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三章
30/背負った物
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狐乃が去ると洲汪が接待役を選び出し、再び挟み撃ちにした。
いつまでも置き物になっている蓮美におもんばかり、残りのホスト達は捌けさせて。
「狐乃様が四人兄弟とあだ名で呼ぶ懇意のメンバーです、よくつるむので私用で呼ばれたり世話役を任せられたりしています」
呼ばれた四人は自己紹介をすると店に集まった経緯などを話してくれた。
狐乃は人間に対し厳しい口調だったが全員が望んで東京について来たと。
彼らなりの目的、そして狐乃の目的に賛同して。
住む場も与え、作法も教えてくれた彼は兄貴分の様な存在であるとも。
一通り話し終えると今度は君の事を教えてと振られる。
教えてもらえないと狐乃に叱られるからお願いだと頼まれた。
「世間話しでいいよ、好きな趣味や興味でも。俺達も営業外だしタメ口でいいから」
一人目のホストは愁也(しゅうや)という源氏名だと名乗った。
源氏名は本来クラブなどで名乗る仮の名だが、彼らは狐乃と出会ってすぐに名前をつけられたそうだ。
暮らしている人間社会でもその名を使い、世間で名乗る仮の苗字もあると。
店で最年長、ホスト引退が近いと苦笑いする四人兄弟の長男役。
「私は動物が好きな事くらいで……」
自分について語るのは難しかったりもする。
初対面の異性相手では尚更。
「へー、動物が好きなんだ。だからか、狐乃さんの働く先や俺達に馴染んでるのは」
頭の軽さと口の軽さで指名が最下位という二人目のホスト、霧人(きりと)。
出された軽食が手つかずにいたら食っていいかと尋ねて答える前に食べていた。
完食して洲汪に叱られていたがめげていない。
天然らしい四人兄弟の次男役。
「じゃあ狐も好きなんだ」
三人目のホストで優斗(ゆうと)。
時間ばかり気にする蓮美に帰りは送りの車を手配するなど教えてくれた。
ポーカーフェイスの四人兄弟の三男役。
「はい。フサフサしてるところとか、尻尾とか好きです」
「なら見せてあげるよ」
ハイハイと琉星(りゅうせい)が手を挙げる。
稲荷寿司を握ったのかと尋ねたホストで、華があり店の売れっ子だと愁也(しゅうや)が誉めていた。
四人兄弟の四男役。
「ダメだ、狐の姿になるのは掟に反するぞっ!」
洲汪は止めたが琉星はスタッフルームへと駆け込んでいく。
「狐になれるんですか……?」
引き止められた彼を心配した。
「なれますが人のいる場では禁止しています。人前で獣の姿をさらすのは命を危険にさらすのと同じ、例えばですが朝霧様が昔の狩人なら我々は狩られてしまいます。野生の防衛本能を忘れてしまえば飼い犬と同じ事ですから」
説明しているとトトトトッと狐が現れて蓮美の傍でうずくまる。
普通の狐とは大きさが違う、大型犬程のサイズで犬かと見間違えた。
「琉星です、全くお前は……」
狐にはエキノコックスという、人間にもうつる感染症を持った野生の個体がいて管理されたパークでしか触れない。
滅多にない出来事もあり、気がつけば琉星を撫でていた。
笑うような口元が愛らしく、撫でていると緊張がほどける。
「いいなぁ、俺も狐になります」
「おいっ、ダメだっ!」
止める洲汪を置いて霧人もスタッフルームに向かう。
「……」
「……」
残った愁也と優斗が無言で洲汪を見つめた。
「二人は流石にないだろうな、お前達は店でも良識あるコンビだ」
「掟は破る為にあるって聞いた事があります」
「奇遇だな、俺もだ」
