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第一夜
第1話 夏目九重
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夏目九重という筆名にこだわりはない。
世間一般で言うところの小説家を生業とする夏目は、自身の名が表記された単行本の表紙を見るたび、尻の据わりがわるくなるほどには、夏目九重という存在をうすら寒くおもっている。
小説家になった理由も、特別文字を書くことがすきだったからではない。
生まれついた家とは折り合いがわるく、かといって真っ向から反抗するほどの気概もなく、ただずるずると息をしつづけるだけの人生だった。大学の課題であるレポート執筆をしていた際、従弟に「文章がうまい」と褒められたことがきっかけで、短編のものがたりを書いてみた。実家への鬱屈を込めた、それはそれは幼稚で、被害認識が全面に押し出された内容だったけれども、現代ではこういったものが流行る傾向にあるようで、出版社の人間には『新進気鋭の作家が生まれた』と手放しによろこばれた。
名の売れたいまの夏目的には、読み返したくない作品ナンバーワンなのだが──。
そんなことだから。
筆名に意味を込めたわけもないのである。短編を執筆する夏目のとなりで、例の従弟がたまたま夏目漱石の本を読んでいたから、そこから拝借をした。九重は、そのとき食べていたミルフィーユの層が九層だったから。
なんてことはない。
驚くことに一定数ついたファンには、死ぬまで教えたくない、しょうもない理由なのである。とにもかくにも、夏目にとっての物書き稼業は生きるためであって、決して夢も目標もありはしない。たまに担当編集から若手小説家を紹介されるたび、彼らの熱量と大望に頭が下がる。とかく、夏目にはやる気がない。
──などと言いながら、今日はその小説のことで人と待ち合わせをしている。次回作のプロットを作成するにあたって、どうしても思い出せぬことがあり、もしかするとその答えを知っているであろう人間に聞こうとおもってのことである。
旧き瓦斯燈の灯りが心地よい、和洋折衷様式のこの喫茶店こそ、夏目の行きつけである。執筆の気が進まないとき──たいていがそうなのであるが──、この店に来ると、かつての文豪の仲間入りをした気がして気分がよく、筆も乗る。物書き稼業にさんざケチをつけておきながら勝手なものだ、と自嘲する。
黒い扉の取っ手をとる。開けた。
耳障りのよいディキシーランドジャズが、さらに気分を文豪へと導く。おまけに、なにかと形から入る夏目は、今日も今日とて時代遅れの着流し姿。欲を言えば、昨冬に購入したお気に入りの中折れ帽を被りたかったが、さすがにうららかな春の陽気の下、ウール素材は暑かったため、断念した。
ウエイトレスの案内で席に着く。
店の雰囲気を壊さぬよう、女子はハイカラ袴、男子は書生タッチの制服で統一されているところも、気に入っている。夏目は珈琲をオーダーしてソファー席の背もたれに身を預けた。
(あれは、なんと言ったか──)
と、夏目はかれこれ三十八回目となる問いかけをする。
およそ一週間前から毎日考えている。自身がまだ十代前半であったころ、両親と弟、分家の従弟とともにした陸奥旅行。
祖父あたりがそこいらの名士と知り合いらしく、家にお邪魔した。その家は代々女性が当主となり、年頃になると婿を取ると聞いた。当主となった女は「 」というお役目に就き、何をどうにかする──。
ここが、どうしても思い出せぬ。そんなことは捨て置いて、さっさと別の方面からプロットを立ててしまえばいいともおもうが、一度気になるともう駄目である。なにをしていても気になって離れない。どうにも何もかも手につかなくて、夏目は泣きの留守電を入れたのだった。
──件の従弟に。
「一丁前に悩んどるやん、大先生」
頭上から声がした。
小気味良い関西弁が聞こえた方へ、キロリと瞳だけを動かす。一昔前の反町隆史のようなヘアスタイルにサングラス、黒いワイシャツにスラックスを履いた“輩”のようなこの男こそ、現役警察官である従弟の森谷茂樹である。
毎度会うたび、このチャラついた髪型が許されるものかと警察組織を疑うが、刑事課などの私服警官に関しては素性がバレないためにもかえって都合がいいらしい。あくまで本人談ゆえ、周囲の心象は反映されていないのだけれど。
夏目はとろりと微笑んだ。
「わるいね、呼び出しちゃって」
「ホンマやで。せっかくの非番、映画の一本も観たろう思てたんに──あ、珈琲ひとつ」
水を持ってきたウエイトレスに、彼は人差し指を立てた。
「先月も、なかなか大変だったみたいだな。あんまりニュースにはならなかったけど──あの、ピアノ講師の」
「あーあー。現代の吸血鬼とかいうヤツな。せや、その報告書やらなんやらからようやっと解放されたとこやねん。もう気ィ狂いそうやったわ。一般人巻き込んでまったことで上からは怒られるし──ま、おかげで捜査本部の見立てよかだいぶ逮捕が早まったんは良かったけど」
