R.I.P Ⅱ ~童子守の庇護~

乃南羽緒

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第五夜

第30話 告白

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 睦実がふらりと奥座敷を出る。
 おぼつかない足どりを心配し、睦月がそばに寄り、廊下を進む。ふたりを見送ったのち、一ノ瀬は目を白黒させて森谷に現状の説明を求めた。しかしそれに対して明瞭に答えられるほどの心の余裕はなく、
「畳の具合を確かめていました」
 と苦し紛れに誤魔化した。
 警視庁の警部補がそう言うのなら、と一ノ瀬は額に滲む汗をハンカチで拭き取って、奥座敷に来た経緯を話し始めた。
「原田が目を覚ましました。一応、落ち着きは取り戻して、相良宏美殺害について自白しました。といっても動機の部分はまだ不明瞭なのでこれから詰めていきますが」
「──どうせ、わらし様に代わって天罰下したとか、言うたんちゃうん」
「よ、よく分かりましたね。一言一句そのままですよ。意味分かりますか」
「意味もなにも……」
 ちら、と住職を見る。
 彼はあいまいに微笑んだ。
 そのまんまですわ、と視線を戻す。
「原田さんはホンマに、家の守り神に代わって天罰下したつもりでいてるんですよ」
「はぁ……?」
「県警が来たらまとめて説明したりますがな。せや、淳実さんの様子見てきてもらえます? オレらもこれから大広間戻りますさかい、そこでいったんまとめましょう」
「承知しました。春江さん、すみませんがまた道案内願えますか。この家あんまり広くて──」
「はい。淳実のいる囲炉裏の間までお送りします」
 といって、春江は一ノ瀬とともに廊下をゆく。
 奥座敷に残るは、たった二日前、宝泉寺に集った顔ぶれである。
 さて、と博臣は手を打った。
「君たちも大広間へ戻りなさい。ああ、将臣と恭太郎は床板と畳を戻すように」
「えーッ。人使いが荒いったらないぜ!」
「好奇心だけで、私より先にこの畳をめくったヤツが文句を言うな」
「ほら。あたしも手伝ったげるからア、恭ちゃん。はやく片そう」
「ちぇ……」
 一花の励ましを受けて、恭太郎は渋々床板に手をのばす。総一郎は、神那と冬陽の背に手を当て、大広間へ戻ろうとエスコートする。森谷もそのあとに続こうと一歩を踏み出す。
 ──しかし、将臣はじっと床板を見たまま動かない。
「おい将臣、サボるな!」
「親子揃って高みの見物なんて感じわるいわよ!」
「…………」
 一枚、一枚と嵌められる床板によって、次第にそのすがたを隠してゆく孔を、将臣はなおも凝視する。まるで鷹の目のごとく。孔のほか、今にも隠されようとしている何かを見据えて──。

「父さん」

 将臣がつぶやいた。
 彼の父もまた、息子同様、孔に視線を落としたまま動かない。
 息子は続ける。
「なぜミチ子刀自は、後代に冬陽さんを指定されたんでしょう。本来なら春江さんが負うべきことかと思うんですが」
「…………」
「ずっと引っ掛かっていました。事件が起こるまでは、そんなこともあるかと深く考えちゃいなかったけれど。奥座敷の秘密を覗いたことで、おれの疑問がようやく形になりました」
 父さん、と。
 息子はようやくゆっくり父を見た。
「童子守とは──結局、なんなのですか」
「お前にしてはめずらしく抽象的な発言だな」
「そうとしか言えない。否、言葉通りの疑問だからです」
「よせ。うちの仕事はここまでだ」
「おれが立てた仮説はこうです。童子守とは」
将臣まさおみ

方だけがなるものなのでは?」

将臣しょうしん!」
「!」
 住職の怒声に、将臣は口をつぐんだ。
 いや。怒声といっても、これまで聞いた宏美や睦実らのものに比べれば、ひじょうに気品と威厳に満ちた声であった。
「この件はもう終わったことだ。夜が明けたらここを辞去する。用意をしておきなさい」
「…………」
 実父の窘めを受けてわずかに萎縮する将臣。その横で、恭太郎は友を庇うようにずいと前に歩み出た。
「いいや和尚。いい加減、変に濁すのをやめたらどうだ。僕はコイツほど物分かりは良くないぞ。わるいけど、この家に入った瞬間からずーっと聞こえていた。事が事なだけに放っておこうとおもっていたが──アンタの話を聞いて合点がいった」
「分かっているならその口を閉じろ。恭太郎」
「やなこった。そうだ、将臣の仮説なら僕も納得がいく。ずっと聞こえてた。懺悔。後悔。恐怖の音。そういうことなんだろ。童子守ってのは、わらし様とやらの世話をする係なんかじゃない。ただひたすら、自身の咎に対して謝って暮らすお役目なんだ。だから──」

