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第三章 馬鹿王子、師を得る
第40話 馬鹿王子、師を得る その十二
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スティーブが駆る馬が走り去っていった方角にあるのは、立派な造りの商館。ヴェルノ商会ファルナ支店の本部だ。
僕は隠形の呪文を唱え、姿を消した。
この魔法は、目の前にいる人間の風貌を認識し記憶したり記憶と照らし合わせたりすることを阻害する認識阻害の上位魔法。完全に人の視覚を欺き、姿を見えなくする魔法だ。
と、言えば、とんでもなく便利な――あるいは物騒な魔法に思えるだろうが、欠点も多い。
まず、認識阻害に輪をかけて難易度が高く、魔力の消費も激しいので、その時点で使える魔道士は限られる。
おまけに、魔法技術や魔力量の面をクリアしても、単に姿を見えなくするだけ。
気配を隠せる体術が伴っていないと、ある程度武術の心得のある人間の目はごまかせない。
「マグ、そんな魔法まで習得してたんだね。残念だけど、あたしはついていけないや。姿は消せても多分バレちゃう」
レニーが申し訳なさそうに言った。
彼女だって、それなりの体術を身に着けてはいるのだけれど、護衛あるいは用心棒に、出来るやつがいないとも限らないからな。危険は避けた方がいいだろう。
「ほう、なかなかやるじゃないか。レニーと言ったか、すまんがこれを持っていてくれ」
アルバートさんはそう言うと、羽織っていた赤褐色のフード付きローブを脱ぎ、レニーに手渡した。
「こいつには日除けの術式を施してあるのだが、魔力を帯びた魔道具を身に着けていては、隠形の意味が無いからな」
いえ、そんな微弱な魔力を感知できるのは、人間だとせいぜいレニーくらいのものだと思いますが。
ローブを脱いだアルバートさんは、呪文を唱えることもなく、すっと姿を消した。
さすがと言うべきか、気配もほぼ完璧に隠蔽されている。
でも、レニーは目で追っているな。
魔力も極限まで抑え込んでいるのだけれど、それでも探知できているのか。
「おいおい。俺が見えているのか?」
「いえ、さっきまでそこにいたことがわかっていて、ようやく微弱な魔力を追える程度です。姿を消した状態で遠くから近付いて来られたら、まず気付けませんよ」
うん。レニーですらそうなのだから、アルバートさんに隠形を使われたら気取ることができる人間なんてまずいないだろう。
夜を統べる者恐るべし。
あ、いや、剣聖アンジュ直々に教えを受けた達人だからこそ、なせる技なのだと思いたい。
僕も、どうにか彼の魔力を追うことはできそうだ。
一度見失ってしまったらもう無理だろうけど。
レニーにはマドラと一緒にこの場で待っていてもらって、アルバートさんと二人、商館へと向かう。
途中すれ違った人たちは、誰も全く気付かない。
そうして館の中に入り、おそらくスティーブは応接室に通されているだろうと見当をつけて探していると、ちょうど恰幅のいい男性が部屋に入っていくところだった。
こいつがファルナ支店の支店長なのだろう。
その後について、一緒に部屋に入り込む。
「お待たせいたしました、若様。首尾はいかがでしたかな?」
「いかがも糞もあるか! 吸血鬼があれほど強いとは聞いておらんぞ!」
スティーブは支店長を怒鳴りつけ、事の顛末を語って聞かせた。
「……つまり、死人は出なかったと。それは不幸中の幸いでしたな」
「他人事のように言うな! 元はと言えば、ソレルフィールドの吸血鬼の仕業ということにしようなどと言い出したのは、お前ではないか、デクス!」
