やおよろず生活安全所

森夜 渉

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一章

5/迷宮回廊

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「じゃあ、まずは手形を持って……」
狐乃が蓮美を連れ、職員室から出て行こうとしていた。
「お待ち、どこへ行く」
すかさず和兎が引き留める。
「所内の案内ですよ、任せて下さい」
彼は自分に自信があるタイプなのか、ここでもキメ顔をした。
「いや、頼んでないし。狐乃君、仕事溜まってるわよね。彼女に電話番号聞く暇あったら、渡した書類に目ぐらい通してくれない?」
見れば手にはスマホが握られている。
「……」
彼は黙って机に向かった。
図星らしい。
「さて、行きましょうか、蓮美」
「は、はい」
「行ってらっしゃい」
三人に笑顔で送り出され、部屋の外に出て扉を閉めたが。
「え、ええっ?」
思わずのけぞる。
長い。
長い、長い。
そこには無限とも思える、長い廊下が果てしなく広がっていた。
面接をした時もだが、部屋に辿り着くまで時間がかかったように思える。
振り返って確認まではしなかったが、錯覚ではなかったらしい。
「早速だけど簡単なテストをするわね。あなたの目に、ここはどう映ってる?」
「な、長、長いです、異次元みたいな」
廊下は迷宮の様にどこまでも続いている。
来た時はこんな風ではなかった。
「命君が手形を持っていたからあなたは迷わなかったけど、これが所の真実の姿。猿真さんが話していた異空間、私達が日常で過ごす特殊な世界よ。周辺の辺りもなんだけど、辿り着くまで違和感がなかった?」
「違和感?」
繰り返す同じ道。
動きがおかしな地図。
人気のない風景。
「ありました、来る途中で道に何度も迷って。すれ違う人もいないし、怖い位に静かでした」
やっぱり、と、彼女は頷く。
「この施設を中心にして結界、結ぶに世界の界と書いて結界ね。結界という術に護られていて所に来る相手は限られるよう、部外者は踏み入れない仕掛けになっているの。でも蓮美は辿り着いた、二回もよ。それが意味するのはね、土地を護る力があなたを認め、受け入れたという事実なの」
「私を受け入れた……」
どこかで聞いたセリフに思える。
面接での会話だ。
「村へ来た事を神様に報告しよう、きっと歓迎してくれるから」
叔母に言われたあの言葉を思い出す。
「でも、偶然なんじゃ……」
「いいえ。なぜならね、採用試験は所に辿り着けるかという時点で始まっていたの。つまり面接前にあなたは合格していたのよ」
「面接前に……」
意外な事実を聞かされ、なんて不思議な縁なのだろうと思う。
「だけど、これからが本番。この先でビックリするかもしれないから、油断はしないでね」
和兎は袖を口元に当て、ウフフと笑うが少しドキドキする。
「では手始めに、廊下をひたすら進んでみましょう」
遥か先を手で示されたが。
「進むだけでいいんでしょうか?」
「そ、進むだけ」
廊下の突き当たりが豆粒程しかない。
恐る恐る一歩を踏み出し、歩き出す。
二歩。
三歩。
四歩。
「え、わっ!」
進む事に気を取られ、気付けば周りがおかしくなっている。
廊下の天井。
天井に足をつけて上下逆さまに立っていた。
しかも身に着けた手形も、自分の髪の毛も逆にはなっていない珍現象で。
「ど、どうしたらっ!」
振り向くと和兎が元の位置にいて手招きする。
「大丈夫だから、こっちに戻ってみてっ!」
「は、はいぃ……」
落ちたりしないだろうか。
天井から壁。
やがて床へと足が付き、廊下へと安定する。
