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英作視点
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「英作……すまなかった、俺を許してくれ……」
英作が危篤状態から奇跡的に目を覚ますと、どうしてか帰国した優次郎が病室に居た。英作は全身の痛みを感じながら、呼吸器でなんとか息をして、彼のほうを見た。優次郎は隈ができていて、何日も泣いたのか、目が真っ赤に腫れていた。
英作が問う前に姉のことは優次郎が全てどうにかしたと教えてくれた。
姉の葬儀を行い火葬をした。あとはどこの墓に入れるかだけである。優次郎は両親や祖父祖母に浅倉家の墓に入れてほしいと土下座した。しかし承諾するはずがなかった。英作は代筆で『自分で用意するからそれまで姉を預かってくれ』とだけ伝えた。
優次郎はずっと泣いていた。少年の頃のように、泣き続けていた。
しかし英作は涙のひとつも出なかった。
人間、泣けるうちは、まだ正常を保っていられるのだ。救いがあるのだ。先へ進めるのだ。
(……なにもかも遅い、どうして姉さんを置いていった、お前が、姉さんを殺した)
声が出ない英作はこころのうちで、優次郎を罵った。
(違う、俺が守れなかった)
*
「……その娘はあなたの勝手にしろ。引き取りたければそうすればいい。俺には育てられる自信がない」
二階の病室の窓に届く枯れ木の葉が風に吹かれてはらりと落ちていく。その様子をずっと眺めている英作は、月奈を抱いている優次郎のほうも見ずに言った。窓ガラス越しに眉を下げる優次郎の表情が薄っすらと映る。
「ただひとつだけ、お願いがある。その娘にはあなたしか居ない。あなた以外の家族は居ない。俺という叔父は、もうこの世に居ない。その子を育てるからには、もう二度と、俺と会わないでくれ」
「英作……いつか、この子はお前に感謝する日が来る、命がけで自分を守ってくれたことに、だから」
「だから何なんだ」
英作はこぶしを握り締める。手のひらに強く爪をたて血がじんわりと滲む。痛みなど姉の死に比べたら何ともない。痛くなどない。爪の先に皮がはさまり、出血が手首まで伝わった。
「自分の母親が、弟はおろか、娘の自分までも殺そうとしたと言えるのか!」
英作は頭をぐしゃぐしゃに乱し、叫んで暴れだした。優次郎は泣き出した月奈を守るように抱き締めると、慌ててナースコールを押す。すると素早く看護婦が駆け付けた。
「どうしましたか? 皆川さん! 落ち着いてください! 暴れないで!」
「お前にそれが言えるのか!」
「英作……英作」
「言えるのかと聞いてるんだ!」
英作が入院してから一年。彼は病棟を移されていた。
パソコンも携帯も持ち運べなく面会には手続きが必要で、病棟の扉には厳重な鍵がかかっている。
心の治療をする場所だった。
看護婦から腕に注射されると、英作は子供のように大人しくなった。さっきまで眼前に見えていた姉の死体が見えなくなる。ぼうっと下を向いて眠るようにまぶたを閉じた。
「英作、いつか、月奈を必ずお前と再会させる。お前が素晴らしい叔父なんだと伝える。全ての真実は言えなくても、きっと分かってくれるはずだ、だからそれまで俺が責任もって立派な子に育てる、約束するから……」
優次郎が涙声で何か言っている。
「俺は死んだ」
英作は小さく呟いた。
「……もう死んだんだ」
(あの時、姉さんと一緒に)
*
英作は入院している間、紙とペンだけで書き続けていた。
子供が残虐に殺されるミステリーだったり、英作の理想だった幸せな家族を描いたものだったり、何でもいい、書かなければ、手を止めてしまうと、狂ってしまいそうで、いや既に英作は狂っていたのだ。
ある日、男女の営みを書いてみた。実体験も含むが、それ以上の想像をだ。姉がなにをして月奈を産んだのか。どうして子供の存在によって彼女は死んだのか。なぜ姉が愛する者との想いが叶わなかったのか。考えた果てに出来上がった原稿があった。
その時に偶然、文学部のゼミの教授が英作の元へ見舞いに来た。教授はひっそりと隅に置いてある原稿を読むとそれを内緒で自分とつながりのある出版社に送ったのだ。
