落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第五章

25話 奇襲

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「ど、どこだここ──」
 さっきまで山道を歩いていたのに、と大地が周囲を見渡す。
 しかし水緒はわかった。先ほど聞こえてきた声は、まちがいなく先日豪瀑の前で対峙した左頬傷のある男のものだった。
 水守のカケラも反応しているところを見ると、本人がいるのかもしくはふたつめのカケラが近くにあるのか。……いや、あるのだろう。
 この祠からわずかだが穢れた気を感じる。
 そしてそのカケラを守るように、大龍の結界の存在も。
「…………」
「天沢、だいじょうぶか」
「……あっ、うん」
「変なこともあるもんだけど、とりあえず池についてよかったよな。お前のいったとおり、やっぱり埋め立てられてたんだ」
 さみしいな、と大地がつぶやく。
 水緒は自分の宝珠に手を伸ばした。これからなにがあるかわからない。先日のようにとつぜん殺意を向けられたら、まずは大地を守らねば。
 そんな固い決意を抱く水緒をよそに、大地は呑気な声を出した。
「きょう図書室で絵本を読んだんだ」
「え、絵本?」
「『大龍さまのおしえ』って絵本。けっこうおもしろかったぜ、大龍さまってお前んとこの御祭神だろう。その大龍さんがむかしむかし、このつつじヶ池に住んでたって話」
「おとっ──だ、大龍さまがつつじヶ池に?」
 単なる伝承だろうけど、と大地がうなずく。
「わざわいを起こす龍だなんだと誤解されて、村の者たちが若い娘を生贄にするんだけどさ。ちぐさって巫女が大龍さんと話したらそれが誤解だってことがわかって……まあいろいろあってさ。けっこう深い話だった」
「それで、さいご大龍さまはどうなるの」
「大龍さんはこの山も池も捨てて、どっかに行っちまったらしい。そのちぐさって巫女がいまの大龍神社を建ててお祀りしたのがはじまりなんだとさ。つまり、お前のご先祖様ってことだな」
「…………」
 神社建立のいきさつは小さいころに聞いたことがあったが、たいして興味もなく、聞き流していたために記憶には残っていなかった。
 しかし、いまでこそ龍王と呼ばれる大龍も、むかしはこれほどちいさな山に住む一介の龍だったとは。水緒はすこし感動した。
「それ、つづきあるのかな」
「シリーズ化はされてるみたいだけど。ていうかお前んちにないの?」
「わかんない……帰ったら慎吾くんに聞いてみるよ」
「お前、自分ちのことなのに興味ねえのな」
「…………わるかったわね」
 ムッとした水緒をよそに、大地が祠に近づく。
 これもたしか巫女が建てたんだと、といって祠を覗き込んでいる。ふしぎなことに祠に触れても大龍の結界は反応していない。大地が混じりけのない人間だからだろうか──。
「ねえ、もう帰ろ」
「やけに帰りたがるな。まあでもいい時間か、そうだな」
 と大地はぐいっと伸びをした。
「池がなくなっちまったこともわかったし。もしまだあるのなら、大龍さんが帰ってきてるかどうか確認したかったんだけど。さすがにねーか」
「…………大龍さまは神社のほうにいるよ」
「え?」
「うちの御祭神でしょ。むかしは池に住んでいたのかもしれないけど、いまはもううちの神社に帰ってきてるから」
「やっぱり神社の子って神さまの存在を身近に感じるの?」
「んン、みんなじゃないと思うけど。でも神さまって、信じる人のところにいるものだから。だからきっと大龍さまも、そのチグサって巫女さんがずっと自分を信じて祀ってくれていたから、この地に帰ってきたんじゃないかな」
「……ふうん」
 大地は首を伸ばして空を見る。
 四方を木々に囲まれて自然は溢れんばかりだけれど、ここは奥多摩のような澄みきった空気ではないような気がする。大地はクン、と匂いをかいでそう思った。
「帰るか」
「うん」
 ふたりが池の跡地に背中を向けたときであった。

