霰降る...

葛城 惶

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九 ヤマト

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翻ってこちらはヤマトのクニ...。


 帰参したツヌは、イヅモの次第の報告のため、ヒルメの住まう宮のキザハシを登っていた。
 手にはイヅモの神宝を携え、うやうやしく足を進める。だがとてつもなくその気は重かった。

ーお戻りをお待ちしておりました。無事イヅモを平定なされ、まずは重畳ちょうじょうにございますー
 
 出迎えた益人(役人)らが、口々に労いと言祝ことほぎの声を掛けてくる。が、その向こうから冷ややかな視線が放たれていることに、ツヌは気づいていた。



ーホデミ...かー

 ヒルメとかのスサの王との間に産まれた五人の男子の長子、オシホの息子だ。この時代、親のクニ、ムラの長の座を継ぐのは末子であった。上の子らは父とともに、あるいは父の命のもと新しき土地を切り開き、クニをより拡げ、富ませることがその役目だった。

 オシホの父、スサの王はオシホが産まれて間もなくの頃に母のヒルメによってクニを追われた。
 兄弟もそれぞれヒルメの命ずるままに新たなる土地へと向かった、とオシホは聞かされていたが、実情はヒルメの気を損ねて追放されたに近い者もいた。ホヒはイヅモの先見隊としてツヒコはイセの征圧を命じられて、東へ赴いていた。オシホはヒュウガに居を構えていたが、その二人の息子はヒルメの手の中にあった。
 オシホの息子のひとり、ハヤヒは難波津に遣わされており、ホデミはその今ひとりの息子だった。
 若輩にして、その苛烈な戦ぶりはことにヒルメに気に入られ、その側近となった。

ー油断ならぬ...ー

 ホデミが頭角を現すと同時にヒルメの残る二人の息子は相次いで不慮の死を遂げていた。

ーカヅチにも知らせておくべきか.....ー

 だが、あの男はそれでも己のが往く道を変えはすまい。ツヌは小さく首を振り、溜め息をひとつ落として、ヒルメの待つ高殿の戸口に膝をついた。

「イヅモより、只今戻りましてございます」
 
 ツヌの声に応ずるように、さわ.....と風が鳴った。

「入られよ。ヒルメ様がお待ちである」

 落ち着いた男の声音が応えた。もっぱらクニのまつりごとを取り仕切る腹心、タカミが変わらず傍に控えているらしい。ツヌはほんの少し胸を撫で下ろして、とばりを潜った。  

「只今、戻りましてございます。かのイヅモの者達、ことごとくヒルメ様の威光にひれ伏し、ヤマトに従うとの意を示し、種々の宝物、なべて差し出しましてございます」

「御子は如何した?」

「お連れ致しまてございます。後程、お母君とともに此方に参られます」
 
「そうか.....してカヅチはいかがした?」

 美しくはあるが如何にも冷ややかな声音がツヌの耳に突き刺さった。ツヌは面を伏したまま応えた。

「クニに戻りましてございます」

「は?なんじゃと?」

 顔を上げなくても、柳の眉がキリキリとつり上がっているのがわかる。ツヌは出来るかぎり穏やかに、この美しくも誇り高い、言い換えれば独尊な巫女王の意趣を損なわないよう慎重に言葉を発した。

「カヅチは船にて渡って参りますゆえ、潮目が変わらぬうちに水道を抜けねばなりませぬ。イヅモからカジマに到る海道には難所も多く、風も変わりやすうございますゆえ、行きも帰りも多くの難を凌がねばなりませぬ。よって、カヅチ殿はまだ戦も半ば。此方に戦果をお持ちするにはあたらぬとて...」

「そうではなかろう」

 一層、声音が厳しくなった。

「カヅチは、我れに、ヤマトに額づくのが嫌なのだ。わざわざ二上に住まいせるよう仕儀も整えてやったというに、北の護りを致さんとか申して、トネを渡ったまま、一向に此方には寄り付かぬ。ほんにあの一族は...」

 カヅチの曾祖父、オハバリもヒルメの父イサナがみまかってより、野洲川のあちらに居を構え、ヤマトからの呼び出しには一切応じなかった。
 
「まぁカヅチ殿はもともとのヤマトの民ではござりませぬゆえ、致し方ありますまい.....」
 
 タカミが半ば溜め息混じりに取りなした。そう、カヅチは度々の派兵に応じることはあっても、一切、ヤマトに足を踏み入れようとはしないのだ。

「それに、此度の戦では屋形やムラを焼くこともなく、ヤチの伜どもと試合うたのみと聞く。しかも負かした相手を弑さずに逃がしたていうではないか」

 カヅチの取った策はツヌから見れば上出来だった。血を流さず、田畑を荒らさずに征圧できれば、生産力を落とさないまま、ヤマトのクニがその富を労さずに手に入れることができる。非常に『効率的』なのだ。だかしかし...

「なぜ、ヤチの伜を殺さなんだのじゃ!」

 ヒルメの父、イサナの国の戦はともすれば敗戦国は国民を根絶やしにし、草木の一本も残らぬ焦土にする...徹底した殲滅をよしとする残虐な風潮があった。ヒルメにも紛れもなくその血が流れている。

「タケ殿はカヅチに腕を折られ、もはや剣を握ることも出来ない身、恐るるに足りませぬ。それにかの者が逃れたは越のクニにて、ヤマトに仇なすは難かろうかと推察いたします」

 ツヌの額から冷たい汗が伝った。

「さよう、ヒルメ様に仇なすはございますまい」

 おっとりとタカミが言葉を継いだ、その時だった。

ぬるいのう.....」

 背後から嘲笑あさわらうような挑戦的な声が投げつけられた。振り向くまでもない。ホデミの声だった。

「だから我れに任せよと言うたに...」

 ホデミはとばりを捲りあげ、ずかずかと室のなかに踏み込んできた。ヒルメはそれを別段咎め立てもせず、あやすように言った。

「良いのじゃ。そなたは我れの傍にてまつりごとを手伝っておれ。そなたのその美しい手を汚す必要はない」

 若々しく美丈夫なホデミにうっとりとした眼差しを投げてヒルメは微笑んだ。

「だが、カヅチ殿はヤマトに参らぬは何か含むところがあるのではないか?」

 タカミがやや怪訝そうな口調で問いかけるのを、ツヌは大きく首を振った。

「決してそのような事はござりませぬ」

「まぁ良い。いずれ分かることじゃ」

 ヒルメの口の端がほんの少し歪んだ。

「北の護り...か」

 僅かに目を上げたツヌの目にヒルメの、そしてホデミのゾッとするような笑みが映った。

「は.....」

 ツヌは早々に座を辞し、身のうちに不快な震えを抱えてイソの自分の屋形に足を向けた。

ーヒルメ様は老いた.....ー

 ヒルメの高殿を包む不穏な気配はいずれヤマトの全てを覆い尽くすだろう、とツヌは予感した。だが、その気配を察するにはカジマは遠すぎる。

ーカヅチよ.....ー

 ツヌはひとり唇を噛んだ。

 
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