愁也と優斗がどこだっけなぁ、なんだっけなぁ、思い出せないなぁなどとすっとぼける。
「行ってこい……」
「よっしゃっ!」
許可がおり、二人も引っ込むと三匹の狐が現れた。
狐達は撫でてくれと催促し、邪魔された琉星が軽く噛みつく。
「後で狐乃様に報告するからな」
洲汪に怒りまじりで言われたが誰も聞いていない。
甘える彼らを撫でていると蓮美は無性に気持ちを吐き出したくなった。
「狐乃さんの話しですが、皆さん本当に人間を恨んだりはしていないんですか?」
迷っていたが聞いた。
知らされた事実を持ち帰っても消化できそうになかったからだ。
「……正直に申しますと」
彼女の手前だからか。
言葉を選ぼうと彼は視線をさまよわせる。
「憎しみが消える事はありません、かくいう私も住んでいた地を奪われました。それでも我々は拾われた身であの方を全面的に信頼しています。狐乃様は種の存続と幸せを考え、生き抜く知恵を授けて下さいました。したたかに生きろと、化け狐なら己の心も化かして見せろというのがあの方の口癖です」
じゃれあう狐達を眺めながら、洲汪は寂しげに笑った。
「恨む対象があるとするならば人間の持つ文明そのものでしょう。個の人間を憎んだ所で、狐乃様のおっしゃった通り何かが変わる訳ではありません」
「文明ですか……?」
会話の途中。
プルルルルッと鞄の中のスマホが鳴った。
「すみません」
取り出して画面を見ると着信番号は非通知だった。
怪しいと思ったが所の職員の可能性もある、緊急かもしれない。
一言断り、纏わりつく狐達をはがして席を立つと受話ボタンを押した。
「もしもし?」
「蓮美さんですか、僕です」
声に聞き覚えがある。
命だ。
彼から電話が来るなど予想もしていなかった。
「命君、どうしたの。バグは?」
「今夜は出ないようです、なので今から会いに行ってもいいですか?」
「あ、会いに行くって場所がわからないよね。大体なんで……」
「謝りたくて」
「……え?」
「ブスって言ったから謝りたくて、直接……」
「いいよそんなの」
「位置情報をスマホから取得しました、現在地へ向かいます」
「えっ……」
ブツッと切れ、受話が途絶えたスマホを見つめる。
「朝霧様?」
立ちすくむ彼女を洲汪が心配した。
狐達も集まり何事かと頭をすり寄せる。
『謝りたくて、直接……』
来れる筈もない、彼の冗談かと考えたが。
ドンッと。
一瞬だが衝撃波を受けた。
上から来たような感覚で天井を見たがシャンデリアは揺れていない。
場にいた全員が体感したようで周りを警戒して見回す。
「どうしたの……?」
蓮美を囲むように狐達が前に出た。
口を開けて威嚇していると店の入り口から声がする。
「すみません、こんばんは……」
命の声だ。
サクサクとカーペットを踏む足音がして命が現れた。
ふらりと変わりなく。
「命君、なんで……」
「面接での履歴書から電話番号を記憶していました。僕は電波が操れるしスマホから位置情報を探れるので飛んで来たんです、今日……」
「どういう事だ……?」
話しの途中、予想外の相手が割って入った。
「何をしに来た、人工世界の神よ……」
洲汪が憤怒の表情で命を睨みつけている。
瞳には怒りと驚きの色が浮かんでいた。
「身に纏う異様な気配からわかったぞ。お前の事は狐乃様から聞いている、新たに誕生した人工世界の神だと。ここは命ある者しか立ち入りは出来ぬ場所、神であろうと貴様の様な人間の文明を守護する異端者が来ていい場所ではない」
狐達は牙を剥いて更に命を威嚇する。
「待って下さい、この人は……」
蓮美は誤解を解こうとしたが。
「出ていけ」
洲汪はテーブルにあったワインクーラーのシャンパンを引き抜き、中の氷水を命の顔めがけてぶちまけた。
