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聖王、立つ
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フランス王ルイ九世はこの当時、三十代前半の少壮気鋭。
1226年に弱冠十二歳にして戴冠し、当初は女傑である母ブランシュ=ド=カスティーユが摂政を務めるも、二十歳を過ぎて親政を始めると、長らく続いていた国内諸侯との係争に終止符を打ち、イングランド王ヘンリー三世が仏西部ポワチエで起こした反乱も平定するなど、政治軍事に手腕を発揮した。
その死後、彼はローマ教会より列聖され、「聖王ルイ」と呼ばれることになる。
この、細面で端正な顔立ちの若き王は、良くも悪くも非常に敬虔なキリスト教徒で、エルサレム失陥の報を聞くや甚だしく憤り、教皇はじめ各方面に十字軍派遣を働きかけた。
しかし、その反応は思わしくなかった。
神聖ローマ皇帝たるフリードリヒは、教皇との抗争の真っ最中でもあり、そもそも中東の地でキリスト教徒とイスラム教徒が互いに無益な血を流すことに興味はない。
教皇もまた、フリードリヒと抗争中で、本来なら十字軍を鼓舞すべき立場ながら、今はそれどころではない状況だ。
その他の西欧諸侯も、あえて火中の栗を拾いに行くことには消極的だった。
なので、西欧諸侯が挙って十字軍の旗を揚げることはないだろうというフリードリヒの予測は誤ってはいなかったのだが……。後の聖王は考えた。ならばフランス一国で十字軍に赴こう、と。
「兄上、神聖ローマ皇帝殿より書状が届きました」
まだあどけなさを残した二十歳過ぎの若者が、ルイに手紙を持って来た。ルイの末弟シャルルである。ルイは溜息を吐きながらそれを受け取った。
「どうせまた、十字軍遠征は思い止まられよ、とかいう内容だろう? あの腰抜け皇帝め」
ちょうど居合わせたルイの二歳下の弟、ロベールが嘲笑する。
「そのような言い方をするな、ロベール。あのお人も、ロンバルディア同盟との抗争では強硬な手段も辞しておられぬし、決して弱腰なだけのお人ではない。それに……」
と、弟を窘めたルイは、言葉を区切り遠くに目を向けて、
「それにあのお人は、エルサレム解放という、かの獅子心王にも、我らが祖父たる尊厳王(フィリップ二世)にもできなかった偉業をやってのけられたのだ。……その手段はともかくとして」
「まあ、皇帝殿としては、兄上に教皇猊下との仲裁役を期待しておられるのでしょう」
シャルルが兄達の仲を取り持つように口をはさむ。
「確かにな。神聖ローマ皇帝は、ローマ教会を、ひいてはキリスト教世界を、支える最も太い柱だ。それが今のような状況なのは嘆かわしい限り」
「だから、俺を皇帝にしておけばよかったのだ」
「ロベール! その話を蒸し返すのはよせと何度言ったら……」
「すまんすまん、兄者。ほんの冗談だ」
1240年、当時の教皇グレゴリウス九世は、フリードリヒとの対立から、彼の代わりにフランスの王弟たるロベールを神聖ローマ皇帝に擁立したいと、ルイに打診してきた。
まさか、教皇たる自分の鶴の一声で神聖ローマ皇帝の首を挿げ替えることができると本気で思っていたわけではあるまいが、フランスにとってみれば、フリードリヒとの全面戦争不可避の危険すぎる提案だ。到底、乗れる話ではなく、丁重にお断り申し上げた。
ロベールも一応納得はしたのだが――、やはり、ドイツとイタリアにまたがる大帝国の皇帝の座には未練が残り、時折愚痴をこぼしては、兄に窘められているのである。
「そうそう、教皇猊下と言えば、そちらからも手紙が届いていたようですが」
またまた兄達をなだめるように、シャルルが口をはさむ。
「ああ、来ておったよ。そちらも、十字軍遠征は時期尚早、などという内容であったわ」
「猊下としても、兄上にはフランスに留まってフリードリヒ殿を牽制してほしいのでしょう」