「だから──私が選ばれたのです」

 と。
 静かな、静かな声が奥座敷に響く。
 森谷は振り向いた。
 総一郎に手を添えられたまま、うつむきがちに立ち尽くすは、相良冬陽。声は、彼女から発せられていた。
「ふ──冬陽さ」
 神那のさくらんぼのような唇が、ふるえた。
 呼応するように冬陽が顔を上げる。
「おふたりが仰るとおりです。“童子守”、と正式な名をつけたのは祖母ですけれども、似たようなお役目を持つ者は先祖代々おりました。それらはみな、“わらし様”を生み出した咎人です」
「わらし様を生み出すって、つまり、せやから、こ。ころしたっちゅうことか?」
「ええ──」
「冬陽さん、もういい」
 博臣が唸る。
 冬陽は聞かぬ。
「かたわに産まれた子は石臼の下敷きとなって擂り潰されました。成長につれ心に異常をきたした子は四肢を押さえつけて首を括られました」
「いいんだ。冬陽さん!」
「彼らはみなろくに供養もされずこの孔へと放り込まれました。そして私も」

 ──妹をこの手でころしたのですッ。

 最後の声はもはや絶叫のごとく、甲高く響いた。
 響いた瞬間、博臣はどこか泣きそうな、耐えるような顔でくちびるを噛み締める。
「違う。ちがうよ冬陽さん」
「いいえ。私ははっきりと覚えているのです。あの子がここで、ケタケタわらって、祖母の髪を掴んだ。そのまま畳の上を引きずって、……私はそれを見てひどく腹立たしくて──」
「冬陽さん」
「手を離せと言ってあの子をドン、と押したんです。殊の外軽くて、あの子は、遠くへころがった。私はそのまま馬乗りになって」
「冬陽さんッ」
「首を絞めたんです! いまでも覚えてる、……あ、あの子の首。柔らかくって、ぐにゃりと沈んで、それで」
「もういいと言ってる!」
 と。
 博臣は両の手のひらで冬陽の頬を強く挟んだ。瞳から湧き出る泉がみるみる溢れ、住職の大きな手を濡らしてゆく。
「怖かった……あの子が、陽菜がどんどん冷たくなって、私は、ただ怖くて──」
「分かってる。だがそれは──」
 和尚はまばたきをひとつ、した。
「君は知らないのだ。その件は、ミチ子さんからの書簡に真実が書いてあった」
「…………え?」
 冬陽もまた、まばたきをひとつ。
 それによってまた一粒、涙が頬を伝った。
「陽菜ちゃんをころしたのは君じゃない。たしかに首を絞めたかもしれないが、しかし君は当時まだ七歳かそこらのことだった。力が足りなかったんだろう。陽菜ちゃんは生きていた」
「……で、でも」
「ああ。陽菜ちゃんは通例どおりこの孔に放られた。でも、そのトドメをさしたのはミチ子さんだったのだよ」
「!」
 冬陽の目が悲愴に見開かれた。
 しかし、博臣は対照的に瞳を細める。
「陽菜ちゃんを生かす道もあったはずだ。しかしミチ子さんは選ばなかった。なぜならこれまで、相良の家ではよくあった事だからだ。精神が不安定となり、家人を襲ったことで殺されたご先祖はたくさんいた。だからミチ子さんもそれに倣って陽菜ちゃんを殺したんだよ」
「そ──そんな、」
 ふと、森谷の脳裏に先ほどの白昼夢がよぎった。
 夢の映像にあったワンシーン。
 畳でひきずられる老女と、けたたましく笑う少女。手を離せとわめく影。
 私が守るから、と囁く声──。
 あれは、この部屋で起こった出来事なのだろうか。
 博臣はゆっくりと冬陽の頬から手を離す。
「ミチ子さんは、自身の姿が君とかぶったのだろう。かつて彼女も似たようなかたちで妹を殺してしまったことがある。しかし彼女が歴代の──相良の人間と違ったのは、自身の犯した罪の重さを自覚していたことだ。しきたりだからと逃げずに、その生涯で咎と向き合いつづけた。だからこそ彼女は、君にも忘れてほしくなかった。身内を殺めんとしたおのれの弱さを。いつかふたたび、君のなかに流れる相良の血によって、だれをも殺めることのないよう──生涯をかけておのれを律する術を与えたんだ」
「…………」
「それでも、ミチ子さんは安心していたんだろう。これほど命が重くなった時代に生まれ育った君は、あれから二十年経って、相良の血なぞ気にならなくなるくらい、優しい子に育ってくれたのだそうだから」
「う、……ぅあ……」
「本来ならば、君の口から言わせることなく、お墓を作ったときにでもこっそりと教えてあげるつもりだったんだ。まったくこの粗忽者どもがでしゃばったばかりに、私の計算が狂ってしまったよ」
 と言いつつ、博臣は優しく微笑んでいた。
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