「……っ」
動けない。
起こった事が理解できない。
命を見る。
命は。
水が滴るまま突っ立っていた。
「蓮美さん、あのですね……」
事態が呑み込めていないらしい。
するとナオまでやってきて彼を睨み、指をつきつける。
「気分はどうだ機械の神様。俺の家族は人間に殺されたんだ、人間が捨てた土砂の下敷きになってな。巣穴にいた父さんや母さん、兄弟も生き埋めにされて生き残ったのは俺一人だけだった。ガキだった俺はみんなを助けようとしたけど誰も助からなかったんだっ!」
ナオは命のシャツに唾を吐いた。
「くたばれっ!」
「やめてっ!」
蓮美は鞄を掴むと命の腕を引いた。
「行こうっ!」
「救えるもんなら救ってみせろよっ!」
背後からナオは怒鳴り続ける。
「神なら人間だけじゃなく、俺達命ある者すべてを救ってみせろよっ!」
店から抜け出し。
無我夢中で走った。
場所は知らない都内のどこか。
夜の中を、人込みをかき分け走った。
灯りの届かない暗闇を探して。
「……蓮美さん」
あてもなく走り続け、我に返り立ち止まった。
「心拍数が上がりすぎています、止まりましょう」
彼は体に触れると相手の状態が読み込める。
呼吸が乱れ、息を吸う度に喉が痛んだ。
氷水をかぶった命は髪もシャツも濡れている。
ちょうど近くに公園があった。
「命君、こっち来て……」
憩いの場的な広場とベンチしかない小さな公園だった。
息が整わないまま、公園内のベンチに座らせるとハンカチを取り出す。
街灯の灯りの下、乱暴にワシャワシャと髪を拭いた。
「はずみざん、ぞれででずね、ブズッて言っで僕は謝ろうど思っで……」
頭がガクンガクンとなりながら彼が話す。
「うん……」
「まだ怒っでるがど思っで……」
「うん……」
「ぞれで……」
「うん……」
「なんで泣いでいるのでずが?」
蓮美はボロボロと泣いていた。
命が来ているシャツは店で買ったばかりの物だった。
泣きたくなかったし、泣き顔を見られたくなかったがどうにもならなかった。
泣き虫はなかなか治らない。
「さっきいた場所でひどい事をされたのですか?」
ハンカチで拭いていた手を止める。
「違うよ……」
腹が立って悔しいのだ。
踏み込みすぎずにお互いの世界を認め、良い点に目を向ける。
浅い考えを抱いていた自分に。
自分を所に受け入れてどんな気持ちでいたのかを、悟狸の気持ちを考えていた。
人間の自分や、傍らに文明の証となる命がいる事にどんな本音を隠しているのかを。
内心は複雑な筈だ、だが命は望んで神として生まれてきた訳ではない。
彼は悪くない。
苦しい。
胸が。
心が。
「なんで来たりしたの……?」
涙を拭かないまま尋ねる。
「土日に何を食べたらいいか聞いたら蓮美さんまだ怒ってたみたいだったので。謝りに来たとさっきから僕は言ってるんですが……」
「本気で怒ったりはしてないよ、それより都会の中だけど大丈夫なの。ネットに繋がったり、飛んできたとこ誰かに見られたりとか……」
「大丈夫です、飛行しても肉眼では星にしか見えませんし、着地しても見えません。回線も異常なし」
命はハンカチをポケットから取り出すと彼女の涙を拭いた。
「泣いてる顔がブスです」
「うるさい、君は図々しいのか繊細なのかわからないな」
やがて涙も止まり、コンビニを見つけると彼の土日の食事を選んだ。
パンやおにぎり、サラダに総菜と沢山買う。
買い終わって駅を探すと住んでいるアパートから近い場所とわかる。
命は最寄りの駅まで蓮美に付き添った。
帰宅時のラッシュで駅入り口は無数の人の波が押し寄せる。
「ちゃんと食べてね」
「はい、月曜日にまた……」
蓮美は人込みの中へと消えていき、肩を落とした後姿は小さくなる。
