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四章
31/和兎
しおりを挟む「悟狸さん、午前は蓮美とジムで鍛えたいんだけどいいかしら。温泉にも入ろうと思うんだけど」
やおよろず生活安全所の入所から二週目に突入した月曜日。
少々汗ばむ気温の中、和兎が悟狸に提案した。
「構わないよ、そろそろ蓮美君にも所内を体験してもらおうと僕も思っていたし」
「じゃあ蓮美、仕事の区切りがついたらどう?」
「はい」
蓮美は書類の肉球ハンコ確認を一通り終わらせる。
「行きましょうか」
道具一式あればいつでもジムも温泉も入れると伝えられていたので事前に用意はしてあった。
手順として女湯の脱衣場でジャージに着替えてからジムへと入る。
来るのは所を案内されて以来だ。
サンドバッグ、バランスボール、ヨガセット、ランニングマシーン、ロッカーと揃っている。
気になるのは設備を所内に持ち込んだ方法で、聞けば閉鎖したジムを買い取って空間をつなげたそうだ。
丸ごと中身を持ってきた。
理解は追いつかないが温泉も同じであるらしい。
「さ、蓮美もやってみて」
和兎はグローブを渡すとサンドバッグの前に連れていく。
「ストレス解消の感覚でいいわよ、命君の顔を思い浮かべながらするとかね」
彼女の冗談に蓮美は笑い、渡されたグローブをはめて構えてみる。
パンチをするとサンドバッグは重く、パスンッと音がしただけで手首が痛んだ。
「脇をしめてみて」
指導を受けてパンチをするとサンドバッグがゆらりと揺れた。
「そうそう、その調子。このエクササイズはくびれができて美容にもいいのよ」
「本当ですか?」
俄然やる気が出てサンドバッグを叩く。
リズムを掴み、夢中で叩いていると胸のわだかまりが消えていくような気がした。
先週の金曜日の狐乃が経営しているクラブでの出来事。
マガツカミが命を食べる事、住処を追われた狐達、店に突然訪れた命への仕打ち。
ショックが重なって蓮美は土日を落ち込んで過ごした。
就職が決まって楽しみとなる週末だった筈なのに。
ゴリラのドラミング。
ホエザルの独特な雄叫び。
相撲を取るプレーリードッグなど動物の動画を見て気持ちを奮い立たそうとしたが、立ち直る事はできなかった。
どうしても考えてしまうのだ。
所の一員となり、皆と少しでも近い立場にいれたらと思っていた。
思っていたのだが。
自身が人間というこちら側では異種な存在で、彼らの住む世界と領域を犯す側と理解して罪悪感に苛まれたからだった。
今そこまで考える必要はなくても、今後関わっていく上で不都合な真実にぶつかるかもしれない。
その時に顔向けできているのか、考えると不安でたまらなかった。
ここでの勤務を続けていけるかに。
「蓮美」
考え事で手が止まっていた。
「他のもよかったらどんどん試してみて」
「はい」
ぼんやりしていたら悪い。
迷いを振り切るようサンドバッグに拳を打ち込んでいく。
命はというと顔を会わすなり。
「おかちめんことおかめちんこ、違いはなーんだっ?」
という謎なクイズを出してきたがその姿を見て、ああよかった、通常通りだと安心する自分がいた。
落ち込んではいなかったし、というかあそこで何があったかわかっていないようだった。
ちなみに聞かれたクイズは無視した。
しつこく質問してきたが無視した。
代わりに後から来た犬威に同じ質問をしていた。
狐乃の方は朝から不機嫌な顔でやってきて命や蓮美に見向きもしなかった。
スタッフから起こった事態を聞いたのだろう。
刺激しないよう、あの件を彼の前で口にはしなかった。
和兎はランニングマシーンに打ち込んでいる。
自分もサンドバッグに集中し、コツを掴んだところで和兎が温泉に誘ってくれる。
女湯へ行き、脱衣場で汗をかいたジャージを脱いだ。
ジムと温泉があるなど、お膳立てがよくできているなぁと思う。
ガラス扉をくぐると前に来た時と同じ、広い大浴場が広がっていた。
蛇口の湯で軽く体を洗うと二人で湯に浸かる。
湯加減はちょうどよかった。
「気持ちいいです」
「でしょ、疲れたら来て。疲労回復がバッチリだから」
話しながら何気なく和兎を見た時だった。