「ふん、いかにフリードリヒ殿とて、猊下の御身に直接危害を加えるようなことはなさらぬはず。それよりも、エルサレム解放の方が重要だ。これは、神が余にお命じになった使命だからな」
そう言って、遥か東の方角――エルサレムに目を向けるルイ。弟二人は兄に気づかれぬようこっそり視線を交わし、小さく肩をすくめ合うのだった。
エルサレム解放という大義を掲げたルイは、着々と十字軍遠征の準備を進め、1248年8月、フランス南部の港湾都市エーグ・モルトから船を出した。
フリードリヒはぎりぎりまで説得を試みたのだが、結局ルイを翻意させることは叶わなかった
「まったく、どいつもこいつも……」
椅子に深く腰掛け、天を仰いでそう呟くフリードリヒの声に、往年の覇気はもう見られない。さしものフリードリヒも、終わりの見えぬ教皇との抗争に疲れ果てていたのだ。
側に侍るパレルモ大司教ベラルドも、かけるべき言葉を見付けられずにいた。
チュートン騎士団長ヘルマンは1239年にこの世を去り、家臣団の中からも反逆者が出るなど、次第に寂寥感を増しつつあるフリードリヒの身辺にあって、最後の拠り所とも言うべき忠臣がこのベラルドなのだが、そんな彼も、これほど弱気になっている主君を見るのは初めてだった。
この年の2月には、フリードリヒは北イタリアの都市パルマ――ロンバルディア同盟に対する抑えともいうべき要衝を奪われ、その奪還に失敗している。「フリードリヒの終わりの始まり」とも言われる重大な敗戦だ。
その失点を何とか挽回すべく奔走する中での、今回の知らせである。
エルサレムなどもうどうとでもなれ――そんな投げやりな気持ちが、フリードリヒの胸の内を支配しかける。
だが、このままフランス軍が十字軍として中東に赴き、かつてフリードリヒが苦心の末に平和を築き上げたエルサレムに、またしても血の雨を降らせるような事態を思うと、やはり彼の心はきりきりと痛む。
たとえ、流される血がどのような教えを奉ずる者たちのものであったとしても――。
フリードリヒの脳裏に、結局一度も直接顔を合わせることなく終わった無二の友のことが思い浮かぶ。遠い異国の、信じる教えも異なる、されど心を通い合わせることができたただ一人の友人――。
「友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵に富める者よ、勝利者よ……」
アラビア語でそのように呟くと、フリードリヒは意を決して身を起こし机に向かい、手紙を書き綴った。スルタン・サーリフ宛てに、仏王率いる十字軍の陣容や指揮官たちの顔ぶれ、その人となりなど、得られている限りの情報を書き記した手紙である。
しばしの後ペンを置き、手紙を秘書に手渡したフリードリヒは、また椅子に深々と腰を掛け、瞑目した。
今回の手紙は、これまで異教徒の王に送ってきた手紙とはわけが違う。キリスト教側の軍事情報をイスラム教徒に伝えるとなれば、西欧各国の動向を知らせるといったこととも一線を画す、完全な利敵行為だ。
いかにフリードリヒとて、中世のキリスト教徒である。同門の徒を異教徒に売ったと誹られても言い訳の出来ぬ行為に対する畏れは、彼にも確かにあった。自嘲するようにふっと笑い、呟く。
「ルイの若造、今のところは余に敵意は抱いていないようだが、いつ教会の剣となるか知れたものではないからな。ドラ息子と潰し合ってくれればありがたいわ」
その言葉を聞いて、ベラルドは優しい微笑みを浮かべ、主君を諭すように言った。
「ご自分の心を欺こうとなさるものではありませぬよ、陛下。もし最初からそのおつもりなら、ルイ殿を引き留めようとなさる必要はありませんでしたでしょうに」
「いや、あれは教皇との間をだな……」
言い訳の言葉を途中で飲み込み、しばし沈黙した後、フリードリヒは表情を歪めて忠臣に問うた。
「なあ、ベラルド。余は地獄に落ちると思うか?」
ベラルドは静かに首を振り、