小さく。
小さく。
命は彼女の姿が見えなくなると掌を見つめた。
走りながら。
彼女が泣きながら握っていた自分の手を不思議そうに。
いつまでも置き物になっている蓮美におもんばかり、残りのホスト達は捌けさせて。
「狐乃様が四人兄弟とあだ名で呼ぶ懇意のメンバーです、よくつるむので私用で呼ばれたり世話役を任せられたりしています」
呼ばれた四人は自己紹介をすると店に集まった経緯などを話してくれた。
狐乃は人間に対し厳しい口調だったが全員が望んで東京について来たと。
彼らなりの目的、そして狐乃の目的に賛同して。
住む場も与え、作法も教えてくれた彼は兄貴分の様な存在であるとも。
一通り話し終えると今度は君の事を教えてと振られる。
教えてもらえないと狐乃に叱られるからお願いだと頼まれた。
「世間話しでいいよ、好きな趣味や興味でも。俺達も営業外だしタメ口でいいから」
一人目のホストは愁也(しゅうや)という源氏名だと名乗った。
源氏名は本来クラブなどで名乗る仮の名だが、彼らは狐乃と出会ってすぐに名前をつけられたそうだ。
暮らしている人間社会でもその名を使い、世間で名乗る仮の苗字もあると。
店で最年長、ホスト引退が近いと苦笑いする四人兄弟の長男役。
「私は動物が好きな事くらいで……」
自分について語るのは難しかったりもする。
初対面の異性相手では尚更。
「へー、動物が好きなんだ。だからか、狐乃さんの働く先や俺達に馴染んでるのは」
頭の軽さと口の軽さで指名が最下位という二人目のホスト、霧人(きりと)。
出された軽食が手つかずにいたら食っていいかと尋ねて答える前に食べていた。
完食して洲汪に叱られていたがめげていない。
天然らしい四人兄弟の次男役。
「じゃあ狐も好きなんだ」
三人目のホストで優斗(ゆうと)。
時間ばかり気にする蓮美に帰りは送りの車を手配するなど教えてくれた。
ポーカーフェイスの四人兄弟の三男役。
「はい。フサフサしてるところとか、尻尾とか好きです」
「なら見せてあげるよ」
ハイハイと琉星(りゅうせい)が手を挙げる。
稲荷寿司を握ったのかと尋ねたホストで、華があり店の売れっ子だと愁也(しゅうや)が誉めていた。
四人兄弟の四男役。
「ダメだ、狐の姿になるのは掟に反するぞっ!」
洲汪は止めたが琉星はスタッフルームへと駆け込んでいく。
「狐になれるんですか……?」
引き止められた彼を心配した。
「なれますが人のいる場では禁止しています。人前で獣の姿をさらすのは命を危険にさらすのと同じ、例えばですが朝霧様が昔の狩人なら我々は狩られてしまいます。野生の防衛本能を忘れてしまえば飼い犬と同じ事ですから」
説明しているとトトトトッと狐が現れて蓮美の傍でうずくまる。
普通の狐とは大きさが違う、大型犬程のサイズで犬かと見間違えた。
「琉星です、全くお前は……」
狐にはエキノコックスという、人間にもうつる感染症を持った野生の個体がいて管理されたパークでしか触れない。
滅多にない出来事もあり、気がつけば琉星を撫でていた。
笑うような口元が愛らしく、撫でていると緊張がほどける。
「いいなぁ、俺も狐になります」
「おいっ、ダメだっ!」
止める洲汪を置いて霧人もスタッフルームに向かう。
「……」
「……」
残った愁也と優斗が無言で洲汪を見つめた。
「二人は流石にないだろうな、お前達は店でも良識あるコンビだ」
「掟は破る為にあるって聞いた事があります」
「奇遇だな、俺もだ」
愁也と優斗がどこだっけなぁ、なんだっけなぁ、思い出せないなぁなどとすっとぼける。
「行ってこい……」
「よっしゃっ!」
許可がおり、二人も引っ込むと三匹の狐が現れた。
