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絶望の中の希望

【5】

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「………………」
『ど、どうして……!? お前、死んだはずじゃないの!? ……お前が何かしたの、神剣!?』
『……私は何も……』
『……っ!』

妖刀の呪いが魂に侵蝕していく。
取り出された妖刀は再び一晴の中へと溶けて消えた。
改めて対峙する、妖刀『紅静子』と鶴城一晴。
なぜ、なんで、どうして。

『お、お前、自分が何をしたのかわかってるの? せっかくぼくから自由になったのに、何やってるのさ!? ばかばかとは思ってたけどほんと正真正銘のばかじゃないの!? なんで――』
「おかしなことを言いますな。あなたにとっては願ったり叶ったりな状況ではないのですか?」
『それは………………、……だ、だとしてもなんで生きてるのさ!? 現在進行形で水の中にいるんだよ!? 普通の人間は死んでるし! 死んでたじゃん!?』
「それなのですが――――……私自身さっぱり分かりませんな。なんで生きてるんでしょう?」
『おおい!?』
「何はともあれ生きている以上、諦めずに足掻くことに致しました。私は生きたい。生きて伽藍さんと恋人になってあんな事とかそんなこととかしたいのです。それには、あなたの力を借りる必要があると思ったんです。あなただって、あんな男の物になるのは嫌なのでしょう? ここは一時休戦といきませんか? そんなような事を、呟いていたの聞こえましたぞ」
『うっ……』

八草の血族に利用されるのはもう嫌だ。
確かにそう言ったし、そう思っている。
しかし……。

『だ、だからって、いくらぼくでも神剣の力に対抗できるわけな……』
「できると思います」
『は、はぁ? 何を根拠に……』
「彗さん、言ってたじゃないですか、神器を失って弱っているって。神様が神器を失って力が弱まるなら、神様と離れていた神器も力が弱まるのではないのですか?」
『………………! ……あ……』

神にとって神器は力の根源。
その逆もまた然り。
彗の弱体化は体にまで影響が出ていた。
サカトキノミツルギもまた、声は聞こえるが紅静子のように人の姿に顕現しない。
と言うことは……。

『……確か、に…………いける、かも……』

神器とはいえ弱体化している状態でこの様に巨大な空間を作るのに酷使されている事を思えば、紅静子の力を最大限に発揮すればあの忌々しい八草の血族を殺せるかもしれない。
別に一晴や、神様たちを助けるつもりはないがあの一族に利用されるのは我慢ならなかった。
だから、協力するのは吝かではない。
しかしそれならば、紅静子は一晴に確認しなければならないことがある。

『………………。……どうしてまたぼくを手に取ったの? きみの目の前にはもう一振り刀があったでしょう?』
「? あれは彗さんのでは……」
『そうだけど、一時的に借りて使えば良かったじゃない。せっかくぼくの『呪い』から解放されたのに、またわざわざ『呪い』にかかるなんておかしいでしょ』
「……何を拗ねているのですか?」
『!? 別に拗ねてなんかない! ただ事実を言ってるの! なんで“ぼく”なの!? ぼくは妖刀だよ!? 人を殺すためだけに、人を呪うためだけに生まれてきて存在し続けているんだよ! 人が! 人を! 呪い殺すためだけの道具! それがぼくなの! ぼくを手にするってことは、きみが誰かを呪い殺すということなんだよ!?』

紅静子は取り憑いた人間の心に忍び込み、ゆっくりとその心を壊していく刀。
心に闇がなければ闇を生み、闇があるなら増やして染める。
眼に映る全ての人間が憎らしくなる様に心を壊して体を乗っ取る……それが妖刀『紅静子』。
好き好んで紅静子を手にする人間なんて、今まであの娘しかいなかった。

「…………静子、私は、多分あなたが思っているような人間ではありません」
『?』

目を閉じる。
そして今までの人生を振り返った。
鶴城一晴という男は、空っぽだ。
それを晒して、妖刀は何を想うだろう?
けれど己を晒さなければ信頼関係は築けない。
自分は、どうしても……どうしてもあの人が――。

