ。リヒト、僕のオメガ、そろそろ返事をくれないと、僕は頭が上げられない」
礼をとりながらも肩を震わせているユリウスにそう言われ、リヒトは思わずエミールを振り仰いだ。
エミールがこっそりと耳元で教えてくれる。
「リヒト、騎士はゆるしがないと立ち上がれません。ユーリ様に返事をしてあげてください」
リヒトはこくりと喉を鳴らした。
泣いているせいで呼吸が不自由だ。
でも喉の奥の熱い感情は、喜びの色に塗りつぶされていて。
リヒトははふはふと息をしながら、ユリウスに抱きついた。
「ユーリ様、大好きです! 僕、結婚したいです!」
「リヒト! 僕のオメガ!」
リヒトの体はすぐにユリウスの両腕に抱きしめられた。
全員が立ち上がり、拍手が響いた。
「おめでとう!」
「おめでとう、ユーリ!」
「おめでとう、リヒト!」
祝福の言葉が口々に上がる。
リヒトを抱っこしたユリウスが立ち上がり、ほろりと笑った。
「なんでおまえが泣くんだ、テオ」
ユリウスの視線を追ってリヒトもテオバルドを見てみると、テオバルドが右腕で目をこすりながら泣いていた。
「……だって、良かったなぁって思って!」
敬語を繕うことも忘れ、テオバルドは幼馴染兼主人の慶事をこころより祝った。
「ユーリ、国民へのお披露目はどうする」
「パレードをしましょう! ああ! 絶対ステキだわ」
「音楽隊と兵列の編成は私が」
マリウス、アマーリエ、クラウスが早くもそんな相談を始めるのを、ユリウスはてのひらで遮った。
「お披露目もパレードもしません。可愛いリヒト見せびらかして、誘拐でもされたらどうするんです」
ねぇ、と腕に抱いたつがいに甘い声を掛けるユリウスを、テオバルドは「うわぁ」と思いながら見ていたが、マリウスは顎をさすりながら、それもそうかと頷いた。
「そうだった。忘れていた。そうだな、お披露目もパレードもなしだ」
国王の決断を、クラウスも頷くことで支持する。
銀の髪と金の瞳のリヒトを大衆の目に触れる場所へ置くということにはリスクしかない。ユリウスは笑みを絶やさないようにしながらも、兄たちに目でお礼を言った。
デァモント教団は解体されたが、信者が居なくなったわけではない。
彼らは場所や名前を変え、ひそやかに信仰を続けていることだろう。
リヒトの存在が彼らに知られるとどうなるか。またハーゼとしてリヒトを担ごうとする輩が出てこないとも限らない。
杞憂だとしても、リヒトに危険が及ぶ可能性が少しでもあるならば、それを回避する手を打つのは当然のことだった。
しかしリヒトにはなにも悟らせない。
鼻の良いリヒトはきっと、ユリウスの感情も嗅ぎ分けてしまうから。
だから尖った匂いが出ないよう、ユリウスはこころを落ち着けながら、愛情だけを込めたキスをリヒトへと贈った。
ユリウスに抱っこされたリヒトの目線の先で、飾緒が揺れている。
リヒトが一度捨てた、飾緒。
あのとき。
あんまりみすぼらしくて嫌になったのは、きっと飾緒だけじゃなかった。
ユリウスの顔も匂いも声もわからなかった頃の、自分自身が。不完全で、欠陥だらけの自分自身が、嫌になってしまったのだ。
けれどユリウスは、リヒトが捨てたはずの自分を、拾ってくれた。
五感が弱かった頃の自分も、宝物だと言ってくれるひと。
こんなひと、きっと世界中のどこを探しても居ないだろう。
「ユーリ様」
リヒトは自分の唯一のアルファの名を、大切に大切に口にした。
「大好きです、ユーリ様。僕の、アルファ」
リヒトの目の前で、ユリウスのきれいな顔がほころんだ。
甘く蕩けそうに笑う、リヒトのつがい。
抱きしめてくる腕は、力強く、揺らぎなくて。
まるでユリウスの『巣』で感じたような安堵といとしさが込み上げてきて、リヒトはどうしようもなく大好きなアルファの顔を引き寄せて、唇に唇を重ねた。
この腕の中が自分の居場所だと、確かにそう思えた。
~『溺愛アルファの完璧なる巣作り』・終幕~
エミールに連れられてリヒトが姿を見せると、アマーリエが真っ先に立ち上がり、
「いらっしゃい、ユーリの妖精さん」
とリヒトを手招いた。
リヒトはおどおどしながらも、挨拶の言葉を口にした。
「アマル様、こんにちは」
「はいこんにちは。今日も可愛らしいこと。リヒト、こちらはわたくしの夫、マリウスよ」
「会うのは二度目だな。マリウスだ」
アマーリエの隣に並んだマリウスは、金髪こそユリウスそっくりだったが、野性味溢れる風貌は絵本で見たライオンのようで、その迫力にリヒトはポカンとしてしまった。
ふと隣を見るとテオバルドが深々と頭を下げている。
そうだった。このひとは国王陛下なのだ。
リヒトも慌ててお辞儀をしようとしたら、肩をガシっと掴まれて阻まれた。
「ユーリのつがいなら俺の弟も同然。礼をとる必要はない。楽にしていろ」
わっはっは、とマリウスが豪快に笑う。
その隣にクラウスが並んだ。
「兄上。リヒトに触るとユーリが怒りますよ」
「なに、これぐらい触ったうちに入らん」
「因みに私なら怒ります」
クラウスの青い瞳が、マリウスを睨んだ。そのクラウスをエミールが肘で小突いて窘める。
「真面目な顔でなにバカなこと言ってるんですか。リヒト、オレのつがいのクラウス様です。ユーリ様の二番目のお兄様ですよ」
エミールに教えられて、リヒトはもごもごと口を動かした。
「あの、僕、リヒトです」
「もちろん知っている。私の弟が世話になっているな」
クラウスが軽く微笑んで頷いた。
リヒトはいいえと首を振った。
「ユーリ様のお世話はしてません。僕が、お世話をしてもらってます。今日もお風呂に入れてくれました。この服もユーリ様が……」
「リヒト様っ!」
一生懸命言い募ろうとしたリヒトを、横からテオバルドが止めてきた。
言ってはいけないことだったろうか、と慌てて口を押えたリヒトだったが、
「なんだなんだ。俺の弟の話なら兄であるこの俺にも聞く権利がある」
「うむ。私も聞きたい。リヒト、そこに座りなさい」
「まぁまぁ、わたくしも聞きたくてよ。ユーリとお風呂なんて素敵じゃない」
寄ってたかってそう言われ、気づけばソファにちょこんと座らされ、周りをぐるりと囲まれていた。
それを見ていたテオバルドは、声に出さずに「うわぁ」と頭を抱えた。
王族やべぇ。
不思議ちゃんが食われてしまう!
しかもリヒトは気づいていないが、彼が座っているのはここで一番の上座……つまり、国王陛下が座るべき場所である。
あのソファも恐らくこの部屋で一番良いものだ。
うわぁ。王族怖ぇぇぇ。
テオバルドは不敬にならぬよう視線を伏せたまま、部屋の隅で控えた。
出ていけと言われないから居ていいのだと思うが、正直もう退室したい。しかしリヒトを残してゆくのも可哀想だ。
王城内でリヒトに危険があるとは思えなかったが、いざというときにはテオバルドが体を張ってリヒトをまもらなけれればならない。主人の大切なつがいを。
ユーリ様早く来てください!
