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六話
「錦屋って、あの錦屋かい?」
「見物料に反物でも売りつけてきそうだねえ」
「ああ、また面倒になりそうだ」
当然誰もが、錦屋の大旦那が乗り込んでくるのだと、眉を顰めた。
錦屋長兵衛という男は、なかなかに嫌われ者であった。
過剰な売掛金を悪どく取立て、その家に若い娘が居れば手籠にし、飽きれば遊郭に流す。
店先で丁稚に折檻するのも日常茶飯事で、見た目も蝦蟇そっくりの人畜生である。
当然誰もが蝦蟇旦那を思い浮かべ、顔を顰めていた。
——が、
「この度は私共の家の不始末で、世間様をお騒がせし、誠に申し訳ございません」
お白洲に現れたのは蝦蟇とは似ても似つかぬ、目元涼やな凛々しい青年であった。
青年はすぐさま膝をつき、群衆に向かい、深々と頭を下げていた。
「手前は錦屋長兵衛の子、千代松にございます」
「子……息子……?」
平伏して尚、堂々たる品格を備えた青年。
大店の後継ぎには不足ないが、錦屋には娘しか居ないはずだった。
故に遠縁の番頭が、後継者と広く世間に知られていた。
しかし、誰かがボソリと、
「修学の為、どこぞに留学していた長男がいたような」
そう呟けば、皆一同に「ああ」と。不思議と合点していた。
加えて縛につく罪人こそが、この青年の素性を明らかにするのであった。
「若様」
その背を見つめて、暫し、ぽかんと呆けていた罪人。
だが、その瞳には見る間に潤み、頬に紅まで差していく。
ついには乱れた己の身なりを恥じつつ、青年に倣い、座して頭を下げるのだった。
そんな姿に、皆一同に「ああ」と。不思議と合点していた。
罪人が恋焦がれていたのは、一人娘などではなく。
この青年なのだと。
「錦屋千代松、此度の騒動を末代までの恥とし。急ぎ遠方より戻りまして先刻、店を始め家財一式。財産の全てを御上に返上して参りました」
「返……」
青年の口上に、皆一同に「ああ」と。不思議と合点していた——
はずもなかった。
なんと、この若旦那は当代きっての馬鹿旦那なのか。
贅の限りを尽くした大店も、借金のカタに取り押さえた宝物を納めた大蔵の数々も。
全て手放してきたというのである。
群衆は開いた口が塞がらず。
境内は終ぞ、野次も冷やかしもなく、鎮まりかえっていた。
「その代わりとして。御上の恩情により、私めがこの者の最後の仕置人となりました。私にはもう財もなく、我が身の他には、この者しかおりませぬ。故にどうか、皆々様、お慈悲を下さいませ。この者の罪を、愚かな私めに免じて何卒、何卒、お赦しください」
「うぅ……お許し、くださいませぇ……」
誰もが羨む家業の全てを捨ててまで、罪人を庇う大店の若旦那。
罪人もまた、涙ながらに犯され続けた体を震わせ、玉砂利に額を擦り付けていた。
この二人こそ真の恋仲であり、姦通罪など無実の咎でしかないのである、と。
雲間から照らす月明かりが、お白洲に真実を照らし出していた。
すると不思議な事に、どうにも治らなかった邪な欲が、群衆から消えていくのであった。
「こんなところでダラダラ油を売って、俺達ァどうかしてたな」
「確かにそうだ。一銭にもならねぇ、腹も膨れねぇ、家帰って寝てた方がマシってもんだ」
憑き物が取れたかのように、一人、また一人と正気を取り戻していく。
「こんなお白洲、端からおかしいと思ってたんだよ。あの娘、嘘吐きの高慢ちきだったからね」
「あーあ、野次馬なんて野暮は終いだ。酒でも飲みに行こうぜ」
「あんたはさっさとお帰りよ。腹の膨れたカカァが寝ずに帰りを待ってんだから」
「ちげぇねえ」
犯せ、泣かせろと嗾けていた見物人が、真っ当に帰路につく。
