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リビングのソファで。毛布で簀巻きにした弟を抱いて、僕は震えていた。
「すごい熱だね……ずっと具合悪かったの? ごめんね……気が付かなくて」
体温計は壊れているのか、何度計っても“Error”になるばかり。
額に冷えピタを貼り、氷嚢を赤く熱った頬にくっつける。
温めるべきか冷やすべきかも分からず、体には貼るホッカイロを護符の如く貼り付けていた。
「お母さん、まだかな。救急車、呼んだ方がいいのかも……どうしよう」
広いリビングで苦しがる幼い弟と二人きり。
不安にかられ、ついスマホを手に取る。
通話履歴を確認すると、母に電話したのは46分前。
もう一度電話しようか、それとも——
「……先生なら、すぐ来てくれるかな」
履歴にある番号をタップしかけた時、ガチャリ、とリビングの扉が開いた。
「——お母さん!」
「ねー、あそこガソリンスタンドの前、いつまで工事中なの? 朝マック買おうかと思ったけど、諦めてコンビニで済ませちゃった」
「あの……陽一さん、これ良かったら……」
母のあとから、余計な地縛霊まで現れる。
差し出されたお惣菜入りの紙袋を無視して駆け寄り、母の腕を引く。
「朝ねっ、起きたら、すごい熱だったの……っ。昨日も食欲なかったのに、すぐ寝ちゃったから。僕、なにも気付かなくて……。テーブルに保険証と、あと学校の連絡帳と、グミと恐竜のソフビは準備したけど。それで、ここ!この小児科10時からだから、今から行けばすぐ診てくれるかも……!あそこの病院は近いけど、8時からだから、もう混んじゃってるよね?!」
スマホで検索した病院を見せながら、ルートを確認する。
けど、母はというと、
「それより、いただいたオカズ、冷蔵庫にしまったら? 美味しいわよ、おでんとメンチカツ」
いつものように家に届いたDM の確認し、僕のスマホなど見向きもしなかった。
「上の紙箱はドーナツで、今朝の揚げたてよー? おから入りで美味しいから、コーヒーでも淹れて、すぐ食べちゃって? お母さん達は、すぐ出掛けるから」
「……出掛けるって、病院でしょ? 僕も一緒に行くよ」
「え? いいからいいから。お兄ちゃんは家で待ってなさい。病院もかかりつけに行くし。もう連絡しておいたから」
「かかり、つけ」
僕はルート検索までしたスマホを握りしめ、立ち尽くした。
「最近あの子、また定期検診で通院してたの。多分、知恵熱みたいなものだと思うから、心配しないで。貴方は家に居て頂戴ね」
「でも」
母親よりも多くの日々を過ごし、弟を理解しているつもりだった。
なのに、かかりつけ医があることも、また病院通いをしていることも知らず、挙句、このザマである。
チラリと弟の方を見遣り、
「その、かかりつけの病院って、どこ? またこんな事があったら困るし。持病があるなら、僕も知りたい。日常生活で気をつけなきゃいけない事もあるかもしれないから……病院、僕も一緒に行っちゃ、駄目?」
「……いいから。病院のことはお母さんに任せてよ。陽一は家で大人しくしていて。お願いね」
「そんな、大人しく、って」
「……わかるでしょ? お母さんの言ってる意味が」
そう言ったきり、僕をじっと見つめる母。
母は不都合があると、こうして僕を黙らせてきた。
勿論、今回は僕の方に不都合があり、つい目が泳いでいた。
(もしかして、本当に、先生と隠れて会ってるの、知ってる、とか。いやでも……まさか)
心あたりがありすぎて胸がざわめく。
しかし、もしもそれを知っていて、なお、放置してるなら——
僕のことなど、もう、この人には関係ない話、なのだろう。
(別に、今に始まったことじゃないじゃないか。再婚したときから、お母さんは……僕のお母さんを、やめたんだから)
そうは思えど、僕の“母親役”を放棄した人に対し、今更に沸々と怒りがわいてくる。
「じゃあ、お母さん達、夕方には戻るから。家にちゃんと居てあげてね。しずー、今から病院だからねー。やだ何これ、やりすぎでしょ」
簀巻きにした毛布はむかれ、護符もベリベリと剥がされる。
テーブルに用意した病院グッズは、要らないDMやホッカイロと一緒くたになり、ただのゴミ山になっていく。
「………」
「陽一さん、あの」
ゴミ同様に無用扱いされた僕を気遣ってくれるのは、またしても地縛霊だった。
「お母さんは、あなたに心配かけたくないだけなの……ああいう人だから……ごめんね」
何故、無関係の女が、母の息子である僕に対して謝るのか。
女が持ってきたドーナツの甘ったるい香りが、余計にイライラさせた。
「お坊ちゃまは、いつまで甘えてるのかしらね~? 嫌われちゃいますよ~?」
揶揄われた弟は気怠げに起き上がり、母に抱っこを求めた。
そんな、僕ではなく母にヒシとしがみつく、弟の姿に。
僕を支えていた何かが、音を立てて崩れ落ちていく。
