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第二章:竜の名は
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一方、客間を追い出された側はといえば、さっさと台所で作業を開始していた。
「消化に良いって言ったら、やっぱりこれだよね」
独り言をもらすリーゼの前では、二つのなべが湯気を上げている。ひとつは炊いた米と牛乳、あと塩を少々いれたもの。もう片方は干した果物を湯で戻し、蜂蜜を加えてあった。
いわゆる牛乳粥、ロルベーア周辺でよく知られる家庭料理だ。大抵は主食として、時にはデザートとしても食され、もちろん具合が悪いときの滋養食にもなる。味は各家庭で微妙に異なるが、牛乳で米を煮ること、付け合わせの甘いソースとは別々に作って好みで調節することなどが共通している。
実はリーゼ、この粥が大好きなのである。出来れば毎日でも食べたいくらいなのだが、もうひとりの家人であるところの父が甘いものを好まないので涙をのんであきらめている次第だ。だから今、堂々と料理出来るのがちょっぴり嬉しかったりする。
男の子だし、たくさん食べるかもと思って多めに作ってあるが、足りるだろうか。もし余ったら自分もいっしょに食べよう。それで、今度こそちゃんと話が出来たらいいなと思う。
程よく煮立ってきたので、火を止めて調理用ストーブから下ろす。粥にバターを一かけ入れてフタをし、ソースの方にはコーンスターチを水で溶いたものを加えてひと混ぜ。柔らかくなった果物と、蜂蜜の甘い香りがただよう。……なんだかお腹が減ってきた。そういえば、起きてから水も口にしていないのだ。
「……うーん。味見はしないとだし……じゃあ、ちょっとだけ」
結局、好物の誘惑には勝てない。いそいそと自分用の皿を出していると、家の奥から聞き覚えのある足音が聞こえた。慌ただしく階段を降りて玄関の方向へ直進していく。
「父様?――て、うわあっ」
あんなに足音たてるなんて珍しい、と、戸口から顔を出せば、ちょうどこちらに向かってきた父とはち合わせた。外出用のマントを羽織りながら、すさまじい勢いで廊下を闊歩していたベルンハルトが、今気づいたという風情で声をかけてくる。……この分じゃあ、叫ばなかったら気づかずはね飛ばされていたかもしれない。
「すまん、急用が出来たので少し出てくる。家のことは頼むぞ。……それから」
「はい」
「あのドラゴンがここから出ようとしたら、何が何でも止めろ。素直に従わなかったらいっそ殴ってもかまわん」
「……はい?」
頬をひきつらせたこちらの肩に手をおいて、物騒なことを至極真剣に言い渡すと、返事も待たずにきびすを返して立ち去っていく。後に残されたリーゼは呆然とするしかない。
確かに隊長職というのは忙しいものだが、だからってあんなに焦って余裕のないところは初めて見た。よっぽどの大事が起こったとみるべきか、はたまた単にいろいろありすぎて疲れているだけなのか……
「……他の人を吹っ飛ばさないといいんだけど」
まだぼーっとしたままつぶやいていると、ふいに二階からどすん、と大きな物音がした。とっさに天井を見上げて、そういえば真上は客間だったと思い至る。一瞬沈黙が落ちたが、すぐさまばたばたとあわただしい足音が階段にまわって下に降りてきた。
「――すっ、すいません!」
なにやら血相を変えて、右肩を押さえながらやってきたのはくだんのドラゴンだ。若干ふらつきながらも台所までたどり着き、条件反射で身をすくめたリーゼに向かって、
「あの、さっきの人は?」
「え、えーっと、うちの父様? 髪が黒くて背の高い」
「そう、たぶんその人! もう出ていった?」
「あ、うん、たった今。なんか急用が出来た、って」
「あ゛あぁ~~~~……」
言い回しを考えている暇もない。反射的に事実だけを伝えると、青年ががっくりとうなだれてしまった。そのまま床に座り込んで動かなくなる。
「うわ、どうしたの!?」
「迷惑かけたくなかったのに~……」
あまりの脱力ぶりにびっくり仰天したリーゼが悲鳴を上げてもお構いなしだ。頭を抱えてぶつぶつ言っている光景は、はっきり言ってちょっとだけ不気味である。
何があったか知らないが、このままへたり込ませていては体に悪い。春になったとはいえこの時間帯、火の気のない廊下は結構冷えるのだ。
「……あのう、おなか空いてない?」
内心おっかなびっくりで声をかければ、ひざに顔を埋めるようにしていたドラゴンはどうにかこちらを向いてくれた。途方に暮れたような黄金の瞳を前にして、思わず視線が逃げそうになるのを全力で踏みとどまる。頑張れ、私!
