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其之六 ルディコ、五歳

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 ヴィル王国にも雪解けぬ四季があり、夏は、冬と比べれば多少は気温も上昇し、些か過ごし易くなる。
 春には新芽も出て、花が咲く。
 雪を貫いて芽を出す花々の生命力には、驚かされる。
 ルディコが生まれてから、五年が過ぎた。
 この五年、ルディコの耳について誰かに咎められることは一度もなかった。
 ほとんどの者が興味を示さず、逆にそれは気持ちが悪かった。
 最近、耳にしたのだが、イャガが、
「ダルがルディコの変形した耳のことを酷く気にしているから、なるべく触れないでやってくれ」
 と周囲に気を使ってくれていたらしい。
 本人から聞いた訳ではないので定かではないが、誰も何も言わないということは、きっと、そういうことなのだろう。
 だが、そのお陰で、森の者たちがルディコのことをどう思っているのかが、分からなくなった。
 ――忌み子。
 忘れたくても、忘れられない。
 一日に最低でも一回は、頭に浮かんでしまう。
 ジルーロたち、エリザとも、五年前のことは一度も話をしていない。
 もちろん、それで良いのだが、エリザと二人きりになると、どうしても話をしたくなる。
 エリザにはこのような葛藤はないのだろうか。
 あの日以来、酒をまったく飲まなくなった。
 いや、飲めなくなった。
 酒の勢いで言ってしまうことが、恐怖でならなかった。
 ルディコは、順調に育っている。
 身体に何の異常もない、至って健康そのものだ。
 暫くはルディコの成長が恐ろしくて、とても戸惑った。
 だが、最近では違う。
 ルディコの成長が楽しみで仕方がない。
 雪を貫く新芽のように、その美しく力強い成長が楽しみで仕方がない。
 楽しみで仕方がないから、お婆の「忌み子」という烙印が、呪縛となって心から離れない。
 その呪縛を克服しなければ、ルディコは幸せになれない。
 そう、戒めているのだが――ルディコが生まれてから、一度たりとも天災や異常気象など、祟りだと思わせるようなことが起こらない。森の者たちはお婆の力を受け継いだルディコのお陰だと、神の子だと、より一層に可愛がってくれるが、このことは、恐い。
 恐ろしい。
 確かに偶然だとは思えない。
 ルディコは、神の子、悪魔の子――。
 ある日、ルディコが苛められて帰ってきた。
「エリザ、ルディコは何て?」
「それがね、お前の耳は変だ、変だって言われたって」
「……そうか、それで、ルディコは?」
「泣き疲れて、もう寝てるわ」
「……どうしたもんかな」
「苛めた子のお母さん方は、すぐに謝りに来てくれたわ、お詫びの品をいっぱい持ってきてくれて、こちらが申し訳なかったわ」
「そうか、じゃあ、ルディコ本人の問題か……」
「うん、そうね」
 二人同時に、コーヒーを口に運んだ。
「……初めて、だな」
「え?」
「いや、耳さ、他人から耳のことを言われるのは、初めてだ、例え、子供が相手でも、だ」
「ええ……まだ、気にしているの?」
「エリザは気にならないのか? 俺は、気にならない日は、ないよ」
「だって、あなたが言ったんじゃない! あの子は私たちの子だって! あなたが気にしているってことは、心の底では私たちの子じゃないって、思っているのよ!」
「違う! それは違う! 信じてくれ……すまん……悪かった……」
「……」
「……あれから五年、何も起こらないんだよ、些細なトラブルさえも……偶然とは思えないぐらいに、本当に、何も、苛められたと聞いて、少し、ホッとしたくらいなんだ」
「あなたは、考え過ぎなのよ」
 激しく叩かれた扉が、音を立てて揺れた。
「あら、誰かしら」
「おい! ダル! 俺だ、俺、飲もうぜ!」
「ほら、ジルーロよ、付き合ってあげたら」
「またか、酒は飲めなくなったって言ってんのにな……」
 ジルーロもイャガも、エリザも……ルディコも、何事もなかったかのように平穏に暮らしていた。
 囚われているのは、一人だけだった。
 エリザが言うように、心の深淵では、ルディコを本当の子だとは思っていないのか。
 人間の子だと思うからこそ、「忌み子」などに囚われるのか――。
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