「そうですな。仕入れを任せていた者たちが、その吸血鬼に潰されたらしいので、その報復も兼ねた一石二鳥の案だと思ったのですがね。まさか、王都の衛兵隊が返り討ちに遭うとは、思いもよりませんでしたよ」
やっぱり、こいつらが人身売買の黒幕だったのか。なんてやつらだ。
そして、不甲斐ない、と言わんばかりの支店長――デクスという名らしい――の言葉に、スティーブは顔を真っ赤にして激昂した。
「貴様……! だいたいだな! 貴様たちの商売は黙認してやっていたが、売られた人間が吸血鬼の餌になっているとはどういうことだ!」
「……別に、相手が吸血鬼だと承知の上で販売したりはしておりません。しかしながら、売った先で商品がどうなるかまで、責任は負いかねますな」
デクスは開き直った態度でそう答えたが、動揺はしているようだ。
少なくとも、彼にとっても売り飛ばした人間が吸血鬼に血を吸われて遺棄されるという事態は、想定外だったのだろう。
彼よりさらに上の者、ヴェルノ伯がどこまで承知しているのかはわからないが。
「とにかく、しばらくはおとなしくしていろ。王都に目をつけられたらことだし、取り逃がした吸血鬼がどう動くかもわからん」
「そうおっしゃられましても。商品の安定供給は商売の基本ですので。仕入れ先は他にもございますし、一両日中には新しい商品が入ってくる予定です」
「おい、デクス、貴様!」
「若様」
詰め寄ろうとするスティーブを冷ややかにいなし、デクスは言った。
「我々と貴家はもはや一蓮托生。いまさら知らぬ存ぜぬが通用するなどとお思いではないでしょうな?」
「お、脅す気か!」
「いえいえ、これからも良好な関係を築いてまいりましょう、と申し上げているのです」
スティーブは反論しかけたが、結局押し黙った。
積極的に加担してまではいないにせよ、おそらくはたっぷりと鼻薬をかがされて、抜き差しならぬ関係に足を踏み入れているのだろう。
胸の悪くなるような対話を終えて、スティーブが不機嫌そうな表情のまま席を立つ。
僕もその後について部屋を出た。
正直なところ、アルバートさんが暴れ出すんじゃないかと終始ひやひやしていたのだけれど、僕が部屋を出てスティーブから離れレニーの許に向かうのに、無言のままついて来ている。
そして館を離れ、すっかり日も暮れた中、レニーを待たせていた場所に着いて、隠形を解くと同時に、すさまじい怒りの波動を迸らせた。
「ひっ!」
レニーが小さく悲鳴を上げる。
彼女だって、命がけの戦いも経験しているのだけどな。
本音を言えば僕もちょっと怖い。
館で聞いた話をレニーに聞かせると、彼女も憤慨した。
「屑にもほどがあるね。なんてやつらだ! アルバートさんが怒るのも当然だよ。よく我慢しましたね」
うん。僕もそう思う。
「よほどあの場で皆殺しにしてやろうかと思ったのだがな。連中、他にも人攫いをさせている手駒がいると言っていただろう。あそこで連中を殺したら、攫われた者たちはどうなると思う?」
それは……。引き取り手がいなくなったから解放してやろうとはならないだろうな。
他の買い手を探して売る、ならばまだマシだろう。
厄介事を避けるために証拠隠滅、ということすら十分にあり得る。
「商会に引き渡す現場を押さえて、攫われてきた者たちを救出する。連中をぶっ殺すのはそれからだ」
「あー、ちょっと待ってください」
口を挟んだ僕を、アルバートさんが睨みつける。
「何だ?」
「おそらく、事はこのファルナ支店だけでは収まりません。ヴェルノ商会全体、そしてその会頭であるヴェルノ伯が関与していると考えるべきです。あのデクスという男は、生かして証言を取る必要があります」