「一般人?」
「三月の事件で友だちになった大学生」
「ああ──」
夏目は閉口した。
ウエイトレスが、ふたつの珈琲を持ってきた。着流し姿の男と輩風の男という釣り合わせに、好奇の目を向けてから、ごゆっくりどうぞと頭を下げた。夏目は人好きする柔和な笑みで、ひらりと手を振る。
女性はあまねく愛でるもの、という持論の夏目は、そのルックスも相まってむかしから女に困ったことはない。ゆえか盛りを過ぎたこの歳になっても、いまだに独り身なのだけれど。
ウエイトレスはトレンチを胸の前に抱えて、あわてて去っていった。じとり、とこちらを見る従弟の顔は浮かない。
「イヤだねェ。これやから女たらしは」
「おまえに言われたくないよ。シゲだって引く手あまただったろう」
「オレはお前と違うて、一度にひとりの人間しか愛せへんねや」
「そのわりに結婚しないよね」
「順番的にはそっちが先やろ。総一郎」
といって、茂樹は珈琲を一口飲んだ。
総一郎とは夏目九重の真名である。近ごろ、そちらの名で自分を呼ぶ者はほとんどいない。実親か、この従弟くらいのものであろう。
「うちの内情を知ってなお、結婚してくれる女性がいるとおもう? 探せばいるだろうけれど──そんな手間をかけるくらいなら、独りの方が気楽だよ」
「まあな」
茂樹はちびりと二口目の珈琲を飲む。
それで、とむりやり笑みをつくり、彼は話題を変えた。
「オレに聞きたいことってなに?」
「ああ、そうだった。じつはさ、次回作の主人公を薙刀の使い手にしようとおもって、取材も兼ねて体験入学したんだけどね」
「オイオイしょっぱなから情報過多やな。なぎなた──入学?」
「薙刀道場だよ」
夏目はにっこりわらった。
はえー、と茂樹が目を丸くする。
「でも薙刀って女の武器ちゃうの? 男でもやってええんか」
「そのイメージは大正から戦後にかけてつくられたものだよ。始まりは平安時代、戦国時代の終わりごろなんかはよく戦に使われていたんだ。女性のイメージが強いのは、江戸時代の武家娘たちが教養と護身用として薙刀術を身に付けるようになったのが始まりなんだって。道場主のおじさんが言ってた」
「はァ。ほんで、体験してどうやった」
「すごく良かった。なんだか、ぐうたらな僕の性格まで薙刀の刀身のごとく研ぎ澄まされるような気分だった」
「エッ。真剣でやんの?」
「ううん、木刀」
「なんやねん」
「本物も握らせてもらったんだよ。身が引き締まっちゃった」
「はァ」
「それで、本題はここからなんだ」
と、夏目は垂れた瞳を細めた。
世間一般で言うところの小説家を生業とする夏目は、自身の名が表記された単行本の表紙を見るたび、尻の据わりがわるくなるほどには、夏目九重という存在をうすら寒くおもっている。
小説家になった理由も、特別文字を書くことがすきだったからではない。
生まれついた家とは折り合いがわるく、かといって真っ向から反抗するほどの気概もなく、ただずるずると息をしつづけるだけの人生だった。大学の課題であるレポート執筆をしていた際、従弟に「文章がうまい」と褒められたことがきっかけで、短編のものがたりを書いてみた。実家への鬱屈を込めた、それはそれは幼稚で、被害認識が全面に押し出された内容だったけれども、現代ではこういったものが流行る傾向にあるようで、出版社の人間には『新進気鋭の作家が生まれた』と手放しによろこばれた。
名の売れたいまの夏目的には、読み返したくない作品ナンバーワンなのだが──。
そんなことだから。
筆名に意味を込めたわけもないのである。短編を執筆する夏目のとなりで、例の従弟がたまたま夏目漱石の本を読んでいたから、そこから拝借をした。九重は、そのとき食べていたミルフィーユの層が九層だったから。
なんてことはない。
驚くことに一定数ついたファンには、死ぬまで教えたくない、しょうもない理由なのである。とにもかくにも、夏目にとっての物書き稼業は生きるためであって、決して夢も目標もありはしない。たまに担当編集から若手小説家を紹介されるたび、彼らの熱量と大望に頭が下がる。とかく、夏目にはやる気がない。
──などと言いながら、今日はその小説のことで人と待ち合わせをしている。次回作のプロットを作成するにあたって、どうしても思い出せぬことがあり、もしかするとその答えを知っているであろう人間に聞こうとおもってのことである。
旧き瓦斯燈の灯りが心地よい、和洋折衷様式のこの喫茶店こそ、夏目の行きつけである。執筆の気が進まないとき──たいていがそうなのであるが──、この店に来ると、かつての文豪の仲間入りをした気がして気分がよく、筆も乗る。物書き稼業にさんざケチをつけておきながら勝手なものだ、と自嘲する。
黒い扉の取っ手をとる。開けた。