その去り際に誰かが、ヒョイと枝に手拭いを掛けた。
少しでも憐れな二人を人目に晒してやるまいという、心遣いだった。
それを真似る者が後に続き、辺りの雑木林は手拭いで埋め尽くされていく。
手拭いがなければ腰帯を羽織をと。
更には出店の暖簾やのぼり、どこぞの坊やの陣幕までも、お白洲を覆い隠していった。
憐れな無実の罪人と、その恋しい相手。
睦み合う二人の姿からは、月すらも遠慮し身を隠す。
次第に互いの唇と舌が、手と足も絡ませ、体を繋げた。
絶え間なく漏れる熱い吐息が、薄霧となり。
更には夜の闇までもが、優しく二人の姿を覆い隠していくのであった。
こうして、たった二人きりのお白洲で。
百度目の責めは、いつまでもいつまでも。互いに飽く事なく、続くのであった——
◆
「それ、ただのエロ本じゃないの」
都心の小洒落たカフェテラスで、女は顔を顰めた。
青々とした葉を茂らせ、狭い空をさらに覆う都会の木々には、当然、手拭いの一つも見当たらない。
木漏れ日が落ちるテーブルには、古文書のコピーが置かれていた。
「いや、だから古い土蔵で見つかった古文書なんだって。けどまぁ、相手は歴史的な文献だと盲信してるから言い難いんだよね。わりと猥本ですよって」
「そのボンボンと奉公人は、その後どうなったの? ボンボンじゃあ、突然農家に転職なんて無理だろうし」
その時ちょうど、ウェイターがやってくる。
「お待たせしました。こちら、こんがりキツネのハニートーストセットと、白狐のふわふわパンケーキセットになります」
「わあ、かわいい~」
「どうぞ写真も撮って下さいね。シェフも喜びますので」
「え~、お兄さんも可愛いから撮ってもいいですか?」
「あはは、僕はちょっとNGですね。シェフに怒られますので」
「ざんねーん」
目の前のティーセットにカメラを向けながらも、去り行くウェイターに視線を向ける。
「やばい、顔つよぉ」
「圧強すぎて、こっちの顔面が減り込むところだったわ」
「なんかもう猥談のせいでシェフとウェイターの絡みしか思いつかん」
「わかるー」
映え写真を撮りながら、さらに猥本の話を続けた。
結局、若旦那と奉公人は街から姿を消した。
お取り潰しとなった錦屋は、一夜にして伽藍堂と化す。
大店の栄耀栄華は夢が幻だったかのように、朝方には廃墟同然と成り果てていたのである。
更には夜毎、大旦那の悲鳴や呻き声が聞こえると恐れられ、心霊スポットにまでなったとか。
「あくる日の早朝ね。なんにも知らない旅人が境内を歩いていたら。まあ、手拭いだらけの雑木林に驚くわけよ。それで、変だな~変だなあ~と歩いていくとぉ」
「確かに淳二案件だわ」
「なんと仲良く番う、二匹の白狐を見たっていうの」
「お、ケモ要素?」
「狐は旅人に気付くと、お山の方へ、更には天高く昇っていきましたとさ~どんどん。とまあ、神様的な? 人の世で迷子になっていた番を、天帝が迎えに来たんじゃないか。(注)諸説ありますよ?的な終わりなんだ」
「神々は大抵ドスケベだからね。ふーん、その舞台ってどこ? 江戸?」
「場所は諸説ありますよ? でも、それっぽいとこ見つけたんだよね~。縁結びの神様らしいんだ」
「え、いいね! 行こうよ聖地巡礼」
「お、行く?」
「行く行くー。てかそれ、なんてエロ同人誌なのよ」
「いや、だから古文書だから」
不思議と客足の少ない都心のカフェテラスで、つい猥談に花を咲かせていた。
こんな小春日和に、人の世で、ひっそりと。
番の狐が、性懲りも無く人に化けたりなんかして。
今も何処かで、仲良く戯れているのかもしれない、と。
そんな話をしながら、旅の計画を立てるのだった。
