Money or Songs(仮)

SUNO

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第一章 美琴

3曲目 琥珀

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 美琴は数日間、サンドリヨンでの出来事を何度も思い出していた。琥珀の歌声は一般人が言う、「うまい」というレベルを遥かに超えていた。
 声は音域なんてないんではないかと思うほど、高音も低音も余裕たっぷりに歌い上げていた。繊細で透明感のある声なのに力強い。あんな華奢な体どこからあれだけの力のある声が出せるのか美琴は不思議だった。
 琥珀が歌い始めると美琴は全身で彼女の歌に集中して聞いていた。音の安定感やリズム感も素晴らしいが、表現力や個性的で魅力的な声を忘れることができなかった。
 美琴や八上が学祭やイベントのステージで披露するようなレベルとは別次元の、本物の才能がある人の歌声だった。あれが本物の才能というものなのだろう。
 
 琥珀の歌っていた曲は来店客のリクエストばかりだったようだ。流行り曲や誰もが知っている有名な洋楽が歌われていた。どれも彼女の声質に合うようにアレンジされていて、オリジナルにはない魅力があった。もちろん美琴の曲が歌われるはずなどない。

「作曲、進んでるのか?」

 誰かから呼びかけられて美琴は我に返った。教室で譜面に向き合っていた美琴に八上が顔をのぞかせる。

「まあまあかな」

 琥珀の歌を聞いてから、美琴の作曲活動はすこぶる調子良かった。作りかけだった曲の主旋律も決まり、新しい曲の案も次々湧き上がっていた。曲を作りながら、琥珀だったらどう歌うだろう? 琥珀にはどういう歌詞が合うだろうと考えると、美琴はワクワクする気持ちが止まらなくなった。今日も、授業中にもかかわらず無心になって曲を書いていた。いつの間に昼休みになっていたのに気がつく。
 八上が、歌詞を覗こうとするので、美琴は手で抑えた。

「まだ書きかけだし、部外者閲覧禁止だから」
「そう?」

 八上は小馬鹿にするように笑う。

「なに? なんか用事?」
「用事? じゃないだろ。この間の交流会のプリント、まだ顧問に渡してないらしいじゃん。交流会の連絡、まだ顧問に提出してないって聞いて。向こうがプログラムだけでも知りたいから来週末には教えてほしいってさ」
「忘れてた……ごめん」

 八上に渡されていたプリントはまだ美琴の鞄の中に入っていた。選曲もすでに大体決まっていたが、サボっている1年たちに参加の意思があるのがまだ聞けないでいた。

「今回の運営委員って確か、西高の三郷みさとたちだったよね。私、ライン知ってるから直接連絡しておく。プリントも今週中には顧問に渡しとく」
「ああ……それはいいんだけど」

 美琴が八上の目をみると何か言いたそうにしているのがわかった。

「何?」

 聞くと、今度は切り出しづらそうな表情をする。

「言おうか迷ってたんだけどさ、ギター部の連中でうちの軽音部入る気ない?」
「は?」
「ギター部を廃部にしろっていう意味で言ってるわけじゃない、でもそっちの部って人数減ってるし、存続危ういだろ? 籍だけうちに置いて、活動自体は今まで通りそっちのバンドで好きな音楽やればいいし」
「え、ちょっと何言ってるかわかんない」
「ほら、うちの軽音部と参加するイベントほとんど同じだし、うちとしても大国や2年の蒲川がきてくれるといい刺激になるっていうか……」

 いつも、余裕そうな表情をしている八上がの表情が硬くなった。

「だよな。冗談だって、言ってみただけだから。そろそろ飯行くわ、作曲頑張れよ」

 八上はいつも連んでいる男子に呼ばれると、廊下へ消えていった。八上に悪気がないのはわかっていた。むしろ美琴たちを心配してくれているのだろう。しかし、部の問題について友人に同情されているのが美琴は情けなく感じた。
 及川が購買のパンを買って戻ると、席に座る。腕には3個ほどのパンを抱えていた。