「どう、ビックリした?」
視点が戻っても冷や汗が止まらない。
「ビ、ビックリしました……」
頭がクラクラする。
「と、まあ、この様に気を抜くと空間が捻じ曲がる現象に遭ってしまうの。論より証拠、まずは体感してもらおうと思って。じゃあ、今度は確実に部屋に行くおまじないを教えるわね」
「はい」
おまじない。
その響きに今度はワクワクした。
「スポーツジムって言ってみて」
「スポー、スポ、スポーツジムですか?」
聞き間違いかと飛び出した言葉に面食らう。
「うん」
だが彼女は真剣だ。
「ス、スポーツジム?」
疑問形だが言われた通り口にする。
「早速あそこを覗いてみましょう」
蓮美の手を引き、和兎が一番近い部屋を開けてみせた。
「ええっ!」
扉の向こうはトレーニング器具が完備されている。
ランニングマシーンにヨガマット、バランスボール、サンドバッグと揃えられている。
しかも清潔。
ロッカーまで備え付けで。
室内札を確認すると、スポーツジムとちゃんと書かれていた。
「私達も人と同じで体を鍛えるの、鍛錬ね。蓮美も時間があれば好きに使っていいから」
「いいんですか?」
「同じ職員だもの、もちろん。でも手形だけは忘れないでね、ないとどの部屋も入れないから」
なんて事。
設備の整ったジムにタダで通えるなんて。
前まで履けてたズボンも最近はキツくある、ぜひ利用してみたい。
「さて、つまり行き先を明確に意識すれば向かう先へ行けるって事ね。蓮美は日頃、生きている自覚ってしてる?」
「い、いえ。ボーっと生きていて……」
考えもしなかった。
無自覚で食事をし、無自覚で移動をし、無自覚でスマホを操作し、無自覚で眠る生活。
「コツはどの部屋へ行きたい、とか明確な意思を保つの。するとその空間とつながっていけるから。あ、お説教みたいに聞こえたらごめんなさいね」
「いえ、そんな。でも私にできるんでしょうか?」
「訓練すれば大丈夫よ。とは言え、昔の修験者(しゅげんじゃ)や僧侶(そうりょ)、禰宜(ねぎ)ほど精神が鍛えられれば完璧だけど、あなたは二十代の女の子で無理に決まってるし。そこまでしなくても少し修行をする程度がおススメかな?」
「そうりょ……?」
「あ、僧侶(そうりょ)はお坊さん、禰宜(ねぎ)は神主さんみたいな者かしらね」
教えを受けたが、しゅげんじゃが分からないので今度調べてみようと思った。
「まずは命の躍動を感じてみるといいかも」
「命の躍動、ですか?」
「そう。あなたの心臓の鼓動、大気を流れる風とかね。難しく考えなくていいから、気長に試してみてね」
命。
生きているという実感の中で、最近意識したのは風邪をひいて寝込んだ時。
上京して間もない頃だ。
熱がなかなか下がらず、詰まった鼻が苦しかった。
一人きりが身に染みた。
病も怪我もないのは当たり前だと思っていたが、体の一部が機能し、命をつないでいてくれたのだと治ってから気付かされたのを覚えている。
それ以来、コンプレックスだった小さな鼻も大事にしようと思った。
「次は所内でおススメのスポットよっ!」
和兎が小走りで先の部屋へと向かう。
後を追うと入り口に暖簾(のれん)が掛けられ、女、とデカデカ書かれていた。
「驚くなかれ、まずは入ってみて」
さあさあと背中を押される。
「はい」
扉を引くとサウナの様な熱気が漂う。
床には簀子(すのこ)、竹籠(たけかご)が置かれ、磨りガラスの扉が奥に続いていた。
もしかして。
予想はついた気がしたが、扉を開いてから唖然とした。
「おん……」
なんと温泉だった。
シャワールームかと思ったが、シャワールームではなく温泉だった。
檜(ひのき)の浴槽が湯をたゆたせ、外には囲いの竹藪と獅子脅し、下には玉砂利(たまじゃり)が敷かれている。