「あ!? そんなことは俺たちには関係ない! ……と言いたいところだが、あいつらが所詮は手足に過ぎないとなれば、本体を潰さないと犠牲者が出続ける、か。仕方ないな。ジュジュもきっとそう言うことだろう」
渋々の様子ながら、アルバートさんがそう言ってくれたので、僕もほっと安堵の溜め息を吐く。
「けど、現場を押さえるといっても……。例の荷積み場で引き渡すかどうかもわからないでしょ。今度は別の人攫いたちなんだし」
レニーの懸念はもっともだ。
ケビンたち衛兵隊にも手伝ってもらうつもりではいるが、そう都合よくやつらの尻尾を掴むことができるかどうかはわからない。
「それはその通りだがな。まあ出来るだけやってみるさ」
アルバートさんはそう言って、大きく口を開き何か叫んだ――ようだ。
ようだ、というのは、その声が聞こえなかったからだ。
けど、なんだか耳の奥がキンキン響いている感覚がある。
「何、今の? 耳がキンキンする」
レニーも顔をしかめる。
と、いつの間にか、無数の蝙蝠たちが周囲に集まって来ていた。
「人間の耳には聞こえない音で俺の使い魔たちを呼び寄せたのだ。本物の蝙蝠もだいぶ混じっているが、それは気にするな。こいつらにも手伝ってもらうことにする」
アルバートさんは蝙蝠たちに指示を出し、四方に飛ばした。
レニーはアルバートさんと一緒に荷積み場を見張り、僕はケビンに報告しに行くことにした。
ケビンたち衛兵隊は、ファルナ伯爵家の兵舎を宿に借りていると聞いている。
ファルナ市街の地理はグラハムさんの道場近辺くらいしかよくわからないのだが、アルバートさんは市街のこともある程度知っているとのことで、蝙蝠を一匹つけてくれた。
そいつの導きで、市街の中央やや北寄りにある広壮な敷地の正門にたどり着いた。
門番に、“吸血鬼”討伐に参加した冒険者だが王都の衛兵隊長の耳に入れたいことがある、と告げると、意外と素直に取り次いでくれた。
スティーブとしては、衛兵隊に余計な接触をされたくないだろうが、門番にまでは通達していなかったようだ。
隠形はさっき使ってかなり魔力を消費したので、もう一度使わずに済んで幸いだ。
兵舎に案内され、ケビンに会うや、彼は開口一番叫んだ。
「殿下! 心配いたしましたよ! ご無事で何よりです!」
心配いらないと手紙で伝えたんだけどな。
まあ、彼が案じるのも無理はないか。
僕が見聞きした情報を伝えると、ケビンは溜め息を吐いて、
「そうでしたか……。いえ、実を申しますと、ヴェルノ商会が怪しいのではないか、というのは治安局でも囁かれてはいたのです。どうやらこれで確定ですな。しかし……」
うん。彼の懸念していることはわかる。はたしてヴェルノ伯を追及することができるのか、という点だろう。
王都治安局、さらにそれを統括する司法大臣には、相手が貴族であろうともその非違を弾劾する権限が与えられている。
王国の初代王妃であるアンジェリカ妃が定めたとされる法だ。
しかし実際には、有力貴族が罪を犯しても、それを裁けるケースは稀だ。
「メイランド伯は気骨のあるお方ではあるのですけれどね」
司法大臣のメイランド伯。ケビンの言うとおり、気骨のある人物だが、貴族社会での立ち回りはあまり上手いとは言えず、ヴェルノ伯に対抗できるかというとかなり不安を覚える。
本来ならば、王太子である僕が後ろ盾になってやらなくてはいけないのだけれど、今の僕の立場では力になれず、申し訳なく思う。
「とにかく、証拠を押さえるしかないよ。君たちには昼間の見張りを頼みたい。夜は僕たちが見張る」
「承知いたしました。その人攫い集団のねぐらを見つけることができれば話は早いのですが、ファルナ伯の協力が望めない状況では、まず無理でしょうな」
そうだな。
考えてみれば、アルバートさんたちが潰した盗賊団はソレルフィールドの近くの砦を拠点にしていたけれど、ルーシー嬢が攫われたのはファルナ市内。
