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神殿
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聖暦一二三七年。私パトリシア=プラムは夫であるカイン=チャリオン国王から離縁され、アミッタ女神の神殿に移り住んだ。
ここ、聖サミュエル神殿は、私たち姉妹の父であるプラム朝第八代国王・サミュエル=プラムの寄進により建てられたもので、王都ハーノイにおけるアミッタ信仰、ならびに貧民救済の拠点となっている。
遍く人々を救い給うというアミッタ女神を信仰する者は、男女を問わず非常に多いが、この神殿に限って言えば、神官たちは神官長はじめほぼ女性のみだ。私も神官の一人として、貧しい人たちに食事を提供したり、怪我や病を癒したり、魔法を研鑽したり、という日々を送ることとなった。
当初、神官長様はその座を私に譲ろうとした。元王妃を一介の神官にするわけにはいかないと。
しかし、私としては、ずぶの素人がいきなりそんな責任のある地位につくわけにはいかないと思ったし、それに、あまり私を目立つ立場に据えたくないカイン様やシュラウドの意向もあって、結局は一神官として迎え入れられた。
元々私は、高貴な身分の者の嗜みとして多少の魔法技術はかじっていたのだが、幸いなことに治癒魔法の才能があったようで、神殿に来てからめきめき伸びていった。
人々の怪我を癒し、喜んでもらえるのは、私にとっても嬉しいことだった。
しかし、そうして私が思いの外充実した日々を過ごしている一方で、不幸の種は着実に芽吹く。
神殿に入ってしばらくの後、心配していたことが現実となった。
私の代わりに王妃に立てるという口実で愛する妻――それも身重の――を奪われたリューエル殿が、宰相シュラウドの専横に不満を抱く者たちを糾合し、兵を挙げたのだ。
私も神殿に入る前に義兄の邸宅に赴き、宰相の挑発に乗らぬよう切々と訴えかけ、もちろんシフォン姉様も、夫に何度も懇願していたようなのだが、やはり耐えきれなかったらしい。
シュラウドに不満を抱く者たちは予想以上に多かったようで、一時はカイン国王も王宮から避難するまでの事態となった。
シュラウドもこれには肝を冷やしたか、それとも、不満分子を炙り出し一網打尽に出来るとほくそ笑んだか――それは私にはわからない。
ただ、結果的には、シュラウドの迅速な対応と、彼の子分であるハーヴォンという武将の水際立った指揮により、反乱は程なく鎮圧され、参加者たちはことごとく処刑、もしくは流刑に処された。
反乱の首謀者たるリューエル殿は、さすがに兄の命を奪うに忍びなかったらしいカイン様の鶴の一声で死罪は免れたが、邸宅に軟禁され、政治的にほぼ抹殺されたと言っていい。
彼自身、完全に心が折れてしまったようで、鬱々として楽しまず、言葉を選ばずに言うなら、半ば廃人のような状態になってしまったと聞いている。
「リューエル殿下は本当にお気の毒でしたねえ。まったく、宰相は酷いやつですよ!」
私付きの神官見習いであるエイミーが、「ぷんすか」という擬音が聞こえてきそうな調子で言う。
とてもおしゃべりで、ころころとよく笑い、感情豊かな可愛らしい少女。一見そんな感じではあるが、よく見るとその瞳は冷ややかで、常に何かを探るかのようにせわしなく動いている。
明確な証拠はないものの、十中八九、シュラウドの息がかかった監視役だろう。
「宰相閣下に不満があったにせよ、反乱など起こしてしまったらリューエル殿下に弁明の余地はありませんよ。はい、休憩はここまで。さあ、働いた働いた」
ぱんぱんと手を叩き、私は椅子から立ち上がった。
リューエル殿の末路について、思うところは大いにあるが、シュラウドの間者の前で、言葉尻を捉えられかねないことを口にするわけにはいかない。