ちょっとした枯山水の庭園の様だ。
さっきのジムといい、所内の造りに対して浴場の広さもおかしい。
まさに異空間。
「スゴイ」
「やおよろず名物、源泉かけ流しの温泉よ。私達は神のお使いである以上、身を清潔に保たなければいけないの、温泉より沐浴場ね。普段はジムで汗を流してから来るけど、女湯は私一人の貸し切りでつまんなくて。でも蓮美が利用してくれたら使いがいがあるってもんよ」
和兎は腕を組んで胸を張る。
「ありがとうございます。だけど、人間の私がいいのかなって……」
「構わないわ、細かい決め事なんて所にはないから。シャンプーとリンス、ボディシャンプーはOKよ、ダメなのはタオルくらいかしら」
マナーが人間の温泉と変わらない
「言葉使いや表現も気にしなくていいから。例えば私達、互いを一人、二人とか数えるし、人聞きが悪いとか人当たりがいいとか普通に使っているの」
人じゃないのにね、と笑うので肩の力が抜ける。
立ち位置を考えていた。
職員が眷属という、神のお使いだというのであるのなら仰々しくいるべきかと。
だが、会った時から彼らは気さくだ。
人間と同じ、せわしい現代を生きる以上、決まりも関わりも時代に合わせて緩めなのかなとも思う。
「ここは神に仕える眷属という特別な方々がおわす場所、失礼のないように……」
日向がそう言ったので、振る舞いは遠慮がちにしていた。
だが、皆は砕けた感じで接してくれているし、慇懃(いんぎん)に距離を取る方がかえって失礼ではないか。
彼の発言を大げさに受け止める必要はなかったかもしれない。
「ぜひ入らせてもらいます」
「うん、ぜひぜひっ!」
和兎は湯の効能で盛り上がり、お風呂タイムが好きな蓮美もその話しを聞いた。
やおよろず生活安全所は最高の職場になるかもしれない。
期待に胸が膨らむ。
と、思ったが。
隣からガラガラと音がし、揃ってそちらを見る。
考えを訂正した。
いや、最高にはならないかも。
大いなる不安と問題がある。
自分史上、最大の問題が。
「おや、お二人さんも風呂ですか……?」
日向だった。
日向が一方の男湯から湯気を立てて出てきたばかりだった。
肩にかけたタオルで頭をワシャワシャ拭いている。
ただし全裸で。
「くぁwせdrftgyふじこlp」
蓮美は卒倒した。
「蓮美っ!」
和兎が叫ぶ。
「しっかりっ!」
顔を覗き込んで心配してくれたが、動けない。
すみません、と言おうとするが口が開かない。
「しばらく休んでてね」
和兎が拳を固め、ユラリと立ち上がる。
「己は何してる?」
野太い彼女の声がした。
「何って風呂ですよ、狐乃さんが僕を臭いとか言うから。和兎さん達こそ偶然を装って僕を覗きですか、イヤだなあ……」
そんな訳あるか。
全裸で登場したのはお前じゃないのかと思う。
「いいから、タオルで前隠してちょっと来なさい」
命を連れ、和兎は男湯へと入る。
「*?><‘?@tっ!」
言い合う声が外まで漏れる。
「+?@<+*%@……」
「*‘*+?>@}*っ!!」
「++?><_?*>……」
「*?M*‘>?*っ!!!」
「??????????……」
声は静かになった。
が。
「おぅらあぁあああっ!」
彼女の怒号が聞こえた。
「誰があぁあああっ、お前のおぉおおお、粗末なピーッ(自主規制)に興味があぁあああ、あるってえぇえええっ!」
バッシャアアン、バッシャアアン、と激しいお湯しぶきも聞こえてくる。
バッシャアアン、バッシャアアン。
バッシャアアン。
しぶきは数分続いた。
「……」
どれほど経ったか。
扉が開き、ベタッ、ベタッ、と濡れたスリッパの足音が。
「気分はどう?」
