【R18】買った奴隷が元気良すぎて思ってたのと違う

天野 チサ

文字の大きさ
31 / 31

31 稀代の聖女とその狂犬(終)

しおりを挟む
 港を発つ船に飛び乗ることができた二人は、甲板から遠くなっていく岸辺を眺めていた。

「ふふふっ。見てゲオルク、まだなにか喚いているわ」

 見つめる先では――ラウレナとゲオルクを追ってきたのだろう元婚約者と妹たち一団がなにやらこちらを指差して騒いでいる。
 しまいには内輪もめのように言い争いが始まったようで、妹は愛らしく健気な女性という設定をすっかり脱ぎ捨てたらしい。凄い勢いで元婚約者に食ってかかっている。
 なかなか見ごたえのある光景が港で繰り広げられていた。

「アイオスが情けないくらい押されているわよ!」

 このままでは騒動になってしまいそうだが、いざ距離を置いて眺めていると、それらすべてが別世界の出来事のようにすら感じられてしまうから不思議であった。気分はまさに文字通り、対岸の火事である。

 お腹を抱えていまだに肩を震わすラウレナを見て、ゲオルクはなぜか満足そうに腕を組んだ。

「思う存分笑っておくといいぞ。もう見ることはできない奴らだからな」
「ああ……そういえばそうね! ならあと少しじっくり見ておこうかしら」

 元婚約者の今後やら侯爵家と騎士団のこれからとか、ましてや妹のことなど、もうラウレナには関係がないのだ。

 それよりも、国を出たこれからの未来にラウレナの心は躍っている。
 家を飛び出した直後なんて、自分がこんな心境で隣国へ向かえるだなんて思っていなかったというのに、人生とはなんて不思議だろうか。

 このままでは殺される。という絶望の中、藁にもすがる思いであの路地裏の店の扉をくぐった。
 それが今や、こんなに清々しい気持ちで母の国を目指せるなんて。

 ――という思いに、胸を高鳴らせるラウレナだったのだが。

 甲板の手すりに肘を着いたら、不意に横から手が伸びてきた。なにかと思えば、その手は胸元で揺れる小さなミントグリーンの宝石を摘まむ。
 ゲオルクがまじまじと母親の形見であるネックレスを覗き込んでいた。

「ラウレナの母親の母国だが……」
「え?」
「おそらくすでに消滅してる」
「ええ!?」

 膨らませていた期待の中に突然ぶっ込まれた内容は、無防備であったラウレナにとんでもない衝撃をもたらした。

「ど、どういうこと!?」
「この宝石、見覚えがあるなぁと思っていたが、間違いない。俺の国の名産だ」
「ぅええっ? それって、ゲオルクが将軍をしていて、戦争に負けて地図から消えたっていう、あの?」
「あの」
「え、え、えええ!? そんなまさかぁ!?」

 もはやゲオルクが口を開けば開くほど混乱の渦に叩き落とされる。
 少しばかり待ってほしいと目を白黒させるが、そんな気遣いなどこの男にあるわけがなかった。

「地図の端にあったような国だが、この宝石は唯一の名産ともいえるもので希少品だ。この大きさでもかなりの品物だぞ。ラウレナの母は相当の人物だったのだな」
「お母さまの母国での立場まではわからないけれど……あのお父様が結婚を決めるほどだから、それなりの地位はあったと思うわ」

 縁を結ぶことに大きな利益が無ければ、あの父親が相手に選ぶわけがないのだから。もしかしたら、この宝石による利益も結婚に含まれているのかもしれない。可能性は高い。
 そこだけは自信をもって言えるというのも悲しいものではあるが。

「なるほどな。とはいえ、その国も十年以上前に地図から消えているわけだが……実際はその何年も前から国内でも争いが絶えなくてなぁ。内情はかなり荒れていた」
「――っ、だからお母様は、あれほど心身ともに参ってしまっていたのかしら……!?」

 記憶の中の母は、とても儚い人であった。
 いつも物憂げな顔をしてベッドで過ごしていたのだ。

「母国が酷く荒れていれば例えどんなに地位を持っていたとしても役には立たないだろうからなぁ。とくれば、野心の塊だとかいう父親に見捨てられてもおかしくはないだろうし、不調もそれが原因じゃないか? ……まあ、知らんがな」
「ここまで話しておいて!?」