「今ね、お粥作ったとこなんだ。ずっと何も入れないと身体に悪いし、よかったら食べてほしいな。どう?」
今にも身体を乗っ取りそうになるアレルギーと戦いながら、にっこり笑って話しかける。そんな努力が伝わったか、はたまた単に空腹からか。相手はゆるゆると一回瞬きをして、視線を合わせるリーゼをちゃんと正面からとらえてくれた。同時に、こわばっていた頬に照れくさそうな微苦笑が浮かぶ。
「……うん、ありがとう。いただきます」
いくらか落ち着きを取り戻した声での返答に、心の底からほっとしたのは言うまでもない。
「消化に良いって言ったら、やっぱりこれだよね」
独り言をもらすリーゼの前では、二つのなべが湯気を上げている。ひとつは炊いた米と牛乳、あと塩を少々いれたもの。もう片方は干した果物を湯で戻し、蜂蜜を加えてあった。
いわゆる牛乳粥、ロルベーア周辺でよく知られる家庭料理だ。大抵は主食として、時にはデザートとしても食され、もちろん具合が悪いときの滋養食にもなる。味は各家庭で微妙に異なるが、牛乳で米を煮ること、付け合わせの甘いソースとは別々に作って好みで調節することなどが共通している。
実はリーゼ、この粥が大好きなのである。出来れば毎日でも食べたいくらいなのだが、もうひとりの家人であるところの父が甘いものを好まないので涙をのんであきらめている次第だ。だから今、堂々と料理出来るのがちょっぴり嬉しかったりする。
男の子だし、たくさん食べるかもと思って多めに作ってあるが、足りるだろうか。もし余ったら自分もいっしょに食べよう。それで、今度こそちゃんと話が出来たらいいなと思う。
程よく煮立ってきたので、火を止めて調理用ストーブから下ろす。粥にバターを一かけ入れてフタをし、ソースの方にはコーンスターチを水で溶いたものを加えてひと混ぜ。柔らかくなった果物と、蜂蜜の甘い香りがただよう。……なんだかお腹が減ってきた。そういえば、起きてから水も口にしていないのだ。
「……うーん。味見はしないとだし……じゃあ、ちょっとだけ」
結局、好物の誘惑には勝てない。いそいそと自分用の皿を出していると、家の奥から聞き覚えのある足音が聞こえた。慌ただしく階段を降りて玄関の方向へ直進していく。
「父様?――て、うわあっ」
あんなに足音たてるなんて珍しい、と、戸口から顔を出せば、ちょうどこちらに向かってきた父とはち合わせた。外出用のマントを羽織りながら、すさまじい勢いで廊下を闊歩していたベルンハルトが、今気づいたという風情で声をかけてくる。……この分じゃあ、叫ばなかったら気づかずはね飛ばされていたかもしれない。
「すまん、急用が出来たので少し出てくる。家のことは頼むぞ。……それから」
「はい」
「あのドラゴンがここから出ようとしたら、何が何でも止めろ。素直に従わなかったらいっそ殴ってもかまわん」
「……はい?」
頬をひきつらせたこちらの肩に手をおいて、物騒なことを至極真剣に言い渡すと、返事も待たずにきびすを返して立ち去っていく。後に残されたリーゼは呆然とするしかない。
確かに隊長職というのは忙しいものだが、だからってあんなに焦って余裕のないところは初めて見た。よっぽどの大事が起こったとみるべきか、はたまた単にいろいろありすぎて疲れているだけなのか……
「……他の人を吹っ飛ばさないといいんだけど」
まだぼーっとしたままつぶやいていると、ふいに二階からどすん、と大きな物音がした。とっさに天井を見上げて、そういえば真上は客間だったと思い至る。一瞬沈黙が落ちたが、すぐさまばたばたとあわただしい足音が階段にまわって下に降りてきた。
「――すっ、すいません!」
なにやら血相を変えて、右肩を押さえながらやってきたのはくだんのドラゴンだ。若干ふらつきながらも台所までたどり着き、条件反射で身をすくめたリーゼに向かって、
「あの、さっきの人は?」
「え、えーっと、うちの父様? 髪が黒くて背の高い」
「そう、たぶんその人! もう出ていった?」
「あ、うん、たった今。なんか急用が出来た、って」
「あ゛あぁ~~~~……」
言い回しを考えている暇もない。反射的に事実だけを伝えると、青年ががっくりとうなだれてしまった。そのまま床に座り込んで動かなくなる。
「うわ、どうしたの!?」
「迷惑かけたくなかったのに~……」
あまりの脱力ぶりにびっくり仰天したリーゼが悲鳴を上げてもお構いなしだ。頭を抱えてぶつぶつ言っている光景は、はっきり言ってちょっとだけ不気味である。
何があったか知らないが、このままへたり込ませていては体に悪い。春になったとはいえこの時間帯、火の気のない廊下は結構冷えるのだ。
「……あのう、おなか空いてない?」
内心おっかなびっくりで声をかければ、ひざに顔を埋めるようにしていたドラゴンはどうにかこちらを向いてくれた。途方に暮れたような黄金の瞳を前にして、思わず視線が逃げそうになるのを全力で踏みとどまる。頑張れ、私!
「今ね、お粥作ったとこなんだ。ずっと何も入れないと身体に悪いし、よかったら食べてほしいな。どう?」
今にも身体を乗っ取りそうになるアレルギーと戦いながら、にっこり笑って話しかける。そんな努力が伝わったか、はたまた単に空腹からか。相手はゆるゆると一回瞬きをして、視線を合わせるリーゼをちゃんと正面からとらえてくれた。同時に、こわばっていた頬に照れくさそうな微苦笑が浮かぶ。
「……うん、ありがとう。いただきます」
いくらか落ち着きを取り戻した声での返答に、心の底からほっとしたのは言うまでもない。
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