27 / 132
第五章
26話 兄妹の会遇
しおりを挟む
「こ、こわかったぁ」
水緒は、ぺたりと地面に座り込む。
めったに見ない正装姿のふたりだが、いまの水緒にファッションチェックをする余裕はない。
それゆえ、混乱のあまり固まる大地にフォローをいれる余裕もなかった。
「…………」
当の大地はといえば。
目を白黒させて三人を見比べる。が、まもなく足に触れた獣の手触りにおどろいて飛び上がった。
タヌキとウサギ?
いつの間に現れたか、二匹は水緒に寄り添うようにそばに寄ってきていた。まあ、こんな山の中だ。野生のウサギやタヌキが出てくるのもうなずける。いやしかしこの朱い前掛けは──。
と、大地がわずかに冷静さを取り戻したのもつかの間。
「嗅ぎ覚えのある匂いじゃのう」ウサギが声を出して鼻をひくつかせた。
「先日の滝行体験に来とったおのこじゃな」
「しゃべっ──」
「そうそう、片倉大地どのじゃ」
と、人型の庚月丸ももはや開き直ったようで、面をパカッと外しながらウサギのとなりに腰を下ろす。
「……あっ、庚月さん?」
「滝行体験ぶりですのう、大地どの。いやはや此度はまこと災難なことで──って、そうじゃ銀。あやつはどうした」
と庚月丸が顔をあげると、もうひとりも面をずらして「逃げた」とつぶやいた。銀月丸だ。
「さすがに大龍四眷属が全員集まったとなれば、向こうも分が悪かろう」
「しかし、かわいそうに。この池の主は置いてかれてしもうたようだの」
タヌキまでしゃべる。
大地は驚きという境地を越えて、もはや意識はいつも以上に沈着している。
「水緒さま」
と、ウサギが固い声を出した。
二匹は戦闘用の人型に化け、手に持った鉾の先を池の跡地に向ける。
「吽龍の結界はもうよろしい。つづいて水緒さまには、穢れた者を退ける業を覚えてもらわねばなりますまい」
「し、退ける業──?」
大地に支えられながら、水緒が立ち上がる。
結界をといた吽龍がなおも周囲を警戒するなか、庚月丸と銀月丸はふたたび面をつけ、背後を守るように鉾を立てた。
「よいですか、水緒さま。つづくは反撃の狼煙をあげるための言霊。ゆえに使うは阿龍です」
「──うん」
「あの池跡の主、おそらくは先ほどの野良龍が連れてきた雑魚でございましょう。いまの水緒さまでも、太刀打ちはできるはずです。さあ宝珠を」
「はい」
「浮かぶ呪文を唱えませい」
白月丸の助言をもとに、ふたたび宝珠をかかげる。──ことばが浮かぶ。
水緒はいまなおイヤな気の沸き上がる池の跡地を睨み付けた。
「敵への魔をやぶる、神威の御利物とませ。阿龍!」
宝珠が光る。
ことだまを受けた阿龍は、宝珠の光をうけてその身を剣に変える。水緒はその剣を手に取った。
「こ、れは」
「よいですか水緒さま」
白月丸が面の下から声を出す。
そして水緒の手より阿龍の剣を取りあげた。
「阿龍の剣は、これより修行を重ねればどこまでも強うなります。現状はこれほど細身の剣なれど」
池の跡地から風が巻き起こる。
そこから現れたるは、赤鼻の小天狗が一匹。その手に持ったヤツデの葉扇で風を巻き起こさんと構えている。
白月丸は一歩踏み込み、風を切るように剣を斬り上げた。
瞬間。
光の刃が小天狗を捕らえ、その身を砕く。
真っ二つに分かれた身体はまるでスローモーションのようにゆっくりと地面に落ちてゆく。
すべては一瞬の出来事であった。
水緒は声を震わせる。
「…………こ、殺しちゃったの?」
「なあに心配ござらん。阿龍の剣は穢れを斬るものゆえ、よほどに穢れとらんかぎりはその命までは奪えませぬ」
「穢れを斬る──」
「どれ」
