落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第三章

12話 白糸の大滝

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 けっきょく石橋英二は女子の群れから逃れられぬまま、バス後方の座席に落ち着いた。
 それを見て、美紅がくすくすとわらう。
「石橋くんってモテるんだね」
「ねー。だけど女子もあれだけ露骨にすると、ほかの男子が気の毒だよねえ」
 といいながら水緒がうしろの席を覗きこむ。坊主頭の冴えない男子生徒が「うるせえ」と悪態をついた。
 たしか彼は野球部に本入部した笹石信輝ささいしのぶてるという名だった気がする。
「だいじょーぶだいじょぶ。笹石くんも負けてないよ」
「そういう根拠のない慰めはいらん!」
 となりの天パ男子──たしか清水政宗しみずまさむねといった──も、暗い顔でウンウンとうなずいた。

 出発した当初はバタバタと窓を打ち付けるような雨だったが、高速道路を抜けて山道に入るころにはすっかり晴れ間が見えてきた。
 雨上がりの空には虹がかかる。生徒たちのテンションは俄然あがった。
 まもなく、バスは奥多摩にたどりつく。

 ※
 林間学校の目的──。
 学年主任が話している。右から左へと抜けていく水緒の意識は、先ほどから別の場所に向いていた。
(…………)

 月原鍾乳洞。

 行程では、周辺の山道を歩いたのちに入るという。
 ぽっかりと口を開けた自然の入口に、水緒の胸はうずうずと落ち着かない。いったいどうしたんだろう。初めて来た場所なのに──。
 水緒はこそりとかばんに手を忍ばせる。
 ちりめん巾着袋に入った如意宝珠に触るためだ。すると、宝珠は思った以上にどくどくと脈をうち、なにかを知らせていた。
(……あの鍾乳洞になにかあるの?)
 心で問いかけてみるけれど、宝珠はただ脈打つだけでなにをいうこともない。これがもう少し修行を積んでいれば、使役龍の声のひとつも聞こえたのだろうかと水緒はおのれに落胆した。
 と、いうところで肩をたたかれる。美紅だ。
「水緒ちゃん、お話終わったよ」
「えっ。あ、ホントだ」
「この先にある白糸の大滝はくしのおおたきまで行くんだってさ。往復で六キロくらい歩くんだって──やんなっちゃう」
「滝っ」水緒は目を剝いて興奮した。「滝があるのっ」
 いきおいよく立ち上がり、鍾乳洞へと背を向ける。
 そのとき。
(!)
 ぴりり、と背中がしびれた。
 まるでなにかに刺されたような、わずかな刺激。いやちがう。……視線か?
 水緒はゆっくりと鍾乳洞に視線をもどした。やはりあそこから感じる。昔から彼岸のモノたちの存在は身近にあったけれど、これは初めての感覚だ。
 まるで呼ばれているような。
(…………)

 A組から順にすすむ。
 水緒は先導するB組担任のうしろにぴたりとくっついた。ひょこりとつま先立ちをして前を覗くと、A組後方にこころを見つけた。
「いたー、こころ!」
 水緒が駆け寄る。
 いつも以上に元気なようすに、こころはくすっと口角をあげた。
「滝ってなるとテンションあがるよね、アンタ」
「滝行して育てばこうなるんよ」
 からりとわらう。
 すると、うしろで話を聞いていたB組担任の恩田れい子が「あ」とおどろいた顔をした。
「そっか、天沢さんちって大龍神社だったね。去年の今ごろも神社脇の滝で滝行体験してるって──パンフレットくばってたでしょう」
「えーッ先生知ってるんだ! そうなんです。うちの神社の目玉は滝行体験。今年もやるみたいだから先生も遊びにきてね」
「私は水が苦手だから遠慮するわ……天沢さんはいつもあの滝に打たれてるの?」
 と、れい子は目を丸くしていった。
 滝行体験用の滝は、神社横にある細い滝である。小さなころはその滝に打たれたものだが、いまとなっては物足りなくなってしまって、長らく使っていなかった。
 こころは呆れたように首を振る。
「あれじゃ、物足りないそうですよ」
「え?」
「あの神社裏の山を登ったところ、私有地なんですけど、もっと激しい滝があるんです。いつもはそこ!」
「えーっ、そんな細い身体して……水ってすごい衝撃なんでしょう。痛くないの?」
「なははは、身体はけっこう頑丈だから! 冬は寒いけど」
「ひゃぁ、考えただけでさむぅい」
 れい子はおのが身を抱いてふるえた。

