【R18】傾国の罪人【完】

くじらいたか

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六話

「錦屋って、あの錦屋かい?」
「見物料に反物でも売りつけてきそうだねえ」
「ああ、また面倒になりそうだ」

 当然誰もが、錦屋の大旦那が乗り込んでくるのだと、眉を顰めた。
 錦屋長兵衛という男は、なかなかに嫌われ者であった。
 過剰な売掛金を悪どく取立て、その家に若い娘が居れば手籠にし、飽きれば遊郭に流す。
 店先で丁稚に折檻するのも日常茶飯事で、見た目も蝦蟇ガマそっくりの人畜生である。
 当然誰もが蝦蟇旦那を思い浮かべ、顔を顰めていた。
 ——が、

「この度は私共の家の不始末で、世間様をお騒がせし、誠に申し訳ございません」

 お白洲に現れたのは蝦蟇とは似ても似つかぬ、目元涼やな凛々しい青年であった。
 青年はすぐさま膝をつき、群衆に向かい、深々と頭を下げていた。

「手前は錦屋長兵衛の子、千代松にございます」
「子……息子……?」

 平伏して尚、堂々たる品格を備えた青年。
 大店の後継ぎには不足ないが、錦屋には娘しか居ないはずだった。
 故に遠縁の番頭が、後継者と広く世間に知られていた。
 しかし、誰かがボソリと、

「修学の為、どこぞに留学していた長男がいたような」

 そう呟けば、皆一同に「ああ」と。不思議と合点していた。
 加えてばくにつく罪人こそが、この青年の素性を明らかにするのであった。

「若様」

 その背を見つめて、暫し、ぽかんと呆けていた罪人。
 だが、その瞳には見る間に潤み、頬に紅まで差していく。
 ついには乱れた己の身なりを恥じつつ、青年に倣い、座して頭を下げるのだった。
 そんな姿に、皆一同に「ああ」と。不思議と合点していた。
 罪人が恋焦がれていたのは、一人娘などではなく。
 この青年なのだと。

「錦屋千代松、此度の騒動を末代までの恥とし。急ぎ遠方より戻りまして先刻、店を始め家財一式。財産の全てを御上に返上して参りました」 
「返……」

 青年の口上に、皆一同に「ああ」と。不思議と合点していた——
 はずもなかった。
 なんと、この若旦那は当代きっての馬鹿旦那なのか。
 贅の限りを尽くした大店も、借金のカタに取り押さえた宝物を納めた大蔵の数々も。
 全て手放してきたというのである。
 群衆は開いた口が塞がらず。
 境内はついぞ、野次も冷やかしもなく、鎮まりかえっていた。

「その代わりとして。御上の恩情により、私めがこの者の最後の仕置人となりました。私にはもう財もなく、我が身の他には、この者しかおりませぬ。故にどうか、皆々様、お慈悲を下さいませ。この者の罪を、愚かな私めに免じて何卒、何卒、お赦しください」
「うぅ……お許し、くださいませぇ……」

 誰もが羨む家業の全てを捨ててまで、罪人を庇う大店の若旦那。
 罪人もまた、涙ながらに犯され続けた体を震わせ、玉砂利に額を擦り付けていた。
 この二人こそ真の恋仲であり、姦通罪など無実のとがでしかないのである、と。
 雲間から照らす月明かりが、お白洲に真実を照らし出していた。
 すると不思議な事に、どうにも治らなかったよこしまな欲が、群衆から消えていくのであった。

「こんなところでダラダラ油を売って、俺達ァどうかしてたな」
「確かにそうだ。一銭にもならねぇ、腹も膨れねぇ、家帰って寝てた方がマシってもんだ」

 憑き物が取れたかのように、一人、また一人と正気を取り戻していく。

「こんなお白洲、ハナからおかしいと思ってたんだよ。あの娘、嘘吐きの高慢ちきだったからね」
「あーあ、野次馬なんて野暮は終いだ。酒でも飲みに行こうぜ」
「あんたはさっさとお帰りよ。腹の膨れたカカァが寝ずに帰りを待ってんだから」 
「ちげぇねえ」