たまたまだ、そこまで売れはしなかったが本になった。それから何作か書き上げて、いつの間にか恋愛小説家という肩書きを手に入れた。
英作は作家業を病室で続けながら、やっとのこと退院した。
わずかな父と姉の保険金と、印税で奨学金を返済し、優次郎の援助を受けながら、出版社からアクセスのよい渋谷の安アパートを借りた。そこまでいったはいいもの売れるまでは貧しい思いをしてきた。時には資産家の娘である女と同居し、ヒモのような生活をしていた。
英作は生きるために小説を書いてたといっても過言ではない。家賃と光熱費を払うため、飯を食べるため、風呂に入るため、それには金を得ることが必要だった。寝るのも忘れて、売れようが売れまいが、何作も書き続け、ボロボロの小説を古本屋で買い集めては読んで、また書いて、読んで、書いて、繰り返した日々を送った。
いつの間にか、結婚もせず四十手前になっていた。
絶望的だった。英作は一人で居ると、いきなり孤独死というのを考え始めた。しかしもうこれほど小説を書いたなら死んでもいいか。そこまで悔いはない。
はたしてそうだろうか。
英作にはある赤子の顔が浮かんだ。
あの団地で姉と月奈と暮らしていた当時。
月奈は夜泣きがひどいのに、姉は疲れているのか放置して眠っていた。
近所迷惑にもなる。自分も寝れない。
英作が月奈を抱っこしておんぶすると、ドアを開けて幅の狭い階段をおりた。月奈が泣き止むまで、夜の外を散歩をした。線路沿いを歩いていると、終電の電車が通った。その時だ、月奈が言った。
「ぶーぶー」
電車を指差して月奈が笑ったのだ。
「ああ、電車はこんな時間まで働いてる」
「ぶーぶ、ぶーん」
「赤ちゃんは泣くのが仕事だ、お前も働いてるんだな」
どうしてか、英作はよく夜に月奈を連れて、あの線路沿いを歩いたできごとが、忘れられない。
歳をとったせいでもあるだろう、知らぬ間に、姉のことを思い出さなくなり、優次郎を恨む気持ちもなくなった。
優次郎に会ってみてもいいと思った。
彼が自分が捨てた月奈を引き取ってもう15年になる。赤ん坊だった彼女はどうなったのだろう。突然、気になりだした。
だが、自分が叔父だとは言い出せなかった。
姉がしたことを明かす勇気がなかった。
優次郎に弱気に相談すると、彼は『最初は友人だということにして会ってみよう』と言ったのだった。
英作が危篤状態から奇跡的に目を覚ますと、どうしてか帰国した優次郎が病室に居た。英作は全身の痛みを感じながら、呼吸器でなんとか息をして、彼のほうを見た。優次郎は隈ができていて、何日も泣いたのか、目が真っ赤に腫れていた。
英作が問う前に姉のことは優次郎が全てどうにかしたと教えてくれた。
姉の葬儀を行い火葬をした。あとはどこの墓に入れるかだけである。優次郎は両親や祖父祖母に浅倉家の墓に入れてほしいと土下座した。しかし承諾するはずがなかった。英作は代筆で『自分で用意するからそれまで姉を預かってくれ』とだけ伝えた。
優次郎はずっと泣いていた。少年の頃のように、泣き続けていた。
しかし英作は涙のひとつも出なかった。
人間、泣けるうちは、まだ正常を保っていられるのだ。救いがあるのだ。先へ進めるのだ。
(……なにもかも遅い、どうして姉さんを置いていった、お前が、姉さんを殺した)
声が出ない英作はこころのうちで、優次郎を罵った。
(違う、俺が守れなかった)
*
「……その娘はあなたの勝手にしろ。引き取りたければそうすればいい。俺には育てられる自信がない」
二階の病室の窓に届く枯れ木の葉が風に吹かれてはらりと落ちていく。その様子をずっと眺めている英作は、月奈を抱いている優次郎のほうも見ずに言った。窓ガラス越しに眉を下げる優次郎の表情が薄っすらと映る。
「ただひとつだけ、お願いがある。その娘にはあなたしか居ない。あなた以外の家族は居ない。俺という叔父は、もうこの世に居ない。その子を育てるからには、もう二度と、俺と会わないでくれ」
「英作……いつか、この子はお前に感謝する日が来る、命がけで自分を守ってくれたことに、だから」
「だから何なんだ」
英作はこぶしを握り締める。手のひらに強く爪をたて血がじんわりと滲む。痛みなど姉の死に比べたら何ともない。痛くなどない。爪の先に皮がはさまり、出血が手首まで伝わった。
