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第十四章
75話 脱出
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────。
「部屋の空気が」
変わりましたな、と銀月丸がつぶやいた。
扉の前で身じろぎひとつせぬまま、水緒を待ち続けた男である。対して、落ちつかなげにウロウロと右往左往していたターシャは、緊張した顔でうなずいた。
「もう、穢れが感じられない」
まもなく扉が開いた。
ふたりは息を呑む。扉の先に目を向ける。眩しいほどに光あふれるなかから、ふたつの影を見た。
「阿吽龍」
銀月丸は驚愕した。
試練に入るときは、中学生ほどの大きさであった彼らが、いまや高校生よりも大人びた体躯になっている。
ふたりは疲れきった顔をしていたが、銀月丸に気がつくやパッと満面の笑みを浮かべた。活発な性格の阿龍がさっそく駆けてくる。
「銀月丸さま、ただいまもどりました」
「阿龍。よく、よくここまでがんばった。吽龍も、すっかり成長したなふたりとも…………して、水緒さまは?」
銀月丸の顔に不安がよぎる。
しかし、阿龍はにっこりわらって吽龍へ視線を移した。彼の背には、ぐっすりと寝こける水緒の姿が。
身に付けていたはずの服はなく、代わりに吽龍の着ていた上着だけを身に付けている。なにより変わったのはその髪の長さであろう。
部屋に入ったときはショートカットだったのに、いまは鎖骨ほどまで伸びている。
「……水緒さま、よくぞご無事で」
銀月丸はうつむいた。
瞳にたまる涙をこらえるためだ。
信じられない──と、部屋のなかを見渡したターシャがつぶやく。
「この部屋が、これほど明るいところだったなんて。光が溢れて、抑えきれないくらいよ」
「水緒さまが禍津陽を翳らせて、浄化の雨を降らしたのです。水守さまのカケラもこのとおり、きれいに浄められました」
と、阿龍が手を出した。
手中にはこれまでにないほど、大きな宝珠のカケラが収められている。
カケラには一点の曇りもない。
銀月丸は微笑んだ。
「よくやった。本当に、よくやったぞ」
「ありがとうございます。銀月丸さま、ターシャさま。すべては水緒さまのお力と、大地さまの助力のおかげです」
「そうだ、大地さま!」
阿龍が顔をあげる。
大地──?
なぜその名がいま出てくる、と銀月丸は眉をしかめる。答えたのは吽龍だった。
「大地さまが、水緒さまを励ましてくださいました。さんざ人間の醜いところを見せつけられ、水緒さまは龍の使命に辟易しておられたところ、大地さまが『大丈夫だ』と」
「まて。どうして大地どのが、龍宮の奥の奥にいる水緒さまに声を」
「水緒さまはこれを手にしておられました」
阿龍がポケットからちいさなカケラを取り出した。雪丸の宝物である。
へえ、とターシャが瞳を細めた。
「龍の宝珠だ。ずいぶん小さいけれど──なんだってこんなもの」
「水守さまのモノなのだそうです。かつて水守さまが人の子に授けたそうで、これを通して大地さまが」
「水守さまが授けた?」
「よほど水守にとって大切な子どもだったんだね。その人の子」
ターシャは笑んだ。
というと、と銀月丸は眉をしかめる。
「如意宝珠はね、どんなに離れていてもそれを作った龍に呼応するのよ。水守がその人の子を護りたいと思ったら、宝珠はその子を護ろうとするだろう。子どもとはいえ、人間に宝珠のカケラを渡すなんて──かわいいやつじゃない」
「水守さまが何事かを案じたのを宝珠が感じて、水守さまに様子を見せてくれたということ──ですか」
阿龍はパッと笑顔になる。
そうかもね、とターシャはわらった。しかし銀月丸は釈然としない。
「それと大地どのがどう関係して──」
「あ、そうでした」
「ん?」
「いま、水守さまとともに大地さまが、幽湖を通ってこちらに向かっているとか」
「…………」
「白月丸さまもご一緒に」
「それを早く言え!」
銀月丸がさけぶ。
つぎの瞬間、吽龍の背から取り上げた水緒を姫抱きにして、駆け出した。
