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第一章 美琴
4曲目 正体
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店の裏側に通されるのは初めてだった。部屋には小さめのテーブル3台と質素なソファーが数台あった。扉の向こう側は店のフロアだ。もしかしたら更衣室や厨房にも繋がっているのかもしれない。料理が作られている音やマッサージ機が稼働しているような音など色々な音が聞こえているが、目の前に座る、店の責任者に無言で見つめられているのが美琴は恐怖だった。
ドレスを着た美男に説教される男装女子高生ってどういうシチュエーションなのだろう。今の状況もほんの数分前に起きた事も何もかもがカオスすぎて美琴の頭の中は情報が整理されていなかったが、考えることを多すぎるとむしろ、妙に頭が冷静になってくるから不思議だ。
「未成年が来てはいけない場所だってことはわかっていたのよね?」
「はい……」
「身分証を確認していなかった店側にも落ち度はあるけれど、法律は縛り付けるためのものではなく、お互いの安全を守るためにあるという事はわかる年齢よね」
「はい」
ミチルママは接客の時よりもワントーン低い、落ち着いた声で話している。怒鳴るでも、呆れるでもなく、本心で心配していってくれているのが伝わってくる。むしろ怒鳴り散らしてくれた方がよっぽど楽だろうか……自分の愚かな行動に美琴は情けなさでいっぱいで、ママの目を見られないでいた。
糸村はトラブルに遭う事なく、すでに帰っていたようだった。きっと明日の夜勤のために早めに帰っていったのだろう。糸村がこの場に居合わせなかったのがせめてもの救いだろうか。
ママと美琴を挟む楕円のテーブルの上には美琴の学生証が載せられている。ママはため息をつくと、諭すように言った。
「店の責任問題の話だけではないの。飲酒が未成年の体に及ぼす影響もそうだけど、あなたみたいな10代の若いお嬢さんが、夜にお酒を出すお店に来ることで、危ない目に遭う事だって考えられるわ。あなた自身だけでなく、あなたの家族や身の回りのお友達にも悲しい思いをさせるかもしれない」
「ごもっともです……」
美琴が反省しているのを見て、ママの方も長く説教をするつもりはない様子だった。
「反省しているようだし、もう帰っていいわ。もう21時回っているしね。うちの店を気に入ってくれるのは嬉しいけれど、次来る時は20歳を過ぎてからにしてちょうだいね」
「はい、本当にごめんなさい」
「とりあえず、ご両親に迎えに来てもらうから、ご自宅には連絡させてもらうわ」
美琴は全身が強張る。
「え! いやそれだけは!」
母にこのことがバレたら、叱られるだけでは済まない。バイトも部活も外出も当分禁止されるかもしれない。来月はお気に入りのシンガーの来日公演があるというのに。
「もう、お店に迷惑かけないし、飲酒もしないです! 家に電話だけは勘弁してください」
「こんな時間に店から女の子一人で帰らせられるわけないでしょ。ご家族にも事情説明させてもらうわ」
美琴は人生でTOP3に入るほどの恐怖を感じていた。母に殺される。母はなんでも大袈裟にする癖がある人だった。学校にも連絡され、大学推薦にも響くかもしれない。悪い想像しかできなかった。
「その人、許してあげてよ、その人がこの店に来たのって、たぶん俺のせいだし」
奥の部屋から聞き覚えのある声がした。
「白……まさかと思うけど、あんたの知り合い?」
「うんクラスメイト」
ママが呆れたような声で質問すると、声の主がそれに答えた。クラスメイトって何の話だろう? 美琴が振り返ると、知っている顔が目に入った。美琴は目を見張る。
美琴の目に写ったのは、灰島白兎だった。
猫っ毛のまとまりの無い髪は被り物をしていたかのように変な癖がついている。伸びたヨレヨレのTシャツに色の褪せたズボンを履いていた。この場所に一番縁のなさそうな人物の登場に美琴の頭の中はまた真っ白になった。いろんなことが起こり過ぎていて、悪夢でも見ているのだろうか。
「大国さん、気づいてなかったんだ……? 何度も店に来るし、さっきジロジロ見られていたからとっくに気がついてるかと思ったのに」
「は? 何? なんで灰島がここに?」
「で? 白兎、どういうことよ」
ママが問いかけると、灰島は少し考える素振りをする。すると、おもむろに頭を下げた。
「俺がこの人のオリジナル曲を勝手に歌ったんだ。なんでか知らないけど、それを知って大国さんが店に来ちゃったみたい」
美琴は思わず馬鹿みたいに口をパクパクさせた。灰島はさっきから何を言っているのだろう? いつ灰島が私の曲を歌ったって?