と、白月丸は阿龍の剣を水緒に返して、小天狗の様子を見にゆく。おなじく面をつけた朱月丸もそのあとを追って覗き込んだ。
「あー、こりゃ死んどるのう」
「穢れきっとったか。致し方あるまい」
「死んじゃったの!?」
水緒は剣を落とす。
その衝撃で、阿龍は変化を解いた。大地の無事を確認する吽龍を呼び、ふたたび水緒のそばに落ち着いた。
「あの野良が」朱月丸が忌々しそうにつぶやく。「穢れた気を注いだんかもしれんな」
「ダキニの姐さまに下ったならば、こういうことも覚悟はしておったが──やはり天狗族をも使ってきたか」
「おい、うかうかと話しとる暇はない」
銀月丸が鉾の石突を地面に一度打って、さけんだ。そうじゃそうじゃ、と顔をあげて白月丸が水緒を見る。
「水緒さま、はようにふたつ目のカケラを」
「あっ、そうだね──」
水緒は祠の前へ赴き、いま一度宝珠をかかげた。
「吾大君の天津大龍、その気を以って神籬の結を解け。阿龍」
そして結界玉は砕かれ祠が開く。
やはりというべきか、禍々しい気が祠から漏れ出でた。しかしそれに躊躇することはもうない。
水緒は中に入っていたカケラを手にとって、胸に押し抱く。
──。
────。
まただ。また、記憶が見える。
先日の記憶とは打ってかわり、戦場にて武功をあげる映像だった。
飛び散る血肉。
夥しい屍。
──その上に、記憶の持ち主は立っていた。
周りにはびこる仲間たちは自分を賞賛しこそすれ、その目は怯えと恐怖で固まっている。
鬼だ。
逆らうな。
殺される──。
この記憶の主には、彼ら人間の感情が手に取るようにわかっていた。
──孤独だ。
水緒は思った。この記憶の持ち主、つまり水守が孤独という感情を抱いていたかは分からない。けれど、信頼に足る家族や友人に恵まれて生きてきた水緒にとっては、ひどく胸を打つ情景だった。
「水守さまっ」
銀月丸の声で我に返った。
ハッと視線をあげる。樹上に黒いローブをまとった男がいる。──水守。
水緒は手中のカケラをかばうように身構えた。
しかし彼はこちらを見つめてこそいたが、何をするでもなく、やがてゆっくりと踵を返す。
「まって!」
思いがけず声が出た。
しかし男は止まらない。いまにも飛び立ちそうな動きをしたところで、水緒はさけんだ。
「おにいちゃんっ」
と。
嫌だったのだろうか。
水守は眉をひそめた顔をふたたびこちらに向けて、見下ろしてくる。
「あたし」
ぎゅ、とカケラを握りしめた。
「絶対に集めるからね」
「…………」
「ぜんぶ集めて綺麗にする、そしたら宝珠だってちゃんと返すから。そしたら……そのときは、ぜったいぜったい、帰ってきてねッ」
水緒の瞳がうるんだ。
四眷属は互いに顔を見合わせて鉾を寝かせる。そして一同は膝をつき、水守へと頭を垂れた。
「絶対だよ!」
「…………」
水守はなにも言わなかった。
嘲笑も罵倒もなく、ただじっと水緒を見つめている。
その時間はたった数秒の間だったけれど、水緒にとっては十分も、二十分にも感じていた。やがて彼は視線をそらす。
そして風の渦を巻き起こして姿を消した。
「…………水守」
水緒の目尻から、涙が一筋こぼれる。
胸が詰まってせつなくてたまらなかった。
こうして。
無事にふたつ目のカケラを浄化することに成功した水緒は、四眷属、そして大地とともに大龍神社へと戻るのであった。
水緒は、ぺたりと地面に座り込む。
めったに見ない正装姿のふたりだが、いまの水緒にファッションチェックをする余裕はない。
それゆえ、混乱のあまり固まる大地にフォローをいれる余裕もなかった。
「…………」
当の大地はといえば。
目を白黒させて三人を見比べる。が、まもなく足に触れた獣の手触りにおどろいて飛び上がった。
タヌキとウサギ?
