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新人魔導師、配属される
同日、10時2分
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医務室へ着いた瞬間、扉が開いた。
「早う入れ」
開いたのは雅だった。天音が来ることはわかっていたらしい。
「紅茶と珈琲」
「へ?」
「どちらか選べ」
「え、あ、では、珈琲を……お願いします……」
研修の時とは異なり、歓迎してくれているようだ。何故かはわからないが。
こぽこぽとお湯が沸く音がポットから聞こえてきた。これは魔導を使わないのか。妙なところで感心してしまった。
「ミルクと砂糖は」
「いえ、そのままで……ありがとうございます」
雅は感情の読めない表情でカップを突き出した。彼女はミルクたっぷりの紅茶を飲むようだ。見た目にはぴったり合っている。
さて、どうやって話を切り出そうか。
沈黙を破ったのは、意外にも雅だった。
「わらわは、そなたが嫌いじゃ」
天音を視界に入れることなく、雅は言う。
わかっていたこととはいえ、直接言われると傷つくものがある。
「……小森さんから、うかがいました」
「知っておる」
机の上に、小さな折り鶴がいた。透のところでも見た伝達方法だ。きっと、天音がここに着く前に食堂にいた誰かが飛ばしたのだろう。
「本当は、今日すぐにでも辞めさせてやろうとするつもりじゃった」
「……それを、副所長が代わりにしたんですよね」
「あやつはいつもそうじゃ。嫌われ役を買って出る。そのせいでここを出ていった新人は皆あやつを嫌う」
小さな手がカップを両手で持つ。ふうふうと冷ます姿は幼女そのものである。
「あやつの……夏希の話を、してやろう」
「はい。お願いします」
「本来なら他人が言うべきことではないが、あやつのことじゃから一生言わないであろうし、代わりにわらわが話す。言っておくが、本人には伝えるな。この誓いを破れば呪う」
脅すように雅は指を振る。魔導文字を知る魔導師ならば、それがどれほどの力を持っているか痛いほど理解している。魔導師は、指先一つで様々な現象を引き起こすことができるからだ。
「夏希は12年前の魔導元年と呼ばれるあの年の被害者じゃ」
「はい。それで……学校にも行けなかったと、そううかがいました」
「ああ。その中でもあやつが最も過酷じゃろう。あやつは魔導考古学省の前身の団体が提示した金額と引き換えに、両親に売られたのじゃ」
金額にして1億円。それと引き換えに夏希は僅か12歳で親元から引き離されたのだ。
元々、あまりよい家庭環境ではなかったらしい。家族は夏希に関心はなかったようで、あっさりと両親はその条件を飲んだ。
それからの夏希の人生は過酷そのものだった。
「両親からも見放され、見知らぬ場所でただ1人。そして、魔導研究のためと称して様々な実験に参加させられた」
「そんなことが……」
「誰一人味方がいない中、あやつにできることはただ一つ。強くなること。適性値を下げぬことじゃった。文字どおり血反吐を吐くほどの努力をして、今の地位まで上りつめたのじゃ」
帰る場所すら失った夏希は、適性値が下がってしまえば最悪の場合捨てられる可能性があった。己の身を守るためには、夏希には魔導師として成果を出す以外なかったのだ。
「これでも、あやつを天才と呼ぶか?」
「……いいえ」
「天才」。その響きは素晴らしいが、反面、生まれつき優れた力を持っているという意味で、その人の努力した過程を否定してしまっている。天音は、夏希のことを何一つ知らずに彼女の過去を踏みにじったのだ。
「成果を出した天音はようやく解放され、第5研究所の副所長としていることを許された。あちこちの研究所や社会からはぐれた、己のような者たちを集めて研究所を設立させたのじゃ」
「はぐれたって……」
「わらわは第1研究所で上司を殴って退職寸前じゃったし」
「何したんですか!?」
「双子は特定魔導現象のせいで入退院を繰り返しておったし」
「すみません、何したかは教えてもらえない感じですかね!?」
天音のツッコミは何一つ聞いてもらえないようだ。大したことでもないとでも言うような表情で話を続ける。
「そなたもそうじゃ」
「わ、私?」
「そなたは初め第1研究所に配属される予定じゃった」
「え」
以前の天音なら願ってもないことだった。けれど、何故配属が変わったのか。今はその方が重要だった。
「魔法を夢見る魔導嫌いが、金と権力のことしか考えぬ狸親父どもの巣窟に配属などされようものなら、すぐに反魔導主義団体行きじゃと、夏希はそう言っておった」
「それは……」
確かに、そうかもしれない。ただでさえ魔導に幻滅していたのにそんな環境に放り込まれれば、天音は心を病んでいただろう。
「もしくは、天音を利用して出世しようとする、過去の第1研究所の職員のようになるかじゃ」
「え?」
「……ここが設立される以前の第1研究所から発表された論文のほとんどは、夏希の研究を奪って書かれたものなのじゃ」
吐き捨てるようにそう言う雅。睨みつけているのは過去の己か、研究所か。その両方かもしれない。
