落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第九章

47話 水守の現代視察

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 やっぱりやさしい──と、水緒は確信した。
 とはいえそれもそうだろう、とも思う。もともと野良龍になる前は、彼とて龍のはしくれ。人を導くという使命を少なからず持っていたハズである。
 その導き方が少々手荒いものだったにせよ、龍である以上は、自然を愛し慈しむ心だって持っていたにちがいない。
(それがなんであれ──)
 なにかを愛せる人にわるいヤツはいない。
 水守と庚月丸の背中を見送って、水緒はこっそりとわらった。

「さて、お昼だお昼!」
 と振り返る。

 いつの間にか目の前に、B組女子が詰めかけていた。
「ヒェッ」
「ちょっと水緒、いまのだれ?」
「ひとりはあれでしょ。林間学校のときにいっしょにバスに乗ってた人でしょ、そっちじゃなくて!」
「なんかすごいキラキラした白い髪の人ッ」
「顔面チョー強い人!」
 女たちの目が、獲物を狙うハンターと化す。
 すっかり仲良くなったクラスの女子だが、水緒にとってはいまだに理解できないこともある。
 ──顔面が強い男イケメンへの執着だ。
 奥多摩のとき、石橋英二へのアプローチが凄まじかったように、彼女たちはうまそうイケメンな男を見ると自分の存在をアピールせずにはいられない、超肉食系女子なのである。
 恋愛沙汰にとんと疎い水緒からすれば、異星人ほどの壁を感じていた。
「あれは──あたしのお兄ちゃんで」
「うっそ。水緒って兄いたの」
「たしかにアンタもまあかわいいけど、あれ別次元じゃない?」
「イケメンってことばでは足りない。国宝すらも陳腐」
 口々に感想を述べる女たち。
 水緒は顔をひきつらせてわらった。
「あの、お昼食べたいんだけど……」
「紹介して」
「いやバカ、美穂。あんなんぜったい彼女いるやん。あれのとなりに並べる気しなくね?」
「霊長類史史上トップだかんな」
「てかなに、水緒はあの方とひとつ屋根の下で生きてきたの? そこいらのイケメンに対して反応薄いのはそのため?」
 という友人たちに水緒はいやいや、と首を振る。
「最近知ったの。腹違いのお兄ちゃんなんだって」
 てっきり、なんだそっか──なんて反応が返ってくると思っていたのに、女たちは一斉に手をバチンと己の額に叩きつける。
「はぁーッ」
「もはやテンプレ」
「ちょっと詳しく。……」
「いやまってまってまって」
 と、体育館方面へ連れていかれそうになったとき、校舎二階の窓──ちょうど水緒の教室があるところ──から「おーい」と声がした。

「天沢ァ、先生が至急来いって怒ってたぜ」

 エッ、と顔をあげる。
 そこにいたのは、叫んだ本人であろう石橋英二と、ヒラヒラと手を振る片倉大地のすがた。
 大地がウインクしたのを見て、
「あ」
 と目を見開いた。
 わかったいま行く、とさけんで、水緒は昇降口へと駆け出した。

 ──。
 ────。
「すさまじいな、女って」
 英二が、ストローから口を離してわらった。
 紙パックのオレンジジュースである。水緒はぜえはあと肩で息をしてから、無遠慮にその紙パックを取り上げた。
「女でひと括りにされちゃ困るよッ。石橋くんの助け舟がなかったらどうなっていたことか──ホントありがとう」
 と、言いながらストローで人様のオレンジジュースを飲む水緒に、英二は呆れた顔で「こらこら」とつぶやく。
「感謝しながら人のジュースを飲むんじゃないよ。しかもお前、彼氏の見てる前でほかの男と間接キスはまずいんじゃないの」
「……またそういう冗談言う」
 水緒はムスッとして紙パックジュースを突っ返す。一方大地は気にもとめず、サッカーボールを頭に乗せてバランスをとることに夢中だ。
「ジュースごちそうさま。あーん、お昼食べたら昼休み終わっちゃう……」
 と、水緒が泣きそうな声を出す。
 すると大地が「ああ」と思い出したかのように声をあげた。
「おれ調べものあるんだった。英二わるい、ちょっと抜けるわ」
「手伝うか?」
「んにゃ、平気!」
 というや、サッカーボールを英二に押し付けて、教室を飛び出していってしまった。
(ひょっとして)
 代わりに調べてくれるの?
 大地はそういう男だ、というのは最近肌で感じるところである。胸のうちがポッと熱くなって、水緒はひとりうつむいた。
 それを横目に、英二がボールをくるりと回す。
「しゃーねえ。大地抜きでサッカー行こっと」
「こころといっしょに食べよっと……」
「…………」
 すると英二はにっこりわらって、ボールを自分の席下にしまいこんだ。
「ん、サッカーは?」
「俺もご相伴にあずかろうと思いまして」
「…………」
 この男も、大概面食いである。