いつの間に現れたか、二匹は水緒に寄り添うようにそばに寄ってきていた。まあ、こんな山の中だ。野生のウサギやタヌキが出てくるのもうなずける。いやしかしこの朱い前掛けは──。
と、大地がわずかに冷静さを取り戻したのもつかの間。
「嗅ぎ覚えのある匂いじゃのう」ウサギが声を出して鼻をひくつかせた。
「先日の滝行体験に来とったおのこじゃな」
「しゃべっ──」
「そうそう、片倉大地どのじゃ」
と、人型の庚月丸ももはや開き直ったようで、面をパカッと外しながらウサギのとなりに腰を下ろす。
「……あっ、庚月さん?」
「滝行体験ぶりですのう、大地どの。いやはや此度はまこと災難なことで──って、そうじゃ銀。あやつはどうした」
と庚月丸が顔をあげると、もうひとりも面をずらして「逃げた」とつぶやいた。銀月丸だ。
「さすがに大龍四眷属が全員集まったとなれば、向こうも分が悪かろう」
「しかし、かわいそうに。この池の主は置いてかれてしもうたようだの」
タヌキまでしゃべる。
大地は驚きという境地を越えて、もはや意識はいつも以上に沈着している。
「水緒さま」
と、ウサギが固い声を出した。
二匹は戦闘用の人型に化け、手に持った鉾の先を池の跡地に向ける。
「吽龍の結界はもうよろしい。つづいて水緒さまには、穢れた者を退ける業を覚えてもらわねばなりますまい」
「し、退ける業──?」
大地に支えられながら、水緒が立ち上がる。
結界をといた吽龍がなおも周囲を警戒するなか、庚月丸と銀月丸はふたたび面をつけ、背後を守るように鉾を立てた。
「よいですか、水緒さま。つづくは反撃の狼煙をあげるための言霊。ゆえに使うは阿龍です」
「──うん」
「あの池跡の主、おそらくは先ほどの野良龍が連れてきた雑魚でございましょう。いまの水緒さまでも、太刀打ちはできるはずです。さあ宝珠を」
「はい」
「浮かぶ呪文を唱えませい」
白月丸の助言をもとに、ふたたび宝珠をかかげる。──ことばが浮かぶ。
水緒はいまなおイヤな気の沸き上がる池の跡地を睨み付けた。
「敵への魔をやぶる、神威の御利物とませ。阿龍!」
宝珠が光る。
ことだまを受けた阿龍は、宝珠の光をうけてその身を剣に変える。水緒はその剣を手に取った。
「こ、れは」
「よいですか水緒さま」
白月丸が面の下から声を出す。
そして水緒の手より阿龍の剣を取りあげた。
「阿龍の剣は、これより修行を重ねればどこまでも強うなります。現状はこれほど細身の剣なれど」
池の跡地から風が巻き起こる。
そこから現れたるは、赤鼻の小天狗が一匹。その手に持ったヤツデの葉扇で風を巻き起こさんと構えている。
白月丸は一歩踏み込み、風を切るように剣を斬り上げた。
瞬間。
光の刃が小天狗を捕らえ、その身を砕く。
真っ二つに分かれた身体はまるでスローモーションのようにゆっくりと地面に落ちてゆく。
すべては一瞬の出来事であった。
水緒は声を震わせる。
「…………こ、殺しちゃったの?」
「なあに心配ござらん。阿龍の剣は穢れを斬るものゆえ、よほどに穢れとらんかぎりはその命までは奪えませぬ」
「穢れを斬る──」
「どれ」
と、白月丸は阿龍の剣を水緒に返して、小天狗の様子を見にゆく。おなじく面をつけた朱月丸もそのあとを追って覗き込んだ。
「あー、こりゃ死んどるのう」
「穢れきっとったか。致し方あるまい」
「死んじゃったの!?」