「……さっき実家で見たでしょう? 私の家は叔父のせいで莫大な借金を抱えています。両親は働き詰めで、私が叔父の離婚で行き場の無くなった従姉妹たちや、生まれたばかりの弟たちの面倒を見てきました。けれど家族が増えたことで家計はどんどん苦しくなった。両親の稼ぎには限界がある。私が働くしか……ないと思ったのです」
『………………』
「……私は子どもでも高収入を得られる役者になりました。天才ではなかったので、死にものぐるいで努力をしました。自分の心を……いくらでも殺し続けて……。……いつか自分がどんな人間だったのか、思い出せなくなってしまいました」
『…………………………』

仕事で学校へは行けなくなり、友達らしい友達も作れなかった幼少期。
周りはライバルばかり。
潰し合いの戦場。
汚く、苛烈な大人の世界で子どもの心はただただ邪魔。
疲れて、磨耗して、消耗した。
死んでいく心。
分からなくなっていく自分の“意思”。
守りたかった家族の前でも自分を忘れてしまったから、彼らの望む“長男”や“兄”を演じるようになった。
そこに残ったのは“鶴城一晴”という名前の“何か”だ。

「紅静子、私は伽藍さんが欲しい。あの人に出会った時、兄として、そして演者として自らの心を殺し続けて、死んでいた心が蘇った気がしたのです。だから死んだ時に思い出しました。独りは寂しい。寂しかった。あなたも寂しかったのではありませんか? 殺し続けて、死を見続けて。あなたの、あの夢…………あなたの、前の持ち主の少女を……あなたは好きだったのでしょう? 夢に未だに見るほどには」

手を伸ばす。
一晴の弟たちより幾分大きいが、何百年も年上の刀の心に触れる。
冷たい。

『……ばかな人間…………』
「む……」
『………………。……どうしてそんなことぼくに話たの』
「……どうしてって……、……!」

冷たいのに、刀が涙を流した。
その涙は暖かい。

「………………どうせ死ぬならあなたに殺されたいと思ったんでしょうね……」

伽藍に出会ってほんの少しだけ生き返った心。
もし生きられるなら、取り戻した心に従って生きたいと思う。
そして生きられないのなら、人の心の痛みの分かる刀に殺されたい。
その刀に背負われたい。
残酷な事を言っている自覚はあるが、あの少女のようにこの刀は思い出して夢に見てくれる。

『………………ほんとに、ばかじゃないの……』
「馬鹿で結構です」
『………………。……いいよ、分かった。……この妖刀『紅静子』、おまえを今世の持ち主として認めよう。ぼくの呪い『侵蝕』は元々そん何速く進むものではないけれど、ぼくがおまえを持ち主と認めた事で更に遅くなる。おまえが寿命を全うするまで、おまえでいられるかはおまえ次第だけど。今後、おまえが斬った者にもぼくの呪いが与えられることになる。気をつけるんだね』
「? ……『侵蝕』の呪いが、ですか?」
『そう。ぼくの呪いは人の心を蝕み壊す。神の救済でも救えない。ほんの些細な切り傷でも呪いにかけることができる。それから、ぼくの妖力も少しくらいなら使わせてあげる。……ま、今回だけだと思うけど。相手は“あの八草”だしね』
「妖力とは?」
刃尾じんび影刃えいじん霧炎むえん……刃尾と影刃は見たことあるでしょ? 霧炎は妖刀の纏う妖気の霧。ぼくは『闇』と『炎』の力を持っているから、ぼくの纏う妖気を吸い続けると肺が焼ける。そのあたりのさじ加減は今のきみじゃ無理だから、ぼくがやるけど……』
「妖刀が妖刀たる所以、というやつですかな」
『まあ、そうかな。さあ、そろそろ本格的に生き返ろう。ぼくのあるじさまになったんだから上手に使ってよね』

眼前に横たわる妖刀を受け取る。
柄は紅と黒の柄巻で彩られ、鞘も黒。
柄を持って鞘から引き抜く。
ハバキに彫られているのは鼠。

『そうそう、それと、ぼくの正式な持ち主になったきみは『火』と『刃物』では死なない体になったから。何しろこのぼく……『紅派』の妖刀の所有者になったんだもん、そのくらいは覚悟してね』
「……なるほど、このハバキの鼠は火鼠でしたか」