市内で暗躍している連中がいる可能性が高いが、余所者である衛兵隊がそいつらのねぐらを見つけ出すなんてのはやはり無理だろう。
となると、やはりヴェルノ商会への引き渡しの現場を押さえるしかなさそうだ。
「しかし……、大丈夫なのですか? その吸、いえ、夜を統べる者を、全面的に信用なさって」
気遣わし気な面持ちで、ケビンが僕を見る。
まあ、気持ちはわかる。
僕自身、今日の昼までは、「善良な吸血鬼」なんて存在を、信じてはいなかったのだから。
けれど。
「君たちが今も生きている、という事実が何よりも雄弁に物語っているだろ。それに、彼らが自分たちを陥れようとした者たちへの報復よりも攫われた人たちの救出を優先している理由を、根っからのお人好しだから、以外で説明できるかい?」
まあ、「根っから」というのは語弊があるかもしれない。
アンジュ様の影響も大きそうだからな。
けど、それは些末なことだ。
「そうおっしゃられますと……。そうですね。殿下がご自身の目で見極められたのですから、信用いたしましょう」
「よろしく頼む」
「はい。殿下もくれぐれもお気をつけて」
「ありがとう。わかっているよ」
なおも不安げなケビンを安心させるように、僕は笑顔で答えた。
僕は隠形の呪文を唱え、姿を消した。
この魔法は、目の前にいる人間の風貌を認識し記憶したり記憶と照らし合わせたりすることを阻害する認識阻害の上位魔法。完全に人の視覚を欺き、姿を見えなくする魔法だ。
と、言えば、とんでもなく便利な――あるいは物騒な魔法に思えるだろうが、欠点も多い。
まず、認識阻害に輪をかけて難易度が高く、魔力の消費も激しいので、その時点で使える魔道士は限られる。
おまけに、魔法技術や魔力量の面をクリアしても、単に姿を見えなくするだけ。
気配を隠せる体術が伴っていないと、ある程度武術の心得のある人間の目はごまかせない。
「マグ、そんな魔法まで習得してたんだね。残念だけど、あたしはついていけないや。姿は消せても多分バレちゃう」
レニーが申し訳なさそうに言った。
彼女だって、それなりの体術を身に着けてはいるのだけれど、護衛あるいは用心棒に、出来るやつがいないとも限らないからな。危険は避けた方がいいだろう。
「ほう、なかなかやるじゃないか。レニーと言ったか、すまんがこれを持っていてくれ」
アルバートさんはそう言うと、羽織っていた赤褐色のフード付きローブを脱ぎ、レニーに手渡した。
「こいつには日除けの術式を施してあるのだが、魔力を帯びた魔道具を身に着けていては、隠形の意味が無いからな」
いえ、そんな微弱な魔力を感知できるのは、人間だとせいぜいレニーくらいのものだと思いますが。
ローブを脱いだアルバートさんは、呪文を唱えることもなく、すっと姿を消した。
さすがと言うべきか、気配もほぼ完璧に隠蔽されている。
でも、レニーは目で追っているな。
魔力も極限まで抑え込んでいるのだけれど、それでも探知できているのか。
「おいおい。俺が見えているのか?」
「いえ、さっきまでそこにいたことがわかっていて、ようやく微弱な魔力を追える程度です。姿を消した状態で遠くから近付いて来られたら、まず気付けませんよ」
うん。レニーですらそうなのだから、アルバートさんに隠形を使われたら気取ることができる人間なんてまずいないだろう。
夜を統べる者恐るべし。
あ、いや、剣聖アンジュ直々に教えを受けた達人だからこそ、なせる技なのだと思いたい。
僕も、どうにか彼の魔力を追うことはできそうだ。
一度見失ってしまったらもう無理だろうけど。
レニーにはマドラと一緒にこの場で待っていてもらって、アルバートさんと二人、商館へと向かう。