狐達は撫でてくれと催促し、邪魔された琉星が軽く噛みつく。
「後で狐乃様に報告するからな」
洲汪に怒りまじりで言われたが誰も聞いていない。
甘える彼らを撫でていると蓮美は無性に気持ちを吐き出したくなった。
「狐乃さんの話しですが、皆さん本当に人間を恨んだりはしていないんですか?」
迷っていたが聞いた。
知らされた事実を持ち帰っても消化できそうになかったからだ。
「……正直に申しますと」
彼女の手前だからか。
言葉を選ぼうと彼は視線をさまよわせる。
「憎しみが消える事はありません、かくいう私も住んでいた地を奪われました。それでも我々は拾われた身であの方を全面的に信頼しています。狐乃様は種の存続と幸せを考え、生き抜く知恵を授けて下さいました。したたかに生きろと、化け狐なら己の心も化かして見せろというのがあの方の口癖です」
じゃれあう狐達を眺めながら、洲汪は寂しげに笑った。
「恨む対象があるとするならば人間の持つ文明そのものでしょう。個の人間を憎んだ所で、狐乃様のおっしゃった通り何かが変わる訳ではありません」
「文明ですか……?」
会話の途中。
プルルルルッと鞄の中のスマホが鳴った。
「すみません」
取り出して画面を見ると着信番号は非通知だった。
怪しいと思ったが所の職員の可能性もある、緊急かもしれない。
一言断り、纏わりつく狐達をはがして席を立つと受話ボタンを押した。
「もしもし?」
「蓮美さんですか、僕です」
声に聞き覚えがある。
命だ。
彼から電話が来るなど予想もしていなかった。
「命君、どうしたの。バグは?」
「今夜は出ないようです、なので今から会いに行ってもいいですか?」
「あ、会いに行くって場所がわからないよね。大体なんで……」
「謝りたくて」
「……え?」
「ブスって言ったから謝りたくて、直接……」
「いいよそんなの」
「位置情報をスマホから取得しました、現在地へ向かいます」
「えっ……」
ブツッと切れ、受話が途絶えたスマホを見つめる。
「朝霧様?」
立ちすくむ彼女を洲汪が心配した。
狐達も集まり何事かと頭をすり寄せる。
『謝りたくて、直接……』
来れる筈もない、彼の冗談かと考えたが。
ドンッと。
一瞬だが衝撃波を受けた。
上から来たような感覚で天井を見たがシャンデリアは揺れていない。
場にいた全員が体感したようで周りを警戒して見回す。
「どうしたの……?」
蓮美を囲むように狐達が前に出た。
口を開けて威嚇していると店の入り口から声がする。
「すみません、こんばんは……」
命の声だ。
サクサクとカーペットを踏む足音がして命が現れた。
ふらりと変わりなく。
「命君、なんで……」
「面接での履歴書から電話番号を記憶していました。僕は電波が操れるしスマホから位置情報を探れるので飛んで来たんです、今日……」
「どういう事だ……?」
話しの途中、予想外の相手が割って入った。
「何をしに来た、人工世界の神よ……」
洲汪が憤怒の表情で命を睨みつけている。
瞳には怒りと驚きの色が浮かんでいた。
「身に纏う異様な気配からわかったぞ。お前の事は狐乃様から聞いている、新たに誕生した人工世界の神だと。ここは命ある者しか立ち入りは出来ぬ場所、神であろうと貴様の様な人間の文明を守護する異端者が来ていい場所ではない」
狐達は牙を剥いて更に命を威嚇する。
「待って下さい、この人は……」
蓮美は誤解を解こうとしたが。
「出ていけ」
洲汪はテーブルにあったワインクーラーのシャンパンを引き抜き、中の氷水を命の顔めがけてぶちまけた。
「……っ」
動けない。
起こった事が理解できない。
命を見る。
命は。
水が滴るまま突っ立っていた。
「蓮美さん、あのですね……」
