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あの頃の私は命よりも大切なものなんてないと思っていた・・・

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 私の名前はユラーナ。
 
 潜入している王国と敵対している国のスパイだ。

 王宮に従者として潜入し、徐々に信頼を積み重ねながら、私は王子の従者となることができた。

 これで、この王国の情報を簡単に得ることができる、そう思っていたのに……

「ユラーナ、明日は僕とお出かけしないかい?」

「私に断る権利はございません。出かける準備をさせていただきますので、ご希望の場所をお教えください」

 金髪碧眼の王子ラミル――
 
 私は何故かこの王子に求愛されていた。


『近い将来、僕はこの国の王にならないといけない。その時に一番傍にいて欲しいのは、ユラーナ、君なんだ』


 もしかすると、信頼を得ようと頑張り過ぎたのかもしれない……
 
 スパイとして疑われないどころか告白されてしまった。

 困った私は王妃に相談もしたのだが――


『ユラーナがラミルと結婚することになったとしても、王と私は何も言わないわ。それだけ、王も私もあなたのことを信頼しているから』


 まさか、王と王妃にまで、ここまで信頼されているとは……

 スパイとしては最高の褒め言葉のはずなのだが、私にも良心がないわけではない。

 王族全員から向けられる好意によって、少しずつ任務に支障が出始めていた。

 幼少期から訓練は受けてきたが、色仕掛けの訓練は苦手で、正直、王子の求愛にどう答えることが正解なのか、私には分からなかった。

   ◇

「綺麗な海ですね」

 私は景色を見るのが好きだ。

 綺麗な景色を見ていると、嫌な任務のことも、一時的に忘れることができる。

「確かに、綺麗だね……。でも、君の方がもっと綺麗だよ、ユラーナ」

 ボッ!
 
 ラミル王子は真っ直ぐな性格で、思ったことをそのまま口にしてしまう性格だった。

 私の瞳をじっと見つめながら、平気でそんなことを言ってくる。
 
「そ、そんなことありません!!」

 こんなに動揺してしまって、私はスパイ失格だ……

「じゃあ、そう見えるのは、僕がユラーナのことを好き過ぎるからなのかな?」

「し、知りません!!」

 つい、大きな声を出してしまった。

 この人は――

 恥ずかし気もなく次々と。

 でも、ラミル王子の言葉に偽りはない。

 それだけはわかっていた。


「これから、一緒に馬に乗って草原を駆けてみない?」

「キャッ!」

 ラミル王子が私をお姫様抱っこして馬に乗せた。

 見た目は細身なのに、騎士としての訓練もしっかりと受けているからか、私を抱き上げるくらいは造作もないことのようだった。

「では、行くぞ!」

「は、はい」

 ヒヒーーン!

 王子のかけ声に合わせて、私達を乗せた馬が駆け出し始める。
 
 風が気持ちいい。

 馬の二人乗りなんて本来は乗り心地が悪くて仕方がないはずなのだが――

 ラミル様は乗馬の名手。
 
 もちろん、私一人でも馬には乗れるが、乗り心地は悪くなかった。

「ユラーナは、早く駆けるのは苦手か?」

「いえ、どちらかというと好きです」

「そうか、なら――」

 私の期待に応えて、ラミル王子が馬を加速させる。

 ギュッ!

 私は振り落とされないようにと、ラミル王子にしっかりとしがみついた。

「ユ、ユラーナ?!」

「ど、どうかしましたか? ラミル様?」

「いや、何でもない……」
 
 私が密着したことで、ラミル王子は顔を真っ赤にしていた――

 そんな王子を見ながら、私も顔が赤く染まっていくのを感じていた。

   ◇

『これが最近の状況です』

 通信魔法を使って、最近の様子を里長に報告した。

 裏切り者と勘違いされるのを避けるため、ラミル王子に求愛されていることは伏せた。

『そうか、では引き続き、情報収集に務めろ』

『承知しました』

 通信魔法を終えた瞬間、私の胸に痛みが走った。

 壁にもたれかかり、力なく崩れ落ちる。
 
 私は里もラミル王子も裏切っている。

 良心の呵責で心が引き裂かれそうだった。
 
 いっそ、里を裏切って、このままラミル王子と幸せに暮らせたら――

 そんな思いが、一瞬、脳裏をぎる。

 しかし、それは叶わない願い。

 私の心臓には里長の魔法、死の契約魔法がかけられている。

 もし、私が里を裏切った場合、里長は躊躇なく私を殺すだろう……

 里の暗殺部隊がラミル王子を襲撃する計画が企てられた。
 
 その計画が実行された時――

 ラミル王子の命と自分の命、どちらの命を優先するのかという選択を、私は迫られることになる。

   ◇

「ユラーナ、どうして!!」

 ラミル王子が駆けつけた時には、私の命の灯は残りわずかだった――

 暗殺計画が実行されたが、私はラミル王子に変装した自分を襲わせるように暗殺部隊を誘導した。

「申し訳ございません、ラミル王子――、本当の私は敵国のスパイだったのです……。今まで、あなたのことを騙していました……」

「スパイだってことはわかっていたよ……。ユラーナのことが好きで、ずっと見てたから――、それでも、僕は君のことを愛してしまったんだ……」

 まさか、スパイだとバレていたなんて――

 ……それなのに、ラミル王子は私を愛していたの?

「ラミル王子、私もあなたを愛しています」

「それは後でたくさん聞くよ……、今は喋らない方がいい――」

 ラミル王子が、必死に回復魔法を私にかけている。

「無駄ですよ……。もう回復魔法では追いつかないほどの傷を負っていますから……」

「いや、君は治る」

「え?」

 ……そういえば、何かがおかしい。

 もう、死を迎えるだけの時間は経っているはずなのに――

「ラミル王子!! まさかこの魔法は!?」

「そう、王族だけが使える蘇生魔法!!」

「いけません、蘇生魔法は自分の寿命を引き換えにする魔法!! 私なんかのために使わないでください!!」

「違う!! ユラーナだから使いたいんだ!! 君なしの人生なんて考えられないし、そもそも君が守ってくれた命だから――」 

「ラミル王子……」

「……それに手遅れだよ。君の傷はもう治ってしまった」

 王子はそう言いながら、私の胸の上に倒れ込んだ。

「はは、ちょっと疲れたみたい。膝枕でもしてくれたら嬉しいな、なんて――」

「ラミル王子はバカですね……。膝枕くらい、この先、何千回でもしますよ……」

 死の淵から蘇ったことで、私に心臓にかけられていた死の契約魔法は解かれた。

「ホント? 言質げんちとったからね」

「はいはい、ラミル王子は黙ってればかっこいいのに、時々、子供っぽいところがありますよね」

「ハハ、子供っぽくなるのは、ユラーナの前だけだよ」

「ふふ、言われてみれば、そうでしたね」

 こんな他愛のない話をこれからも続けられる。

 たとえ、それだけの関係で終わったとしても、私にとっては涙が溢れるほど嬉しいことだった――

「これは、私からのお礼です」

「え?」

 そう言って、私はラミル王子の唇にキスをした。

 でも、もう私のために無理はしないでくださいね……

 口づけを交わしながら、私は心の中でそう祈っていた――
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