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魔王は覇王に恋をする
禁断症状(前編)
しおりを挟む(チョコレート……)
こんなときはチョコレートを食べるに限る。
午後一の商談は相手企業に赴いて契約書を交わすだけの簡単なもののはずだった。それが突然やってきたバーコード頭のおっさんによってめちゃくちゃにされた。
ノックもなしに大きな音を立ててドアを開け、ズカズカと入ってきたかと思えば、あいさつもせずにどかっと着席。唖然としている担当者である望月から契約書をかっさらい内容を見て、あーだーこーだと文句をつけられた。
契約内容自体は前回までの商談で両社の部長も同席してお互い了承していた。書類自体も不備がないか部長に確認済み。
それなのに、「契約金が――」だの「この条項は――」だの今さら課長(望月曰く)に出てきて言われても困る。
望月が必死で止めようとしても止まることはなく、暴言のような説教が始まった。下手に口を出しても火に油を注ぐだけと傍観に徹していると、いつの間にやらこちらに飛び火した。契約に関係ない容姿などのハラスメントな発言を笑顔を貼りつけてやり過ごす。課長(仮)の横に座る望月は顔面蒼白でなすすべなし。
どう見ても商談は続行不能だった。
「昔は――」
「申し訳ございません。次の予定がありますので、失礼させていただきます。契約内容に関しましては上の者と相談の上、ご連絡いたします」
課長(仮)の言葉を遮ってまくし立て、手早く荷物をまとめあいさつもそこそこに帰路についた。
その後、帰社早々様子が変だと気づいた主任に声をかけられ事の顛末を説明。主任に付き添われ部長へ報告することとなった。
(はぁ……もう疲れた……。望月さんに連絡入れないと……)
とぼとぼ自席に向かって歩きながら、これからやらなければいけないことを考えため息が零れた。
(望月さん大丈夫だったかな……)
状況的に仕方がなかったとはいえ、ひとりあの場に残された望月のことが心配になった。
話もそこそこに退出され、怒り爆発して罵詈雑言を喚き散らすバーコード頭のおっさんの姿が容易に想像できる。それを必死になだめる望月もまた然り。
(うちにあんな上司がいなくて本当によかった……。というか、あのバーコード頭のおっさんは本当に課長なのか? なんかお酒の臭いがした気がするけど……)
自社のことではないので、深く考えることはやめた。
望月に非がなかったことは商談の会話を録音していたボイスレコーダーが証明してくれる。
商談に関しては一時保留で部長が対応してくれると言っていたし、悪いようにはならないはずだ。
(さて、今日はお高めのチョコにしよう)
気を取り直しウキウキしながらチョコレートをストックしている机の引出しを開けて――絶望した。
終業時間まであと数時間。
それぞれがラストスパートをかけて仕事に取り組んでいる――はずだった。
(……何あれ、怖い……)
(普段は“イケメン”最高! 目の保養! ってなるけど、今はただただ怖い……っていうか、生きてるよね?)
絹糸のような黒髪。整った顔立ちにブルーグレーの瞳。均等のとれた身体。二次元から飛び出てきたような柳瀬晴翔は目にも留まらぬ速さでキーボードを叩き、処理が終わったのか書類が右から左へどんどん移動していく。
表情なく淡々と作業するさまは人間味がなく無機質で、実は彼そっくりなロボットが代わりに仕事をしているのでは? と疑いたくなる。
(なんか柳瀬くんの背後にドス黒い靄みたいなものが見えるんだけど……。気のせいだよね?)
(……まさかこれが“常闇の魔王”?)
(おい、誰か何があったか聞いてこい!)
(そういうならお前が行けばいいだろ?)
(イヤだ。俺には愛する妻と息子が家で待っているんだ!)
俺は桜木の二の舞いになりたくない。
暗に告げ、オフィスの片隅に視線を送る。そこには、同僚女性のひざ掛けを羽織り三角座りで頭を抱えガタガタと震える桜木の姿があった。彼は晴翔の様子がおかしいことに気がついて声をかけに行く途中、顔を青くして踵を返しふらふらとオフィスの片隅に座りこんでしまった。
近くにいた同僚女性が桜木に声をかけたが、すぐに肩をすくめ首を横に振り状況不明を知らされる。
(((一体、何があったんだ!)))