——傾国の罪人【完】——
「見物料に反物でも売りつけてきそうだねえ」
「ああ、また面倒になりそうだ」
当然誰もが、錦屋の大旦那が乗り込んでくるのだと、眉を顰めた。
錦屋長兵衛という男は、なかなかに嫌われ者であった。
過剰な売掛金を悪どく取立て、その家に若い娘が居れば手籠にし、飽きれば遊郭に流す。
店先で丁稚に折檻するのも日常茶飯事で、見た目も蝦蟇そっくりの人畜生である。
当然誰もが蝦蟇旦那を思い浮かべ、顔を顰めていた。
——が、
「この度は私共の家の不始末で、世間様をお騒がせし、誠に申し訳ございません」
お白洲に現れたのは蝦蟇とは似ても似つかぬ、目元涼やな凛々しい青年であった。
青年はすぐさま膝をつき、群衆に向かい、深々と頭を下げていた。
「手前は錦屋長兵衛の子、千代松にございます」
「子……息子……?」
平伏して尚、堂々たる品格を備えた青年。
大店の後継ぎには不足ないが、錦屋には娘しか居ないはずだった。
故に遠縁の番頭が、後継者と広く世間に知られていた。
しかし、誰かがボソリと、
「修学の為、どこぞに留学していた長男がいたような」
そう呟けば、皆一同に「ああ」と。不思議と合点していた。
加えて縛につく罪人こそが、この青年の素性を明らかにするのであった。
「若様」
その背を見つめて、暫し、ぽかんと呆けていた罪人。
だが、その瞳には見る間に潤み、頬に紅まで差していく。
ついには乱れた己の身なりを恥じつつ、青年に倣い、座して頭を下げるのだった。
そんな姿に、皆一同に「ああ」と。不思議と合点していた。
罪人が恋焦がれていたのは、一人娘などではなく。
この青年なのだと。
「錦屋千代松、此度の騒動を末代までの恥とし。急ぎ遠方より戻りまして先刻、店を始め家財一式。財産の全てを御上に返上して参りました」
「返……」
青年の口上に、皆一同に「ああ」と。不思議と合点していた——
はずもなかった。
なんと、この若旦那は当代きっての馬鹿旦那なのか。
贅の限りを尽くした大店も、借金のカタに取り押さえた宝物を納めた大蔵の数々も。
全て手放してきたというのである。
群衆は開いた口が塞がらず。
境内は終ぞ、野次も冷やかしもなく、鎮まりかえっていた。
「その代わりとして。御上の恩情により、私めがこの者の最後の仕置人となりました。私にはもう財もなく、我が身の他には、この者しかおりませぬ。故にどうか、皆々様、お慈悲を下さいませ。この者の罪を、愚かな私めに免じて何卒、何卒、お赦しください」
「うぅ……お許し、くださいませぇ……」
誰もが羨む家業の全てを捨ててまで、罪人を庇う大店の若旦那。
罪人もまた、涙ながらに犯され続けた体を震わせ、玉砂利に額を擦り付けていた。
この二人こそ真の恋仲であり、姦通罪など無実の咎でしかないのである、と。
雲間から照らす月明かりが、お白洲に真実を照らし出していた。
すると不思議な事に、どうにも治らなかった邪な欲が、群衆から消えていくのであった。
「こんなところでダラダラ油を売って、俺達ァどうかしてたな」
「確かにそうだ。一銭にもならねぇ、腹も膨れねぇ、家帰って寝てた方がマシってもんだ」
憑き物が取れたかのように、一人、また一人と正気を取り戻していく。
「こんなお白洲、端からおかしいと思ってたんだよ。あの娘、嘘吐きの高慢ちきだったからね」
「あーあ、野次馬なんて野暮は終いだ。酒でも飲みに行こうぜ」
「あんたはさっさとお帰りよ。腹の膨れたカカァが寝ずに帰りを待ってんだから」
「ちげぇねえ」
犯せ、泣かせろと嗾けていた見物人が、真っ当に帰路につく。
その去り際に誰かが、ヒョイと枝に手拭いを掛けた。
少しでも憐れな二人を人目に晒してやるまいという、心遣いだった。
