異能怪奇譚

時雨鈴檎

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-後宮事変-

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下女宮にかんかんと、鉄を叩く乾いた音が響く。それが仕事の始まり。
下女たちは、自分の名の書かれた札を手に持ち、それぞれの持ち場へ向かう。
名前が書かれていると言えども、文字の読めない娘たちは、文字というよりはその形の記号で覚えているようなものではある。

「やばい!もう鐘なってる!!」

リシャナは昨日遅くまで、あちこち奔走したのもあり、寝るのは日付も変わった頃だった為、見事に寝坊した。
ここにくる前なら、徹夜なんて当たり前でも、翌朝は朝日と共に起きれていた。

(確実に楽しくないからだよな)

起きても待っているのは、心踊る調薬や薬草の採取ではない。だからこそ、疲れて部屋に戻ると大体必ずと言っていいほど寝坊する。
だから対策に、朝日が入るように帷幕を上げておく。最近は早く戻れていたので、忘れていた。
鐘の音に飛び起きると、慌てて下女服を見にまとい、汚れ防止の前掛けを掴むと、寝癖を手櫛で抑え髪をまとめ終えると、名前の書かれた木札を持って走った。

木札の先端には、青い紐がくくりつけられている。洗濯班を指す色だ。
食事係は橙、雑務は緑。下女の服もそれぞれの班に合わせた色をしており、昼を過ぎればあたりは緑と青の下女が雑務に追われ、忙しく走り回っている。

「あっリシャナだ、珍しいね最後尾だなんて……あぁ昨日忙しかったもんね、寝坊した?」
「そゆこと、はぁまたあの洗濯の山か」
「あはは~でも代わりに、今日はゆっくりできるじゃない」

息を切らして最後尾に並んだリシャナに気軽に声をかけたのは、緑の服に身を包む少し短めの小さなくり毛を左右でくくった、大きな丸い目と、小柄な体は森で見かけるコグマリスを彷彿とさせる、愛らしい少女。
あまり人相の良くない、リシャナに気軽に話しかけ、あまつさえ懐いてくる物好きである。名前はメイメイ、12歳とリシャナより3歳年下。きっかけは今のように、前日の忙しさでリシャナが寝坊した時だった。
好奇心旺盛な少女は、慌てて走ってくるリシャナに気軽に声をかけ、それからは顔を見かけると、話しかけてくるようになっていた。

「そうなんだけど……あの匂いがきつくて」
「李の宮のお姫様、香水凄いもんね……」
「洗い物の量もね」

はぁと大きく溜息を吐いたリシャナの背中を、励ますようにトントンと眉尻を下げる自分よりも小柄なメイメイに、苦笑いを浮かべて順番を待つ。

「そう言えば、聞いた?上級姫の噂」
「噂?」

ふるふると首を振ったリシャナに、だろうと思ったと、得意げにメイメイが胸を張る。
この仕草が和むんだよなぁと、頭を撫でていると、誰かに話したくて仕方なかったのだろう、メイメイは「聴きたい?」と目を輝かせた。
こういう時、この噂好きの少女は他人とあまり接さないリシャナのところに飛んでくる。
噂に興味がないからこそ、いち早く教えてあげられるというのが、嬉しいのだと前に話していた。
今日も、朝食の時にでもくるつもりだったのだろう。聞いても困ることでもないしと、頷いて続きを促す。

「上級姫の蘭と藤のお姫様が陛下の子を産んだでしょ?二人の御子共に今、どんどん弱ってるんだって」
「へぇ……」
「藤のお姫様は、蘭のお姫様の仕業だって、怒って先日乗り込んだらしいの」

声をひそめ、メイメイがリシャナの耳元で話すと、姫の泥沼怖いなと場違いな感想を持つ。

「乗り込んだって、蘭の宮に?各々の姫はお茶会で招待されなければ、相手の宮には足を踏む入れないって暗黙の決まりなかったっけ?」
「うん、だから蘭のお姫様が外に出かけられた時に、鉢合わせた見たい」
「え、乗り込むとは言わないんじゃ」
「あれは乗り込むって言葉がふさわしかったらしいよ」

どんな状況だよ、と半目でメイメイを見れば、私だって噂で聞いただけだもんとむくれた。
頬袋に餌を詰め込む、コグマリスを頭に浮かべながらその頭を撫でてやる。
子供扱いしてるでしょと、両手を振って抗議するメイメイの頬をつつく。

それにしても、生まれた御子二人がどちらも弱ってるのは気になるなと、考え込む。
メイメイが珍しく興味を示した、リシャナに目を輝かせる。

「やっぱりリシャナも気になる?」
「まぁ……ね」

仕事柄みたいなものだけどと心の中で続けながら頷く。
赤児は死にやすいとは、親父殿から教えられてるし、まだ安定しない時期は特にだろうというのは分かる。

「弱ってるって、赤児のお二方だけ?他の人はなんともないの?」
「うぅん……さぁ、乗り込んだって話を聞いたくらいだからなぁ、藤のお姫様は出産後かなり痩せられたって前、ルティが言ってたかな」

