落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第二章

6話 入学式

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 四月五日、雨。
 今日は平陵高校入学式の日である。
 『大龍神社』では、今日も朝から念入りに朝拝がおこなわれた。宮司の慎吾が水緒の前途安寧のために祝詞のりとを書いたというから、そうとうな念の入れようである。
 母屋の洗面台に立ち、水緒はショートの髪の毛をくしで梳かしながら慎吾を見た。
「慎吾くん、また祝詞あげてくれたんだって?」
「水緒が学校でいじめられんようにな。だいたい、お前の父上さまなんだろ。俺がこうやって祝詞を奏上するよかよっぽど聞いてくれるんじゃないのか」
「娘だからって贔屓してくれないもん。それよりも、眷属たちによると、慎吾くんの祝詞を聴くのはどうやら嬉しいみたいだから、これからもよろしくね」
「そ、そうか?」
「うん。ほらぁ、人も手紙もらうとうれしいでしょ。そんな感じだよたぶん」
「……神職やっててよかった」
 慎吾は、いつもの厳めしい顔をゆがめて感傷にひたった。
 さあ出発だ。
 左端に垂れてくる前髪にお気に入りの髪留めをとめて、水緒はかばんを手に母屋をとびだした。

 ※
「ご入学、おめでとうございます」
 平陵高校体育館に響く声。
 数年前に建て直されたばかりだという体育館の床はぴかぴかに磨き抜かれていて、すこし足をずらしただけでもキュッと音が鳴る。
 壇上であいさつをする初老の男性は、校長と名乗った。
(ねむ、……)
 水緒はあくびをかみ殺して、目の前にかかげられた一年B組の看板を見つめた。親友のこころは一年A組らしい。
 名前順で並ぶ水緒はたいてい最前列に据えられるため、こころの方をちらと向くこともできない。入学式も終わりのころ、そわそわとA組を気にするそぶりを見せた水緒のうしろで、ンンッと喉をならす声がした。
「……?」
 ふっとうしろを向く。
 そこには、先日カバンを顔にぶつけた男子生徒──のとなりにいた生徒がいた。たしか『エージ』と呼ばれていた気がする。
「あ」
「ども」
 後ろ手を組み、だらりと体重をうしろに乗せた立ち方で、男子生徒はええっと、とことばを濁して、
「非行少女?」
 と含み笑いを浮かべる。
「だっ」
 ちがうってば、と小声で非難すると、彼はゴメンナサイと片言でつぶやいた。
 
 朝のうちに一度集合した教室へともどる。
 体育館の真新しいようすとはうってかわって、教室はすこし古びた造りのようである。後付けで備えつけられたのだろうエアコンがみょうに浮いている。
 水緒は、名前順のため当然のごとく窓側の一番前の席に座った。
「なんだ」くるりとうしろを向いてわらう。
「おんなじクラスだったんだ」
「名前も近いしな。石橋英二」と彼が自分を指さす。
「天沢水緒。毎度毎度やんなっちゃうよね、つぎの席替えまではだいたい一番前だしさ」
「まあね。”あ”のアンタがいて助かったぜ」
 机に体重をのせて、英二はにんまりとわらった。
 それからは担任からのあいさつ、生徒の自己紹介。ひとりひとりが立ち上がって名前を名乗るたび、生徒たちの大きくてだぶついた制服がまぶしく映えた。
 ふ、と口角をあげると胸の緊張がわずかにほぐれる。
 生徒の自己紹介が終盤にさしかかったころには、水緒もすっかり気が抜けて、おもしろい級友の紹介には声をあげてわらうほどになっていた。