「エルサレムを戦火に巻き込みたくないという陛下の思し召しを、神はきっと嘉し給うでしょう。それにもし……」
「もし?」
怪訝そうな目を向ける主君に、ベラルドは聖職者にあるまじきことを言った。
「もし地獄に落ちられたとしても、陛下ならご自分の足で神の御許まで昇って行くこともおできになるでしょう」
「ふ、ふふ。そうだな。余はこれまでの人生、何事も己が足で切り開いてきたのだ。天国への道を自ら切り開くのも、悪くなかろうて」
いくらか迷いが晴れた表情で、フリードリヒは微笑んだ。
†††††
「皇帝め、話が違うではないか! ゴホッ、ゴホ!」
フリードリヒからの手紙を受け取って、サーリフは激しく咳き込んだ。
「我が君、ご無理をなさいますな」
王妃・真珠の木が夫の背中をさすりながら言う。
「すまぬ、世話をかけるな。……それにしても皇帝め。十字軍は来ぬと言っておったくせに」
神聖ローマ皇帝の手紙には、予想に反してフランス王が単独で十字軍を催したこと、それを止められなかったことへの詫びとともに、十字軍についても詳細な情報が書かれていた。それは確かにありがたいのだが……。
「何が、『今、聖地の権利と義務は貴方の手中にある。宜しく義務を果たされよ』、だ! 言われなくてもわかってゴホッ、ゴホ!」
ふたたび咳き込むサーリフ、しばらく前から患っている肺の病は、一向に治る気配がない。それに、何やら足の付け根のあたりも腫れてきて、歩くのにも不自由する。
健康面の不安はあったが、それでも敵を迎え撃たねばならぬ。そのためには、いささか不愉快なことも書いてあるが、神聖ローマ皇帝が知らせてくれた情報は大いに役に立つ。一刻も早く防衛体制を整えねば。
サーリフは病の身を押して、迎撃の準備を進めた。これで一方的な展開にはならぬはず。
フリードリヒとしても、まさにそれを期待していたのだが――。
その期待は、早々に裏切られることとなる。他でもない、フリードリヒの友人、かつて手ずから騎士叙任までしてやった男によって。
1226年に弱冠十二歳にして戴冠し、当初は女傑である母ブランシュ=ド=カスティーユが摂政を務めるも、二十歳を過ぎて親政を始めると、長らく続いていた国内諸侯との係争に終止符を打ち、イングランド王ヘンリー三世が仏西部ポワチエで起こした反乱も平定するなど、政治軍事に手腕を発揮した。
その死後、彼はローマ教会より列聖され、「聖王ルイ」と呼ばれることになる。
この、細面で端正な顔立ちの若き王は、良くも悪くも非常に敬虔なキリスト教徒で、エルサレム失陥の報を聞くや甚だしく憤り、教皇はじめ各方面に十字軍派遣を働きかけた。
しかし、その反応は思わしくなかった。
神聖ローマ皇帝たるフリードリヒは、教皇との抗争の真っ最中でもあり、そもそも中東の地でキリスト教徒とイスラム教徒が互いに無益な血を流すことに興味はない。
教皇もまた、フリードリヒと抗争中で、本来なら十字軍を鼓舞すべき立場ながら、今はそれどころではない状況だ。
その他の西欧諸侯も、あえて火中の栗を拾いに行くことには消極的だった。
なので、西欧諸侯が挙って十字軍の旗を揚げることはないだろうというフリードリヒの予測は誤ってはいなかったのだが……。後の聖王は考えた。ならばフランス一国で十字軍に赴こう、と。
「兄上、神聖ローマ皇帝殿より書状が届きました」
まだあどけなさを残した二十歳過ぎの若者が、ルイに手紙を持って来た。ルイの末弟シャルルである。ルイは溜息を吐きながらそれを受け取った。
「どうせまた、十字軍遠征は思い止まられよ、とかいう内容だろう? あの腰抜け皇帝め」
ちょうど居合わせたルイの二歳下の弟、ロベールが嘲笑する。
「そのような言い方をするな、ロベール。あのお人も、ロンバルディア同盟との抗争では強硬な手段も辞しておられぬし、決して弱腰なだけのお人ではない。それに……」
と、弟を窘めたルイは、言葉を区切り遠くに目を向けて、