戻った和兎はお湯でずぶ濡れだった。
蓮美の体を起こし、着物の袂からハンカチを取り出して顔を拭く。
そのハンカチもお湯で濡れていた。
「いやよねえ、デリカシーのない男の子って」
拭き終わるとハンカチを絞り、お湯がバッシャー、とこぼれた。
バッシャー。
「はぃ……」
さっきまでのテンションはだだ下がり、二人で廊下を歩き出す。
彼女の着物もずぶ濡れである。
廊下にお湯溜まりが尾を引いていった。
「さて、お次はこの部屋でーすっ!」
笑顔で立ち止まった部屋の札には児童教室とある。
所は特殊な場所だそうだが、自分以外にも人間の子供がいるのだろうか。
「みんなっ、こーんにーちはーっ!」
彼女が元気よく扉を開けたが、中を見て蓮美は身震いする。
「和兎せんせいだっ!」
人ではない。
職員と同様に二足歩行で立つ、犬、狐、兎、狸、猿。
人間で例えるなら幼稚園児ぐらいの背丈の子供がいた。
服は猿真と同じ子供用の作務衣をお揃いで着ている。
「人間の女の人もいるっ!」
しかも人語を話した。
小さな手に柔らかな毛、ぬいぐるみの様なかわいさに震えが止まらない。
「こちらは今日から新しい職員となる人間の朝霧蓮美先生です」
各自は机とセットの椅子に座っていたが、二人を見るなり集まってくる。
「和兎さん、この部屋は……」
萌えを抑え、平静を装う。
「ここはね、各地にいる眷属見習いの子供達が集まってお勉強する教室なの。将来の眷属候補で私達の後釜ね。その勉強会を不定期で開いているんだけど、この子達は普段は普通の動物なの。面接で蓮美をお出迎えしたのもみんなよ、今日はあなたを紹介する為に集めてね」
あれだ。
面接が終わってから現れた、小さな動物達だ。
「今日から蓮美先生が加わって社会のお勉強を教えます、頑張りましょうね」
「はーいっ!」
無邪気な声が上がる。
「わ、わ、和兎さん、私が先生ですか?」
予想外の紹介をされたが、嬉し恥ずかしい。
「お願いしていいかしら、教師役は私一人しかいないの。あなたにはこの子達に人間社会がどんな物かを教えてあげて欲しくて」
「わ、わ、私でよければ」
大好きな動物。
じゃなくて動物の職員に囲まれ、ジムに温泉、モフモフ盛りの子ときたら、福利厚生と癒やしはバッチリ。
好条件に好待遇。
職場はもはや理想郷ではないか。
「さあ、蓮美、自己紹介して」
クネクネ身もだえしたい気分だが、こらえて子供達に向き直る。
「は、は、初めまして、朝霧蓮美と言います。人間ですが和兎さ……、和兎先生に付いてみんなと同じく勉強中です。人間の私が知らない事も良かったら教えて下さい」
子供達が一斉に拍手する。
拍手が止むと犬の子が進み出た。
「ぼ、僕は犬威さんの見習いでヤマトって言います。えっと、よ、よろしくお願いしますっ!」
犬の男の子、ヤマトが挨拶したのを見て狐の男の子が進み出る。
「俺は狐乃さんの見習いでハヤテと言いますっ、好きな食べ物は油揚げと稲荷寿司ですっ、よろしくっ!」
ハヤテがハキハキと挨拶をした。
続いて兎の女の子がハイッと、手を挙げる。
「私は和兎せんせいの見習いでアカネと言いますっ、将来は和兎せんせいみたいな、おしとやかな眷属を目指していますっ!」
天に向けて挙げた手は、ギュッと握った拳に変わった。
そこはかとなく漂う、覇王の風格。
将来きっと強くなる。
「おいらヘイキチっ、食べるの大好きっ!」
丸っこい狸の男の子が全力で叫ぶ。
悟狸さんの見習いなのだろう。
色々とわかりやすい子だ。
「ムサシと言います、猿真さんについて見習いをしています。好きな科目は語学です、よろしくお願いします」
猿の男の子が礼儀正しく頭を下げる。
面接であの大人コメントをした子だ。
