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私と魔女(1)

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 床に横たわるイングリスト様の頭を持ち上げて、膝に乗せる。
 強制的に眠らされたイングリスト様は、このままでは水も飲めずに死んでしまう。

「お願い……お願いします、魔女様! イングリスト様を巻き込むのはやめてください! 私の命を差し出します! 私にできることなら、人様の命を奪う以外ならなんでもします! だから、呪いを解いてください!」

 嫌。嫌。本当に嫌。
 私を優しく見つめてくれた瞳が、もう見れないなんて嫌。
 私の名前を優しく囁いてくれた声が、もう二度と聞けないなんて絶対に嫌。
 私のせいでこの方が死ぬなんて、私が死ぬより嫌!

「あたしを裏切って生まれてきた娘が、ずいぶん虫のいいことを言うわね」
「っ……」
「あたしは魔女よ。裏切られたら倍返し。いいえ、二度とあたしに舐めた真似をできないように、あたしという存在の恐怖をしっかりと叩き込まなきゃ。迂闊に魔女に頼みごとをしたらどうなるか、思いされてやる。あんたの父親にね!」

 怒りだ。
 夢で見た、魔女そのもの。
 彼女は私にずっと怒りと恨みを夢の中で訴え続けてきた。
 知っているわ。
 私が悪いわけでも、父が悪いわけでも、そして彼女——魔女が悪いわけでもないの。
 父は一年という約束を守るつもりだった。
 母が治り、私が一歳になったら魔女の夫になるため戻るつもりだったのだと知っている。
 どんなに幸せでも、魔女との約束だから。
 それで母の命を繋いだのだから。
 それは家族で過ごす最後の一年になるはずだった。
 魔女が、父との約束を待てなかっただけ。
 魔女がそれほどまでに父と過ごしたかったのは、きっと本当に孤独だったからだろう。
 わかる。
 たった三年でも、あの小屋で独りぼっちの生活を送った今なら。
 この魔女ひとは寂しかったのだ。
 寂しくて寂しくて、久しぶりに訪れた父にすっかり頼って心を許してしまったんだ。
 でも父に愛する女性がいると知り、父を母に返すために私に呪いをかけた。
 やり場のない、悲しみや怒りや寂しさ。
 呪いを通じて、ずっとずっと私に夢で訴えていた。

「……」
「なによ、その目は」
「っ……」
「……なんなの……なんで、あたしを! お前を呪ったあたしをそんな憐れむような目で見る!? お前はあたしを、憎んでいるはずでしょう!?」
「違う……恨んでなんて、いません。私、魔女様がずっと寂しかったのを知っています」
「!?」
「夢の中でいつも魔女様が悲しそうで寂しそうだったのを知っていたんです。でも、夢の中では話しかけることもできなくて、私、本当はずっと魔女様とお話してみたかった。けれど、私が移動すると周りの人にまで不幸が及んでしまう。岬に住むあなたに、会いにいくことも難しくて諦めてしまっていました。せっかく会えたのに……私は……また魔女様を悲しませてしまって……ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 父と同じように、私はあなたを孤独にするだけ。
 私の呪いがイングリスト様によって相殺されて、私との繋がりを感じられなくなってまた寂しくなってしまったんだろう。
 だからわざわざ会いにきて、私とまた繋がろうとした。
 この人はそういう形でしか、人と関われない。
 可哀想な人。寂しい人。孤独な人。
 私とイングリスト様、そして、この魔女。
 似ている、とても。
 似ているからこそ、私の目から溢れる涙は止まらない。

「でも、どうかイングリスト様はお許しください。この方もずっと、周りの人の幸運を吸い取ってしまうという孤独に苛まれていた方なのです。私たちと同じように、ずっとお一人で過ごされていたんです……! だから、許してください! イングリスト様だけは!」

 目を強く瞑る。
 手を組み、魔女に懇願した。
 長い沈黙のあと、魔女が動いた気配。

「無理よ」
「……!?」
「あたしにできるのは、呪いをかけることだけ。呪いを解くには女神の試練を受けて解呪の玉を得なければならないの」
「かいじゅの、ぎょく……?」

 ゆっくり目を開くと、先ほどの苛烈さを微塵も感じない魔女が立っていた。
 私が聞き返すと「そうよ」と返事までくれる。

「毒気を抜かれる娘ね。まるであたしの娘より、よほど女神のようだわ。あたしに呪われておきながら、どうしてこんなふうに育つのやら」
「魔女様……」
「ただし、呪いを解けるのは一つの玉で一つまで。お前自身に使えば周りまで不幸にする呪いは解けるが、王子に与えた眠りの呪いは解けない。そして、王子が女神に与えられた祝福は呪いではないからそのままよ。その強すぎる祝福をどうにかしたいのなら、その王子が自分の足であたしのところまで来なさい。祝福を相殺する呪いをかけてあげる」
「え! イングリスト様の『幸運』の祝福を、なんとかできるのですか!?」
「当たり前でしょ、あたしは魔女なのよ」

 イングリスト様の祝福が、直せる!
 いえ、魔女の呪いで相殺できる!
 そうか、私が今成り代わっている呪いを、直接イングリスト様にかけてもらえればイングリスト様は自由になれるんだ!

「あ、ありがとうございます! 魔女様!」
「ちゃんと手土産を持ってくるのよ。それから、あんたもちゃんと一緒に来なさい。女神の試練の“二周”はキツイと思うけど、その王子と一緒ならなんとかなるはずよ。いい? 絶対に——あたしに会いに来るのよ」
「……はい!」


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