※
龍宮門前は騒々しい。
門番である右門と左門はもちろんのこと、野次馬としてやってきた龍たちは、門前の光景におどろきを隠せなかった。
「水守だ」
「大龍が長子、水守が生きている」
「人の子を連れてやってきた」
紅来門を通った彼らを待ち受けたのは、当然ながら歓待の姿勢ではなかった。水守に対する恐怖と、人間という異端の存在によってみな拒否の一念を抱いている。
唯一顔馴染みかつ話のわかる白月丸は、他龍から質問攻めになった。
ですから、と陰のある笑みを浮かべてメガネを押し上げる。
「それがしらは、水緒さまを迎えに来ただけですよって。それともなにか。また大戦を起こさんと水守さまが人間の小童一匹だけ引き連れて、こんなところへやってきたとでも?」
「いや、それは」
「笑止千万。そこもとらは昔からそうですな、どれだけ水守さまを馬鹿にすれば気が済むのです。まったく、大龍さまが龍宮に寄りつかなくなるのも頷けますわい」
と、鼻をならす白月丸。
いまだ小舟に乗ったまま事態を静観する水守は、退屈なのだろう。瞳を閉じてねむる体勢に入っている。
ただひとり、大地は水守のカケラを握りしめたまま動かない。
(無事なのか)
それだけ知りたい。それだけ。
大地はうつむく。
先ほどは、急にむこうの世界が暗転し、水緒の声が聞こえなくなった。それ以降はいくら呼びかけても応答がなく、やがては世界すらも映らなくなってしまったのである。
(やっぱり知りたい)
ガタリ、と。
衝動にまかせて立ち上がった。すると、水守が瞳を閉じたまま「小僧」とつぶやく。
「急くな」
「え」
舟がぐらりと揺れる。
うわ。
と、バランスが崩れた。
そのまま立て直す間もなく、大地のからだが舟から落ちんとしたときである。
「やっぱりいたッ」
という切羽詰まった銀月丸の声を聞いた。
龍宮の門の奥から駆けてきた声の主と、その腕のなかでねむる水緒のすがたを、大地は見た。
「あっ、あまさ──」
わァーッ、と。
水に落ちる寸前に。
「部屋の空気が」
変わりましたな、と銀月丸がつぶやいた。
扉の前で身じろぎひとつせぬまま、水緒を待ち続けた男である。対して、落ちつかなげにウロウロと右往左往していたターシャは、緊張した顔でうなずいた。
「もう、穢れが感じられない」
まもなく扉が開いた。
ふたりは息を呑む。扉の先に目を向ける。眩しいほどに光あふれるなかから、ふたつの影を見た。
「阿吽龍」
銀月丸は驚愕した。
試練に入るときは、中学生ほどの大きさであった彼らが、いまや高校生よりも大人びた体躯になっている。
ふたりは疲れきった顔をしていたが、銀月丸に気がつくやパッと満面の笑みを浮かべた。活発な性格の阿龍がさっそく駆けてくる。
「銀月丸さま、ただいまもどりました」
「阿龍。よく、よくここまでがんばった。吽龍も、すっかり成長したなふたりとも…………して、水緒さまは?」
銀月丸の顔に不安がよぎる。
しかし、阿龍はにっこりわらって吽龍へ視線を移した。彼の背には、ぐっすりと寝こける水緒の姿が。
身に付けていたはずの服はなく、代わりに吽龍の着ていた上着だけを身に付けている。なにより変わったのはその髪の長さであろう。
部屋に入ったときはショートカットだったのに、いまは鎖骨ほどまで伸びている。
「……水緒さま、よくぞご無事で」
銀月丸はうつむいた。
瞳にたまる涙をこらえるためだ。
信じられない──と、部屋のなかを見渡したターシャがつぶやく。
「この部屋が、これほど明るいところだったなんて。光が溢れて、抑えきれないくらいよ」
「水緒さまが禍津陽を翳らせて、浄化の雨を降らしたのです。水守さまのカケラもこのとおり、きれいに浄められました」
と、阿龍が手を出した。
手中にはこれまでにないほど、大きな宝珠のカケラが収められている。
カケラには一点の曇りもない。
銀月丸は微笑んだ。
「よくやった。本当に、よくやったぞ」
「ありがとうございます。銀月丸さま、ターシャさま。すべては水緒さまのお力と、大地さまの助力のおかげです」
「そうだ、大地さま!」
阿龍が顔をあげる。
大地──?
