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30話
しおりを挟む「だから家のことってよくわからなくて」
「仕込み甲斐があるだろう?」
「ええっ」
「遠慮なくこき使って覚えさせな! アンタはリオの世話があるんだから」
「うっ」
私が教えるの!?
と、も……思うけど……やってもらえると助かるのは事実!
「お待たせしました。こちらが見積もりです」
「あ、ありがとうございます!」
その時、見積もり計算に行っていた大工さんが戻ってきた。
支払額は緑の魔石で十分事足りそう。
よかった。
「では、今週中に配送します」
「よろしくお願いします」
ここの大工さんはマチトさんの知り合いで、家具屋さんに卸さずご自分で販売も行っている。
オーダーメイドでお高いと思いきや、今回はオーダーでなく既成デザインを選んで在庫を販売してもらえることになった。
だから今週中に、椅子やテーブルは揃いそう。
ありがたい。
その後食器や小物なども揃え、配送待ちとなり帰宅の途に着く。
なんというか、決めてからあっという間だった。
「メニュー表も作っておくんだよ」
「はい!」
「明日は引っ越しだな。そういえば、お前さんの部屋の家具とか着替えなんかは買ってあるのか?」
「あ」
「なんだい、アンタ、カフェの方ばっかりに気を取られて自分たちのことは忘れてたのかい!」
「す、すみませんっ」
なんということでしょう。
自分の生活スペース——二階の空き部屋を借りることになっている——を、作るのを忘れていた!
「こりゃ明日も買い物だな」
「はっはっはっ! ドジだねぇ! まあ、それでこそティータって感じだけどねぇ! 緑の魔石はまだ二つも残ってるんだろう? 間に合う間に合う!」
「は、はい。すみません……」
マチトさんとアーキさんに両肩を柔らかく叩かれながら、己の迂闊さにまた俯く。
もう、私、本当目先のことばかりで……ぁぁぁあああぁ。
「ティータ、リオのものはどうするの? これから大きくなるんだし、リオの部屋も今から少しずつ準備しておいたほうがよくない?」
「ぁぁぁぁぁぁ」
「んじゃあ明日はティータとリオ、あとコルトの生活用品だね。ひとまず寝床! あとは着替えだろう。足りないもんは一つずつ買い足していきゃいい。なくて困るものはうちのを貸し出すからさ」
「あ、ありがとうございます、アーキさんっ」
オーガのアーキさんが女神にしか見えなくなってきた。
後光が射している……!
「私本当に至らないですね……」
「はっはっはっ! いいんだよ、いいんだよ! 最初に見た時は死にそうな顔して笑顔もなくて、そんなアンタがやりたいことを見つけて生きるのに前向きになってるんだ。それ以上のモンなんざありはしないよ!」
「……っ」
頭をぽんぽん優しく叩かれ、言われてみれば私のこれまでの人生ほとんど泣いてばかりだったと思い出す。
毎日泣いて、人生を儚んでいた。
まだ十代半ばの『アンジェリカ・トイニェスティン』は、生まれてすぐに母親から見放され、『異界の子』を授かって父の進めていた婚約話を破綻にし、厄介者となる。
厄介者は誰からも疎まれ、迷惑がられて嫌われた。
優しい兄だけは味方でいてくれたけれど、結局は国から捨てられてしまう。
——リオハルトさえ、生きていてくれれば。
多分、もうお父様に捨てられる直前の私はそうして自分の命を諦めて、誰かにリオ人を託すことばかり考えていた気がする。
今思えば無責任。
けれど、自分が生きる未来が想像できるほどの余裕もなくて。
未来あるこの子に、私は足手まとい。
この子を育てたいけれど、なによりもまず、この子を生かさなければと。
……でも、この国に来てからはこの子の面倒をみんなが見てくれて、自分の時間が少しずつできて……私は“私”を少しずつ取り戻した。
自分の、やりたいことを思い出せた。
好きなもの。憧れ。夢。
頭の片隅にも残らず忘れ去っていたそれを、私は取り戻せたのだ。
「……私、この国に来れて本当によかったです」
明日が来るのが、楽しみ。
そう思える。
足りない自分をフォローしてくれる人がこんなにいる。
幸運だ。
本当に運がいい。
「それじゃあ、今夜もうちに泊まって明日本格的に引っ越しだね!」
「今夜はたくさん食べて早めに寝なさい」
「はい!」
「ルイ、アンタは少し二階の部屋片付けときな」
「うっ。わ、わかったよ」
「キッ、キッ、キキキッ」
「ふふふ」
アーキさんとマチトさんはルイのお母さんとお父さんみたい。
けれど、そんなあたたかな空気に……私も包まれている。
私もこの二人の娘みたい。
お母さん。
お父さん。
顔も上手く思い出せない、私の生母。
私を「用済みだ」と言って憎む父。
“アンジェリカ・トイニェスティン”の両親には、かけらもない空気。
ただ道を歩いているだけで幸せな“今”。
その夜、アーキさんとマチトさんの手料理をお客さんやルイ、コルトと食べながら明日のことを話す。
リオのことはお客さんや従業員さんが我先にと世話を申し出てくれている。
目の届くところでお世話してくれるから不安もない。
人の笑い声、笑顔に満ちた食事も……“アンジェリカ・トイニェスティン”として生まれて初めて。
そのことに気づいたら、こっそり涙が出た。
笑い泣きだと、ごまかしながら夜は耽る。
また、明日。
頑張ろうと思える。
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