「ねえ、八上来てなかった? デートの誘い? それとも部活の話?」
「あんたはいつも脳天気そうでいいね」
「なんだよ、なんか馬鹿にしてない?」

 美琴は及川に八上から聞いた提案のことを話した。部員が美琴を入れて数人で廃部寸前だということや新入生が早くも部活をサボり始めていること、交流会の申請に悩んでいることを伝える。

「え、いいじゃん。軽音部入っちゃえば? だって、所属が変わるだけでそのまま活動はできるんだろ? 八上、いいやつじゃん」
「う、それは」
「ま、そんな簡単な話じゃないか、代々受け継いできた、レキシってもんがあるだろうし、大国は大国でプライドがあるよな。転部となるとそれはそれで色々めんどくさそうだし」

 プライド……か。美琴だけの話ではない、残ってくれている蒲川やかろうじて参加している1年神崎だっている。

「え、なになに? 八上君の話題?」

 近くで昼食を食べていた内海うちうみたちが加わる。なんでも飲み物を売店で買って教室に戻るときに八上たちとすれ違ったらしい。

「大国ちゃん、今度八上君たちとギターの発表会するんでしょ? 話ちょっと聞いちゃった。私も見学にいってもいいかなあ?」
「えー、ウッチー達は八上目当てでしょ」
「そんなこと無いよ! 大国ちゃんのことも応援するよ」
って……私のことはついでか」

 内海はそんなこと無いよと、悪戯っぽく笑う。内海達には美琴の部の存続が危ないことは言っていない、交流会に参加できるかどうかも危ないかもしれなこと黙っておくことにした。

「つーか、八上って危篤なやつだよな」

 教室も後ろ方の男子達が談笑している声が聞こえる。

「顔良くてモテんのになんで大国みたいとつるんでんだろ?俺、大国みたいな気が強そうな女苦手なんだよな。なんかこえーし、付き合ったら絶対尻に敷かれそう」
「あ?」
 
 美琴が睨むと、談笑していた男子達は身を縮める。

「うわっ、聞こえた? すげー地獄耳」

 一人が言うと、男子達がケラケラ笑うのが聞こえた。及川や内海は首を傾げている。
 どいつもこいつも、八上八上って、私は八上のついでかよ。美琴はいつものように、バイト先でこっそりもらってきた弁当を開けると回鍋肉ホイコーローを口に方張る。今日は中華弁当だった。






 その日、美琴はまた、サンドリヨンに来ていた。琥珀は客のリクエスト曲を歌っていた。美琴や琥珀の親よりずっと上の世代の歌謡曲のようだが、琥珀が歌うと古ささを全く感じない。まるで、タンスの奥に仕舞い込まれていた宝物の埃が払われ、磨かれ、新たに命を吹き込んだかように、音の一つ一つが輝いて聞こえた。美琴は無心になって琥珀の歌声を聴いた。
 
ーーーーーー原曲も聴いてみたいな。あとで検索してみよう。

 琥珀の歌は聞けば聞くほど美琴を夢中にさせた。

 実は美琴がこの店に来店するのは2度目ではなかった。もう4回は来ていた。正直、学生が来るには高価な店だが、この店の歌手達の歌を聴けるのなら安いものだ。彼女達の歌は美琴が贔屓にしているジャズシンガーやソウル歌手たちに引けを取らないのではないかと感じていた。特に、琥珀の声は聞くたびにインスピレーションを受け、作曲活動の参考になる気がしていた。
 琥珀ともう一人の歌手、いつきがこの店で歌うのは、火曜、水曜、金曜の週3回のようだ。彼女達のステージは時間が決まっていて、7時半から9時半まで行われる。琥珀・樹コンビがメインだが、二人で2時間ずっと歌っているわけではなく、途中に有志の客が歌ったり、客からのリクエストで他のホステス達が歌うこともあった。
 可憐なイメージの琥珀に対し、樹は大人っぽい色気があり、モデルのように美しい容姿を持つ女性だった。樹はマイクパフォーマンスもうまく、曲の紹介やステージの進行も慣れているようだ。たまにプロ顔負けのピアノ演奏も披露する。
 また、個性の強い歌い方をする琥珀に対し、樹の歌は安定感があり正統派といった感じであった。いつも人間技とは思えないほど高音のソプラノを響かせている。声の安定感や豊富な表現力を見るに舞台慣れしているようだ。他のステージにも立っているベテランに違いないと美琴は思っていた。サンドリヨンの歌手二人はタイプが全く異なるが、二人のハーモニーは息があっていて、絶妙だった。二人ともどんなトレーニングを積んだらあんな声を出せるのだろう。彼女達の歌声を聴いていると、学校やイベントでステージに上がっていた自分が滑稽に思えてきてしまう。レベルが違いすぎて比較にもならない。比べること自体が間違っているだろうが。
 美琴は、この美しい歌手達の音楽が聴けるのであれば、もうなんでもできると思っていた。ちなみに美琴が店に来る日は、母に友人の家で一緒に勉強をしていると嘘をついていた。

