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8 リーシャの選択

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◇◇◇
(side リーシャ)

「ごめんなさいねぇ、リーシャさん」

 いつも通りのもっさりに戻ったルミカーラ嬢は、紅茶のカップを片手に、まるで申し訳ないと思っていなさそうな顔でそう言った。
 その横の一人がけソファには、何故かゼミのクマ先生。
 そしてさらに謎なことには、わたしの座っている二人がけのソファの真横には王太子殿下。それもかなり近い。

「どういうことですか、蒼……ルミカーラ様! よりにもよって、この人、わたしのことを聖女とか言うんですけど!」

 ここのところ、あまりにも言い寄られすぎて、王太子殿下への扱いが雑になってきてしまった。それでも王太子殿下は不敬罪で咎めるでもなく、へらりへらりと笑って聞き流しているから始末に負えない。

「あら、貴女は聖女でしょう? 卒業パーティで起こる悲劇を未来視して、それを避けるべく尽力なさったのよね?」

「う……ぐ……間違っては……いないですけど……」

 前世とか、『レイつま』とかの話をすっ飛ばすと、そういうことになる……のか?
 わたしのここ半年の奇行を説明するには、確かに『未来視』とでも言わないと説明がつかない。それは分かる、けど。

「貴女の事情を、貴女の許可も得ずに殿下に話してしまったのは申し訳なかったわ。でもね、リーシャさん、分っていて?」

「何を……ですか?」

「未来視の中で、サイゼル子爵はわたくしに断罪され、利用されていた貴女はわたくしの監視下に置く、という名目でわたくしの侍女になっていたのよね?」

「はい」

 王城勤めの侍女。わたしが望んでいた未来はまさにそれで、王太子殿下の婚約者、ひいては王太子妃なんていう大それたものではない。

「でもそれが許されたのは、卒業パーティの場で召喚獣によって王太子殿下が殺され、空位となった王太子位に王弟ベアトルト殿下が就かれ、さらに愛息子を失ったショックで現国王陛下が退位され、思いがけず即位することとなったベアトルト新王の妃にわたくしが納まったからこそ出来た、恩赦と権力の合わせ技よ。ただの公爵令嬢にも、王弟妃にもそんな権限はないわ」

「ちょっ、ルミカーラ様!?」

 王太子殿下本人の前で、堂々と『殿下は死ぬはずだった』と告げたルミカーラ嬢に、わたしは焦りまくった声を上げた。誰だって、自分が死ぬ未来なんて聞いて良い気持ちはしない。
 なのに、わたしを宥めたのは隣に座る王太子殿下本人だった。

「大丈夫だよ、リーシャ。君が召喚獣から僕を庇って、隔絶結界なんて失われた魔術を使った時点で、予想は付いていたから」

 ニコニコと笑っている王太子殿下だけれど、何故か獲物を見つけたライオンのような、舌なめずりしそうな目をしている。おかしい。表情と雰囲気が一致しない。

「貴女を死なせたくはなかったの。だって、貴女はわたくしのかけがえのない友人で、同士ですもの。騙されたとはいえ、売国奴の義父に従っての外患誘致。普通なら、一族郎党処刑が相当よ。そうなれば、貴女が救おうとしていたお母さまも――」

 わたしは鉛を飲まされたような気がした。
 そうだ。ここは日本じゃない。重い罪を犯した家族がいれば、本人はまるで知らなかったことでも、連座で処刑されることもあり得る世界。
 母さんだけは……母さんだけは、なんとしても助けたかった。だって、母さんは本当に何も関係がない。単に、わたしが子爵に目を付けられて、わたしに言うことを聞かせるための駒として毒を飲まされただけだ。純然たる被害者。それなのに、わたしのせいで――今度は、処刑されるの?

「そんな顔をしないで。貴女が聖女で、自ら王妃になるというのなら、わたくしの権限なんて関係ないわ。自分自身の権限で、お母さまを救えるもの。それに……王太子殿下ご自身も、貴女を憎からず思ってくださっていたようだし」

 チラ、とルミカーラ嬢が視線をくれた王太子殿下だけれど、本人は顔色も変えずにしらっとしている。否定するでも肯定するでもなく。照れるくらいしても罰は当たらないと思うんだけど。

「貴女は未来視の聖女で、身を挺して王太子殿下を庇った殿下の恩人で、父親よりも国を選んだ忠義の人で、召喚獣にも対抗しうる魔法使いでもあるわ。王太子殿下が望まれるなら、フォルゲンシュタイン公爵家の養女にしてもいい。王妃たるに充分な資格だわ」

 そこで、わたしは唐突に理解した。
 卒業パーティでの婚約破棄、転生した以上一度やってみたかったとルミカーラ嬢は言っていたけれど……あれは、十中八九、わたしのためだ。
 サイゼル子爵が人知れず捕縛された場合、わたしの立場は共犯者だ。利用されたなんて情状を酌量してくれるほど、この国は平民に優しくない。わたしは処刑か良くて犯罪奴隷、母さんだって連座でただでは済まない。
 けれど卒業パーティという公の場で、わたしが王太子殿下を庇ったところを大勢の貴族が目撃した。それも、保護者として参加していた宰相、騎士団長、王弟という大物貴族たちだ。わたしの罪を軽くするために、必要な証人だったのだろう。
 召喚獣とわたしが戦っていたとき、ルミカーラ嬢が割って入ったタイミングは、わたしが死ぬ寸前のギリギリだった。あれもまた、わたしがサイゼル子爵と敵対し、王太子殿下側であることを印象付けたかったに違いない。
 もうひとつ、ルミカーラ嬢は、わたしのことを『召喚獣にも対抗しうる』と言った。仮に隣国が召喚獣でこの国に攻め込んできたとしても、この国にはルミカーラ嬢――神絵師の蒼花先生がいる。ひょっとしたら……ひょっとしたら。蒼花先生は、あそこであまりに圧倒的な自らの召喚魔法を疲労することで、王家に自分自身を脅威と認識させたのではないだろうか。あれは、一国すら倒せる戦力だった。しかも、サイゼル子爵ですら何頭もの召喚獣を呼び出して魔力切れを起こさなかった。蒼花先生とクマ先生の魔力なら、召喚獣の軍隊すら作れるかもしれない。その蒼花先生が王家に牙を剥いたら……。可能性がゼロでない以上、召喚魔法とは全く別の理論で召喚獣に唯一対抗しうるかもしれないわたしを、王家が無闇に殺すことはないだろう。

「……」

 目を皿のようにしてルミカーラ嬢の顔を見つめるわたしに、ルミカーラ嬢は薔薇色の舌を小さく出した。

「あら、色々とバレちゃったかしら」

 ここまでしてもらって、応えないでは女が廃る。
 女は度胸。王妃、やってやろうじゃないか。
 幸いにも、オカン体質な王太子殿下は嫌いじゃないし、契約結婚、政略結婚、ドンと来いだ。
 わたしは隣に座る王太子殿下を見据え、宣言した。

「先日の三つの選択肢ですが、わたしは王妃を選びます」

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