(そうだ……。ずっと僕だけが、この家の異分子で、偽物の家族だったじゃないか。誰からも愛されない存在で、あの人すらも——)
崩れた足元から黒い影が忍び寄り、僕の体に絡みつく。
『陽くん』『可愛いね』『陽一』『上手だね』『こっちおいで』
——『この、ジャンクが』——
耳にこびりつく、怨念のような義父の声。
腹の奥から突き上げられるような鈍痛と吐き気をもよおして、「うっ」と口を押さえた。
「陽一さん……?」
肩に触れた女の手を、反射的に、加減もせずに振り払っていた。
「キャッ」
小さな悲鳴とともに、いとも容易く床に倒れる女。
そして持っていた紙袋の中身が、見事なまでに散乱してしまっていた。
「ぁ………」
「ちょっとっ、何やってるのよ、陽一!」
すっ飛んできた母親が、倒れた女を抱きしめる。
そしてキッと僕を睨みつけ、
「……謝りなさい。なんてことするのよ」
「違うんです……! 私が、勝手に滑って転んでしまって」
僕を庇おうとする女を見下ろし、霊障なのか、申し訳なさなのか、体が震えていた。
けど、珍しく感情的な母親を前にすると、僕までいつになく感情的になっていた。
「……は。あんた、に、道徳を説く権利があるのかよ。僕が、新しいお父さんに何をされても、見てみぬフリしてたくせに。一度も、助けてなんかくれなかったじゃないか」
「………」
「僕が邪魔なんでしょ。……いいよ、もう。僕、この家、出ていく。三人で、仲良く、ここで暮らせば」
「よ、陽一さん……!」
この後に及んで、諫めようとするのは他人の女で。
母は僕をじっと見つめるだけだった。
「……おかず、台無しにしてごめんなさい。いつも、美味しかったです。弟のこと……よろしくお願いします」
初めて地縛霊と向き合い、頭を下げた。
そのまま激甚的に居心地の悪くなった空気から逃げ出そうとする僕に、
「よういち!」
振り返るとソファから転げ落ちた弟が。
僕にむかって、小さな手を必要に伸ばしていた。
「——……っ」
「いかないで、おいていかないでぇ……ッ」
悲痛な叫び声に、禿げ上がりそうなほどに後ろ髪が引かれ、逃げ足も止まりそうなる。
でも、
「——ばいばい、惺。……元気でね……っ」
他人の前で大見得と啖呵をきった手前、引き返すわけにはいかない。
家庭の空気を崩壊させたバツの悪さと、男の体面や兄の尊厳、そして母への反抗期が。
一気に溢れ出し、可愛い弟の涙すらも振り切って。
僕はついに、この家から飛び出していた——
リビングのソファで。毛布で簀巻きにした弟を抱いて、僕は震えていた。
「すごい熱だね……ずっと具合悪かったの? ごめんね……気が付かなくて」
体温計は壊れているのか、何度計っても“Error”になるばかり。
額に冷えピタを貼り、氷嚢を赤く熱った頬にくっつける。
温めるべきか冷やすべきかも分からず、体には貼るホッカイロを護符の如く貼り付けていた。
「お母さん、まだかな。救急車、呼んだ方がいいのかも……どうしよう」
広いリビングで苦しがる幼い弟と二人きり。
不安にかられ、ついスマホを手に取る。
通話履歴を確認すると、母に電話したのは46分前。
もう一度電話しようか、それとも——
「……先生なら、すぐ来てくれるかな」
履歴にある番号をタップしかけた時、ガチャリ、とリビングの扉が開いた。
「——お母さん!」
「ねー、あそこガソリンスタンドの前、いつまで工事中なの? 朝マック買おうかと思ったけど、諦めてコンビニで済ませちゃった」
「あの……陽一さん、これ良かったら……」
母のあとから、余計な地縛霊まで現れる。
差し出されたお惣菜入りの紙袋を無視して駆け寄り、母の腕を引く。
「朝ねっ、起きたら、すごい熱だったの……っ。昨日も食欲なかったのに、すぐ寝ちゃったから。僕、なにも気付かなくて……。テーブルに保険証と、あと学校の連絡帳と、グミと恐竜のソフビは準備したけど。それで、ここ!この小児科10時からだから、今から行けばすぐ診てくれるかも……!あそこの病院は近いけど、8時からだから、もう混んじゃってるよね?!」
スマホで検索した病院を見せながら、ルートを確認する。
けど、母はというと、
「それより、いただいたオカズ、冷蔵庫にしまったら? 美味しいわよ、おでんとメンチカツ」
いつものように家に届いたDM の確認し、僕のスマホなど見向きもしなかった。
「上の紙箱はドーナツで、今朝の揚げたてよー? おから入りで美味しいから、コーヒーでも淹れて、すぐ食べちゃって? お母さん達は、すぐ出掛けるから」
「……出掛けるって、病院でしょ? 僕も一緒に行くよ」
「え? いいからいいから。お兄ちゃんは家で待ってなさい。病院もかかりつけに行くし。もう連絡しておいたから」
「かかり、つけ」
僕はルート検索までしたスマホを握りしめ、立ち尽くした。
「最近あの子、また定期検診で通院してたの。多分、知恵熱みたいなものだと思うから、心配しないで。貴方は家に居て頂戴ね」