2つのカップは、いつの間にか湯気すら立てず、机の上でひっそりと息を潜めていた。
「早う入れ」
開いたのは雅だった。天音が来ることはわかっていたらしい。
「紅茶と珈琲」
「へ?」
「どちらか選べ」
「え、あ、では、珈琲を……お願いします……」
研修の時とは異なり、歓迎してくれているようだ。何故かはわからないが。
こぽこぽとお湯が沸く音がポットから聞こえてきた。これは魔導を使わないのか。妙なところで感心してしまった。
「ミルクと砂糖は」
「いえ、そのままで……ありがとうございます」
雅は感情の読めない表情でカップを突き出した。彼女はミルクたっぷりの紅茶を飲むようだ。見た目にはぴったり合っている。
さて、どうやって話を切り出そうか。
沈黙を破ったのは、意外にも雅だった。
「わらわは、そなたが嫌いじゃ」
天音を視界に入れることなく、雅は言う。
わかっていたこととはいえ、直接言われると傷つくものがある。
「……小森さんから、うかがいました」
「知っておる」
机の上に、小さな折り鶴がいた。透のところでも見た伝達方法だ。きっと、天音がここに着く前に食堂にいた誰かが飛ばしたのだろう。
「本当は、今日すぐにでも辞めさせてやろうとするつもりじゃった」
「……それを、副所長が代わりにしたんですよね」
「あやつはいつもそうじゃ。嫌われ役を買って出る。そのせいでここを出ていった新人は皆あやつを嫌う」
小さな手がカップを両手で持つ。ふうふうと冷ます姿は幼女そのものである。
「あやつの……夏希の話を、してやろう」
「はい。お願いします」
「本来なら他人が言うべきことではないが、あやつのことじゃから一生言わないであろうし、代わりにわらわが話す。言っておくが、本人には伝えるな。この誓いを破れば呪う」
脅すように雅は指を振る。魔導文字を知る魔導師ならば、それがどれほどの力を持っているか痛いほど理解している。魔導師は、指先一つで様々な現象を引き起こすことができるからだ。
「夏希は12年前の魔導元年と呼ばれるあの年の被害者じゃ」
「はい。それで……学校にも行けなかったと、そううかがいました」
「ああ。その中でもあやつが最も過酷じゃろう。あやつは魔導考古学省の前身の団体が提示した金額と引き換えに、両親に売られたのじゃ」
金額にして1億円。それと引き換えに夏希は僅か12歳で親元から引き離されたのだ。
元々、あまりよい家庭環境ではなかったらしい。家族は夏希に関心はなかったようで、あっさりと両親はその条件を飲んだ。
それからの夏希の人生は過酷そのものだった。
「両親からも見放され、見知らぬ場所でただ1人。そして、魔導研究のためと称して様々な実験に参加させられた」
「そんなことが……」
「誰一人味方がいない中、あやつにできることはただ一つ。強くなること。適性値を下げぬことじゃった。文字どおり血反吐を吐くほどの努力をして、今の地位まで上りつめたのじゃ」
帰る場所すら失った夏希は、適性値が下がってしまえば最悪の場合捨てられる可能性があった。己の身を守るためには、夏希には魔導師として成果を出す以外なかったのだ。
「これでも、あやつを天才と呼ぶか?」
「……いいえ」
「天才」。その響きは素晴らしいが、反面、生まれつき優れた力を持っているという意味で、その人の努力した過程を否定してしまっている。天音は、夏希のことを何一つ知らずに彼女の過去を踏みにじったのだ。
「成果を出した天音はようやく解放され、第5研究所の副所長としていることを許された。あちこちの研究所や社会からはぐれた、己のような者たちを集めて研究所を設立させたのじゃ」
「はぐれたって……」
「わらわは第1研究所で上司を殴って退職寸前じゃったし」
「何したんですか!?」
「双子は特定魔導現象のせいで入退院を繰り返しておったし」
「すみません、何したかは教えてもらえない感じですかね!?」
天音のツッコミは何一つ聞いてもらえないようだ。大したことでもないとでも言うような表情で話を続ける。
「そなたもそうじゃ」
「わ、私?」
「そなたは初め第1研究所に配属される予定じゃった」
「え」
以前の天音なら願ってもないことだった。けれど、何故配属が変わったのか。今はその方が重要だった。
「魔法を夢見る魔導嫌いが、金と権力のことしか考えぬ狸親父どもの巣窟に配属などされようものなら、すぐに反魔導主義団体行きじゃと、夏希はそう言っておった」
「それは……」
確かに、そうかもしれない。ただでさえ魔導に幻滅していたのにそんな環境に放り込まれれば、天音は心を病んでいただろう。
「もしくは、天音を利用して出世しようとする、過去の第1研究所の職員のようになるかじゃ」
「え?」
「……ここが設立される以前の第1研究所から発表された論文のほとんどは、夏希の研究を奪って書かれたものなのじゃ」
吐き捨てるようにそう言う雅。睨みつけているのは過去の己か、研究所か。その両方かもしれない。
2つのカップは、いつの間にか湯気すら立てず、机の上でひっそりと息を潜めていた。
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