それに、話を逸らしたいというだけではなく、実際私は忙しい身だった。
私たちが休憩室から治療室に戻ると、代わりに三人の神官が休憩に入った。
ここ聖サミュエル神殿では、日の出から日没まで、数多くの病人、怪我人の治療を行っている。
風邪をこじらせたお年寄り、仕事中の事故で怪我を負った職人、ひきつけを起こした幼児、さらには産気づいた妊婦まで――。
交代で休憩を取ってはいても、目が回るくらいの忙しさだ。
産後体調が戻らないという女性の治癒を行っていた時、その人物は飛び込んできた。
ぐったりして荒い息を吐いている幼い少年を背負った若者と、もう一人、やはりまだ年若い貴族らしき青年。
少年を背負った、貴族の従者らしき若者が叫ぶ。
「どいてくれ! こちらはレロイ伯爵家の御子息だ! 大至急診てほしい!」
「よさないか。ジム。患者に身分の高いも低いもない」
傍らの青年――おそらくは患者の少年の保護者であろう――が従者を厳しい声で窘め、そして私たち神官の方に向き直って、深々と頭を下げて言った。
「申し訳ありません、神官の方々。しかし急患なのです。可能な限り優先していただけたら感謝に堪えません」
私は治療を終えた女性の側を離れ、背負われたままの少年に駆け寄った。
「急病ですか? それとも怪我?」
「怪我です。木登りをしていて転落しまして。右足を骨折しているようです」
貴族の青年が答える。
「最初のうちは火がついたように泣き叫んでいたのですが、すでにその元気も無くなってしまったようで、高熱も発しています。できるだけ早く……」
青年の言葉を最後まで聞かずに、私は神官たちに指図を出した。順番待ちの患者たちを他の神官たちに任せて、ベッドに寝かせた少年を診る。
「確かに、右足の脛の骨がぽっきりいってますね。それに熱も高い。エイミー、体力回復の魔法をお願い」
まずは、著しく消耗している体力の回復だ。助手のエイミーに指示を出し、さらに質問を続ける。
「頭は打っていないですか?」
「足から落ちたようですから、おそらく大丈夫なはずですが……」
なるほど、骨折の痛みで消耗しているだけか。油断は禁物だが、ひとまずは安心だ。
さて、問題の骨折だが……。
「これ、折れているのはすねの骨ですが、膝関節にも変な力のかかり方をしたようですね。腱を傷めているようです」
正しく治療しないと、歩行が不自由になってしまうおそれがある。慎重に治癒しないといけないな。
「治癒魔法」と言っても、手をかざし魔力を注ぎ込むだけで怪我や病がけろりと治る、などというわけにはいかない。そんな本当の意味での「魔法」のようなことは、人の身には不可能だ。
一つ一つ、症状を見極め、適切な形で治癒を行う必要がある。
だから、治癒魔導士には人体についての知識が不可欠。そのため、神殿に限らず魔導士の養成機関では、あまりおおっぴらにはされていないことだが、腑分けなども行い、人体の仕組みについて日々研究を重ねているのだ。
少年の右足に、応急処置として当てられていた添え木を外し、慎重に骨を繋ぎ合わせた上で、魔力を注ぎ込む。
鎮痛の魔法と治癒の魔法。別々の術者が分担することも多いのだが、同時にかけることができるのは、私が神殿で逸材と評される所以だ。いや、別に自慢しているわけではないよ、念のため。
骨を繋ぎ合わせたら、完全に骨が固まるまで、添え木を当てて石膏で固定しておく。
膝の腱の治癒も終えた頃には、エイミーの体力回復魔法が効いたのか、少年の顔色も幾分良くなっていた。この娘も、まだ見習いながら中々に優秀な術者だ。
「ありがとうございます。流石ですね、パトリシア様」
少年の保護者であろう青年が、深々と頭を下げながら言う。神官の務めだから礼には及ばないのだが、感謝されるのはもちろん嬉しいことだ。
それにしても、私のことを知っているのか?