ルティって誰だっけと、思い出せない同僚の事は、置いておくとメイメイの言葉に少し目を細めた。

子がそうなら、母子ともに健康とはいかないのかとも思うが、確か生まれてからすでに一月は立っている。急変したとしても、母親にまで影響は出るものなのだろうか。
薬師としては、実際に診て判断したいところだとため息を吐く。
そこまで考えて、首を降る。後宮には病に関する官職、医官も居るはずなのだから、きっと彼らが診てるはずだしすぐこの話題も消えるだろう。
そもそも、何事もなくさっさと帰りたいリシャナにとって変なことに、首を突っ込むことだけは避けたいところだった。

しばらく話していると、朝の仕事の割り振りが始まったのだろうか、少しずつ列が進み始める。
同時に、いつもとは違うざわつきが広まりはじめた。

「なんだろう、騒がしいな」
「うーん、ここからじゃ何も見えないね?」

列から顔を出そうと、メイメイが動くのを横目に、騒ぎはいいから早く列進まないかと、ぼんやりし始めるリシャナの袖を、メイメイが引いた。

「女官と侍女が揉めてるんだって」

どうやら、この一瞬の合間に前の人たちから後ろへ、話が広がったらしい。前の人から教えてもらったメイメイが、既に興味をなくしているリシャナを現実へ引き戻す。

「なんでまた、下女宮の札場に」

札場とは、今下女の集まるこの場所。
此処は、朝下女が、その日の仕事を受け取る場所であり、特にこの時間は、ひっきりなしに仕事を持ち込む女官や宦官と、配分する女官、そして仕事を受け取る下女しかいない。
侍女の大半は、裕福な生まれが多い、全てとまでは行かないが、花嫁修行、嫁ぎ先探しも兼ねていたりもする為、まず侍女自らこの場に足を運び込む事はない。
洗濯物は、当然仕事を受けた下女が宮まで取りに行くのである。
リシャナの疑問は、メイメイも他の下女からしても同じであった。

「そこまではわかんないよ、侍女が一方的にまくし立てて、女官が困ってるって感じみたい」
「何処の侍女よ……姫の実家から来た方なのは予想できる。王宮侍女は、そんなことするとは思えないし」
「あーもう、この忙しい時間に!朝ごはん短くなっちゃうじゃん」

食べることが何よりも大好きな、メイメイは時間が遅れればその分、短くなる朝食の心配をしている。

「下女は、毎日来た順に仕事を与えております」

女官長が呼ばれたのだろう、よく通る凛とした声が、札場に響く。
何を今更な説明をしてるんだと、聞こえた声に呆れるリシャナは、少しだけ列から顔をのぞかせて、前の方へ視線を向ける。
ちかちかと、リシャナの目が金に一瞬きらめくが、気づいた者は誰もいないようだった。

侍女が女官長に詰め寄っている。どうやら、藤の宮の侍女なのだという事がわかった。
藤の宮に通う下女を出せという事らしく、それは無理だろうとリシャナは呆れたように、肩を竦める。
下女は、基本的に朝この時間までその日の仕事が何処になるかわからない。決まった場所へ毎日向かえば、自然と、宮の上下によって優劣が付いてしまう。それを防ぎ、それぞれの下女が平等に、同じ立場で同じ仕事を受けるチャンスを持つ為だ。
決まっているのは、何の仕事を担当するかであって、何処の宮へ行くかまでは決めていない。
そして、買収や、魔がさすことを防ぐ目的もある。同じ場所を繰り返せば、自ずとそこでのつながりができ、あらぬ事をしでかす危険性があるとか。
元々下女も、決まった場所の仕事場に居着いていたらしい。そこで、寝起きし働く。下女宮は存在しなかった。
何故今違うかといえば、実際に事件が起きたからだ。下女を使い姫を毒殺しようとした輩が居た。攫おうとする輩が居た。
だから、朝が来るまで下女も女官も、誰も何処の宮に配属がわからなくなるように、この形になったらしい。

女官を買収して、下女を好きなところにできるだろうなとも思うが、たしかに外部から下女だけへの働きかけでは難しくなったという点では、防犯にはなってるだろう。
勿論、その日誰が何処の宮についたかは年単位で保存されてるので、勤務歴を見ればわかる。

侍女は、下女の中に蘭の手のものがいるから、その下女が蘭の姫を正室に上げる為に、同時期に生まれた同じ、皇女を殺そうとしてるのだと言い募っていた。
だから、藤の宮に来ている下女を出せと。
耳をすませたリシャナに届いた会話を要約すればこうだった。

いつから体調不良を起こしてるのか知らないけど、少なくとも、ここ数日の下女は担当は違った筈だ。女官長がそう説明していた。
そんな事知らないと、決まりを説明する女官長を怒鳴りながら、早く出せと喚く。
ならその全員がそうなのかと問いたいし、遠回しにそう聞いているわけで、無茶な言いがかりだなぁと、呆れたように再び溜息を吐いた。

何やら、嵐の予感がするなと、遠い親父殿の顔を思い浮かべて、平和に過ごせますようにと願うのだった。
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