オフィスは緊張と恐怖に包みこまれ、すっかり仕事どころではなくなってしまった。
お互いチラチラ視線を交わし、勇者を擁立しようとするが全員が絶対拒否の姿勢をとり、傍観者の位置を死守する。
そんな状況を知ってか知らずか、晴翔のもとへ赤茶髪の男――主任の大崎拓也が歩んで行った。
(あれ? なんともない?)
(???)
傍観者たちが注視する中、何事もなく拓也は晴翔のもとにたどり着いた。
「柳瀬」
「あ゙?」
「先輩に向かって、あ゙? ってなんだ?」
手を止め自分の方を向いた晴翔の顔を片手で掴み、拓也は笑顔で凄む。
ただでさえ、目つきが悪く威圧的な雰囲気の拓也の凄みに傍観者たちは息を呑んだ。
一発触発。
嫌な考えが頭をよぎる。
晴翔と拓也は学生時代、それぞれ“常闇の魔王”と“紅蓮の覇王”という異名で不良たちから恐れられていた。現在もそれは変わらず、二人で絡んできた複数名の男たちをいとも簡単に返り討ちにして、半グレたちからも恐れられる存在だということは周知の事実。
いつもの晴翔ならそんなことはあり得ないと思うが、今の彼はどこかおかしい。
うっかり暴力沙汰が起こったら……。
あまりの恐ろしさに血の気が引いていく。
「……すみません」
ボソリとされた晴翔の謝罪を聞いて、拓也は大きく息を吐いて手を放す。それを見て、周囲もほっと息をした。
どうやら、最悪の事態にはならいようで一安心。
しかし、変わらず晴翔の様子はおかしいまま。俯き加減の顔に表情はない。
「ったく……商談がうまくいかなくてイラつくのはわかるけど、もう少し周りに気を配れ。お前が怖すぎてみんな仕事になんねぇよ」
(((あなたも要因です)))
晴翔が拓也の言葉に周囲を見渡せば、同僚たちは顔を強張らせたり青くしたりている。
「すみません」
晴翔は素直にペコリと頭を下げた。そんな晴翔の頭をこどもを褒めるように拓也は優しく撫でる。
「これやるから、少し休憩しろ。商談の件は部長が動いてくれてるから、心配しなくていい」
「はい、ありがとうございます」
拓也が差し出したチョコバーを受け取り、晴翔の表情がほんの少し和らぐ。再度、晴翔の頭を撫で「残りの仕事も頼むな」と言い、拓也はオフィスの隅っこに座りこんでいる桜木のもとへ向かった。
(((大崎(主任)スゲェ)))
(マジ勇者)
(神)
(さすが“紅蓮の覇王”様)
(お前、それ死にたくなければ絶対本人には言うなよ?)
各々、心の中で拓也に称賛の拍手を送った。
晴翔の様子がおかしかった原因も商談がうまくいかなかったことだとわかり納得する。
それにしても、大抵のことには動じず笑顔を貼りつけて対応し、不機嫌さを露わにしない彼がああもあからさまになってしまう事態とは一体何があったのだろう。
考えはじめてすぐ思考を停止した。
今はそんなことよりも優先することがある。
お菓子をストックしている引き出しを開け、チョコレートをひと掴み。
「柳瀬くん、よかったからこれもどうぞ」
両手でチョコバーを持って食べている晴翔の机の邪魔にならないところへ持ってきたチョコレートを置く。
「あ、ありがとうございます」
ほんのり人間味が戻った晴翔はふんわり花がほころんだような笑みを浮かべる。
(眼福……)
冬が終わった。
次から次へ「これも」と晴翔の机の上に差し入れの山が建造される。
まだ冷たさが残るもののほぼ通常に戻った晴翔に一同は安堵した。そして、深く心に刻みこんだ。
“柳瀬晴翔を決して怒らせてはいけない”
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