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【33話】思いのまま
しおりを挟む開口一番「臭ぇ」と言い放ったユランに、千秋の肩はびくりと震えた。
「あいつとは関わるな」
あいつ、を指す言葉がジュリオの事なのは、名前を出さずとも分かりきったことだった。
ユランは口を拭いながら千秋を見下ろす。
理解したらしい眉が悲しげに下げられる。その様子に、ユランの苛立ちは尽く募る一方だった。
「で、でも····」
「おい」
口答えなど許されない。
「勘違いすんなよ」
ユランは一歩前に出た。
人通りのなくなった廊下で、千秋は壁に追いやられる。
───こいつは俺のものだ。
生かすも殺すも、この人間は自分の思いのままなのだ。
全てが自分の物のはずなのに、しかし千秋は全く思い通りにならない。
「次俺の言う事を無視してみろ」
俯いた顔を覗き込むと、一瞬絡まった黒い視線は、サッとそらされた。
アイツの時は、自分から顔を覗き込んでいたくせに。どうでもいいことを思いながら、ユランは抑揚のない声で先を告げる。
「ぶっ殺すぞ」
千秋は顔をあげられなかった。
ゾッとするほど冷たい声を聞きながら、ふと、昨日の丁寧な手つきが、幻のように思い出させられた。
あんなのは何かの間違いだ。
こちらを毒気のない目で眺めていたのだって、彼のただの気まぐれだ。
彼はいつだって横暴で、他人の事など気にもしない、血も涙もないヴァンパイアなのだ。
彼の元から逃げなければ、いつか気まぐれで殺されてしまう。
迷っていた思いが振り切られる。
千秋は意を決した。
今日、彼の屋敷から抜け出してみせる。
深夜、千秋はベッドを抜け出した。
窓からそっと夜空をうかがう。
昼間はあれだけ濁っていた空が、澄み渡って美しい。
初め、窓から外へ出ることを試みた千秋は、下を覗き込むとあっさり断念した。
階数でいえば千秋のいる部屋は三階。予想ではそこまで高くないはずだったが、天井が高い上に下は濃い霧が漂っていて、目で確かめてみると見下ろすことすら恐ろしい。
自身を焦らせる心音に耐えながら、扉をゆっくりと開ける。
少し軋んだが、ほんの少しだ。
音がしないようにまたゆっくりと閉じ、息を深く吐く。
静まり返った屋敷の廊下は、化け物が出てきてもおかしくない程おどろおどろしい雰囲気だった。
つま先立ちで廊下を進んだ。
青白い月の光で、緋色の絨毯が青く沈んで見える。
時折軋む床は、まるで一歩一歩を非難している様だった。
ビクビクしながら階段を降り、ついに1階まで辿り着く。
千秋は肌寒さに身震いし、ふと後ろを振り返った。
「·····」
先程まで歩いてきたはずの廊下の先は、真っ暗闇だ。
身体はひりつくような緊張感に強ばる。
何度か歩みを止めかけた。
何だかんだ世話を焼いてくれたロイに申し訳ないという気持ちや、学園の3人、そしてたった一瞬思い出したのは───昨日のユランの、不思議そうにこちらを覗き込んだ赤い視線だった。
あの恐ろしいヴァンパイアは、ただの気まぐれで自分をそばに置いているだけ。
いつ殺されてもおかしくないし、酷い扱いだって何度も受けた。
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