 ──アケロ。

 ゾッとするような声が、池跡地から水緒だけに聞こえてきた。
 おもわず足がぴたりと止まる。
 アケロ。アケロ。アケロ。
 『祠を開けろ』という意味だろうか。水緒はすこし蒼い顔をして大地を呼び止めた。行きとはうって変わって、水緒に歩調を合わせていた大地がゆっくりとこちらを振り返る。
「どうした」
「先に帰ってて」
「なんで? あ、しょんべんならあっちで待ってるぜ」
「サイテー! ちがうわよッ」
 と声を張ったとき、水緒の背中に悪寒が走った。
 アケロ。アケロ。アケロ──。
 すぐ近くだ。
 ハッとうしろを振り向くも、なにもいない。
 しかし池の跡地、地面からなにかよくないもが湧き出ているのが肌でわかる。水緒は恐怖にたまらず宝珠を胸に抱えた。もはや大地の目など気にしている場合ではない。
 そのとき強い風が吹いた。
「あぶねえッ」
 同時に、大地が水緒を抱えて倒れ込む。直後に頭上を大きななにかが飛んでいく。草むらの奥、重そうな音を立てて落ちたそれはどうやら大きな石礫らしい。
 かわいい悪戯ではなさそうだ。
 大地は眉をつりあげて立ち上がった。
「だれだ」

「これはこれは、純然たる人間一匹。護衛のおつもりかね──妹御前いもごぜん

「…………!」
 突風の渦とともにあらわれたのは、やはりというべきか。左頬に大きな傷をもつ肌の浅黒い男であった。
 水緒の身体は恐怖にすくむ。四眷属がだれひとりいないなかで他の龍族のものと相まみえるのはこれが初めてだからだ。水守の姿はないようだが、水緒からすればこの男のほうが得体の知れぬ不気味さがぬぐえない。
 にたりと傷を寄せて男がわらった。
「祠を開けろと、池の主がさわいでおりますな。さあ妹御前、如何とする」
「うるさいなっ。いつ開けようがあたしの勝手でしょ、いちいち茶々いれてこないでよッ」
「茶々か本気か、その身をもって確かめるがよかろう」
 というや男は腕をふりかぶる。
 その瞬間、周囲の木々の合間をぬって風の渦が巻き起こり、たちまち砂塵の混じる竜巻がふたりを襲った。
「なっ」あまりのことに大地が固まる。
 このままでは大地が怪我をする。それだけは──。
 もはや水緒に迷いはない。手の宝珠をかかげた。

「外は虚空みそら化然形あだしかた、神触れなせそ御注連みしめ引け。吽龍!」

 宝珠が光る。
 淡い藍色の吽龍が宝珠よりとび出でて、まばゆい光となってふたりを包んだ。巻き起こる風の渦は結界にはじかれて、周囲の木々をなぎ倒していく。
「…………」
 一方で、結界の内にはいった瞬間に荒れ狂うほどの風がおさまったふたりは、ただ茫然と荒い息をととのえた。もはや、大地にはなにを言っても誤魔化しの利かぬ状況だ。
 ──いや、いまはそんなことを気にする暇はない。
 結界を張ったはいいものの、それだけで気を使うのに精いっぱいな水緒にとって、ここから反撃の狼煙をあげるほどまだ力は育っていないのである。
 しかし男を見れば、ふたたび風の渦をこちらに仕掛けようとしている。
 このまま守り切れるか。いや、自信はない。
(……おとうさん!)
 と水緒が目をつぶる。

 そのとき、草陰を猛進する音とはげしく金属がぶつかりあう音がした。──と同時に嵐のような風が止む。
 水緒はおそるおそる顔をあげた。
 いつの間にか──目の前にふたりの青年が立っている。それぞれ顔には面をつけ、手に鉾を持ち、まとうは神官装束の明衣ような衣。頬傷の男はすでに姿を消したかどこにも見えない。
 そのうしろ姿に、水緒は腰から力が抜けた。

「遅くなって申し訳ござらん」
「ご無事でなにより、水緒さま」

 四眷属の武闘派、銀月丸と庚月丸であった。
 
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