「自分の母親が、弟はおろか、娘の自分までも殺そうとしたと言えるのか!」
英作は頭をぐしゃぐしゃに乱し、叫んで暴れだした。優次郎は泣き出した月奈を守るように抱き締めると、慌ててナースコールを押す。すると素早く看護婦が駆け付けた。
「どうしましたか? 皆川さん! 落ち着いてください! 暴れないで!」
「お前にそれが言えるのか!」
「英作……英作」
「言えるのかと聞いてるんだ!」
英作が入院してから一年。彼は病棟を移されていた。
パソコンも携帯も持ち運べなく面会には手続きが必要で、病棟の扉には厳重な鍵がかかっている。
心の治療をする場所だった。
看護婦から腕に注射されると、英作は子供のように大人しくなった。さっきまで眼前に見えていた姉の死体が見えなくなる。ぼうっと下を向いて眠るようにまぶたを閉じた。
「英作、いつか、月奈を必ずお前と再会させる。お前が素晴らしい叔父なんだと伝える。全ての真実は言えなくても、きっと分かってくれるはずだ、だからそれまで俺が責任もって立派な子に育てる、約束するから……」
優次郎が涙声で何か言っている。
「俺は死んだ」
英作は小さく呟いた。
「……もう死んだんだ」
(あの時、姉さんと一緒に)
*
英作は入院している間、紙とペンだけで書き続けていた。
子供が残虐に殺されるミステリーだったり、英作の理想だった幸せな家族を描いたものだったり、何でもいい、書かなければ、手を止めてしまうと、狂ってしまいそうで、いや既に英作は狂っていたのだ。
ある日、男女の営みを書いてみた。実体験も含むが、それ以上の想像をだ。姉がなにをして月奈を産んだのか。どうして子供の存在によって彼女は死んだのか。なぜ姉が愛する者との想いが叶わなかったのか。考えた果てに出来上がった原稿があった。
その時に偶然、文学部のゼミの教授が英作の元へ見舞いに来た。教授はひっそりと隅に置いてある原稿を読むとそれを内緒で自分とつながりのある出版社に送ったのだ。
たまたまだ、そこまで売れはしなかったが本になった。それから何作か書き上げて、いつの間にか恋愛小説家という肩書きを手に入れた。
英作は作家業を病室で続けながら、やっとのこと退院した。
わずかな父と姉の保険金と、印税で奨学金を返済し、優次郎の援助を受けながら、出版社からアクセスのよい渋谷の安アパートを借りた。そこまでいったはいいもの売れるまでは貧しい思いをしてきた。時には資産家の娘である女と同居し、ヒモのような生活をしていた。
英作は生きるために小説を書いてたといっても過言ではない。家賃と光熱費を払うため、飯を食べるため、風呂に入るため、それには金を得ることが必要だった。寝るのも忘れて、売れようが売れまいが、何作も書き続け、ボロボロの小説を古本屋で買い集めては読んで、また書いて、読んで、書いて、繰り返した日々を送った。
いつの間にか、結婚もせず四十手前になっていた。
絶望的だった。英作は一人で居ると、いきなり孤独死というのを考え始めた。しかしもうこれほど小説を書いたなら死んでもいいか。そこまで悔いはない。
はたしてそうだろうか。
英作にはある赤子の顔が浮かんだ。
あの団地で姉と月奈と暮らしていた当時。
月奈は夜泣きがひどいのに、姉は疲れているのか放置して眠っていた。
近所迷惑にもなる。自分も寝れない。
英作が月奈を抱っこしておんぶすると、ドアを開けて幅の狭い階段をおりた。月奈が泣き止むまで、夜の外を散歩をした。線路沿いを歩いていると、終電の電車が通った。その時だ、月奈が言った。
「ぶーぶー」
電車を指差して月奈が笑ったのだ。
「ああ、電車はこんな時間まで働いてる」
「ぶーぶ、ぶーん」
「赤ちゃんは泣くのが仕事だ、お前も働いてるんだな」
どうしてか、英作はよく夜に月奈を連れて、あの線路沿いを歩いたできごとが、忘れられない。
歳をとったせいでもあるだろう、知らぬ間に、姉のことを思い出さなくなり、優次郎を恨む気持ちもなくなった。
優次郎に会ってみてもいいと思った。
彼が自分が捨てた月奈を引き取ってもう15年になる。赤ん坊だった彼女はどうなったのだろう。突然、気になりだした。
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