「前に、客から珍しい歌が聞きたいって無茶振りされた時に、咄嗟に大国さんが学校で歌ってた曲が頭に浮かんで、歌っちゃったことがあって。そしたら、なんか意外と評判良くて。4~5回くらい?店で歌った。どうせバレないと思ってたし、まさか本人が来るとは思わなかった」
灰島が特有の、たまに裏返る高めのガラガラ声でトロトロと答える。ママは灰島の顔を見ると、深いため息をつくと急に目が三角になる。
「何してんのよあんた、17のあんたをステージで歌わせるのでさえ、スレスレだし、毎回ヒヤヒヤしてんのに!」
「うん、反省してる。もう、この人の曲歌わないようにするし」
「当たり前でしょう? カラオケに入っている曲以外、歌わないでちょうだい」
灰島はいつもの無表情のまま返事をする。色素の薄い眉とまつ毛は存在感が薄く、やはり感情が読めない。
小柄な店員が小さくドアを開くと、「あのぅ」と小さくママに声をかけた。フロアから呼び出しがかかっているようだった。
「わかった、今回はお嬢ちゃんの件は不問にするわ。でも2度と無茶しないでちょうだい」
「あ、はい」
美琴は反射的に答えた。
「美海、白兎達にまかない食べさせたら、二人を駅まで見送ってあげてちょうだい」
美海と呼ばれる、小柄な店員は「はあい」と答えると、美琴にニコリと笑って見せた。ママは部屋を後にすると、フロアの接客に戻った。
灰島は奥から皿に盛られたサンドイッチ等の軽食を持ってくると、美琴に食べるか尋ねる。美琴が無言で首を振ると、はす斜めにあるテーブルに皿を置き、離れたところに座って一人で食べ始めた。
美海は美琴と灰島を交互に見ながらくすくす笑っている。淡いピンク色のワンピースに美琴よりもずっと小柄で女性らしい体型をしている。童顔でつぶらな瞳をぱちぱちさせて美琴を見つめるとまた、にこりと笑って見せる。
「お嬢さんはいくつなの?」
「え……先月18になりました。……です」
「わあ、若いんだね! かわいい」
美海は無邪気に笑う。かわいいのはそっちだろうと美琴は思った。
「美琴ちゃんって言うんだね。名前も可愛いね! さっきの話少し、聞いちゃったんだけど、美琴ちゃんは琥珀のクラスメイトなの?」
「あ、はあ……そうみたいです」
美琴は、いつになく、頼りなく答える。
「琥珀のこと、クラスメイトだって気づかず、店で琥珀の歌を聞いてたんだね。普通、気が付かないよね。だって、琥珀はすっぴんと女装姿と全く別人だもん!」
やっぱり、そういう事なのか。美琴は、いまだに信じられなかったが、琥珀と灰島は同一人物らしい。灰島は素知らぬ顔で、サンドイッチを頬張っている。
「琥珀ってば、そんな遠いところに座らないでこっちで食べなよ~。お友達なんでしょ?」
「美海ねえさん、俺は家駅の反対方向だし、一人で帰れる」
灰島は食事を終えると、立ち上がりそのまま厨房の方へと行ってしまった。
ドレスを着た美男に説教される男装女子高生ってどういうシチュエーションなのだろう。今の状況もほんの数分前に起きた事も何もかもがカオスすぎて美琴の頭の中は情報が整理されていなかったが、考えることを多すぎるとむしろ、妙に頭が冷静になってくるから不思議だ。
「未成年が来てはいけない場所だってことはわかっていたのよね?」
「はい……」
「身分証を確認していなかった店側にも落ち度はあるけれど、法律は縛り付けるためのものではなく、お互いの安全を守るためにあるという事はわかる年齢よね」
「はい」
ミチルママは接客の時よりもワントーン低い、落ち着いた声で話している。怒鳴るでも、呆れるでもなく、本心で心配していってくれているのが伝わってくる。むしろ怒鳴り散らしてくれた方がよっぽど楽だろうか……自分の愚かな行動に美琴は情けなさでいっぱいで、ママの目を見られないでいた。
糸村はトラブルに遭う事なく、すでに帰っていたようだった。きっと明日の夜勤のために早めに帰っていったのだろう。糸村がこの場に居合わせなかったのがせめてもの救いだろうか。
ママと美琴を挟む楕円のテーブルの上には美琴の学生証が載せられている。ママはため息をつくと、諭すように言った。
「店の責任問題の話だけではないの。飲酒が未成年の体に及ぼす影響もそうだけど、あなたみたいな10代の若いお嬢さんが、夜にお酒を出すお店に来ることで、危ない目に遭う事だって考えられるわ。あなた自身だけでなく、あなたの家族や身の回りのお友達にも悲しい思いをさせるかもしれない」
「ごもっともです……」
美琴が反省しているのを見て、ママの方も長く説教をするつもりはない様子だった。
「反省しているようだし、もう帰っていいわ。もう21時回っているしね。うちの店を気に入ってくれるのは嬉しいけれど、次来る時は20歳を過ぎてからにしてちょうだいね」
「はい、本当にごめんなさい」
「とりあえず、ご両親に迎えに来てもらうから、ご自宅には連絡させてもらうわ」