いや、統治に関わりはしなかったものの、仮にも元王妃だ。貴族なら知っていて当然か……。
「そういえば、レロイ伯爵家と言ってたかしら……? タリアン……、タリアン=レロイ?」
はっと気が付いて、青年の顔を凝視してしまう。青年は穏やかな笑みを浮かべ、言った。
「はい、タリアンです。ご無沙汰をしております、パトリシア様」
ここ、聖サミュエル神殿は、私たち姉妹の父であるプラム朝第八代国王・サミュエル=プラムの寄進により建てられたもので、王都ハーノイにおけるアミッタ信仰、ならびに貧民救済の拠点となっている。
遍く人々を救い給うというアミッタ女神を信仰する者は、男女を問わず非常に多いが、この神殿に限って言えば、神官たちは神官長はじめほぼ女性のみだ。私も神官の一人として、貧しい人たちに食事を提供したり、怪我や病を癒したり、魔法を研鑽したり、という日々を送ることとなった。
当初、神官長様はその座を私に譲ろうとした。元王妃を一介の神官にするわけにはいかないと。
しかし、私としては、ずぶの素人がいきなりそんな責任のある地位につくわけにはいかないと思ったし、それに、あまり私を目立つ立場に据えたくないカイン様やシュラウドの意向もあって、結局は一神官として迎え入れられた。
元々私は、高貴な身分の者の嗜みとして多少の魔法技術はかじっていたのだが、幸いなことに治癒魔法の才能があったようで、神殿に来てからめきめき伸びていった。
人々の怪我を癒し、喜んでもらえるのは、私にとっても嬉しいことだった。
しかし、そうして私が思いの外充実した日々を過ごしている一方で、不幸の種は着実に芽吹く。
神殿に入ってしばらくの後、心配していたことが現実となった。
私の代わりに王妃に立てるという口実で愛する妻――それも身重の――を奪われたリューエル殿が、宰相シュラウドの専横に不満を抱く者たちを糾合し、兵を挙げたのだ。
私も神殿に入る前に義兄の邸宅に赴き、宰相の挑発に乗らぬよう切々と訴えかけ、もちろんシフォン姉様も、夫に何度も懇願していたようなのだが、やはり耐えきれなかったらしい。
シュラウドに不満を抱く者たちは予想以上に多かったようで、一時はカイン国王も王宮から避難するまでの事態となった。
シュラウドもこれには肝を冷やしたか、それとも、不満分子を炙り出し一網打尽に出来るとほくそ笑んだか――それは私にはわからない。
ただ、結果的には、シュラウドの迅速な対応と、彼の子分であるハーヴォンという武将の水際立った指揮により、反乱は程なく鎮圧され、参加者たちはことごとく処刑、もしくは流刑に処された。
反乱の首謀者たるリューエル殿は、さすがに兄の命を奪うに忍びなかったらしいカイン様の鶴の一声で死罪は免れたが、邸宅に軟禁され、政治的にほぼ抹殺されたと言っていい。
彼自身、完全に心が折れてしまったようで、鬱々として楽しまず、言葉を選ばずに言うなら、半ば廃人のような状態になってしまったと聞いている。
「リューエル殿下は本当にお気の毒でしたねえ。まったく、宰相は酷いやつですよ!」
私付きの神官見習いであるエイミーが、「ぷんすか」という擬音が聞こえてきそうな調子で言う。
とてもおしゃべりで、ころころとよく笑い、感情豊かな可愛らしい少女。一見そんな感じではあるが、よく見るとその瞳は冷ややかで、常に何かを探るかのようにせわしなく動いている。
明確な証拠はないものの、十中八九、シュラウドの息がかかった監視役だろう。
「宰相閣下に不満があったにせよ、反乱など起こしてしまったらリューエル殿下に弁明の余地はありませんよ。はい、休憩はここまで。さあ、働いた働いた」
ぱんぱんと手を叩き、私は椅子から立ち上がった。
リューエル殿の末路について、思うところは大いにあるが、シュラウドの間者の前で、言葉尻を捉えられかねないことを口にするわけにはいかない。
それに、話を逸らしたいというだけではなく、実際私は忙しい身だった。
私たちが休憩室から治療室に戻ると、代わりに三人の神官が休憩に入った。
