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愚者(メリーレ)編
寝酒◇結婚後
しおりを挟む(本編はまだ結婚してませんが)結婚後の小話です。
アイリスが隠し続けてきた弱音や弱点は多くある。
「……アイリス、まだ起きて居たのか?」
ぼんやりとベッドに座って月を見上げていたアイリスが、静かに寝室に入ったリュートを見上げた。月明かりだけが差し込む夜。その光を浴びて、アイリスは美しく輝いていた。
「リュートさまこそ、こんな時間までお仕事ですか?わたくしずっと待ってましたのに」
リュートの手を取ってわらう。金色の瞳で。ふと、夜は。アイリスの目が銀色に光るように見える時がある。特にこうして月明かりを浴びている時は。
その度に女神リリスを思い出して、リュートはたまらない気持ちになる。
それでも近くで見つめると蕩けるような優しい金色をして、リュートの胸を締め付ける。
銀色の頭をそっと撫ぜ、自分の胸に寄せる。
「……眠れないのか?」
アイリスは小さく笑って、頷いた。
アイリスは前世、毒を飲んで死んだ。今世でも、ラトラと和解するまでは、ラトラに呑み込まれることを恐れていた。
眠ると、そのまま女神に成り果ててしまうのではないか。実際、リリスのようにアイリスを乗っ取っていた女神もいる。
もう目覚めることはないのでは。
そんな恐怖に、ずっとアイリスはひとりで耐えていた。
結婚して、寝室を共にするようになり。
アイリスが寝酒をすることを知った。
酔った姿もいつかのアイリスの誕生日パーティーで、一度見た限りで。アイリスがワイングラスを手に持つことはあっても、それは飾りに過ぎなかった。
リュートも頭痛持ちで頭痛薬を常備しているが、アイリスには薬がない。
眠る感覚に慣れないのだという。もう怖くなんてないのに、ずっと、前世から眠ることを恐れていた癖が抜けないのだという。眠り方が分からない。
そして寝ても夢を見る。女神になる夢。羽が生える夢。そして、前世の夢。
毒を飲む。羽を抉る。
「今日は、よく疲れたから。寝れると思いましたのに」
アイリスはベッドの上で、リュートに抱きしめられながら歌うように囁く。
「カエサルもいい加減落ち着くべきだ」
「ふふ。かわいいでしょう。昔からわたくしの後を追い回していたもの」
リュートの弟であるカエサルと、母である王妃とアイリスは今日一日共に過ごしていたらしい。中庭にいるのを、リュートは執務室からたまに見下ろしていた。
絹のような銀色の髪をすいて、柔らかな毛に指を通す。月の光よりも、陽の光に透ける方がこの髪は美しかったなと思った。
「カエサルまでアイリスの虜か」
「王妃殿下がしっかり躾してくださるから、きっとすぐに目が覚めるわ」
あの弟も困ったものだ。アイリスのことばかり追いかけている。おまえの女神は兄と結婚したのだと言っても、懲りずに。
十数年ぶりの、もう二人目は無理だと言われていた王妃にまたしても王子が生まれたおかげで、カエサルはそれはそれは甘やかされて育っている。
王妃の躾など、リュートの時と比べれば別人のように穏やかだ。リュートしかいなかった王妃にも、カエサルのおかげで余裕ができた。
けれど一度も両親に叱られずに育ったアイリスに言わせると、王妃はよく怒るお人らしい。
リュートは厳しく育てられたが、けれど叱られたからこそまともに育つことができたと思っている。魑魅魍魎が集まる城では、甘ったれていたら直ぐに取って喰われてしまうだろう。
アイリスはどうして親の躾もなしに、取って喰う側の頂点に立てるのか。天性のものとしかリュートは思えない。前世では今よりも悪行を積み重ねていたようだった。
処刑が許されるほど。
性格と意地だけが悪いリュートの妻は、それでも今は静かに腕の中にいる。
眠れないことも隠して、弱みを隠して。
やっと、その弱みをようやく最近見せてくれるようになったのだ。まだまだリュートはこれから、アイリスと歩み寄る余地がたくさんある。
リュートだって、おそろしい。またどの女神がアイリスに目をつけるかも分からないし、アイリスに羽が生えるかもしれない。いつか天界に行きたいのだとも、言われた。
「アイリス。眠れそうか?」
「ええ。お酒よりもよっぽど」
アイリスはリュートと結婚して、しばらく経つと寝酒をやめた。リュートがいれば眠れると言って。柔らかな温もりを抱きしめて、目を閉じる。
「おやすみなさいませ」
「おやすみ、アイリス」
アイリスがいつまでもこの腕の中で眠ってくれるよう、祈りながら目を閉じた。
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