刀身が燃える。
熱を感じないその炎に包まれると、元いた場所……サカトキノミツルギの幽閉場所に戻っていた。
辺りを渦が巻き、天井が開けている。

「これも静子の力ですか?」
『違うね、誰かが…………まぁ、一人しかいないけど……ぼくとあの神剣を一つに混ぜようとしているんだ。『光』と『水』の神剣と『闇』と『炎』のぼく…………相反するぼくと神剣を混ぜるなんて、そんなの無理に決まってるのに』
「混ぜる……? なぜそんな事を……。混ぜると何かいいことでも起きるのですか?」
『……そこの御神刀にでも聞いてみれば』

くい、と顎で神剣を差す紅静子。
淡い青い光に包まれたサカトキノミツルギがぼんやりと漂っている。
こちらもまだご無事で何よりだ。

『人の子、妖刀に認められたのですね』
「……あ、は、はい。あなたが彗さんの神器、ですよね……?」
『逆時御剣と申す。それにしてもなんという無茶を……。妖刀の『呪い』を受け入れるなど……』
「……後悔しない覚悟をしましたので。それよりお聞きしたいのですが、この渦を登っていけば出られますか?」
『我が君の気配を感じます。上にいらっしゃるようだ。どうか私もお連れください。自力では出られんのです。我が君のお側へ行くことができれば、この空間より出られましょう』
「彗さんが!? ……静子、登れますかな?」
『火炎の上昇気流を使えば余裕かな。それより御神刀も持ち出しちゃうの? ふふふ、なかなか悪い子の才能あるよねぇ、きみ♪』
「元の持ち主の方へお返しするだけですぞ! 人聞きの悪い……」

相変わらず頭の中でしか紅静子と話はできないらしい。
ともかく逆時御剣を彗へ返さねば。
なぜ上にいるのかは、上にいるだろうあの男に問えばいい。
浮かぶ逆時御剣を掴む。
特に罠のようなものはないようだ。
そのまま、紅静子の力を借りて浮上する。



「………………なぜだ……!? 先程から……フグッ……ぐぅ、まっ、全く、融合が、すす、ま、ない!」
(やはり神器を作り出すことなんて……)
(彗……頼む、目を覚ませ! 彗!)
『……………………』

顔の歪み始めた風が膝をつく。
渦の巻いた沼の中心に眠る彗は目を覚ます気配もない。
失敗だ、と一人トリシェは風の行く末を哀れんだ。

(当たり前だ。相反する属性を一つにするのには途方も無い年月をかけるか、対象となる『器』との因果が深くなければ……。相反する属性の器の融合は不可能では無いけれど、精神汚染で崩壊まで始まっている状態の人間ができる事じゃない。精神と魂の輝きで俺のエンシャイン・アヴァイメスと魔剣イクスカリバーンを融合した、優弥の『月華晩鐘』とはわけが違う!)

理屈だけでどうにかなるものではない。
壊れていく人間を見るのは辛いが、自業自得だ。
ミシミシと渦が揺れ始める。
溢れ始める水蒸気と、下からゴポゴポという噴射の前兆。

『ん? 水蒸気? なんで?』

現状を正しく疑問視したトリシェの声とほぼ同時に熱水が噴き出した。
漆黒の着物に身を包んだ一晴が、ふた振りの刀を手に飛び出して伽藍とトリシェは「えええええええ!?」と声を揃える。
飛び出したついでに渦と蓮の花の上にいた彗を救出して芝に降り立つ一晴。
膝をついていた風が見上げる。
神器を、と紅静子に促されて目を閉じる彗の手に逆時御剣を握らせた一晴は彼をそのまま横たえた。
そして状況の奇妙さに顔をしかめ、木偶と水泡に囚われた二人……というか伽藍に目付きを鋭くする。

「ありがとうございます!」
『……………………』

もはや突っ込みもない。

「ではなく! なんという御誂え向きな展開! これはもはや神の思し召しとしか言いようがありませんな! お礼を言う相手を間違えるところでした!」
『結局違うよね!? もう、真面目にやってよ!』
(い、一晴……生きていたのか……)
『…………心配してここまで損する事もなかなかないね……』
(なぜ一晴が沼の底から出てくるのだ?)
『うん、殺されたんだと思ってたんだけど、捕まってたのかな? ……それよりも、あの姿まさか……』

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