水緒は剣を落とす。
その衝撃で、阿龍は変化を解いた。大地の無事を確認する吽龍を呼び、ふたたび水緒のそばに落ち着いた。
「あの野良が」朱月丸が忌々しそうにつぶやく。「穢れた気を注いだんかもしれんな」
「ダキニの姐さまに下ったならば、こういうことも覚悟はしておったが──やはり天狗族をも使ってきたか」
「おい、うかうかと話しとる暇はない」
銀月丸が鉾の石突を地面に一度打って、さけんだ。そうじゃそうじゃ、と顔をあげて白月丸が水緒を見る。
「水緒さま、はようにふたつ目のカケラを」
「あっ、そうだね──」
水緒は祠の前へ赴き、いま一度宝珠をかかげた。
「吾大君の天津大龍、その気を以って神籬の結を解け。阿龍」
そして結界玉は砕かれ祠が開く。
やはりというべきか、禍々しい気が祠から漏れ出でた。しかしそれに躊躇することはもうない。
水緒は中に入っていたカケラを手にとって、胸に押し抱く。
──。
────。
まただ。また、記憶が見える。
先日の記憶とは打ってかわり、戦場にて武功をあげる映像だった。
飛び散る血肉。
夥しい屍。
──その上に、記憶の持ち主は立っていた。
周りにはびこる仲間たちは自分を賞賛しこそすれ、その目は怯えと恐怖で固まっている。
鬼だ。
逆らうな。
殺される──。
この記憶の主には、彼ら人間の感情が手に取るようにわかっていた。
──孤独だ。
水緒は思った。この記憶の持ち主、つまり水守が孤独という感情を抱いていたかは分からない。けれど、信頼に足る家族や友人に恵まれて生きてきた水緒にとっては、ひどく胸を打つ情景だった。
「水守さまっ」
銀月丸の声で我に返った。
ハッと視線をあげる。樹上に黒いローブをまとった男がいる。──水守。
水緒は手中のカケラをかばうように身構えた。
しかし彼はこちらを見つめてこそいたが、何をするでもなく、やがてゆっくりと踵を返す。
「まって!」
思いがけず声が出た。
しかし男は止まらない。いまにも飛び立ちそうな動きをしたところで、水緒はさけんだ。
「おにいちゃんっ」
と。
嫌だったのだろうか。
水守は眉をひそめた顔をふたたびこちらに向けて、見下ろしてくる。
「あたし」
ぎゅ、とカケラを握りしめた。
「絶対に集めるからね」
「…………」
「ぜんぶ集めて綺麗にする、そしたら宝珠だってちゃんと返すから。そしたら……そのときは、ぜったいぜったい、帰ってきてねッ」
水緒の瞳がうるんだ。
四眷属は互いに顔を見合わせて鉾を寝かせる。そして一同は膝をつき、水守へと頭を垂れた。
「絶対だよ!」
「…………」
水守はなにも言わなかった。
嘲笑も罵倒もなく、ただじっと水緒を見つめている。
その時間はたった数秒の間だったけれど、水緒にとっては十分も、二十分にも感じていた。やがて彼は視線をそらす。
そして風の渦を巻き起こして姿を消した。
「…………水守」
水緒の目尻から、涙が一筋こぼれる。
胸が詰まってせつなくてたまらなかった。
こうして。
無事にふたつ目のカケラを浄化することに成功した水緒は、四眷属、そして大地とともに大龍神社へと戻るのであった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
71
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる