片翼のエール

乃南羽緒

文字の大きさ
64 / 104
第四章

63話 S1試合の前哨戦

しおりを挟む
 朗らかな笑みとは対照的に殺人級のパワーストロークを放つ志木悠馬と、凶悪な顔貌とは裏腹に繊細なテクニックと思慮深く相手の行動を予想するゲームメイカーの村雨翠。バランスのとれたダブルスは、前半の立ち上がりから快調なプレーを魅せた。
 志木の球を警戒していると村雨に隙を突かれるシーンがままあり、才徳サーバーのゲームでさえデュースの応酬を繰り返す。外野で観戦する才徳陣営からは、へたをすればこの試合で今後の進退が決まってしまうという焦りから、デュースとアドバンテージがつづくにつれて笑みが消えた。
 が、肝心の才徳D1ペアからはポイント間でかならず楽しげに弾む声があがる。
 ゲームカウントがリードされ、かつアドバンテージをとられていてもふたりのポジティブなコミュニケーションは止まることはなかった。いったいなにがそんなに楽しいのか──と外野の倉持たちもつられて口角があがる。
 対する松工D1ペアは対照的であった。
 松工リードのゲームカウント3-1になっても、いまひとつリードしている実感が得られていない。ポイントはふたたびアドバンテージ才徳。前半の立ち上がりは控えめだった蜂谷の動きが、ゲーム数が進むにつれて積極的になる。志木のクロスボール。蜂谷のポーチ。しなやかな長い四肢がボールを捉え、前衛村雨の足もとに突き刺さった。
 いまのポーチも、さっきまでの彼ならば絶対に出なかっただろう。
「ゲーム才徳 2-3」
 審判コールとともにチェンジコートとなる。
 ベンチに戻ってきた杉山と蜂谷を睨みつけ、大神は「ったく」とため息をついた。
「テメー、いい加減にその立ち上がりの遅さをなんとかしろ。蜂谷」
「ゴメンゴメン。そんなつもりじゃないんだけど」
「それに杉山のほうはずいぶんとテンション高ェじゃねえの。なんかあったのか」
「ちゃうねん。これぞ天岩戸作戦やねん」
「は?」
「ダブルスっちゅうのはな、どんな瞬間でも楽しそうにしとるヤツが勝つねん。オレ、長年ダブルスやってきてんやんか。最近それをよう感じるねんな」
 と、杉山はドリンクをひと口。
 なぜ『天岩戸作戦』なのかと大神が蜂谷に目線で問いかけると、彼は小声で、
「ポイントが不利な状況でも楽しくやることで、相手の気がこちらにとられるようにする──それを、天岩戸に引っ込んだ天照大神を引っ張り出すのに宴をひらいて注意をこちらに向けたっていう神話にちなみたいらしいよ」
 と簡潔にこたえる。
 なるほど、と大神は神妙な顔をした。妙にちなみきれていないのは杉山のご愛敬であろう。とはいえ杉山のメンタル安定を持続させるためにも、ペア間のテンションを高く保つのは妙手といえる。ベンチコートの襟から顔を出して、大神はうなずいた。
「ま、楽しんで試合できてるのなら上出来だ。杉山は引き続きそのテンションを保って、蜂谷はポーチ多めに決めてけ。──頼むぞ」
「大神に頼まれたら是が非でもこなさなならんなァ」
「まあ見ててくださいよ。大神部長」
 ふたりはにっこり笑い合って、反対側のコートへと入った。
 ゲームカウント2-3。
 これまでのプレーで、劣勢に立たされていたために重い沈黙のなかで観戦していた才徳陣営。が、六ゲーム目。サーバー志木にてはじまった、蜂谷のリターンボールを見た瞬間にその不安はふっ飛んだ。
 前衛村雨の左を突き抜け、アレーコートに入った弾丸のごときストレート。
「な、ナイスリターン──」と、目を丸くするは星丸。
「いまのよく見てたなァ司郎のヤツ!」とは姫川。
「蜂谷さん、ようやくエンジンかかってきたみたいッスね」明前はホッと口角をあげる。
「マジで心臓にわるいから、一ゲーム目からエンジンかけてほしいぜ……」心臓に手を当てる倉持。
「すごい──完全にいまの一球で流れを変えた」
 といった天城の声はのぼせたような声だった。
 しかし天城のいうとおり、この一球によってゲームの流れは完全に変わったといってよかった。志木のパワーストロークは相変わらず重く沈んだが、そのパワーを受け流すように蜂谷はタイミングとコントロールを見定めて、ドロップショットをきわどい場所へ落としてゆく。一方の杉山も、大神に次ぐテクニック力を最大限に発揮。頭上を抜かれた低いロブを股抜きで返したときは、会場中がざわついた。
 縦横無尽にコートを駆けてボールを余すことなく返す杉山と、広い視野と洞察力から的確なコースへボールを叩き込み相手を翻弄する蜂谷。前半の立ち上がりが嘘のように、ゲームカウントはたちまち才徳リードの5-3。
 波に乗ったこのペアはもはや退くことを知らぬチャリオット。
 蜂谷覚醒から一ゲームも相手に与えることなく、6-3というゲームカウントとともに圧倒的強者の風格を見せつけた。
 これで松工と才徳ともに二勝。最後のS1試合ですべてが決まる。ウォーミングアップからもどった倉持は、松工陣営をちらと見た。
 松工S1、馬場園工。
 鍛え上げられた肉体と、あまり豊かではない表情。悩ましげにひそめられた眉毛と切れあがった目元、なにより周囲の部員から一目置かれるようすに、その男がただ者でないことは倉持にもすぐにわかった。
「あいつか──」
 つぶやく。それと同時に、むこうもまた倉持の存在に気がついたようだった。
 ジャージを脱ぎ捨ててラケットバッグを背にこちらへ向かってくる。その静謐な、かつ猛々しいオーラに、柄にもなく倉持は肩がこわばった。男として──負けている、と。本能的に感じたのかもしれない。
 相手はおもむろに手を差し出してきた。
「馬場園工だ」
「あっ、ああ。倉持慎也、よろしく」
「よろしく」
 渋い。
 なにが渋いって、その声と表情である。これまでいったいどんな人生経験を積んだらこのような風格を纏えるのだろうか──とおもわず倉持が見とれるほどに。おそらくは馬場園自身、ゆるがない自信を胸に秘めているのだろう。そのただよいくる潔さに羨望すら抱いたときだった。