彼らの手は人間の様に五本指だが、全身は動物そのままの体毛で覆われている。
和兎もだが、彼女の肩を覆っている白い毛が一部抜け落ちている事に気が付いた。
肩以外にも首筋の辺りの毛が生え揃っていない。
視線に気が付いたらしく、彼女と目が合った。
「すみません、ジロジロ見ていて」
「いいのよ別に。これね、マガツカミと戦った傷跡なの」
和兎はあっけらかんとして言ったが、ここでもショックを受ける。
「マガツカミ様と……」
「うん、彼らは強いから。でも傷も痣も私にとっての勲章よ、女だって戦えるっていう勲章」
彼女はアハハと笑ったが蓮美は笑わない。
自分はまだマガツカミの存在についてほとんど知らないからだ。
知ったのは狐乃から知らされた生き物を食べるというショッキングな事実だった。
「誰かに何か言われたの?」
「え……」
「だって蓮美、今朝から元気がないもの。狐乃君も不機嫌だし、殿方って考えを素直に伝えないのよね。態度だけで伝わるもんじゃなしにじれったい、彼に何か言われたなら私がやり返してあげるから」
彼女は真剣だった。
本気で自分の事を心配してくれている。
「何も……」
言いかけたが聞きたかった。
彼らの本音を。
「和兎さん、人間は好きですか……?」
「どうしたの、急に」
「悟狸さんからマガツカミ様について私は少ししか聞いていなくて。自然を荒らしたり、住処を荒らす場所に現れる行き場のない神様だって……」
人を食べるのかとはまだ聞けない。
「……確かにそういう存在ね」
和兎は湯を顔にパシャリとかける。
「和兎さん、私に言いましたよね。今は私達、祀ってはもらえないフリーの眷属だから、身の回りのお掃除をしてくれる人間もいなくてって。あれはお仕えしていた神様の住んでいた場所がなくなったとか、お仕えしていた神様がいなくなった、それってマガツカミ様になったという意味なんでしょうか?」
考え抜いた結果の確信部分だった。
そもそも彼らが仕える神とは今、どこにいるのか。
考えてさらに落ち込んだ。
「……」
和兎は答えず黙っている。
「私は人間だし皆さんにとって敵になるんじゃないかと思って。あ、これは誰にも言わないで欲しいんです」
「大丈夫よ、私の口はこの拳と同じくらいに固いんだから」
和兎は湯船から手を出して拳を作って笑ってみせた。
「敵、というのは違うかしらね。人間との関わりに関して答えなんてないと私は思ってる」
「答えなんてない……?」
「文明を発達させたのは事実人間達だし、私達自然の霊性や動物はいずれ淘汰されるか危機に瀕するだろうと予測はしてるの。ひ弱な存在なの、私達なんて。人間の足元にも及ばないからとても敵なんて言えないわ。だって勝てないもの、私達がどうあろうと人間の持つ文明には抗えない」
和兎はまたパシャリと顔に湯をかける。
「でも、だからと言って人間すべてを嫌う事はないわ」
「なぜですか?」
「あなたみたいな人間もいるからよ」
和兎は蓮美に微笑んだ。
「過去にあなたみたいな人間に出会った事があるわ。百人に一人、千人に一人でもあなたのような人間がいるの。私達はぐれ者になってしまった御使いに、おいしいお供物を作ってくれるあなたみたいな人がね。私は幸せよ、かわいい後輩ができて、こうして一緒に温泉に入れて。今はそれだけで十分、それだけでいい。私の守護は愛と縁、あなたとの巡り合わせを信じてる」
玉砂利の敷かれた庭の鹿威しがカツンッと音をたてた。
「だから自信を失わないで蓮美、マガツカミとあなたをつなげて考えはしないで。何があったか知らないけれど私はあなたの味方よ。一人の人間である前にあなたは私達の仲間、ここはあなたの居場所なんだから」
「私の居場所……」
「人間に色々な意見があるように私達にも色々な意見があるわ。でも流されなくていいの、あなたはあなたなんだから。悩みが起きてつまづいたら、また一緒に考えていきましょう」
「……はい」
和兎は微笑み、鼻まで湯につかった。
蓮美もパシャリと湯を顔にかける。
浮かべた涙を彼女に悟られないように。
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