テオバルドのこころの声が聞こえたのだろうか。
そのとき、ノックの音が高らかに響いた。
それは比喩ではなく本当にドンドンと力強くドアが叩かれている。場所が場所なら敵襲かと疑われるほどの勢いだ。
この力強さは……と思っていたら案の定、開いたドアの向こう立っていたのは、テオバルドの父、ロンバードであった。
「ユリウス殿下がお見えです」
テオバルドと違って豪胆な父は、いつもと同じ調子で飄々とそう告げて、すっと脇に控えた。
ロンバードの巨躯の後ろから、ユリウスが姿を現した。
ユリウスは正装だった。
「あっ!」
小さく叫んだリヒトが思わずというように立ち上がる。
ユリウスの纏っている衣装は、テオバルドにも見覚えがあった。
あれはエミールが発注して仕立ててもらった、あの服だ。
リヒトの編んだ飾緒を引き立てるための、濃く上品な色合いのコート。
その胸元から肩にかけてを、新緑色の宝石を編み込んだ金の飾緒が、彩っている。
見開かれたリヒトの目に、涙が盛り上がっていった。
まばたきもせずに、リヒトがユリウスを見つめている。
「リヒト」
ユリウスがいとしいオメガへ向けて、うつくしい微笑を浮かべた。
「ああっ、ステキ! 王子様!」
アマーリエが胸の前で両手を組んで、うっとりと呟く。
テオバルドもうっかり同じ仕草をしそうになって、ハッと我に返って姿勢を正した。危ない危ない。
しかしなんて華やかな男だろうか。アルファという性がなせる業なのか、はたまたユリウス・ドリッテ・ミュラーという人物の容色が単純に秀でているからだろうか。
この場の全員が、ユリウスに視線を奪われていた。
「どうしてもきみの編んでくれたこれを着けたくて……事後承諾でごめんね、リヒト。とってもきれいな飾緒をありがとう」
ユリウスがリヒトの前に歩み寄った。
リヒトは信じられないような思いで、着飾ったユリウスを見上げた。
編み目がガタガタで、みすぼらしくて、みっともない、飾緒。
それがユリウスの胸にあるだけで、ものすごく特別できれいなものに見えるから不思議だった。
これもユーリ様の魔法だ。
リヒトはそう思った。
ユリウスの魔法が、いつもリヒトをしあわせで包み込んでくれる。
ユリウスが軽い咳ばらいをして、立っているリヒトと、その左右のソファに座る面々を見渡した。
そして。
「リヒト」
甘く蕩けそうな声で、つがいの名を呼んで、彼はおもむろにリヒトの正面で片膝をついた。
右手を胸に当て、左手を後ろに回す。
そのまま優雅に頭を下げた。
軽く撫でつけていたユリウスの金髪がはらりとひたいに落ちて、陽光を受けて神々しいほどに輝いている。そして、肩から胸にかけて垂れ下がる飾緒も、キラキラと光っていた。
「愛してるよ、僕のオメガ。リヒト。僕と結婚しよう」
朗、とユリウスの声が響いた。
リヒトは零れ落ちそうなほどに目を見開いていた。
動けないリヒトの横に、エミールがそっと歩み寄り、
「リヒト、騎士の最敬礼ですよ」
と告げてきた。
リヒトは息を飲んで、跪くユリウスとエミールを交互に見た。
「さいけいれい……」
「騎士は例外を除いて、王にしか跪きません。その例外が、いまなんです」
エミールが悪戯っぽく片目を瞑った。
前に、エミールに最敬礼の話を聞いたとき、エミールは言葉を濁していた。
その後、シモンからベルンハルトが騎士の最敬礼で送られたと聞いたから、だからリヒトは、お別れのときにするものなのだと思っていた。
「騎士は、国王に忠誠を捧げる」
クラウスが低く滑らかな声で、告げてくる。
「おのれの忠誠は、王に。だが、愛だけは自由だ。もっともいとしい者に愛を捧げるときにも、騎士は跪く」
リヒトは忙しないまばたきをした。
そのたびに、ぼろり、ぼろりと大粒の涙が落ちた。
「……そ、そしたら……」
ずずっと鼻を啜って、リヒトが口を開いた。
「そしたら、ベンさんにも、愛を捧げたんですか?」
その場に居た全員が、一瞬ポカンとした表情になった。
真っ先に笑ったのは、跪いているユリウスだった。
その笑いはやがてクラウスとエミール、マリウスとアマーリエに伝染した。
テオバルドは頭を抱え、この不思議ちゃんめと胸の内で呟いた。否、実は彼のこころの声は現実に小声となって漏れていたが、それは笑い声で掻き消され、誰の耳にも届くことはなかった。
「くっ……あははっ! リヒト、ベンへの敬愛ときみへの愛はもちろん別だよ。リヒト、僕のオメガ、そろそろ返事をくれないと、僕は頭が上げられない」
礼をとりながらも肩を震わせているユリウスにそう言われ、リヒトは思わずエミールを振り仰いだ。
エミールがこっそりと耳元で教えてくれる。
「リヒト、騎士はゆるしがないと立ち上がれません。ユーリ様に返事をしてあげてください」
リヒトはこくりと喉を鳴らした。
泣いているせいで呼吸が不自由だ。
でも喉の奥の熱い感情は、喜びの色に塗りつぶされていて。