事態が呑み込めていないらしい。
するとナオまでやってきて彼を睨み、指をつきつける。
「気分はどうだ機械の神様。俺の家族は人間に殺されたんだ、人間が捨てた土砂の下敷きになってな。巣穴にいた父さんや母さん、兄弟も生き埋めにされて生き残ったのは俺一人だけだった。ガキだった俺はみんなを助けようとしたけど誰も助からなかったんだっ!」
ナオは命のシャツに唾を吐いた。
「くたばれっ!」
「やめてっ!」
蓮美は鞄を掴むと命の腕を引いた。
「行こうっ!」
「救えるもんなら救ってみせろよっ!」
背後からナオは怒鳴り続ける。
「神なら人間だけじゃなく、俺達命ある者すべてを救ってみせろよっ!」
店から抜け出し。
無我夢中で走った。
場所は知らない都内のどこか。
夜の中を、人込みをかき分け走った。
灯りの届かない暗闇を探して。
「……蓮美さん」
あてもなく走り続け、我に返り立ち止まった。
「心拍数が上がりすぎています、止まりましょう」
彼は体に触れると相手の状態が読み込める。
呼吸が乱れ、息を吸う度に喉が痛んだ。
氷水をかぶった命は髪もシャツも濡れている。
ちょうど近くに公園があった。
「命君、こっち来て……」
憩いの場的な広場とベンチしかない小さな公園だった。
息が整わないまま、公園内のベンチに座らせるとハンカチを取り出す。
街灯の灯りの下、乱暴にワシャワシャと髪を拭いた。
「はずみざん、ぞれででずね、ブズッて言っで僕は謝ろうど思っで……」
頭がガクンガクンとなりながら彼が話す。
「うん……」
「まだ怒っでるがど思っで……」
「うん……」
「ぞれで……」
「うん……」
「なんで泣いでいるのでずが?」
蓮美はボロボロと泣いていた。
命が来ているシャツは店で買ったばかりの物だった。
泣きたくなかったし、泣き顔を見られたくなかったがどうにもならなかった。
泣き虫はなかなか治らない。
「さっきいた場所でひどい事をされたのですか?」
ハンカチで拭いていた手を止める。
「違うよ……」
腹が立って悔しいのだ。
踏み込みすぎずにお互いの世界を認め、良い点に目を向ける。
浅い考えを抱いていた自分に。
自分を所に受け入れてどんな気持ちでいたのかを、悟狸の気持ちを考えていた。
人間の自分や、傍らに文明の証となる命がいる事にどんな本音を隠しているのかを。
内心は複雑な筈だ、だが命は望んで神として生まれてきた訳ではない。
彼は悪くない。
苦しい。
胸が。
心が。
「なんで来たりしたの……?」
涙を拭かないまま尋ねる。
「土日に何を食べたらいいか聞いたら蓮美さんまだ怒ってたみたいだったので。謝りに来たとさっきから僕は言ってるんですが……」
「本気で怒ったりはしてないよ、それより都会の中だけど大丈夫なの。ネットに繋がったり、飛んできたとこ誰かに見られたりとか……」
「大丈夫です、飛行しても肉眼では星にしか見えませんし、着地しても見えません。回線も異常なし」
命はハンカチをポケットから取り出すと彼女の涙を拭いた。
「泣いてる顔がブスです」
「うるさい、君は図々しいのか繊細なのかわからないな」
やがて涙も止まり、コンビニを見つけると彼の土日の食事を選んだ。
パンやおにぎり、サラダに総菜と沢山買う。
買い終わって駅を探すと住んでいるアパートから近い場所とわかる。
命は最寄りの駅まで蓮美に付き添った。
帰宅時のラッシュで駅入り口は無数の人の波が押し寄せる。
「ちゃんと食べてね」
「はい、月曜日にまた……」
蓮美は人込みの中へと消えていき、肩を落とした後姿は小さくなる。
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