美琴は全身が強張る。
「え! いやそれだけは!」
母にこのことがバレたら、叱られるだけでは済まない。バイトも部活も外出も当分禁止されるかもしれない。来月はお気に入りのシンガーの来日公演があるというのに。
「もう、お店に迷惑かけないし、飲酒もしないです! 家に電話だけは勘弁してください」
「こんな時間に店から女の子一人で帰らせられるわけないでしょ。ご家族にも事情説明させてもらうわ」
美琴は人生でTOP3に入るほどの恐怖を感じていた。母に殺される。母はなんでも大袈裟にする癖がある人だった。学校にも連絡され、大学推薦にも響くかもしれない。悪い想像しかできなかった。
「その人、許してあげてよ、その人がこの店に来たのって、たぶん俺のせいだし」
奥の部屋から聞き覚えのある声がした。
「白……まさかと思うけど、あんたの知り合い?」
「うんクラスメイト」
ママが呆れたような声で質問すると、声の主がそれに答えた。クラスメイトって何の話だろう? 美琴が振り返ると、知っている顔が目に入った。美琴は目を見張る。
美琴の目に写ったのは、灰島白兎だった。
猫っ毛のまとまりの無い髪は被り物をしていたかのように変な癖がついている。伸びたヨレヨレのTシャツに色の褪せたズボンを履いていた。この場所に一番縁のなさそうな人物の登場に美琴の頭の中はまた真っ白になった。いろんなことが起こり過ぎていて、悪夢でも見ているのだろうか。
「大国さん、気づいてなかったんだ……? 何度も店に来るし、さっきジロジロ見られていたからとっくに気がついてるかと思ったのに」
「は? 何? なんで灰島がここに?」
「で? 白兎、どういうことよ」
ママが問いかけると、灰島は少し考える素振りをする。すると、おもむろに頭を下げた。
「俺がこの人のオリジナル曲を勝手に歌ったんだ。なんでか知らないけど、それを知って大国さんが店に来ちゃったみたい」
美琴は思わず馬鹿みたいに口をパクパクさせた。灰島はさっきから何を言っているのだろう? いつ灰島が私の曲を歌ったって?
「前に、客から珍しい歌が聞きたいって無茶振りされた時に、咄嗟に大国さんが学校で歌ってた曲が頭に浮かんで、歌っちゃったことがあって。そしたら、なんか意外と評判良くて。4~5回くらい?店で歌った。どうせバレないと思ってたし、まさか本人が来るとは思わなかった」
灰島が特有の、たまに裏返る高めのガラガラ声でトロトロと答える。ママは灰島の顔を見ると、深いため息をつくと急に目が三角になる。
「何してんのよあんた、17のあんたをステージで歌わせるのでさえ、スレスレだし、毎回ヒヤヒヤしてんのに!」
「うん、反省してる。もう、この人の曲歌わないようにするし」
「当たり前でしょう? カラオケに入っている曲以外、歌わないでちょうだい」
灰島はいつもの無表情のまま返事をする。色素の薄い眉とまつ毛は存在感が薄く、やはり感情が読めない。
小柄な店員が小さくドアを開くと、「あのぅ」と小さくママに声をかけた。フロアから呼び出しがかかっているようだった。
「わかった、今回はお嬢ちゃんの件は不問にするわ。でも2度と無茶しないでちょうだい」
「あ、はい」
美琴は反射的に答えた。
「美海、白兎達にまかない食べさせたら、二人を駅まで見送ってあげてちょうだい」
美海と呼ばれる、小柄な店員は「はあい」と答えると、美琴にニコリと笑って見せた。ママは部屋を後にすると、フロアの接客に戻った。
灰島は奥から皿に盛られたサンドイッチ等の軽食を持ってくると、美琴に食べるか尋ねる。美琴が無言で首を振ると、はす斜めにあるテーブルに皿を置き、離れたところに座って一人で食べ始めた。
美海は美琴と灰島を交互に見ながらくすくす笑っている。淡いピンク色のワンピースに美琴よりもずっと小柄で女性らしい体型をしている。童顔でつぶらな瞳をぱちぱちさせて美琴を見つめるとまた、にこりと笑って見せる。
「お嬢さんはいくつなの?」
「え……先月18になりました。……です」
「わあ、若いんだね! かわいい」
美海は無邪気に笑う。かわいいのはそっちだろうと美琴は思った。
「美琴ちゃんって言うんだね。名前も可愛いね! さっきの話少し、聞いちゃったんだけど、美琴ちゃんは琥珀のクラスメイトなの?」
「あ、はあ……そうみたいです」
美琴は、いつになく、頼りなく答える。
「琥珀のこと、クラスメイトだって気づかず、店で琥珀の歌を聞いてたんだね。普通、気が付かないよね。だって、琥珀はすっぴんと女装姿と全く別人だもん!」
やっぱり、そういう事なのか。美琴は、いまだに信じられなかったが、琥珀と灰島は同一人物らしい。灰島は素知らぬ顔で、サンドイッチを頬張っている。
「琥珀ってば、そんな遠いところに座らないでこっちで食べなよ~。お友達なんでしょ?」
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