賢そうだ。
私より。
「そして僕が日向 命だ、こいつらの世話係りをしている……」
最後に覇気のない、モッサリした青年が答えた。
「えっと……」
蓮美は露骨にしょんぼりする。
和兎は隣で黙っていた。
「どうした、モフりたいって顔をしているな。僕をモフりたければモフってもいいんだぞ……」
ボサボサ頭を押し付けられ、更にしょんぼりする。
気まずさを察したのか、子供達がキョロキョロした。
「み、命さんもいらしてたんですね。折り紙ありがとうございました」
幼いながらに空気を読んだのか、ヤマトが日向に気を利かせた。
「命さんじゃねえっ、命先生だろぅがっ!」
彼が幼子相手に怒鳴って凄む。
「ごめんなさい……」
ヤマトだけでなく、彼の反応に他の子もシュンとした。
大人げないクズっぷりに蓮美は呆れる。
「おう、命」
和兎の殺気が教室を包み込む。
「今からジムでスパーリングに付き合え」
「まだ自己紹介が……」
「黙って来い。蓮美、少しの間ここでお話ししていてね」
彼女は日向の襟首を掴み、ズルズル引きずっていった。
「……」
出だしから自分の印象は彼に良くなかった。
水を差しに来るのは意地悪なのかとも、つい思ってしまう。
「考えすぎかな……」
気を取りなおし、室内を見た。
子供達の机の他、後方には区切られたロッカーがある。
中はそのまま小学校の教室だった。
「折り紙?」
机の上には変わった形の折り紙が折られている。
「何を折ってたのかな、見せてくれる?」
「はい」
ヤマトが自分のを持って来ると、他の四人もこぞって持ち寄る。
見せてくれた折り紙は立体的で、変わった折り方をされていた。
動物でも人型でもない。
ただ、並みの折り方ではできない高度な作りに思えた。
「すごいね、どうやって折ったのか知りたいな。その内教えてね」
「はいっ!」
全員が笑顔になる。
さっきまでの空気が嘘のように吹き飛び、スパァアアンッと、ミットを打つキレのいい打撃音が届いた。
和兎だ。
だが彼女が本当にミットを打っているかまでは、ここでは分からない。
「これ、形代(かたしろ)って言って、ホントは呪術で使う物なんですけど、よかったら蓮美せんせいにプレゼントしますっ!」
ハヤテが折り紙を蓮美に渡した。
すると僕も、私も、と五枚をもらい、掌は折り紙で溢れる。
上京以来こんな交流は久しくなかった。
誰かと触れ合う、という事を。
「ありがとう、大事にするね」
胸が熱くなり泣いてしまいそうになる。
「そいやあぁああっ!」
再びスパァアアンッと、子気味よい音が轟いた。
ボクシングに挑めば世界のベルトは彼女の物だろう。
「でも命さん、どうして大人が傍にいると恐くなるのかな。いつもは優しいのに」
狸の子、ヘイキチが寂しげに言う。
「優しい、日向さんが?」
「うん、僕らだけだとあんな風じゃないよ」
「この折り紙をくれたのも命さんなんです」
もらったという和紙のセットを、ヤマトが見せてくれる。
色みと柄の違う、よく選んだ品だ。
「そっか」
嘘ではないだろう。
だとしても自分に対する言動や職員への態度が腑に落ちない。
それとも、あれは彼の別の側面なのだろうか。
「お待たせっ!」
和兎が戻ってきた。
汗をかいて着物は着替えたらしく、さっきまでのとは違っていた。
よほど手厚い指導を施していたのだと思われる。
さっきまでお湯でずぶ濡れだったし。
「今日はここで一旦お別れ、後は自習になりますっ!」
ええーっ、と一同声を上げ、蓮美も本音は別れがたいが。
「折り紙ありがとう、これからよろしくね」
受け取った折り紙を上着の内ポケットにしまい、児童教室を後にした。
廊下の案内は続き。