「それにあのお人は、エルサレム解放という、かの獅子心王にも、我らが祖父たる尊厳王(フィリップ二世)にもできなかった偉業をやってのけられたのだ。……その手段はともかくとして」
「まあ、皇帝殿としては、兄上に教皇猊下との仲裁役を期待しておられるのでしょう」
シャルルが兄達の仲を取り持つように口をはさむ。
「確かにな。神聖ローマ皇帝は、ローマ教会を、ひいてはキリスト教世界を、支える最も太い柱だ。それが今のような状況なのは嘆かわしい限り」
「だから、俺を皇帝にしておけばよかったのだ」
「ロベール! その話を蒸し返すのはよせと何度言ったら……」
「すまんすまん、兄者。ほんの冗談だ」
1240年、当時の教皇グレゴリウス九世は、フリードリヒとの対立から、彼の代わりにフランスの王弟たるロベールを神聖ローマ皇帝に擁立したいと、ルイに打診してきた。
まさか、教皇たる自分の鶴の一声で神聖ローマ皇帝の首を挿げ替えることができると本気で思っていたわけではあるまいが、フランスにとってみれば、フリードリヒとの全面戦争不可避の危険すぎる提案だ。到底、乗れる話ではなく、丁重にお断り申し上げた。
ロベールも一応納得はしたのだが――、やはり、ドイツとイタリアにまたがる大帝国の皇帝の座には未練が残り、時折愚痴をこぼしては、兄に窘められているのである。
「そうそう、教皇猊下と言えば、そちらからも手紙が届いていたようですが」
またまた兄達をなだめるように、シャルルが口をはさむ。
「ああ、来ておったよ。そちらも、十字軍遠征は時期尚早、などという内容であったわ」
「猊下としても、兄上にはフランスに留まってフリードリヒ殿を牽制してほしいのでしょう」
「ふん、いかにフリードリヒ殿とて、猊下の御身に直接危害を加えるようなことはなさらぬはず。それよりも、エルサレム解放の方が重要だ。これは、神が余にお命じになった使命だからな」
そう言って、遥か東の方角――エルサレムに目を向けるルイ。弟二人は兄に気づかれぬようこっそり視線を交わし、小さく肩をすくめ合うのだった。
エルサレム解放という大義を掲げたルイは、着々と十字軍遠征の準備を進め、1248年8月、フランス南部の港湾都市エーグ・モルトから船を出した。
フリードリヒはぎりぎりまで説得を試みたのだが、結局ルイを翻意させることは叶わなかった
「まったく、どいつもこいつも……」
椅子に深く腰掛け、天を仰いでそう呟くフリードリヒの声に、往年の覇気はもう見られない。さしものフリードリヒも、終わりの見えぬ教皇との抗争に疲れ果てていたのだ。
側に侍るパレルモ大司教ベラルドも、かけるべき言葉を見付けられずにいた。
チュートン騎士団長ヘルマンは1239年にこの世を去り、家臣団の中からも反逆者が出るなど、次第に寂寥感を増しつつあるフリードリヒの身辺にあって、最後の拠り所とも言うべき忠臣がこのベラルドなのだが、そんな彼も、これほど弱気になっている主君を見るのは初めてだった。
この年の2月には、フリードリヒは北イタリアの都市パルマ――ロンバルディア同盟に対する抑えともいうべき要衝を奪われ、その奪還に失敗している。「フリードリヒの終わりの始まり」とも言われる重大な敗戦だ。
その失点を何とか挽回すべく奔走する中での、今回の知らせである。
エルサレムなどもうどうとでもなれ――そんな投げやりな気持ちが、フリードリヒの胸の内を支配しかける。
だが、このままフランス軍が十字軍として中東に赴き、かつてフリードリヒが苦心の末に平和を築き上げたエルサレムに、またしても血の雨を降らせるような事態を思うと、やはり彼の心はきりきりと痛む。
たとえ、流される血がどのような教えを奉ずる者たちのものであったとしても――。
フリードリヒの脳裏に、結局一度も直接顔を合わせることなく終わった無二の友のことが思い浮かぶ。遠い異国の、信じる教えも異なる、されど心を通い合わせることができたただ一人の友人――。