「でも」
母親よりも多くの日々を過ごし、弟を理解しているつもりだった。
なのに、かかりつけ医があることも、また病院通いをしていることも知らず、挙句、このザマである。
チラリと弟の方を見遣り、
「その、かかりつけの病院って、どこ? またこんな事があったら困るし。持病があるなら、僕も知りたい。日常生活で気をつけなきゃいけない事もあるかもしれないから……病院、僕も一緒に行っちゃ、駄目?」
「……いいから。病院のことはお母さんに任せてよ。陽一は家で大人しくしていて。お願いね」
「そんな、大人しく、って」
「……わかるでしょ? お母さんの言ってる意味が」
そう言ったきり、僕をじっと見つめる母。
母は不都合があると、こうして僕を黙らせてきた。
勿論、今回は僕の方に不都合があり、つい目が泳いでいた。
(もしかして、本当に、先生と隠れて会ってるの、知ってる、とか。いやでも……まさか)
心あたりがありすぎて胸がざわめく。
しかし、もしもそれを知っていて、なお、放置してるなら——
僕のことなど、もう、この人には関係ない話、なのだろう。
(別に、今に始まったことじゃないじゃないか。再婚したときから、お母さんは……僕のお母さんを、やめたんだから)
そうは思えど、僕の“母親役”を放棄した人に対し、今更に沸々と怒りがわいてくる。
「じゃあ、お母さん達、夕方には戻るから。家にちゃんと居てあげてね。しずー、今から病院だからねー。やだ何これ、やりすぎでしょ」
簀巻きにした毛布はむかれ、護符もベリベリと剥がされる。
テーブルに用意した病院グッズは、要らないDMやホッカイロと一緒くたになり、ただのゴミ山になっていく。
「………」
「陽一さん、あの」
ゴミ同様に無用扱いされた僕を気遣ってくれるのは、またしても地縛霊だった。
「お母さんは、あなたに心配かけたくないだけなの……ああいう人だから……ごめんね」
何故、無関係の女が、母の息子である僕に対して謝るのか。
女が持ってきたドーナツの甘ったるい香りが、余計にイライラさせた。
「お坊ちゃまは、いつまで甘えてるのかしらね~? 嫌われちゃいますよ~?」
揶揄われた弟は気怠げに起き上がり、母に抱っこを求めた。
そんな、僕ではなく母にヒシとしがみつく、弟の姿に。
僕を支えていた何かが、音を立てて崩れ落ちていく。
(そうだ……。ずっと僕だけが、この家の異分子で、偽物の家族だったじゃないか。誰からも愛されない存在で、あの人すらも——)
崩れた足元から黒い影が忍び寄り、僕の体に絡みつく。
『陽くん』『可愛いね』『陽一』『上手だね』『こっちおいで』
——『この、ジャンクが』——
耳にこびりつく、怨念のような義父の声。
腹の奥から突き上げられるような鈍痛と吐き気をもよおして、「うっ」と口を押さえた。
「陽一さん……?」
肩に触れた女の手を、反射的に、加減もせずに振り払っていた。
「キャッ」
小さな悲鳴とともに、いとも容易く床に倒れる女。
そして持っていた紙袋の中身が、見事なまでに散乱してしまっていた。
「ぁ………」
「ちょっとっ、何やってるのよ、陽一!」
すっ飛んできた母親が、倒れた女を抱きしめる。
そしてキッと僕を睨みつけ、
「……謝りなさい。なんてことするのよ」
「違うんです……! 私が、勝手に滑って転んでしまって」
僕を庇おうとする女を見下ろし、霊障なのか、申し訳なさなのか、体が震えていた。
けど、珍しく感情的な母親を前にすると、僕までいつになく感情的になっていた。
「……は。あんた、に、道徳を説く権利があるのかよ。僕が、新しいお父さんに何をされても、見てみぬフリしてたくせに。一度も、助けてなんかくれなかったじゃないか」
「………」
「僕が邪魔なんでしょ。……いいよ、もう。僕、この家、出ていく。三人で、仲良く、ここで暮らせば」
「よ、陽一さん……!」
この後に及んで、諫めようとするのは他人の女で。
母は僕をじっと見つめるだけだった。
「……おかず、台無しにしてごめんなさい。いつも、美味しかったです。弟のこと……よろしくお願いします」
初めて地縛霊と向き合い、頭を下げた。
そのまま激甚的に居心地の悪くなった空気から逃げ出そうとする僕に、
「よういち!」
振り返るとソファから転げ落ちた弟が。
僕にむかって、小さな手を必要に伸ばしていた。
「——……っ」
「いかないで、おいていかないでぇ……ッ」
悲痛な叫び声に、禿げ上がりそうなほどに後ろ髪が引かれ、逃げ足も止まりそうなる。
でも、
「——ばいばい、惺。……元気でね……っ」
他人の前で大見得と啖呵をきった手前、引き返すわけにはいかない。
家庭の空気を崩壊させたバツの悪さと、男の体面や兄の尊厳、そして母への反抗期が。
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