「大国ちゃん……勘弁してよ、また来てるの?」
「あ、店長。奇遇きぐうですね」

 糸村に声をかけられた。美琴は身をすくませる。糸村はサンドリヨンの常連であり、美琴にこの店のことを教えた本人だ。

「奇遇じゃ無いでしょ! まさか飲んで無いよね?」
「え? まさか……少しですよ」

 ソフトドリンクとつまみだけで、長居するのは流石に疑われると思い、アルコールも一つ頼んでいた。糸村は丸い顔を青くすると、ため息をついた。諦めたように美琴の隣に座ると、注文をし、少し談笑する。気をつけて帰るんだよと、美琴に言うと、他の顔見知りの客やホステス達の会話に混ざりに行った。
 人がいい糸村らしいなと美琴は思った。
 歌手達が歌い終わると、常連客達がステージに上がり、歌い始める。樹の方は客と談笑もするようだが、琥珀は歌専門らしく、客と会話する様子を見たことがなかった。客が歌っている間は、いつも客席とはステージを挟んだ反対側にある椅子に座る。椅子に掛けると静かに客達の歌に耳を傾け、客が歌い終わると小さく拍手する。そしてまた次の客の歌に耳を傾けるのがお決まりのようだった。
 美琴は客の歌を静かに聴いている琥珀の横顔を眺めた。華奢で細長い手足に白い肌、静かに座る姿が人形のようだと感じた。
 琥珀は自分以外の客の歌をどう思って聴いているのか、彼女の少ない表情からはわからなかった。一体彼女は普段どんな音楽に感動し、誰を思って歌を歌うのだろう。美琴は彼女に話しかけたい衝動に駆られた。もし、美琴が彼女の前で歌ったら、どのように感じてくれるのだろうか。素人の歌としか思われないのだろうか。去年の文化祭の客達が言っていたように美琴を痛々しいやつだと思うだろうか。もし奇跡が起きて、彼女が美琴のオリジナル曲を歌ったら、どのような歌声になるのだろうかと美琴は想像した。

 もし美琴に琥珀の半分でも才能があったら、美琴はフォークソング部を廃部の危機に追い込むこときっとなかったのだろう。八上達の軽音部に引け目を感じたり、学校の連中に陰口を叩かれたりすることなく、自信を持ってうたうことができただろう。
 曲が変わると、美琴はあり得ないことを考えるのをやめた。

 この店の常連客は耳が肥えているのか、ステージに上がる客も素人にしてはなかなかうまい人が多い。選曲も悪くないので、部の練習曲選びの参考になりそうだ。美琴はこの店の客たちや雰囲気も含めて好きになっていた。せっかく大金を払って店に来ているのだから、音楽を楽しまないと。
 その時、急にカウンター席の端の方から大きな笑い声が聞こえた。若い男性客たちが大声で笑い転げている。アルコールが入って、気が大きくなっているのだろうか。
 