「倉持クーンッ」

 と。
 いう黄色い声とともに、腕にからまった柔らかい感触。
 ふわりと香る女子特有の花の匂いに、倉持はあわてて横を見た。
 ──七浦伊織が、そこにいた。
「あれ。伊織じゃねーか、なんだおもったより早かったな!」
「良かったァ、倉持クンの試合間に合うて。初戦をひと試合も見られへんとか、マネージャー失格になってまうとこやったわ。あとなあとな、会場の入口でうろついてた子ォ連れてきてん。ほら!」
 と伊織が身体をずらすと、うしろには頬を染めた諸星杏奈のすがたもある。
 どうしたんだとワケを聞けば関東大会の応援に来たのだとたどたどしくつぶやいた。
「おもえばあたし、幼馴染のくせにアンタの試合ってほとんど見たことなかったからさ。ちょっとくらい見てあげよっかなぁなんて……あの、ほら。いま大神くんがいなくて大変だって伊織から聞いてたし!」
「なんだ、嬉しいことしてくれんじゃねーか。いまちょっと男としての自信を失いかけてたところだったんだけど、応援されると勇気ってもらえるもんだなー。ありがてえありがてえ」
 倉持が快活にわらって、なんの気なしに馬場園へ視線を向けた。
 ──向けて、ぎょっとした。
 どういうわけか、凛々しく切れあがった瞳からポロポロと涙がこぼれている。
「どっ、どうした?!」
「…………才徳、倉持」
「あ、ああ」
「おれお前には、絶対負けねえ。ぜったいだ」
 馬場園がそういうと、周囲を取り囲むように待機していた松工陣営が一気に「そうだそうだ」と目くじらを立ててがなりたててきた。
「女子の応援受けたくらいでいい気になってんじゃねー!」
「ま、マネージャー女子と幼馴染の応援もらうってテメー、ギャルゲ主人公じゃねーか!」
「ただでさえ馬場園さんモテねえってのに、見せつけやがって……」
「鬼畜外道!」
 とまで言われる始末である。
 あんまりの言いぐさに困惑して閉口した倉持。それを傍から見守っていた伊織が、ふいに杏奈の両手を倉持の手に重ねて包み込ませた。突然の行動に杏奈はもちろん、さすがの倉持も目を丸くする。
「なんだ?」
「倉持クン、幼馴染のがわざわざ応援来てんねんで。死ぬ気で勝つんよ!」
 なぜか『カノジョ』のところを爆音でさけぶ伊織。
 しかし倉持はその意味を『ガールフレンド』ではなく『She』ととらえたらしい。たいした疑問も持たずに笑顔を浮かべて、
「おう、まかせろ!」
 と胸を張った。
 とたん、馬場園はうわああ、と雄叫びをあげてコート内へ駆けてゆく。
 松工陣営もまた、その痛ましいエースのすがたに涙する。ふたたび困惑する倉持。ただひたすらに頬を染める杏奈。
 伊織はというと、
「がっはっはっはっは!!」
 ひとり豪快に笑いころげていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される

けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」 「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」 「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」 県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。 頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。 その名も『古羊姉妹』 本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。 ――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。 そして『その日』は突然やってきた。 ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。 助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。 何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった! ――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。 そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ! 意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。 士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。 こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。 が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。 彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。 ※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。 イラスト担当:さんさん

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

処理中です...