 面白いくらいにガクンと肩が落ちた。
 もっともらしく語っておいて、最後に投げないでほしい。

「だって会ったこともない相手だぞ? 実際のところなど知らん」
「いえ、そうだろうけれど……」
「それで、目指す母国はおそらくないわけだがラウレナはどうするんだ?」

 隣国行の船には乗ったものの、これから目指すはずだった行先がすでに消滅している。
 いきなり旅路が暗礁に乗り上げてしまった。
 ――けれど。

「それでも、目指すわ」

 母の母国を見たい。
 それは、家を飛び出したラウレナが唯一持っていた明確な目的だった。

「国がなくても、その現実を見たい。国があったというその場所に立ちたい。まずはそれを達成してからなの」

 新しい人生を、胸を張って歩むのは。

「ゲオルクの奴隷契約もなんとかしましょう」
「なんとかとは?」
「当然、契約解除のことよ」

 自分で言っておきながら少しばかり胸が痛んだが、ギュッと目をつむってやり過ごす。

 国を出るまでは護衛として奴隷が必要であったが、隣国に着いてしまえば不要だ。
 これ以上ゲオルクをラウレナに縛り付ける必要はないのだ。
 と、思っていたのだが。

「いや、別にこのままで構わんぞ?」
「……え? どうして?」

 キョトンとした顔でゲオルクはそんなことを言った。なんなら不思議そうに首を傾げながら。

「現状なにも不自由はないだろう?」
「いいえ!? だって、奴隷よ? そんな――」

 言いかけて、ふとよぎる。
 奴隷であるはずの彼がしでかすあれやこれ。それやこれ。
 出会ってからこれまでの行動を思い返して、ラウレナは同じように首を傾げてしまった。

(不自由……して、いたかしら? あれ、していない?)

 むしろ振り回されていたのは私では? とまで思える気がする。
 おやおや? と混乱するラウレナの横で、ゲオルクがポンと手を叩いた。

「ああ、ひとつあったな。不自由なこと」
「そうなの? なにかしら?」
「性奴隷の契約はラウレナが満足すると俺もおさまってしまうだろう。最近それでは物足りない」

 突然の暴露に、一瞬、時が止まった。

「物足り……え? は? えええええ!?」

 言われたことを理解するほど、顔が熱くなっていくのが自分でもわかった。

「待って! こんなところで何を言うの!?」
「いやな、そろそろだいぶしんどいから――もごぉっ」
「うわあああんっ!」

 慌てて飛び上がり、その口を塞いだ。無駄にキョロキョロと周囲を窺ってしまったが、幸い甲板に人影はない。
 そんなことをしている間に、首筋を撫でるように髪を掬われる。

「うひぃああっ!」

 ぞくぞくっと身体が震えた。
 慌てて首を抑えて下から睨みつけたが、ゲオルクは小憎らしい笑みを浮かべるだけだ。

 髪はだめだ。今やラウレナの髪はいらぬ性癖を開発されてしまったのだ。そしてゲオルクもきっとそれに気付いている。
 現に、首まで真っ赤にしたラウレナを前にして気のせいでなければ満足そうだ。

「だが身体が悦んでるのは直で伝わってくるから、それはいいな」
「待って、今なにか伝わってるの!?」
「知りたいか?」

 ブンブンと頭を振っていたら、顔を挟むように両手を添えられた。

「自信を持てよ? ラウレナは可愛いぞ。俺は好きだ」
「は――――」
 
 突然のトドメに腰が抜けた。

「もうやだー! 絶対に契約解除してやるわぁ!」
「ははははは!」

 すっかり立てなくなったラウレナを前にしてゲオルクが笑う。
 広大な海原に、豪快な笑い声が響き渡った。


 のちに『稀代の聖女とその狂犬』とよばれる二人の旅路は、今ようやく始まったばかりである。




─────────

これで完結となります。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
しおりを挟む
感想 8

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(8件)

きかる
2024.04.14 きかる

ラウレナとゲオルク、最強w元婚約者も妹もけちょんけちょん。お腹よじれました😁
2人のそれからの話も出来れば読みたいです。楽しいお話ありがとうございました😃

2024.04.15 天野 チサ

感想ありがとうございます。
元婚約者と妹、けちょんけちょんにさせていただきましたw
しかしこういったシーンはあまり書いたことがなく苦手で、四苦八苦しながら書き進めたので楽しんでいただけて嬉しいです~。