それを真似る者が後に続き、辺りの雑木林は手拭いで埋め尽くされていく。
手拭いがなければ腰帯を羽織をと。
更には出店の暖簾やのぼり、どこぞの坊やの陣幕までも、お白洲を覆い隠していった。
憐れな無実の罪人と、その恋しい相手。
睦み合う二人の姿からは、月すらも遠慮し身を隠す。
次第に互いの唇と舌が、手と足も絡ませ、体を繋げた。
絶え間なく漏れる熱い吐息が、薄霧となり。
更には夜の闇までもが、優しく二人の姿を覆い隠していくのであった。
こうして、たった二人きりのお白洲で。
百度目の責めは、いつまでもいつまでも。互いに飽く事なく、続くのであった——
◆
「それ、ただのエロ本じゃないの」
都心の小洒落たカフェテラスで、女は顔を顰めた。
青々とした葉を茂らせ、狭い空をさらに覆う都会の木々には、当然、手拭いの一つも見当たらない。
木漏れ日が落ちるテーブルには、古文書のコピーが置かれていた。
「いや、だから古い土蔵で見つかった古文書なんだって。けどまぁ、相手は歴史的な文献だと盲信してるから言い難いんだよね。わりと猥本ですよって」
「そのボンボンと奉公人は、その後どうなったの? ボンボンじゃあ、突然農家に転職なんて無理だろうし」
その時ちょうど、ウェイターがやってくる。
「お待たせしました。こちら、こんがりキツネのハニートーストセットと、白狐のふわふわパンケーキセットになります」
「わあ、かわいい~」
「どうぞ写真も撮って下さいね。シェフも喜びますので」
「え~、お兄さんも可愛いから撮ってもいいですか?」
「あはは、僕はちょっとNGですね。シェフに怒られますので」
「ざんねーん」
目の前のティーセットにカメラを向けながらも、去り行くウェイターに視線を向ける。
「やばい、顔つよぉ」
「圧強すぎて、こっちの顔面が減り込むところだったわ」
「なんかもう猥談のせいでシェフとウェイターの絡みしか思いつかん」
「わかるー」
映え写真を撮りながら、さらに猥本の話を続けた。
結局、若旦那と奉公人は街から姿を消した。
お取り潰しとなった錦屋は、一夜にして伽藍堂と化す。
大店の栄耀栄華は夢が幻だったかのように、朝方には廃墟同然と成り果てていたのである。
更には夜毎、大旦那の悲鳴や呻き声が聞こえると恐れられ、心霊スポットにまでなったとか。
「あくる日の早朝ね。なんにも知らない旅人が境内を歩いていたら。まあ、手拭いだらけの雑木林に驚くわけよ。それで、変だな~変だなあ~と歩いていくとぉ」
「確かに淳二案件だわ」
「なんと仲良く番う、二匹の白狐を見たっていうの」
「お、ケモ要素?」
「狐は旅人に気付くと、お山の方へ、更には天高く昇っていきましたとさ~どんどん。とまあ、神様的な? 人の世で迷子になっていた番を、天帝が迎えに来たんじゃないか。(注)諸説ありますよ?的な終わりなんだ」
「神々は大抵ドスケベだからね。ふーん、その舞台ってどこ? 江戸?」
「場所は諸説ありますよ? でも、それっぽいとこ見つけたんだよね~。縁結びの神様らしいんだ」
「え、いいね! 行こうよ聖地巡礼」
「お、行く?」
「行く行くー。てかそれ、なんてエロ同人誌なのよ」
「いや、だから古文書だから」
不思議と客足の少ない都心のカフェテラスで、つい猥談に花を咲かせていた。
こんな小春日和に、人の世で、ひっそりと。
番の狐が、性懲りも無く人に化けたりなんかして。
今も何処かで、仲良く戯れているのかもしれない、と。
そんな話をしながら、旅の計画を立てるのだった。
——傾国の罪人【完】——
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