次の部屋まで歩く中、各部屋をゆっくりと観察する。
音楽室。
理科室。
家庭科室。
懐かしい教室名を目にする。
「あの、もしかして、やおよろず生活安全所は学校の跡地でしょうか?」
「そうなの、私達コンクリートじゃ合わなくて、閉校した木造校舎を移転したの。
他に気にいった部屋があればどうぞ使ってね」
建物の時代と育った世代は違うが、興味はある。
勤務に慣れたら覗いてみたい。
「さてと、最後は……」
和兎は眉間にシワを寄せていた。
「ここは外勤で緊急事態が起きた時に控えの職員が寝泊まりする部屋なの。宿直室と言うわ。幸い、まだ利用はないんだけど」
外勤。
忘れていた日向の言葉。
「じゃあ、外勤はどうなるんですか……?」
その言葉に職員が緊張した。
「外勤はしないよ。してもらうのは事務の補助と庶務が主だ、命君」
あの時、悟狸は自分を庇ったようにも思えた。
緊急事態と聞いて浮かんだのは災害や事故だが、彼らの言う外勤とはそもそもなんなのか。
「外き……」
この場で聞こうとしたが、彼女が鼻をスンスンさせていたので口をつぐむ。
何事かと思い、開け放たれた部屋を覗いて理解した。
中は上がり端で畳が引かれていたが、菓子の袋、カップラーメンの容器、引かれたままの布団など汚部屋と化していた。
「命の野郎っ、許可なく寝泊まりしてやがったなっ、よりによって宿直室を使うなぁあああっ!」
日向が無断で使っていたらしい。
「悪いけど蓮美、簡単でいいからお掃除してくれない。本人を探しだして反省させるわ」
「はい」
和兎は着物の裾をまくると廊下をダッシュして行く。
「みぃいいいー、こぉおおおー、とぉおおおーっ!」
彼を探す声が遠ざかっていった。
「……」
あちこち汚れまくっている。
「お邪魔します、ね」
一言断り、畳へと上がった。
つま先立ちで避けつつ歩くと、壁に押し入れがある。
開けるとほうきやちりとり、バケツや雑巾が下の段にしまわれていた。
校内の資材はそのまま所内に残されているのだろうか。
だとしたら都合がいい、まだ使える道具もある筈、良さそうな物があれば使わせてもらおうと思う。
「埃っぽいな」
手始めに窓を開けた。
その窓から湿った布団を吊るして干してやる。
放置された衣類を畳み、ゴミを片付けようとゴミ箱を見たが一杯だった。
コンビニの袋はいくらでもある。
先程のほうきとちりとりを使い、塵を集めてその袋に回収していく。
家庭的でキレイ好きな蓮美は手際よく作業をこなしていった。
「スゴイ量……」
掃除をしながらずいぶん寂しい部屋だなと感じる。
彼の名刺にはIT分門担当とあった。
さぞ最先端を好むのだろうと思っていたが、肝心のパソコンがどこにも見当たらない。
あるのは男丸出しの生活だけだ。
パソコンはともかく、男の暮らしとはこんなものなのか。
「鏡とか、ヘアブラシもないんだ」
蓮美はいまだ交際歴がない。
高校は田舎で牧歌的。
大学も忙しく出会いもなかった、異性をよく知らないし、免疫が薄い。
だからこそ、裸の日向を目撃した時は天然水のような彼女の心に、泥水をぶち込むくらいのインパクトがあった。
だが、野生児丸出しでアクが強いとはいえ距離を取り続けてもしょうがない。
所を勤め先と決めた以上、他の職員と同様に彼にも認めてはもらいたい。
「いきなり入所は反対です、この人はああ言ったけれど本当は神なんて信じていないかもしれないじゃないですか。悟狸さんが森羅万……、自然に興味を持つ話しが聞ければいいとか言うから仮入所にしたけれど、もしかしたら途中で恐くなって逃げるかもしれない、嫌になって辞めるかも……」
引っかかる物言いだった。
和兎にも聞きそびれたが、その外勤に参加すれば認めてくれるのか。