「友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵に富める者よ、勝利者よ……」
アラビア語でそのように呟くと、フリードリヒは意を決して身を起こし机に向かい、手紙を書き綴った。スルタン・サーリフ宛てに、仏王率いる十字軍の陣容や指揮官たちの顔ぶれ、その人となりなど、得られている限りの情報を書き記した手紙である。
しばしの後ペンを置き、手紙を秘書に手渡したフリードリヒは、また椅子に深々と腰を掛け、瞑目した。
今回の手紙は、これまで異教徒の王に送ってきた手紙とはわけが違う。キリスト教側の軍事情報をイスラム教徒に伝えるとなれば、西欧各国の動向を知らせるといったこととも一線を画す、完全な利敵行為だ。
いかにフリードリヒとて、中世のキリスト教徒である。同門の徒を異教徒に売ったと誹られても言い訳の出来ぬ行為に対する畏れは、彼にも確かにあった。自嘲するようにふっと笑い、呟く。
「ルイの若造、今のところは余に敵意は抱いていないようだが、いつ教会の剣となるか知れたものではないからな。ドラ息子と潰し合ってくれればありがたいわ」
その言葉を聞いて、ベラルドは優しい微笑みを浮かべ、主君を諭すように言った。
「ご自分の心を欺こうとなさるものではありませぬよ、陛下。もし最初からそのおつもりなら、ルイ殿を引き留めようとなさる必要はありませんでしたでしょうに」
「いや、あれは教皇との間をだな……」
言い訳の言葉を途中で飲み込み、しばし沈黙した後、フリードリヒは表情を歪めて忠臣に問うた。
「なあ、ベラルド。余は地獄に落ちると思うか?」
ベラルドは静かに首を振り、
「エルサレムを戦火に巻き込みたくないという陛下の思し召しを、神はきっと嘉し給うでしょう。それにもし……」
「もし?」
怪訝そうな目を向ける主君に、ベラルドは聖職者にあるまじきことを言った。
「もし地獄に落ちられたとしても、陛下ならご自分の足で神の御許まで昇って行くこともおできになるでしょう」
「ふ、ふふ。そうだな。余はこれまでの人生、何事も己が足で切り開いてきたのだ。天国への道を自ら切り開くのも、悪くなかろうて」
いくらか迷いが晴れた表情で、フリードリヒは微笑んだ。
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「皇帝め、話が違うではないか! ゴホッ、ゴホ!」
フリードリヒからの手紙を受け取って、サーリフは激しく咳き込んだ。
「我が君、ご無理をなさいますな」
王妃・真珠の木が夫の背中をさすりながら言う。
「すまぬ、世話をかけるな。……それにしても皇帝め。十字軍は来ぬと言っておったくせに」
神聖ローマ皇帝の手紙には、予想に反してフランス王が単独で十字軍を催したこと、それを止められなかったことへの詫びとともに、十字軍についても詳細な情報が書かれていた。それは確かにありがたいのだが……。
「何が、『今、聖地の権利と義務は貴方の手中にある。宜しく義務を果たされよ』、だ! 言われなくてもわかってゴホッ、ゴホ!」
ふたたび咳き込むサーリフ、しばらく前から患っている肺の病は、一向に治る気配がない。それに、何やら足の付け根のあたりも腫れてきて、歩くのにも不自由する。
健康面の不安はあったが、それでも敵を迎え撃たねばならぬ。そのためには、いささか不愉快なことも書いてあるが、神聖ローマ皇帝が知らせてくれた情報は大いに役に立つ。一刻も早く防衛体制を整えねば。
サーリフは病の身を押して、迎撃の準備を進めた。これで一方的な展開にはならぬはず。
フリードリヒとしても、まさにそれを期待していたのだが――。
その期待は、早々に裏切られることとなる。他でもない、フリードリヒの友人、かつて手ずから騎士叙任までしてやった男によって。
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