途中すれ違った人たちは、誰も全く気付かない。
そうして館の中に入り、おそらくスティーブは応接室に通されているだろうと見当をつけて探していると、ちょうど恰幅のいい男性が部屋に入っていくところだった。
こいつがファルナ支店の支店長なのだろう。
その後について、一緒に部屋に入り込む。
「お待たせいたしました、若様。首尾はいかがでしたかな?」
「いかがも糞もあるか! 吸血鬼があれほど強いとは聞いておらんぞ!」
スティーブは支店長を怒鳴りつけ、事の顛末を語って聞かせた。
「……つまり、死人は出なかったと。それは不幸中の幸いでしたな」
「他人事のように言うな! 元はと言えば、ソレルフィールドの吸血鬼の仕業ということにしようなどと言い出したのは、お前ではないか、デクス!」
「そうですな。仕入れを任せていた者たちが、その吸血鬼に潰されたらしいので、その報復も兼ねた一石二鳥の案だと思ったのですがね。まさか、王都の衛兵隊が返り討ちに遭うとは、思いもよりませんでしたよ」
やっぱり、こいつらが人身売買の黒幕だったのか。なんてやつらだ。
そして、不甲斐ない、と言わんばかりの支店長――デクスという名らしい――の言葉に、スティーブは顔を真っ赤にして激昂した。
「貴様……! だいたいだな! 貴様たちの商売は黙認してやっていたが、売られた人間が吸血鬼の餌になっているとはどういうことだ!」
「……別に、相手が吸血鬼だと承知の上で販売したりはしておりません。しかしながら、売った先で商品がどうなるかまで、責任は負いかねますな」
デクスは開き直った態度でそう答えたが、動揺はしているようだ。
少なくとも、彼にとっても売り飛ばした人間が吸血鬼に血を吸われて遺棄されるという事態は、想定外だったのだろう。
彼よりさらに上の者、ヴェルノ伯がどこまで承知しているのかはわからないが。
「とにかく、しばらくはおとなしくしていろ。王都に目をつけられたらことだし、取り逃がした吸血鬼がどう動くかもわからん」
「そうおっしゃられましても。商品の安定供給は商売の基本ですので。仕入れ先は他にもございますし、一両日中には新しい商品が入ってくる予定です」
「おい、デクス、貴様!」
「若様」
詰め寄ろうとするスティーブを冷ややかにいなし、デクスは言った。
「我々と貴家はもはや一蓮托生。いまさら知らぬ存ぜぬが通用するなどとお思いではないでしょうな?」
「お、脅す気か!」
「いえいえ、これからも良好な関係を築いてまいりましょう、と申し上げているのです」
スティーブは反論しかけたが、結局押し黙った。
積極的に加担してまではいないにせよ、おそらくはたっぷりと鼻薬をかがされて、抜き差しならぬ関係に足を踏み入れているのだろう。
胸の悪くなるような対話を終えて、スティーブが不機嫌そうな表情のまま席を立つ。
僕もその後について部屋を出た。
正直なところ、アルバートさんが暴れ出すんじゃないかと終始ひやひやしていたのだけれど、僕が部屋を出てスティーブから離れレニーの許に向かうのに、無言のままついて来ている。
そして館を離れ、すっかり日も暮れた中、レニーを待たせていた場所に着いて、隠形を解くと同時に、すさまじい怒りの波動を迸らせた。
「ひっ!」
レニーが小さく悲鳴を上げる。
彼女だって、命がけの戦いも経験しているのだけどな。
本音を言えば僕もちょっと怖い。
館で聞いた話をレニーに聞かせると、彼女も憤慨した。
「屑にもほどがあるね。なんてやつらだ! アルバートさんが怒るのも当然だよ。よく我慢しましたね」
うん。僕もそう思う。
「よほどあの場で皆殺しにしてやろうかと思ったのだがな。連中、他にも人攫いをさせている手駒がいると言っていただろう。あそこで連中を殺したら、攫われた者たちはどうなると思う?」