 話していると三キロはあっという間で、滝が近いのだろう、山道を登るにつれて空気が澄んでいくのが肌でわかる。草花がささやき、木々がわらう。目を閉じて心地よい自然の声に耳をかたむける水緒の口もとはわずかにゆるんだ。
 ──この”気”から龍は生まれたという。
 つまり彼らは水緒にとっての母であり、父であり、友だちなのだ。
 轟々という音。
「…………」目をあけた水緒の口がひらいた。「わあ、……」
 神社裏の豪瀑には遠くおよばないが、白糸が無数につむいだようなその景観には自然とため息がこぼれ落ちる。
 水が、岩が、苔が、光が、水緒に「おいで」とささやきかける。
 おもわずふらりと滝に近寄ると、その肩をぐいとつかまれた。
「はっ」
「なにふらふらしてんだよ。ここA組だぜ。Bはもっとうしろだろ」
「…………」
 片倉大地。
 気がつけば、水緒はすっかりA組の先頭集団に合流していた。滝のもとへ行きたいと気持ちが逸るあまりに、まさかここまで突き進んでいたとは──。
 A組の列がゆっくりと滝の前を通って、奥のひらけた場所へ向かっていく。どうやらそこで昼休憩をするらしい。しかし水緒は滝前から離れたくなくて、列の流れに逆らい立ち止まった。
「ごめんごめん。あたし、B組が来るまで待ってるよ」
「それはいいけど。おまえんちって神社なの?」
 さっき聞こえた、と大地もとなりで立ち止まった。先ほどの会話が聞こえていたようだ。
 水緒は「うん」とわらう。
「大龍神社っていうの。学校から十五分くらいのとこだよ、こんど参拝に来なよ」
「へえ。ご利益なに?」
「慎吾くんがいうには、運気上昇、良縁成就、精神安定、勝運招来! オールマイティな神社でーす」
「慎吾くんってだれだよ」
「あたしの伯父さん。宮司さんだから神社のなかじゃおと──大龍さまのつぎに偉い人。あっ、大龍さまっていうのはうちの御祭神ね」
 と。
 いうや、水緒の周囲に自然の気が寄り集まってくる。
 ほかの者たちには見えていないようだが、水緒の目にはやわらかい光が自分を取り囲んでくるのが見えた。光は口々に「大龍さま」とささやきあって、水緒を祝福するように飛びまわっている。
(お父さんのこと、知ってるの──)
 と、水緒は目を見開く。
 せわしなく動きまわる光を目で追う横で、大地は感心したようにうなった。
「神社かぁ。いいよな、おれけっこう好きだぜ。ここもそうだけどああいう静かな雰囲気って、独特だもんな」
「ね」
 うなずいたところで、ようやくA組の最後尾が追い付いた。こころはそのまま恩田れい子と話していたようで、A組とB組の境のところをゆっくりと歩いてくる。
 水緒はパッとわらって手を振った。
「こころ!」
「あ、水緒いた。……と、片倉くんも」
「よ」
 と大地も手をあげる。
 うれしそうにこころのもとへ駆け寄る水緒を見て、大地はみょうな顔をした。
「新田と天沢がなかよしって、なんかイメージないぜ。タイプぜんぜんちがうもんな」
「タイプがちがうからこそ友だちになれるんだもん。ねー」
「まあね」
 そういうアンタは、と水緒はB組のうしろに目線を送る。
 女子生徒に囲まれて、複雑な、しかし満更でもなさそうな表情で会話をする石橋英二のすがたがあった。
「石橋くんと友だちっていうのはみょうにしっくりくるわね」
「あれは小学校のサッカークラブからのダチだ。水が合うんだよ、なにかと」
 と大地がいったところで、B組の列も奥のひらけた場所へと流れに乗っていく。もう少し滝前にいたい水緒だったが、そうもいってはいられまい。
 しぶしぶ列に混ざると、こころは苦笑して
「お昼は滝の前で食べよ」
 といってくれた。
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