リヒトははふはふと息をしながら、ユリウスに抱きついた。
「ユーリ様、大好きです! 僕、結婚したいです!」
「リヒト! 僕のオメガ!」
リヒトの体はすぐにユリウスの両腕に抱きしめられた。
全員が立ち上がり、拍手が響いた。
「おめでとう!」
「おめでとう、ユーリ!」
「おめでとう、リヒト!」
祝福の言葉が口々に上がる。
リヒトを抱っこしたユリウスが立ち上がり、ほろりと笑った。
「なんでおまえが泣くんだ、テオ」
ユリウスの視線を追ってリヒトもテオバルドを見てみると、テオバルドが右腕で目をこすりながら泣いていた。
「……だって、良かったなぁって思って!」
敬語を繕うことも忘れ、テオバルドは幼馴染兼主人の慶事をこころより祝った。
「ユーリ、国民へのお披露目はどうする」
「パレードをしましょう! ああ! 絶対ステキだわ」
「音楽隊と兵列の編成は私が」
マリウス、アマーリエ、クラウスが早くもそんな相談を始めるのを、ユリウスはてのひらで遮った。
「お披露目もパレードもしません。可愛いリヒト見せびらかして、誘拐でもされたらどうするんです」
ねぇ、と腕に抱いたつがいに甘い声を掛けるユリウスを、テオバルドは「うわぁ」と思いながら見ていたが、マリウスは顎をさすりながら、それもそうかと頷いた。
「そうだった。忘れていた。そうだな、お披露目もパレードもなしだ」
国王の決断を、クラウスも頷くことで支持する。
銀の髪と金の瞳のリヒトを大衆の目に触れる場所へ置くということにはリスクしかない。ユリウスは笑みを絶やさないようにしながらも、兄たちに目でお礼を言った。
デァモント教団は解体されたが、信者が居なくなったわけではない。
彼らは場所や名前を変え、ひそやかに信仰を続けていることだろう。
リヒトの存在が彼らに知られるとどうなるか。またハーゼとしてリヒトを担ごうとする輩が出てこないとも限らない。
杞憂だとしても、リヒトに危険が及ぶ可能性が少しでもあるならば、それを回避する手を打つのは当然のことだった。
しかしリヒトにはなにも悟らせない。
鼻の良いリヒトはきっと、ユリウスの感情も嗅ぎ分けてしまうから。
だから尖った匂いが出ないよう、ユリウスはこころを落ち着けながら、愛情だけを込めたキスをリヒトへと贈った。
ユリウスに抱っこされたリヒトの目線の先で、飾緒が揺れている。
リヒトが一度捨てた、飾緒。
あのとき。
あんまりみすぼらしくて嫌になったのは、きっと飾緒だけじゃなかった。
ユリウスの顔も匂いも声もわからなかった頃の、自分自身が。不完全で、欠陥だらけの自分自身が、嫌になってしまったのだ。
けれどユリウスは、リヒトが捨てたはずの自分を、拾ってくれた。
五感が弱かった頃の自分も、宝物だと言ってくれるひと。
こんなひと、きっと世界中のどこを探しても居ないだろう。
「ユーリ様」
リヒトは自分の唯一のアルファの名を、大切に大切に口にした。
「大好きです、ユーリ様。僕の、アルファ」
リヒトの目の前で、ユリウスのきれいな顔がほころんだ。
甘く蕩けそうに笑う、リヒトのつがい。
抱きしめてくる腕は、力強く、揺らぎなくて。
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強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
婚約破棄で追放された悪役令息の俺、実はオメガだと隠していたら辺境で出会った無骨な傭兵が隣国の皇太子で運命の番でした
水凪しおん
BL
「今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」
公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。
婚約、地位、家族からの愛――そして、痩せ衰えた最果ての辺境地へと追放される。
しかし、それは新たな人生の始まりだった。
前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。
そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。
共に困難を乗り越えるうち、二人の間には強い絆が芽生え始める。
だがレオンには、誰にも言えない秘密があった。
彼は、この世界で蔑まれる存在――「オメガ」なのだ。
一方、レオンを追放した王国は、彼の不在によって崩壊の一途を辿っていた。
これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。
痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!
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