 犯せ、泣かせろとけしかけていた見物人が、真っ当に帰路につく。
 その去り際に誰かが、ヒョイと枝に手拭いを掛けた。
 少しでも憐れな二人を人目に晒してやるまいという、心遣いだった。
 それを真似る者が後に続き、辺りの雑木林は手拭いで埋め尽くされていく。
 手拭いがなければ腰帯を羽織をと。
 更には出店の暖簾やのぼり、どこぞの坊やの陣幕までも、お白洲を覆い隠していった。

 憐れな無実の罪人と、その恋しい相手。
 睦み合う二人の姿からは、月すらも遠慮し身を隠す。
 次第に互いの唇と舌が、手と足も絡ませ、体を繋げた。
 絶え間なく漏れる熱い吐息が、薄霧となり。
 更には夜の闇までもが、優しく二人の姿を覆い隠していくのであった。
 こうして、たった二人きりのお白洲で。
 百度目の責めは、いつまでもいつまでも。互いに飽く事なく、続くのであった——

 ◆

「それ、ただのエロ本じゃないの」

 都心の小洒落たカフェテラスで、女は顔を顰めた。
 青々とした葉を茂らせ、狭い空をさらに覆う都会の木々には、当然、手拭いの一つも見当たらない。
 木漏れ日が落ちるテーブルには、古文書のコピーが置かれていた。

「いや、だから古い土蔵で見つかった古文書なんだって。けどまぁ、相手は歴史的な文献だと盲信してるから言い難いんだよね。わりと猥本ですよって」 
「そのボンボンと奉公人は、その後どうなったの? ボンボンじゃあ、突然農家に転職なんて無理だろうし」

 その時ちょうど、ウェイターがやってくる。

「お待たせしました。こちら、こんがりキツネのハニートーストセットと、白狐のふわふわパンケーキセットになります」
「わあ、かわいい~」
「どうぞ写真も撮って下さいね。シェフも喜びますので」
「え~、お兄さんも可愛いから撮ってもいいですか?」
「あはは、僕はちょっとNGですね。シェフに怒られますので」
「ざんねーん」

 目の前のティーセットにカメラを向けながらも、去り行くウェイターに視線を向ける。

「やばい、顔つよぉ」
「圧強すぎて、こっちの顔面が減り込むところだったわ」
「なんかもう猥談のせいでシェフとウェイターの絡みしか思いつかん」
「わかるー」

 映え写真を撮りながら、さらに猥本の話を続けた。
 結局、若旦那と奉公人は街から姿を消した。
 お取り潰しとなった錦屋は、一夜にして伽藍堂と化す。
 大店の栄耀栄華は夢が幻だったかのように、朝方には廃墟同然と成り果てていたのである。
 更には夜毎、大旦那の悲鳴や呻き声が聞こえると恐れられ、心霊スポットにまでなったとか。

「あくる日の早朝ね。なんにも知らない旅人が境内を歩いていたら。まあ、手拭いだらけの雑木林に驚くわけよ。それで、変だな~変だなあ~と歩いていくとぉ」
「確かに淳二案件だわ」
「なんと仲良く番う、二匹の白狐を見たっていうの」
「お、ケモ要素?」
「狐は旅人に気付くと、お山の方へ、更には天高く昇っていきましたとさ~どんどん。とまあ、神様的な? 人の世で迷子になっていた番を、天帝が迎えに来たんじゃないか。(注)諸説ありますよ?的な終わりなんだ」
「神々は大抵ドスケベだからね。ふーん、その舞台ってどこ? 江戸?」
「場所は諸説ありますよ? でも、それっぽいとこ見つけたんだよね~。縁結びの神様らしいんだ」
「え、いいね! 行こうよ聖地巡礼」
「お、行く?」
「行く行くー。てかそれ、なんてエロ同人誌なのよ」
「いや、だから古文書だから」

 不思議と客足の少ない都心のカフェテラスで、つい猥談に花を咲かせていた。
 こんな小春日和に、人の世で、ひっそりと。
 番の狐が、性懲りも無く人に化けたりなんかして。
 今も何処かで、仲良く戯れているのかもしれない、と。
 そんな話をしながら、旅の計画を立てるのだった。





 ——傾国の罪人【完】——

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