しかしそれがいつなのか分からない以上、互いの距離が縮まらないのも困る。
例えば趣味、互いに共通する趣味でもあれば話しが盛り上がるかもしれない。
「う~ん、趣味……」
片付けを続ける中、部屋の隅で雑誌が山積みになっていた。
システム関連の専門誌、最新のウイルス事情など解説書もたくさん置かれている。
「ITの神こと、僕が日向 命です」
彼の自己紹介。
神。
ネットスラングで最近はお馴染みの言葉。
神がかってる。
神回、神曲、神実況。
神動画、神ゲーなど。
なるほど、こんな専門書を読むのなら彼は職人畑の研究者とも思える。
レベルが高く私用のパソコンが必要ないだけとしたら、謙遜せず自称が神でもおかしくは聞こえない、彼独自の世界を持っているのかもしれないと若干は納得できる。
そんな中、一冊だけ異彩を放つ本を見つけた。
「ぐっ!」
アニメ調の女の子がえぐい衣装で表紙を飾っていた。
「……もしかして」
ネットスラングを使った時点で気づくべきだった。
そっちの趣味、彼は二次元の女子を愛するタイプではないのか。
つまりまんまオタクなのだ、これはチャンスとして受け止めるべきではないか。
蓮美も一時期は恋愛シュミレーションのアプリゲームにはまった経験がある。
ただ、キャラは人間ではなくケモ耳獣人で、最後には結ばれるベッタベタなゲームだが。
獣大好き、ケモ耳大好き、ケモナー好きな自分だって十分オタクだ。
なら、彼の趣味嗜好を否定するのは女子目線の偏見に過ぎないかもしれない。
「うん……」
ゲームなら問題ない、彼の内面や考えを知るきっかけになるかもしれない。
思い切って雑誌を手に取りめくってみた。
ペラペラと。
ペラ。
「……」
数ページで手を止めた。
雑誌の中身はパソコン用のアダルトゲーム。
いわゆるエロゲー本だった、内面も考えも関係ない。
エロゲー本、それだけだった。
ただエロいだけだった、泥水の次はヘドロかとやさぐれる。
彼とは仲良くなれるのか。
「おや……」
入り口から声がしてビクッとする。
日向だ。
和兎の追撃を逃げ切ったのか。
「驚いた、部屋に戻ったら入ったばかりの新人が僕の部屋を物色しているぞ……」
「物色だなんて」
言いがかりも甚だしい、片付いた汚部屋を見れば掃除をしたのだと一目瞭然である。
白々しい事この上ない。
固まっていると、ジワリ、と、怪しい気配が近づく。
「そうそう、愛読書を取りに来たんですがね。奇遇だな、それなんですよ……」
本を持つ手が小刻みに震える。
「もしかして朝霧さんも……」
気配は蓮美の背後に長い影となって重なった。
「そういう類に……」
影は怪しく、声を潜めて耳もとで囁く。
「興味がおありで……?」
「おい」
「!」
今度は和兎の声がし、バタバタと彼が立ち去る足音もした。
振り向くと彼女が地団太を踏んでいる。
「待たせてゴメンなさいね、野郎がなかなか捕まらなくてっ!」
「いえ……」
ホッとしたが、あの状況をネタにゆすられる可能性もないとは言い切れない。
彼への警戒を更に強めた。
「まあ、スゴイっ!」
和兎が感心する。
「やっぱり所で人間は必要ね、生活の視点が私達とは違うし」
「でも、普通の掃除なので……」
「ううん、いやね、私達って本来祀られる立場だからできる範囲とできない範囲があるの。お掃除はその一つでね、してもいいけど霊格、つまり立場が下がってしまうの。神社やお寺を管理するのは人間よね。住み分けっていうか、私達は神々の魂を護り育てる係りで、人間は神々の住まいをお世話する係りっていう。それに今は私達、祀ってはもらえないフリーの眷属だから身の回りのお世話をしてくれる人間はいなくて、お供物もなし」