ここ聖サミュエル神殿では、日の出から日没まで、数多くの病人、怪我人の治療を行っている。
風邪をこじらせたお年寄り、仕事中の事故で怪我を負った職人、ひきつけを起こした幼児、さらには産気づいた妊婦まで――。
交代で休憩を取ってはいても、目が回るくらいの忙しさだ。
産後体調が戻らないという女性の治癒を行っていた時、その人物は飛び込んできた。
ぐったりして荒い息を吐いている幼い少年を背負った若者と、もう一人、やはりまだ年若い貴族らしき青年。
少年を背負った、貴族の従者らしき若者が叫ぶ。
「どいてくれ! こちらはレロイ伯爵家の御子息だ! 大至急診てほしい!」
「よさないか。ジム。患者に身分の高いも低いもない」
傍らの青年――おそらくは患者の少年の保護者であろう――が従者を厳しい声で窘め、そして私たち神官の方に向き直って、深々と頭を下げて言った。
「申し訳ありません、神官の方々。しかし急患なのです。可能な限り優先していただけたら感謝に堪えません」
私は治療を終えた女性の側を離れ、背負われたままの少年に駆け寄った。
「急病ですか? それとも怪我?」
「怪我です。木登りをしていて転落しまして。右足を骨折しているようです」
貴族の青年が答える。
「最初のうちは火がついたように泣き叫んでいたのですが、すでにその元気も無くなってしまったようで、高熱も発しています。できるだけ早く……」
青年の言葉を最後まで聞かずに、私は神官たちに指図を出した。順番待ちの患者たちを他の神官たちに任せて、ベッドに寝かせた少年を診る。
「確かに、右足の脛の骨がぽっきりいってますね。それに熱も高い。エイミー、体力回復の魔法をお願い」
まずは、著しく消耗している体力の回復だ。助手のエイミーに指示を出し、さらに質問を続ける。
「頭は打っていないですか?」
「足から落ちたようですから、おそらく大丈夫なはずですが……」
なるほど、骨折の痛みで消耗しているだけか。油断は禁物だが、ひとまずは安心だ。
さて、問題の骨折だが……。
「これ、折れているのはすねの骨ですが、膝関節にも変な力のかかり方をしたようですね。腱を傷めているようです」
正しく治療しないと、歩行が不自由になってしまうおそれがある。慎重に治癒しないといけないな。
「治癒魔法」と言っても、手をかざし魔力を注ぎ込むだけで怪我や病がけろりと治る、などというわけにはいかない。そんな本当の意味での「魔法」のようなことは、人の身には不可能だ。
一つ一つ、症状を見極め、適切な形で治癒を行う必要がある。
だから、治癒魔導士には人体についての知識が不可欠。そのため、神殿に限らず魔導士の養成機関では、あまりおおっぴらにはされていないことだが、腑分けなども行い、人体の仕組みについて日々研究を重ねているのだ。
少年の右足に、応急処置として当てられていた添え木を外し、慎重に骨を繋ぎ合わせた上で、魔力を注ぎ込む。
鎮痛の魔法と治癒の魔法。別々の術者が分担することも多いのだが、同時にかけることができるのは、私が神殿で逸材と評される所以だ。いや、別に自慢しているわけではないよ、念のため。
骨を繋ぎ合わせたら、完全に骨が固まるまで、添え木を当てて石膏で固定しておく。
膝の腱の治癒も終えた頃には、エイミーの体力回復魔法が効いたのか、少年の顔色も幾分良くなっていた。この娘も、まだ見習いながら中々に優秀な術者だ。
「ありがとうございます。流石ですね、パトリシア様」
少年の保護者であろう青年が、深々と頭を下げながら言う。神官の務めだから礼には及ばないのだが、感謝されるのはもちろん嬉しいことだ。
それにしても、私のことを知っているのか?
いや、統治に関わりはしなかったものの、仮にも元王妃だ。貴族なら知っていて当然か……。
「そういえば、レロイ伯爵家と言ってたかしら……? タリアン……、タリアン=レロイ?」
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