 花の高校生活初日は、午前中でおわる。
 廊下はホームルームを終えた他クラスの生徒や、体育館から合流した保護者たちでごった返しだ。あちらこちらで、大量に受け取った配布物を保護者に託す生徒のすがたがうかがえる。
 水緒はそれなりにクラスの女子生徒と会話したのち、こころのいるA組へ向かおうと廊下に出た。
 と、同時に何かとぶつかった。
「ぅわっ」
「いて」
「ごめんなさ──あッ」
 水緒は額を抑えたまま、目の前に立ちはだかる人物を見て目を見開く。
 先日、顔面に鞄をぶつけた男子生徒ではないか。向こうも気付いたようで、ハハッ、とわらう。
「なんだぁ。おまえ合格できたの」
「だッ、それはこっちのセリフよ!」
「てっきり暴力沙汰で入学拒否されてるんだとばっかり。にしても、カバンの次は頭突きかよ。おまえそんなにおれのこと好きなの?」
 と、にやつく彼にムカッとして、水緒は無言のまま手に持った鞄を振り上げた。
 しかしその手ががしりと掴まれる。
「入学初日からいちゃつくなよ」
 ハッとうしろを見ると、石橋英二がそこにいた。その顔にはニヒルな笑みが浮かんでいる。
「ずいぶん目立ってるぜ」
「…………」
 言われてみれば、教室内外からどことなく視線を感じる。ただでさえ、この男子生徒ふたりの容姿が目立つのだ。水緒はとたんに気まずくなって、腕をふりほどいた。
「ていうか」そしてむっとする。「だーれがいちゃついてるって?」
「まあまあ。コイツ片倉大地かたくらだいちってんだ、A組の」
「A組? じゃあこころと一緒だ!」
「で、おまえは」
 パッと機嫌をよくした水緒が、なにかを言いかけた片倉大地を押しのけて廊下をきょろりと見回す。こころは廊下の端で「卒業式ぶりねえ」と美波に声をかけられていた。──が、そのうしろに視線を向けて水緒は「ゲッ」と声を絞り出す。
 みょうに目立つ若い青年がふたり、にこにこと微笑みをふりまいて周囲の女子高生にあいさつをしているではないか。
 ひとりは、眼鏡をかけたハーフアップの優男、もうひとりは長い前髪により目が隠れたティーンエイジャー。
(白月丸と朱月丸!)
 水緒の顔がサッと青ざめる。
 すると、白月丸がこちらに気づいてにっこりと愛嬌のある笑みをむけてきた。耳ざとく水緒の「ゲッ」という声をキャッチしたらしい(さすがはウサギである)。
 となりの朱月丸は、ぽんやりと虚空を見つめてうごかない。おそらくは食べ物のことでも考えているのだろう。
 なんでヤツらがここに、と思ったのもつかの間。
(あの保護者ヤバくない? だれの?)
(チョーカッコいい──)
 どこからか、女子生徒のささやき声が聞こえてくる。
 水緒がこそりと周囲を見回すと、もはや女子生徒のみならず女親たちも彼らに釘付けのようであった。
 しかし水緒は知っている。
 彼らが時代とともに、変化する顔を少しずつ変えていることを。つまりは、時代に合わせて女の子にモテる顔とやらをきちんと研究しているのだ。まったく、今日とて女子高生のもとに来られるから、と気合をいれたんだな──と水緒はわずかに頭を抱えた。
 『大龍の四眷属』などとかっこいいのは名ばかりで、その実情は俗気の抜けきらないオスの動物なのだから呆れてしまう。

「あれおまえの保護者?」
 気がつけば、片倉大地もいっしょになって眷属のほうへ目を向けていた。
「すげえ手ェ振ってるけど」
「あー、保護者っていうか身内っていうか──じゃ、じゃあねまたあした」
 さっさと帰ろう。
 と、水緒が彼らのもとへ駆けようとしたが、大地が腕を掴んでそれを制した。
「それでおまえは?」
「え。なにが」
「名前」
 と。
 いわれて初めて、水緒は彼と初対面であることを思い出す。なるほど、おもえば挨拶も、名前すら名乗らぬうちにずいぶんと失礼なことをしてきたものだ。
 水緒はにがっぽくわらって、
「天沢水緒、どうぞよろしく──」
 とたどたどしくつぶやいた。

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