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一章
10/仕事
しおりを挟む悟狸から午後は勤務の指示に入ると言われ、気を引き締める。
命はあれから蓮美に話しかける事はしなかった。
人間関係も大事だがまずは仕事だ、迷いを払い、業務に集中すると書類の束を渡される。
やおよろず生活安全所宛てに相談の申請が届いており、印鑑が押されているかを確認して欲しいとの事。
中身を見ようと数枚目を通してみた。
しかし。
「悟狸さん、質問してもいいでしょうか?」
「何かな?」
「印鑑が肉球になっています」
書類に印鑑ではなく動物の肉球が朱肉で押されていた。
「うん、それがここでは拇印なんだ」
「なっ……」
萌えを感じてワナワナする。
「違いがわかるかな蓮美ちゃん?」
イスを横付けして狐乃が隣へと来た。
「例えばこれが狐、これが狸、わかるかな?」
彼が特徴を説明してくれるが。
「……はい」
だがわからん。
動物好きな蓮美でも、残念ながら肉球の区別まではできなかった。
なぜだか敗北感を感じ、もっと勉強しようと誓う。
動物達について。
ではなく仕事に。
疲れたら休憩を取っていいと言われたが、期待に応えようと必死に肉球印を見つめる。
そんな自分と対照的なのが命だった。
画面を見つめてタタタッと、高速のタイピングでパソコンのキーを叩く。
腕前は見事で人というより機械のように正確だった。
その時、彼のパソコンにネット回線を引くモデムから有線のコードが繋がれているのが目に入る。
他の職員も同じ、コードは床から固定されていた。
電波が飛んでいないのだ。
所内はネット環境が無線ではないらしく珍しい、今はどこでも無線が主流だ。
セキュリティ上の問題か、異空間である事が影響するのだろうか。
「そいつの仕事は特殊なんだ、俺達とは異分野でね、誰にも真似できない」
書類ではなく、命を見ていると狐乃が渋い顔をしながら話す。
「電脳世界。つまり君達の人間世界で言う、いんたーねっつの事なんだが……」
犬威が真顔で蓮美を見た。
いんたーねっつ。
「もしかしてインターネットの事でしょうか?」
訂正していいか迷ったが言ってみる。
「ん、いんたーねっつは複数だから、ねっつだと命から教えられたが」
「犬威さん、騙されてます。ネットです、インターネットです」
彼はネットに詳しくないらしく、狐乃がねっつをやんわりと正す。
「そ、そうか」
一同がハハハと笑ったが蓮美は笑えなかった。
嘘を教えた当の命も笑ってはいない、パソコンのモニターから顔を上げようともしない。
なぜだろう。
なぜ親身になってくれている犬威に嘘を教えたのだろう。
自分はネットのプロフェッショナルかもしれないが、嘘を教えた相手が人に話して恥をかいたら。
狐乃の元彼女、イタチだというスモモちゃん。
事情を察していた上で、どうして彼を挑発したのだろう。
家庭科室での、あの言葉。
「お父さんとお母さんが亡くなった時、どんな気持ちがしましたか……?」
あれも自分を傷つける為の言葉だったのだろうか。
「命君の仕事はね、君達人間社会が切り離せないアーティフィシャルインテリジェンス、AIの事だね。他にもインターネット、サイバー空間のあらゆるシステム、コントロールの管理をし、バグを訂正する仕事を任されているんだ。総称で電子、電脳世界の管理と我々側は呼んでいるよ」
悟狸がファイルを綴じながら説明する。
「バグ、ですか?」
「うん。いわゆるエラーを起こす、プログラムを食べる虫だ。最近社会でシステムの異常を聞いたりしないかな?」
「あります。面接当日も、今日も鉄道が止まりました」
「そう、命君はそれら国内のシステムを見直しているんだ。チェックしてバグがいないか見つけ、正している。いや、倒しているという方が正解かな。倒しながら人間社会を護っているんだ」、
含みを持つ言い方が気にはなったが、彼の凄さを初めて聞かされた。
「……すごいんだね、命君」
誉めたが手を止めようとはせず、こちらを見ようともしなかった。
近づいたと思った距離は遠のき、蓮美は悲しくなる。
「ねえ、蓮美の歓迎会、いつにする?」
玉露のお茶を飲みながら、和兎が皆に聞いた。
「いいねぇ。嬢ちゃん、神変鬼毒酒が飲めたんだから酒はいけるんだろう?」
猿真がそろばんの手を止めて蓮美に尋ねる。
「はい、少しなら」
「じゃあ豆狸ですかね、予約しときましょうか?」
狐乃がパソコンでウェブ予約のページを開いて見せた。
和兎が狐乃はネットを使い慣れていると話していたが、その姿を見てもさほど驚きがない。
どんどんここに。
所に馴染む自分がいる。
「豆狸ってかわいい名前ですね」
「うん、僕の知り合いがやっている居酒屋なんだ。眷属ではないけれど人間社会で店を開いていてね。みんなでたまに行くんだけど、そこにしようか」
悟狸の知人という、狸の人のお店と聞いて興味が湧く。
「行ってみたいです」
いつにする、今日にする、など盛り上がっている中、犬威が命にも聞いた。
「命、お前も行くんだろう?」
途端に、キーボードを叩く手が止まる。
「行きません……」
彼はイスから立ち上がり、廊下へ続く扉へと向かった。
「命っ!」
犬威は怒鳴った。
皆が一斉に二人を見る。
「休憩してきます、少し疲れました……」
部屋から出て行き、室内は再び居酒屋の話題に戻った。
「すまない、気を悪くしただろう?」
犬威は申し訳なさそうに謝る。
「大丈夫です。すみません、私も休憩を頂きます」
蓮美もそう伝え、続いて廊下へと出ていった。
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