ーーーーーーーー学生かよ。騒ぎたいなら他の店に行けよ。マナーがなってないな。

 美琴は思ったが、自分は高校生で年齢を詐称して店に来ていることを思い出し、人のこと言えるような立場ではないことを思い出した。
 店の店主ミチルママが、騒いでいる客の方に行き、声を下げるようにと窘めると、客は下品で差別的を言葉を彼女(男性だが)に浴びせた。しかし、ママは毅然と対応すると、若い客達は渋々帰っていった。
 ママと目が合う。今日のママはシンプルなドレスを身に纏っていた。ドレスはシンプルだが、端正な顔立ちとオーラはやはり、店の誰よりも目を惹く存在感がある。

「ああいったお客様もたまにいるわ」

 ママは苦笑いすると、サービスにと、美琴にスナック菓子のおかわりをつけてくれた。美琴は年齢を誤魔化して店に来ていることに対し、じんわりと罪悪感を感じ始めた。この店のことは気に入っていたが、次ここに来るのはきちんと成人してからにしようと美琴は思った。ママの姿を見ていると、自分がどうしようもなく身勝手で幼稚な人間だと感じた。今の自分はこの店で歌を楽しむ資格などない。バイトでお世話になっている糸村に対してもこれ以上迷惑をかけるわけにも行かない。この店の歌手達のことが、有名なプロシンガー達より遠い存在に思えた。
 最後にあともう一曲だけ、琥珀の歌を聴いたら、帰ろうと美琴は思った。美琴はもう一度、ステージの向こう側を見ると、琥珀は同じ姿勢で座っていた。

 それは、一瞬の出来事だった。琥珀が美琴達のいる客席の方に視線を向けた。美琴は琥珀と目があったような気がした。気のせいだろうか?琥珀はまた、ステージ上の客を視線を戻し、客の歌に静かに耳を傾ける。

「あ」

 客が歌い終わると、琥珀は静かに立ち上がりステージに上がった。いつもなら、琥珀の歌はもう少し後のはずだ。他の常連客も意外そうな顔をしているが、琥珀がステージに上がると、喜んでいた。他のホステス達も少し落ち着かない様子だ。急にどうしたのだろうか。
 琥珀は曲が流れることを待つことなくアカペラで歌い出した。



 美琴は息が呑んだ。知っている歌詞だ。いや、知っているどころではない。琥珀の歌っている曲は美琴が作った曲だった。納得いくものができるまで時間をかけてを作った曲だ。でもーーーーーーーー

ーーーーーーーー違う。

 琥珀が歌っているのは、間違いなく美琴がオリジナルで生み出した曲だ。しかし、美琴が歌っていたものと全く異なる音楽のようだった。主旋律こそほとんど同じだが、アドリブ効いていて、オリジナルのものよりずっと魅力的だ。何より、生き生きした音色と音の輝きが全く別物だった。クセのある曲を、琥珀は感情を込めて力強くうたう。音の一つ一つが直接脳に飛び込んでくるような感覚を覚えた。誰よりもよく知っているはずの曲なのにまるで初めてきく曲のようだった。

 琥珀が歌い終わると、客たちから歓声と拍手が響いた。今日、一番の盛り上がりだったが、美琴の頭は真っ白だった。

 美琴は無意識に立ち上げるとステージの端まで駆け出していた。琥珀の足元に駆け寄ると、琥珀の色白で小さい顔が美琴に向く。涼しげな顔にトレードマークの真っ赤な口紅が引かれている。熱唱したの後だと言うのに、まるで感情がないかのような表情だった。

「あのっ」

 美琴は叫んでいた。

 なぜ琥珀が自分の歌を知っているのか、どこで耳にしたか。なぜ、勝手に美琴の歌を歌うのか。そんなことはどうでも良くなっていた。
 まるで琥珀が、美琴の曲に命を吹き込んだかのように思えていた。琥珀の歌ったそれは、まるで組み立てられたばかりの人形に魂が宿り、自由に華やかに踊り出したかのようだった。むしろ琥珀に歌われるために生まれてきた曲だったのではないかと思うくらい、歌詞も旋律も彼女に合っていたことに美琴は驚いていた。
 琥珀は静かに美琴を見下ろしている。

「それ、私の曲です。あ、じゃなくて、どうしてその曲を歌ってくれたんですか」
「え?」

 美琴の言葉を聞いて、琥珀の表情が初めて変わったような気がした。
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