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《56》良薬は
しおりを挟む「そうか」
ノワの返答を聞きながら、ロイドは内心安堵していた。
上位20人にから、大会出場者は本剣での戦いを許される。
決闘中に腕の一本や二本ダメになってしまうという事態もざらにあるのだ。
ノワが参加しないのなら無駄な杞憂だった。
軽く息をついたロイドは、ふと、ノワの首元に当てられたガーゼに気付く。
「また怪我か」
どうやったらそんな所を怪我するのだろう。
「怪我?」
「ほら、ここだ」
ロイドはガーゼが貼られたノワの首元を指で叩いた。
「ひゃん」
軽く触れたはずだが、大袈裟に裏返った声が漏れる。
思わず手を引っこめた。
「すまん、痛かったか?」
妙に色っぽく聞こえたのは、多分何かの間違いだ。
「大丈夫です!ここは·····」
こころなしか、ノワの頬が赤い。
「蚊!蚊に刺されて!」
「·····?そうか」
「そ、そうなんです!」
ノワは、無理矢理話を押し切った。
「そ、それにほら、僕なんかより大きな怪我は他の人も沢山してるし·····あ、ウォルター先輩だって!」
ロイドの腕に、擦り傷を見つけた。
「血が出てますよ!」
ノワは、ロイドの手を勢いよく掴み、ハンカチを取りだした。
「これ、良かったら使ってください!応急処置ですけど、薬を塗ってから·····」
「こんなのは傷じゃない」
それに治療室までは10分以上かかるだろうと面倒そうに言うロイド。
「立派な傷ですよ·····」
どうやら、話は逸れてくれたようだ。
しなやかなのに、角張っていて男らしい手。
ノワはまじまじと眺めながら安堵した。
「あ、じゃあ、水で流してから唾つけとくとかどうですか?唾液は、良薬って…」
いうらしいし、という語尾は、しりすぼみに消える。
話を誤魔化すことに夢中になっていた。
が、傷口に唾を塗ればなんていう提案は、侮辱にもなり得る。
「ぼ、僕が舐めちゃおっかな~、なんて、あは、あはは·····」
とっさに冗談に変え、無理やり笑顔を作るノワ。
精悍な顔立ちはたちまち訝しげに歪んだ。
「····そういうことを、他の奴にも言ってるのか?」
「?」
ふざけたことを言うなとでも言われるかと思ったが、投げられたのは意図のわからぬ質問だった。
ノワはキョトンとする。
色素の薄い三白眼は、まるで研ぎ澄まされた刃の切っ先のようだ。
そこに浮かび上がっているのは、不愉快の色だった。
「ま──まさか!ええっと、ウォルター先輩にだけです」
一身に否定する。
なんだかよく分からないが、肯定したら状況はもっと悪くなりそうな気がする。
「·····兎に角、鍛錬には真面目に取り組むように」
最後に釘をさして離れていったロイドを見送り、ノワはガックリと肩を落とした。
好感度は更に下がってしまったようだ。
「お前の唾液なんて死んでも御免だぜ」
「うわっ?!」
すぐ後ろから、嘲るような声が囁かれる。
ノワは驚いて振り返った。
「どうしてか教えてやろうか?」
鍛錬の後だというのに、青白い顔は涼し気だ。
闇に沈むような赤が、茶髪の隙間からこちらを見下ろしていた。
この不気味な男は、気配を無くす術や人の話を盗み聞きする能力でも習得しているのだろうか。
皮肉の一つや二つ言いたくなるのを堪え、なんで、と聞き返す。
もしかすると、ロイドの機嫌が悪くなった理由が詳しく分かるかもしれない。
「そりゃお前がビッチで、性病持ちだからに決まってんだろ」
しかも男専門のな、と、下品な冗談を言って、リダルは不敵に笑う。
ノワは暫く空いた口が塞がらなかった。
どんな教育を受ければ、この歳でここまで下劣な台詞を吐けるのだろうか。
初めて他所の家庭の教育方針に興味を持った。
「お前の傷口なんて、死んでも舐めないから、心配すんな!」
顔を真っ赤にして叫ぶ。
「なんだよ」
対するリダルは、さっきの表情のまま、片眉を少し持ち上げた。
「いつも通り、うるせえな」
「はぁ?!」
フィアンの前から逃げるように去っていった時は、泣きそうだったくせに。
リダルは軽く首を振った。
対して、ノワはフンと鼻を鳴らす。
なんだってこいつは、機嫌が良さそうなんだ。
(なにより、リダルにからかわれることに慣れてしまってきているのが、一番腹立たしい)
「·····あ、そうだ」
ロイドとの会話を思い出す。
「リダルは剣大会出るの?」
「いいや」
リダルはあっさり首を振った。
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