 ※
 商店街。
 水守にとってはまったく場違いなこの場所に、庚月丸は意気揚々と踏み込んでいく。古い町ゆえこじんまりとしてはいるが、その分店主同士の仲も深い。
 庚月丸は、よく美波のおつかいで立ち寄ることが多いため店主からはあらかた覚えられている。
 あら、と八百屋の老店主がさっそく顔を出してきた。
「大龍さんとこの庚月ちゃん。となりのべっぴんさんはお友だちかね」
「とんでもござらん。神社の若君でございます」
「ありゃま。お子さん水緒ちゃんしかおらんと思うとったんに、もひとりいたの。あらぁ──お兄さんカッコいいからこれ持っていかれ」
「これはこれは……かたじけない、また贔屓にさせていただきます」
 と、庚月丸は腰低く受け取る。
 店主特製の漬け物が入った小瓶である。ここの店主は、上機嫌なときにこれをくれることがある。
「庚月ちゃぁん。お茶っぱ持っていかれ」
「このあいだ美波さんがほしいちゅうてた熊野筆、入荷したよう」
「庚月さん元気そうで」
「…………」
 ひと店舗ひと店舗。
 庚月丸が前を通るたび声をかけられる。商店街を抜けるころには、溢れんばかりのもらいものを腕に抱えていた。
 いやはや、と庚月丸が苦笑する。
「商店街のじい様ばあ様というたら、気前のよい方ばっかりなもので──しかしこれもひとえに、水守さまがおられるからこそ。奉納品とでも思うてくだされ」
「奉納品、」
 つぶやいた水守の表情がわずかに翳る。
 そのとき、うしろから見知らぬ子どもが水守のからだにぶつかってきた。庚月丸はギョッとする。 見れば胸元に『ひまわり保育園』の名札をつけた齢五つほどの男児だった。
 ぶつかった子どもはこわばった顔で顔をあげる。
「…………」
「…………」
 子どもと、それを見下ろす水守がしばし見つめ合う。
 が、その時間は「すみませーん」とさけぶ女性の声によっておわりを告げた。
「こら、かおるくん! 勝手に走っていっちゃだめでしょう。ごめんなさい、お怪我ありませんでしたか……!」
 女性は胸元に『ひとみ』と書かれた名札をつけている。
 案の定なにも言わぬ水守に代わって、庚月丸がずいと前に出た。
「おお、そこのひまわり保育園の子でしたか。迷子かとおもって焦りましたがよかったです。童は元気がいちばんですゆえ、なにとぞお気になさらず」
「ホントにすみません。かおるくん、おにいさんに『ぶつかってごめんなさい』っていった?」
「……ぶつかって、ごめんなさい。おひざいたい?」
 かおる、と呼ばれた男児は水守の足を無遠慮に撫でさする。
 庚月丸がヒッと息を呑んで「ああああの」と遮ろうとした。このままでは男児が蹴飛ばされてしまう、と危惧してのことである。
 しかし意外にも水守は男児を蹴飛ばすどころか、その膝を折って男児と目線を合わせたのである。そして手を男児の肩に添えて、口を開いた。
「大事ない。気をつけよ」
 と。

 わずかに笑んだその顔に、『ひとみ』と名札をつけた女性と庚月丸はたまらず赤面する。
 そして男児はひとり、
「うんッ」
 と、綻ぶような笑みを水守に向けた。
 
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