耳障りのよいディキシーランドジャズが、さらに気分を文豪へと導く。おまけに、なにかと形から入る夏目は、今日も今日とて時代遅れの着流し姿。欲を言えば、昨冬に購入したお気に入りの中折れ帽を被りたかったが、さすがにうららかな春の陽気の下、ウール素材は暑かったため、断念した。
ウエイトレスの案内で席に着く。
店の雰囲気を壊さぬよう、女子はハイカラ袴、男子は書生タッチの制服で統一されているところも、気に入っている。夏目は珈琲をオーダーしてソファー席の背もたれに身を預けた。
(あれは、なんと言ったか──)
と、夏目はかれこれ三十八回目となる問いかけをする。
およそ一週間前から毎日考えている。自身がまだ十代前半であったころ、両親と弟、分家の従弟とともにした陸奥旅行。
祖父あたりがそこいらの名士と知り合いらしく、家にお邪魔した。その家は代々女性が当主となり、年頃になると婿を取ると聞いた。当主となった女は「 」というお役目に就き、何をどうにかする──。
ここが、どうしても思い出せぬ。そんなことは捨て置いて、さっさと別の方面からプロットを立ててしまえばいいともおもうが、一度気になるともう駄目である。なにをしていても気になって離れない。どうにも何もかも手につかなくて、夏目は泣きの留守電を入れたのだった。
──件の従弟に。
「一丁前に悩んどるやん、大先生」
頭上から声がした。
小気味良い関西弁が聞こえた方へ、キロリと瞳だけを動かす。一昔前の反町隆史のようなヘアスタイルにサングラス、黒いワイシャツにスラックスを履いた“輩”のようなこの男こそ、現役警察官である従弟の森谷茂樹である。
毎度会うたび、このチャラついた髪型が許されるものかと警察組織を疑うが、刑事課などの私服警官に関しては素性がバレないためにもかえって都合がいいらしい。あくまで本人談ゆえ、周囲の心象は反映されていないのだけれど。
夏目はとろりと微笑んだ。
「わるいね、呼び出しちゃって」
「ホンマやで。せっかくの非番、映画の一本も観たろう思てたんに──あ、珈琲ひとつ」
水を持ってきたウエイトレスに、彼は人差し指を立てた。
「先月も、なかなか大変だったみたいだな。あんまりニュースにはならなかったけど──あの、ピアノ講師の」
「あーあー。現代の吸血鬼とかいうヤツな。せや、その報告書やらなんやらからようやっと解放されたとこやねん。もう気ィ狂いそうやったわ。一般人巻き込んでまったことで上からは怒られるし──ま、おかげで捜査本部の見立てよかだいぶ逮捕が早まったんは良かったけど」
「一般人?」
「三月の事件で友だちになった大学生」
「ああ──」
夏目は閉口した。
ウエイトレスが、ふたつの珈琲を持ってきた。着流し姿の男と輩風の男という釣り合わせに、好奇の目を向けてから、ごゆっくりどうぞと頭を下げた。夏目は人好きする柔和な笑みで、ひらりと手を振る。
女性はあまねく愛でるもの、という持論の夏目は、そのルックスも相まってむかしから女に困ったことはない。ゆえか盛りを過ぎたこの歳になっても、いまだに独り身なのだけれど。
ウエイトレスはトレンチを胸の前に抱えて、あわてて去っていった。じとり、とこちらを見る従弟の顔は浮かない。
「イヤだねェ。これやから女たらしは」
「おまえに言われたくないよ。シゲだって引く手あまただったろう」
「オレはお前と違うて、一度にひとりの人間しか愛せへんねや」
「そのわりに結婚しないよね」
「順番的にはそっちが先やろ。総一郎」
といって、茂樹は珈琲を一口飲んだ。
総一郎とは夏目九重の真名である。近ごろ、そちらの名で自分を呼ぶ者はほとんどいない。実親か、この従弟くらいのものであろう。
「うちの内情を知ってなお、結婚してくれる女性がいるとおもう? 探せばいるだろうけれど──そんな手間をかけるくらいなら、独りの方が気楽だよ」
「まあな」
茂樹はちびりと二口目の珈琲を飲む。
それで、とむりやり笑みをつくり、彼は話題を変えた。
「オレに聞きたいことってなに?」
「ああ、そうだった。じつはさ、次回作の主人公を薙刀の使い手にしようとおもって、取材も兼ねて体験入学したんだけどね」
「オイオイしょっぱなから情報過多やな。なぎなた──入学?」
「薙刀道場だよ」
夏目はにっこりわらった。
はえー、と茂樹が目を丸くする。
「でも薙刀って女の武器ちゃうの? 男でもやってええんか」
「そのイメージは大正から戦後にかけてつくられたものだよ。始まりは平安時代、戦国時代の終わりごろなんかはよく戦に使われていたんだ。女性のイメージが強いのは、江戸時代の武家娘たちが教養と護身用として薙刀術を身に付けるようになったのが始まりなんだって。道場主のおじさんが言ってた」
「はァ。ほんで、体験してどうやった」
「すごく良かった。なんだか、ぐうたらな僕の性格まで薙刀の刀身のごとく研ぎ澄まされるような気分だった」
「エッ。真剣でやんの?」
「ううん、木刀」
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