なぜその名がいま出てくる、と銀月丸は眉をしかめる。答えたのは吽龍だった。
「大地さまが、水緒さまを励ましてくださいました。さんざ人間の醜いところを見せつけられ、水緒さまは龍の使命に辟易しておられたところ、大地さまが『大丈夫だ』と」
「まて。どうして大地どのが、龍宮の奥の奥にいる水緒さまに声を」
「水緒さまはこれを手にしておられました」
阿龍がポケットからちいさなカケラを取り出した。雪丸の宝物である。
へえ、とターシャが瞳を細めた。
「龍の宝珠だ。ずいぶん小さいけれど──なんだってこんなもの」
「水守さまのモノなのだそうです。かつて水守さまが人の子に授けたそうで、これを通して大地さまが」
「水守さまが授けた?」
「よほど水守にとって大切な子どもだったんだね。その人の子」
ターシャは笑んだ。
というと、と銀月丸は眉をしかめる。
「如意宝珠はね、どんなに離れていてもそれを作った龍に呼応するのよ。水守がその人の子を護りたいと思ったら、宝珠はその子を護ろうとするだろう。子どもとはいえ、人間に宝珠のカケラを渡すなんて──かわいいやつじゃない」
「水守さまが何事かを案じたのを宝珠が感じて、水守さまに様子を見せてくれたということ──ですか」
阿龍はパッと笑顔になる。
そうかもね、とターシャはわらった。しかし銀月丸は釈然としない。
「それと大地どのがどう関係して──」
「あ、そうでした」
「ん?」
「いま、水守さまとともに大地さまが、幽湖を通ってこちらに向かっているとか」
「…………」
「白月丸さまもご一緒に」
「それを早く言え!」
銀月丸がさけぶ。
つぎの瞬間、吽龍の背から取り上げた水緒を姫抱きにして、駆け出した。
※
龍宮門前は騒々しい。
門番である右門と左門はもちろんのこと、野次馬としてやってきた龍たちは、門前の光景におどろきを隠せなかった。
「水守だ」
「大龍が長子、水守が生きている」
「人の子を連れてやってきた」
紅来門を通った彼らを待ち受けたのは、当然ながら歓待の姿勢ではなかった。水守に対する恐怖と、人間という異端の存在によってみな拒否の一念を抱いている。
唯一顔馴染みかつ話のわかる白月丸は、他龍から質問攻めになった。
ですから、と陰のある笑みを浮かべてメガネを押し上げる。
「それがしらは、水緒さまを迎えに来ただけですよって。それともなにか。また大戦を起こさんと水守さまが人間の小童一匹だけ引き連れて、こんなところへやってきたとでも?」
「いや、それは」
「笑止千万。そこもとらは昔からそうですな、どれだけ水守さまを馬鹿にすれば気が済むのです。まったく、大龍さまが龍宮に寄りつかなくなるのも頷けますわい」
と、鼻をならす白月丸。
いまだ小舟に乗ったまま事態を静観する水守は、退屈なのだろう。瞳を閉じてねむる体勢に入っている。
ただひとり、大地は水守のカケラを握りしめたまま動かない。
(無事なのか)
それだけ知りたい。それだけ。
大地はうつむく。
先ほどは、急にむこうの世界が暗転し、水緒の声が聞こえなくなった。それ以降はいくら呼びかけても応答がなく、やがては世界すらも映らなくなってしまったのである。
(やっぱり知りたい)
ガタリ、と。
衝動にまかせて立ち上がった。すると、水守が瞳を閉じたまま「小僧」とつぶやく。
「急くな」
「え」
舟がぐらりと揺れる。
うわ。
と、バランスが崩れた。
そのまま立て直す間もなく、大地のからだが舟から落ちんとしたときである。
「やっぱりいたッ」
という切羽詰まった銀月丸の声を聞いた。
龍宮の門の奥から駆けてきた声の主と、その腕のなかでねむる水緒のすがたを、大地は見た。
「あっ、あまさ──」
わァーッ、と。
水に落ちる寸前に。
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