それからの話は今のところ予定は真っ白なのですが、いつかまたなにか書けたらいいなぁとは思っております(笑)

解除
あ
2024.04.14

完結お疲れ様でした!
俺たちの冒険はこれからだエンドが残念な位面白かったです^_^

狂犬…って言うと私は何だかんだ忠実でご主人様に何かしようとしたらとんでもない事するクールで物騒な人物を想像するのですが
ゲオルク氏は狂った元気な駄犬 ご主人様は大好き 限定的な子犬属性持ちって感じですね笑

2024.04.15 天野 チサ

感想ありがとうございます。
最後はこの場面まで書こうとは決めていたものの、会話など内容の詳細は決めずに書き進めていたら少年漫画の王道エンドのように(笑)
自分でも書いててツッコんでましたw

あ様の狂犬の見解、まさにその通りだなぁと頷きまくりでした!
限定的な子犬属性と思うとゲオルクが可愛い気がしますねw

解除
SATORIN
2024.04.14 SATORIN

今朝、発見してイッキ読みしました。
会話も面白くエロな場面さえ面白い(笑)
これからの二人の番外編をぜひぜひお願いします。

2024.04.15 天野 チサ

感想ありがとうございます。
なんとイッキ読みしていただけたとは!
そしてエロな場面!楽しいエロを目指して書いたので、面白いと言っていただけて嬉しいです~。

番外編、今のところ予定は真っ白なのですがいつかまたなにか書けたらいいなぁとは思っております(笑)

解除

あなたにおすすめの小説

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

男として王宮に仕えていた私、正体がバレた瞬間、冷酷宰相が豹変して溺愛してきました

春夜夢
恋愛
貧乏伯爵家の令嬢である私は、家を救うために男装して王宮に潜り込んだ。 名を「レオン」と偽り、文官見習いとして働く毎日。 誰よりも厳しく私を鍛えたのは、氷の宰相と呼ばれる男――ジークフリード。 ある日、ひょんなことから女であることがバレてしまった瞬間、 あの冷酷な宰相が……私を押し倒して言った。 「ずっと我慢していた。君が女じゃないと、自分に言い聞かせてきた」 「……もう限界だ」 私は知らなかった。 宰相は、私の正体を“最初から”見抜いていて―― ずっと、ずっと、私を手に入れる機会を待っていたことを。

いなくなった伯爵令嬢の代わりとして育てられました。本物が見つかって今度は彼女の婚約者だった辺境伯様に嫁ぎます。

りつ
恋愛
~身代わり令嬢は強面辺境伯に溺愛される~ 行方不明になった伯爵家の娘によく似ていると孤児院から引き取られたマリア。孤独を抱えながら必死に伯爵夫妻の望む子どもを演じる。数年後、ようやく伯爵家での暮らしにも慣れてきた矢先、夫妻の本当の娘であるヒルデが見つかる。自分とは違う天真爛漫な性格をしたヒルデはあっという間に伯爵家に馴染み、マリアの婚約者もヒルデに惹かれてしまう……。

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた

狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた 当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!

柿崎まつる
恋愛
世継ぎの王女アリスには完璧な婚約者がいる。侯爵家次男のグラシアンだ。容姿端麗・文武両道。名声を求めず、穏やかで他人に優しい。アリスにも紳士的に対応する。だが、完璧すぎる婚約者にかえって不信を覚えたアリスは、彼の本性を探るため侯爵家にメイドとして潜入する。2022eロマンスロイヤル大賞、コミック原作賞を受賞しました。

わたしのヤンデレ吸引力が強すぎる件

こいなだ陽日
恋愛
病んだ男を引き寄せる凶相を持って生まれてしまったメーシャ。ある日、暴漢に襲われた彼女はアルと名乗る祭司の青年に助けられる。この事件と彼の言葉をきっかけにメーシャは祭司を目指した。そうして二年後、試験に合格した彼女は実家を離れ研修生活をはじめる。しかし、そこでも彼女はやはり病んだ麗しい青年たちに淫らに愛され、二人の恋人を持つことに……。しかも、そんな中でかつての恩人アルとも予想だにせぬ再会を果たして――!?

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。