それは……。引き取り手がいなくなったから解放してやろうとはならないだろうな。
他の買い手を探して売る、ならばまだマシだろう。
厄介事を避けるために証拠隠滅、ということすら十分にあり得る。
「商会に引き渡す現場を押さえて、攫われてきた者たちを救出する。連中をぶっ殺すのはそれからだ」
「あー、ちょっと待ってください」
口を挟んだ僕を、アルバートさんが睨みつける。
「何だ?」
「おそらく、事はこのファルナ支店だけでは収まりません。ヴェルノ商会全体、そしてその会頭であるヴェルノ伯が関与していると考えるべきです。あのデクスという男は、生かして証言を取る必要があります」
「あ!? そんなことは俺たちには関係ない! ……と言いたいところだが、あいつらが所詮は手足に過ぎないとなれば、本体を潰さないと犠牲者が出続ける、か。仕方ないな。ジュジュもきっとそう言うことだろう」
渋々の様子ながら、アルバートさんがそう言ってくれたので、僕もほっと安堵の溜め息を吐く。
「けど、現場を押さえるといっても……。例の荷積み場で引き渡すかどうかもわからないでしょ。今度は別の人攫いたちなんだし」
レニーの懸念はもっともだ。
ケビンたち衛兵隊にも手伝ってもらうつもりではいるが、そう都合よくやつらの尻尾を掴むことができるかどうかはわからない。
「それはその通りだがな。まあ出来るだけやってみるさ」
アルバートさんはそう言って、大きく口を開き何か叫んだ――ようだ。
ようだ、というのは、その声が聞こえなかったからだ。
けど、なんだか耳の奥がキンキン響いている感覚がある。
「何、今の? 耳がキンキンする」
レニーも顔をしかめる。
と、いつの間にか、無数の蝙蝠たちが周囲に集まって来ていた。
「人間の耳には聞こえない音で俺の使い魔たちを呼び寄せたのだ。本物の蝙蝠もだいぶ混じっているが、それは気にするな。こいつらにも手伝ってもらうことにする」
アルバートさんは蝙蝠たちに指示を出し、四方に飛ばした。
レニーはアルバートさんと一緒に荷積み場を見張り、僕はケビンに報告しに行くことにした。
ケビンたち衛兵隊は、ファルナ伯爵家の兵舎を宿に借りていると聞いている。
ファルナ市街の地理はグラハムさんの道場近辺くらいしかよくわからないのだが、アルバートさんは市街のこともある程度知っているとのことで、蝙蝠を一匹つけてくれた。
そいつの導きで、市街の中央やや北寄りにある広壮な敷地の正門にたどり着いた。
門番に、“吸血鬼”討伐に参加した冒険者だが王都の衛兵隊長の耳に入れたいことがある、と告げると、意外と素直に取り次いでくれた。
スティーブとしては、衛兵隊に余計な接触をされたくないだろうが、門番にまでは通達していなかったようだ。
隠形はさっき使ってかなり魔力を消費したので、もう一度使わずに済んで幸いだ。
兵舎に案内され、ケビンに会うや、彼は開口一番叫んだ。
「殿下! 心配いたしましたよ! ご無事で何よりです!」
心配いらないと手紙で伝えたんだけどな。
まあ、彼が案じるのも無理はないか。
僕が見聞きした情報を伝えると、ケビンは溜め息を吐いて、
「そうでしたか……。いえ、実を申しますと、ヴェルノ商会が怪しいのではないか、というのは治安局でも囁かれてはいたのです。どうやらこれで確定ですな。しかし……」
うん。彼の懸念していることはわかる。はたしてヴェルノ伯を追及することができるのか、という点だろう。
王都治安局、さらにそれを統括する司法大臣には、相手が貴族であろうともその非違を弾劾する権限が与えられている。
王国の初代王妃であるアンジェリカ妃が定めたとされる法だ。