神のお使いだからといって、何でもできる訳ではないらしい。
むしろ不便さを強いられるようで同情した。
「私にできそうな事はお手伝いさせて下さい、あと、お供物っていうのはお供えの事でしょうか?」
和兎はパチンと手を叩く。
「よくわかったわね」
懐から生の人参を取り出し、ボリボリと齧りだした。
「私は人参、狐乃君は油揚げ、悟狸さんは葉の物、猿真さんはさつまいも。あ、でも前に犬威さんの奥さんで葵さんっていうんだけど、彼女がみんなにお弁当を作って犬威さんに持たせてくれたの。だけどやっぱり悪いじゃない、一度断ってね。最近は命君が注文してくれるネットスーパーの野菜で凌いでるわ、近くのコンビニに届けてくれるし。他にインターネットを駆使できるのは狐乃君だけど、頼んだ後の彼のドヤ顔がなんか嫌なのね。しかも稲荷寿司が好きなのに、意地なのか所では絶対に食べないし」
犬威の妻と聞いて、彼が既婚者だと思い出す。
そんな気配りのできる、葵という人物はどんな相手なのか。
「生野菜だけだとご飯にはなりませんよね……」
「うーん、ご飯と似てるけど人の取るエネルギーとは違うのよ。食べなくても死んだりはしないけど、力が出ないわね。私達は供物を口にして力に還元するっていうか」
「力?」
「入り口で幻の桜が出現したわよね。あれが悟狸さんの力の一つ。神通力、霊威とも呼ぶわ。でも命君は別かな、あの子はいつもドリンクとかカップ麺で普段過ごすし。沐浴も嫌うしキレイ好きじゃないから、彼ってやっぱり神より人間よりかな」
ここでも神。
彼の言う神とは、ITスキルの高さからくる比喩ではないのだろうか。
「和兎さん、日向さんっていくつなんでしょうか?」
「彼は二十四歳よ」
なんだ、自分と同じ年ではないか。
なら神様でもなんでもない。
神様なら百歳位年をとっていないとおかしいと思う。
やはり冗談なのだろう。
「今は私達、祀ってはもらえないフリーの眷属だから、所で身の回りのお世話をしてくれる人間はいなくて、お供物もなし」
祀る人間はいない。
そう聞いて、蓮美は高校時代を過ごした村の神社を思い出す。
過疎化が進み、誰も参らないさびれた神社。
咲枝に案内され、おにぎりを供えたあの場所を。
高齢化だけではない、蓮美も含め就職や利便性を求めて若者が地方から出て行く背景がある。
時代の進歩と共に、やむをえない背景が。
思えば現代においての神という存在は、案外人間に振り回されているものかもしれない。
都合のいい時に願いを祈られ、願いが叶えば忘れられる。
そしてまた、繰り返される神頼み。
大学二年の頃、人類学の講師と雑談交じりに話した覚えがある。
古代、人類は天災や飢饉から逃れる為、神を奉り、祈りを捧げて国家安寧を願ったと。
そこには真摯な祈りと願いが込められていた。
しかし、現代で薬や農薬が登場し、病気を恐れず安定した作物を得られるようになった。
自然環境に対する恐れと祈り。
何より感謝を忘れてしまったが、代わりに人類は極めた科学と知識の叡智を手に入れたとも。
蓮美はその、こちら側の存在で彼女らとは真逆の位置で生きている。
複雑ではある、些細でも彼らの助けにはなれないか。
「さっきの……」
来る途中に見かけた家庭科室。
宿直室に道具が残されているのなら、そこもまだ現役なのではないか。
「和兎さん、元々の校舎の道具ってどうなってますか?」
「そのまま持ってきたから、手つかずのままだと思うわ」
「それなら……」
蓮美は干した布団を取り込みながら、ある提案を出してみる。
時間は昼前に差し掛かろうとしていた。
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