やおよろず生活安全所

森夜 渉

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一章

4/手形

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「次は所内の案内と行きましょう。いいでしょ、悟狸さん」
「いいね。ここは広いし、まずはそうしようかな」
和兎の提案に悟狸も賛成する。
「じゃあ最初に手形だな」
「はいよ」
狐乃が言うと猿真が部屋の隅にある金庫を開けだした。
「猿真さんは特殊な物品の調達役なんだ。資金や備品管理も担当しているから、経費が必要になれば相談するといい」
犬威が説明している間にも猿真は机の上に金庫の中身を置いていく。
大きな硯と筆、書道の道具に名刺程の小さな木の板。
硯も筆の柄にも細かな植物の彫刻が施されており、興味を惹かれて蓮美は顔を近づけた。
「……動いてる」
驚く事に、彫られた葉や草は咲いたり閉じたりを繰り返し、揺らいでいる。
傍で見入ってしまったが皆は平然としていた。
「あれ?」
狐乃が木の板を手に取る。
「猿真さん、手形の杉板を仕入れたんですね。最近の人間は俺らとの交渉になかなか応じないから大変だったんじゃないですか?」
「いや、コイツはずっと取ってあった○○神宮の千年杉だ。前に祭祀があった時に分けてもらってな」
○○神宮は聞いた事のある地方の有名な神社だった。
板は小さくも貴重な品らしい。
「そういや俺のはどこの何年物ですか、やっぱり京都?」
澄ましたドヤ顔で彼が聞く。
「お前さんのは道に落ちてた材木板だ」
全員が鼻水を噴いた。
「道に落ちT……」
撃沈した狐乃をよそに、猿真は道具を準備し、水を注いで墨をすり始める。
墨は数分で仕上がり、和紙を広げて硯に筆を浸した。
「嬢ちゃん、今からあんたの通行手形を作る。この手形ってのはここで言う名刺みたいなもんでな、それがないと所内で迷子になっちまう事があるんだ。さっき説明したが中は異空間、人間だけでなくワシらもうっかりすると戻れなくなる。とりあえずは紙に嬢ちゃんの名前を頂戴しようか」
手形とは話からして皆が首から下げている物だろう。
なぜ書道なのかと思うが、郷に入れば郷に従え。
言われるままに蓮美は筆を構える。
「毛筆は上手くなくて」
「上手い、下手は気にしなくていいさ。腕前より嬢ちゃんに名前を付けてくれた人を思い出して、感謝の気持ちを込めて書けばいい。人の名前ってのは生まれた時に贈られる初めての祝い物だ」
「……祝い物」
なぜか急に集中力を失う。
感謝。
感謝。
感謝。
どうしてだろう。
感謝の気持ちが浮かばない、筆を持ったまま動きが止まる。
職員は自分を待っていてくれている、集中しなければ。
筆を持ったまま目をつぶり、瞼に浮かぶのは両親の背中。
思い出すのは。
「俺が変わろう」
目を開けると蓮美を心配そうに見つめる犬威の顔があった。
よほど険しい顔をしていたのだろう。
「慣れない事をいきなり進められてもな。いいだろう、猿真さん?」
「構わんよ、本当は本人が書くんだがな。だが嬢ちゃん、あんたは運がいい。犬威さんは病気平癒と無病息災、医療の力を併せ持つ眷属の御仁だ。札は人間社会でも嬢ちゃんを護ってくれる、お守り代わりに持ち歩くといい。ただし絶対になくさんようにな、こういう道具を地上で拾った人間が悪用するのは後を絶たんのだ」
「は、はい、気を付けます」
「犬威君はね、所でのお医者さんも兼ねていてみんなから頼りにされているんだ。調子が悪かったらいつでも相談するといいよ」
悟狸の言葉に全員そうそうと相槌を打つ。
よほど信頼を寄せられているのだろう、代筆を申し出てくれた事に礼を言おうとした。
「……犬威さ」
言いかけたが、筆を走らせる表情を見てドキリとする。
寂しそうに微笑む彼の横顔を。
見てはいけないものを見てしまったような気がして、何も言わずに視線を逸らした。
「これでいいだろうか?」
書き終えた文字を見て絶句する。
書道家のような美文字で自分の名が記されていたからだ。
代わってもらってよかった、下手な字を書いて恥をかかないで済んだと思う。
上手い上手いを連呼していたら、みんな大体そんなものだと返された。
さすが神様に仕える方は違うんだな、と、よくわからない理由で自分を納得させる。
「さてと、お次は」
硯と筆を片付けると猿真は木箱からキセルを取り出し、杉板を置いた。
キセルが珍しく、書道道具の時と同じ、よく見ようと顔を近づける。
胴には細かい唐草模様が描かれていたが、絵の唐草が蠢き、絡まりあっている。
「見てな」
彼は葉を詰めていない空のキセルを咥える。
本来は火をつける先。
火皿の先を向けると、朝霧蓮美の文字がなんと紙から離れて空(くう)に漂いだす。
「ひゃっ!」
目玉をひん剥いて自分の名がフワフワ泳ぐのを眺めた。
猿真がスウッと勢いよく吸うと、文字は糸状になって火皿に吸い込まれる。
吸い込んだ物を今度はハアアッと吐き出し、黒い煙にした。
煙はクルクルと小さな竜巻になり、宙を舞う。
舞いながら用意されていた杉板の方へ流れ、そのまま吸い込まれてなくなった。
「スゴイ」
感動のあまり拍手をすると、猿真は頭を掻いて照れる。
最後に透明なパスカード用のビニールケース。
ケースは市販品らしく、板を入れて紐を通し、渡してくれた。
「今日からこれが嬢ちゃんの手形だ」
何も書かれていない杉板に、唐草の文様を背景として自分の名が刻まれている。
「はい」
受け取って首から下げてみた。
手形の効力か。
摩訶不思議な出来事を立て続けにしたからか、胸の鼓動が早鐘を打っている。
激しい高鳴りを鎮めるように。
蓮美は胸の前で、手形をそっと両手で握りしめた。
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