しかし実際には、有力貴族が罪を犯しても、それを裁けるケースは稀だ。
「メイランド伯は気骨のあるお方ではあるのですけれどね」
司法大臣のメイランド伯。ケビンの言うとおり、気骨のある人物だが、貴族社会での立ち回りはあまり上手いとは言えず、ヴェルノ伯に対抗できるかというとかなり不安を覚える。
本来ならば、王太子である僕が後ろ盾になってやらなくてはいけないのだけれど、今の僕の立場では力になれず、申し訳なく思う。
「とにかく、証拠を押さえるしかないよ。君たちには昼間の見張りを頼みたい。夜は僕たちが見張る」
「承知いたしました。その人攫い集団のねぐらを見つけることができれば話は早いのですが、ファルナ伯の協力が望めない状況では、まず無理でしょうな」
そうだな。
考えてみれば、アルバートさんたちが潰した盗賊団はソレルフィールドの近くの砦を拠点にしていたけれど、ルーシー嬢が攫われたのはファルナ市内。
市内で暗躍している連中がいる可能性が高いが、余所者である衛兵隊がそいつらのねぐらを見つけ出すなんてのはやはり無理だろう。
となると、やはりヴェルノ商会への引き渡しの現場を押さえるしかなさそうだ。
「しかし……、大丈夫なのですか? その吸、いえ、夜を統べる者を、全面的に信用なさって」
気遣わし気な面持ちで、ケビンが僕を見る。
まあ、気持ちはわかる。
僕自身、今日の昼までは、「善良な吸血鬼」なんて存在を、信じてはいなかったのだから。
けれど。
「君たちが今も生きている、という事実が何よりも雄弁に物語っているだろ。それに、彼らが自分たちを陥れようとした者たちへの報復よりも攫われた人たちの救出を優先している理由を、根っからのお人好しだから、以外で説明できるかい?」
まあ、「根っから」というのは語弊があるかもしれない。
アンジュ様の影響も大きそうだからな。
けど、それは些末なことだ。
「そうおっしゃられますと……。そうですね。殿下がご自身の目で見極められたのですから、信用いたしましょう」
「よろしく頼む」
「はい。殿下もくれぐれもお気をつけて」
「ありがとう。わかっているよ」
なおも不安げなケビンを安心させるように、僕は笑顔で答えた。
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ミーシャはアメリアと同じ〈防国姫〉になれる特別な魔力を発現させたことで、アントンを口説き落としてアメリアとの婚約を破棄させてしまう。
そしてミーシャに骨抜きにされたアントンは、アメリアに王宮からの追放処分を言い渡した。
これにはアメリアもすっかり呆れ、無駄な言い訳をせずに大人しく王宮から出て行った。
やがてアメリアは天才騎士と呼ばれていたリヒト・ジークウォルトを連れて〈放浪医師〉となることを決意する。
〈防国姫〉の任を解かれても、国民たちを守るために自分が持つ医術の知識を活かそうと考えたのだ。
一方、本物の知識と実力を持っていたアメリアを王宮から追放したことで、主核の魔力水晶石が致命的な誤作動を起こしてカスケード王国は未曽有の大災害に陥ってしまう。
普通の女性ならば「私と婚約破棄して王宮から追放した報いよ。ざまあ」と喜ぶだろう。
だが、誰よりも優しい心と気高い信念を持っていたアメリアは違った。
カスケード王国全土を襲った未曽有の大災害を鎮めるべく、すべての原因だったミーシャとアントンのいる王宮に、アメリアはリヒトを始めとして旅先で出会った弟子の少女や伝説の魔獣フェンリルと向かう。
些細な恨みよりも、〈防国姫〉と呼ばれた聖女の力で国を救うために――。
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